2

「彼がどう行動しても『無名の地から選定された影の実力者』だ」

「それで、『フリーボーダー』としての代表格として選ばれた兄を優先したんだろう?」

「話が早い」


 知らないわけがあろうことか。

 感情論、と言えばそれまでだがあの兄が凶行に及ぶ事が考え難かった。兄は、古い記憶では恋情に狂う気性ではない。確かに彼は女人に対しての興味関心は疎く耐性はないが……悪い人柄ではなかった。多少の時間を空いた日はあれど、彼は実家への手紙を欠かさなかった。日夜鉱山に勤めて、その余興に魔法をした作業員の栄転でもある。多少の浮かれはあれ、焼かれる直前までは故郷への思慕を募らせていた。


 そしてその直前――さながら、いや、文字通り「人が変わったように」兄は村を焼いてジャンヌを連れ去った。

 彼は、家族だ。離れていても、彼が違った生活をしていても異なった空気をしていても家族だ。兄がそんなことをするはずはない、無根拠への信頼に他ならないが、それが根拠である。


――イデア


 そしてイデア魔法は、最近知った言葉だ。梧という情報屋がそう明言して始めて知った言葉にあるが、紐付けするにはそう難くない。今もこの通り、リストハーン村の焼失そのものは世界的に騒がれていない。が、これが小スケール……例えば近隣の「共同区画」である場合も等しい無関心であるならだ。


――そして


 リストハーン村の付近の人間は、突如として起こった焼失に関してのリアクションは皆無だった。

 皆無、である。悲嘆、国への畏怖、称賛すらもない、皆無だ。あの時人の肉すらも燃え上げた紅蓮を彼らは覚えてすらもいない。ただ『いつの間にか更地になっていた』という認識下で、自身の村を変わらずに治め続けていた。変えて、リストハーン村の近隣もまた付近の鉱山にて拠点を立てている。その際の肺炎等で事故は耐えないが、記憶上これに対しての打開案を大人が示したことはとうにない。

 それが、違和感だったかも知れない。自分自身の全貌もそれを理解する学は当時にはない。ただ、人間との協賛を欠けている、それよりか欠けさせた意識が区画内で蔓延していた。


――それが


 イデア魔法と、ボーダーフリーと紐付け出来たのは容易い。最先端たる大国が幹部層ぐるみで当該の魔法を扱う、そしてそれに伴った平等化も知った。『ボーダーフリー』とは、つまり兄を指す。しがない村人だった兄を国が実力を称え、教育機関でも有数の国府機構への招致。活動としては十分なものを掲げていたが、これについての反論が誰一人としていなかった。化物もそうだが、人間にもだ、悪