【三輪智樹/スカィデァンナイト】1
桜庭家。
物流、金流、商流を通し多くの国内経済を支える総合商社の数あるうちの一つの桜庭商事。この創業者を輩出させ、数々の趨勢に渡り権威が衰えない名家がこの一族だ。機関投資家、という側面を本業である商社が担うように、桜庭の強みは情報網と連結の強さ。機関が確認されている時点でも、歴史読本にて度々取り上げられる初代を初め、豪商の流通網から今があると言える。
「協会」の最古、そして代表格とされていた三輪型の弱みでもある行動力を克服したとも過言ではない。その人海は経済界のものとも相違なく、それ故に協会の神体の研究を早めさせた。
その研究から、「瀬谷」が生まれたとも言われている。
「腫瘍」に所属するあの歩く稟議書の実家が桜庭の分家、「神体研究」を目的とした組織だ。神体を暴くに三輪らからとやかく言われぬよう、三輪分家の輿入れ先の家を設けたのが発端となる。
豪商として、家として継承者の順番が回らないようにする商人としての策だ。これにより、本家の実弟の名ばかりの誂向きの家であるのが、瀬谷家の始まりと聞く。そうして、嫁いだ家に金を積み、協力関係となった上で嫁を神体を母胎に。
後世、それらの理学的解剖の研究を進めていたことは明かされている。
本質、「桜庭故に瀬谷があり」と言ったところだった。
どう言った情報の曲がり方か瀬谷と桜庭の関係性は、知ってこそいるがその話題に触れられるのはタブーとされている。瀬谷は桜庭の善意を反故にした狂人、とも呼ばれている。それ故桜庭とほぼ断絶状態にあるのも無理はない、といった謗りもよく飛ばされる。が、関係の希薄性はそもそもの設立が極めて不安定だったから、そして瀬谷そのものが独立してしまったことが強い。
ともかく、機関から協会から見ても「瀬谷」は極めて異端の存在であると同時に、桜庭も「それなり」である。風評として、瀬谷と桜庭は百年前に断絶状態にあると言ってもいいが、瀬谷当人はどういうわけか機関と組み、そして桜庭もそれを許している状態にある。
黙認ではなく、これでも許容の範囲内なのだろう。信じがたいほどに。瀬谷が桜庭から離れることは、事実上傘下から脱退することと同義だ。それもあの男を。
それに、と、耳を欹てる。
粘湿。
湿度、熱を帯びた、いやにまどろっこしい熱さがこちらにも漂ってきている。空調設備、とも、それらしいものはここ最近施工してくれたらしいが、古巣には依然とないらしい。汗が、未だに頬に垂らしてしまう。不快指数を極めた湿り気、次いで遠くから鳴る呻吟。これに満たされてばかりであった。声を出すことはしない、桜庭が面白がってしまうからだ。
上司も何を考えているのだろうか。「瀬谷」を生かしている「桜庭」に、一体全体何処に協会所以の安心があるのだろうか。それが表面上の情報でしかない、だがその情報で何故深く考えない。
「そりゃあお前がいるし好都合だったろうよ」
内心、舌打ちをする。しろと言ったわけではないのに、またこの男は勝手に診ていたらしい。加えて熱気も、空調も付けず胴を少し動かしたくらいで、女の大腿程ある蛇の胴が腹に巻き付く。これで暑さを忘れろ、とでも言いたいらしい。
洞穴。かつて華族だの財閥に対し、戦乱を免れるために設けられていた防空壕が元とされているらしい。防空壕、或いは抜け道。その仕様宜しく、今は桜庭の物件の直下に出入り口をも塞がれている。
「!!……!、!」
「畜生界」。機関及びそう通称されていることに相応しく、その洞穴は瘴に満ちている。初代……今自分を膝上に乗せては蛇の尾で締め付けんとする
彼が居座っている大広間は最奥、それまでは長い回廊を歩かされるのが慣習だが、だだっ広いここでも他外への呻吟が響く。低く、多くは艶を帯びた女子供と、男かも判然としない獣性。慣習だ。牢の道を抜け、気休めに檻の奥でも眺めろ、という本人からの誂えだ。これを疎んでいたから機関まで逃げていたのだが、構いなく。桜庭の魔力の補給源として、そしてついでに見物として展示されている。児堂に商品を、等というのだから最近にでも新しい人間を強いたらしい。新鮮な、また饐えた臭いが辺り一帯を濡らしていくというのか。
獣の、檻の中の「畜生共」とやらの命は際限ないらしい。命、そのものも要らんとも、奴は言う。ならばと人の与り知らぬところで人をヒトとして飼い殺しては増やし。腹が減るなら食ろうていく。化粧に焦がれる理性があるなら赤子の血で紅を付けよ、それがここのヒトの世界、らしい。滑り気のある廻廊を進み、体躯が男だと分かるが否や、女が楼越しに蠱惑を。男に至っては構いなく、牢も分からず突進していく有様だ。
「児堂は、覚えていないと思うな。あの人は不要な煽りはしないから」
「腹立つけど、四次元バッグとかじゃあしゃあない。あいつ持ってそうだし」
上顎を頭頂に擦り付ける。精髭の不快なざらつきと含み笑いで漏れるヤニが、不愉快極まりない。変温とされる蛇の胴も一向に肌に馴染みはしない。桜庭の片腕、その代替として生やすのだから、彼そのものと言って過言でもないのだが。
「『管理者』を逃したのはお前か?」
「そうかも」
肯定……としても、甘い。浮ついた、冗談交じりの甘さが、体格のいい体から吐き出る。きっと、どのかの誰かと似た長い赤髪を揺らしながら、青い目で細めて笑っている。喉から、泥を吐いてしまいたい。引きはがさんとするも、片腕ぼ大蛇が一層きつく迫っては、桜庭の膝上から離れられなかった。
「まあ、お前が来てくれるならそれもありだわ」
「桜庭」
「俺はつくらねえよ。その『観測者』とやらはただ壊れた訳じゃなかろうし」
竜胆の話を聞いて、一番に浮かんだのがこの男だった。
畜生の市井を統べる獣、権威としておおよそ頂点に近い男。そして瀬谷に劣らず非人道を道とした為らず者。位相空間、という分野であるのならこの空間を管理する桜庭に目星を付けるのは妥当であった。経験上、なのだ。彼は自分の楽しみのみでいたずらに命を見物としている。真朱の地に藍色の小紋の時代錯誤と外連味の装いで居座り、そして我が法だ律だと言わんばかりに指先一つで終生を決める。この社会から逸脱した横暴だ。
──だが
「俺は関与していない」
馬鹿ではない。そこらの人間よりも狡猾で、獣よりも欲を知り尽くしている。破滅を掌中に治めた主が、目先の物に徒に身を亡ぼすことはまずないのだ。下に目を遣れば、大蛇の膚がよく見える。人を吞込むにせよまだ足りない、でっぷりとした、けれどその奥の血も骨も、血管一つも見えやしない。限りなく満たすことを生きがいとしている。餓えてしまうほど、欲には溺れない。
「聞くところによれば、イデアは強化学習を世界規模で試行している。最適な魔法やプログラムを箱庭の中で、中の人類たちが滅亡繰り返しながら、概念として学習する。そのくらいか」
馬鹿ではない。肉の鮮度を測るために嗅覚を用いるのだから、その選別も出来ている。ただ例外を除いてしまえば……彼が裏で手も引くことは有り得るが、これは、本当だろう。奴は嘘は付かない。目先の演技で拐そうとするほど、彼は血眼にもならないのだ。
認めたくはないが、黒幕でなかったとしても好都合とも言える。欲しているものには狂っているとはいえ、そのプロセスにはノイズがない。簡潔として、整然としていて、理論的で、物事の判別を行う。
「お前の言う観測者は、データの取りまとめるシステムみたいな奴。つまり滅亡の先でそいつらがただ一人取り残されいる」
「竜胆は、感情を付与する予定は初めからなかった」
「それは学習するよな?」
「感情を学習したと?」
「それも結構イケてる」
悔しいが、奴はそれ故に物事には異様に敏い。瀬谷宜しく、一から十を読み取り、自分に関係があるかどうかを取捨選択を測っている。その言葉には偽りがない。児堂からの断片した情報でさえも桜庭は何かを企てず、推測を容易に行う。
──有り得ない
だが、だ。彼の推測通り、イデアもとい、箱庭の仕様はそれで概ね間違っていない。さながらAIの強化学習と似たもので、データを蓄積させていく。生命体に対する合理的な魔法、構築式を完成させるのが趣旨だ。桜庭がどこまで暴食国を認知しているかさておき……箱庭もイデアもシステムとしては同じ。数億年間隔で、箱庭の世界を人理毎回収と同時にリセットを繰り返している。
「少なくとも何億回も壊されてちゃ、自分の身の危機感も覚えるだろうよ。だから俺はあまり触りたくねえ」
この受け皿になっているのが、観測者といっても過言ではない。その構造は極めて難解とされて、代表者の竜胆のみぞ知るが、観測者の立ち回りは想像するに難くない。キャパシティを膨大に必要とする上で、感情はある種のバグでしかない。竜胆がそれに類似したシステムを作ることも、その意図も極めて不合理に思える。
だからだ、他害を疑っていた。箱庭は次元と乖離している、竜胆が壊しでもしないかぎり、観測者は機構として組み込まれている。彼を逃げ出してしまうのは、テロと言っても過言でもない。
──何故なら
ここに縛られている暇はない。今の状況は言い換えてみてしまえば、箱庭のデータの殆どを観測者が盗み取られて逃げだしたことにある。竜胆に追求しようにも想定出来なかったアクシデントが、起こり得てしまったとされる。
──もしも
観測者が感情と類似したものを起点として、そこから脱出してしまったら。その能力や叡智を自分が取り出せる立場にあるなら。
かつての創造主がいる世界にて逃走を続けているとしたら。
「言っちゃなんだが……お前、いじめられてんの?」
柄にもない杞憂だが、それは間違っていない。彼の捜索をどうしてか自分が任命されている。世界の滅亡を強いた主人の世界──彼がそこに迷い込んでいるとしたら、その危害は誰に及ぶのかは明白であった。
端的に、さしずめ自分は肉壁だろう。
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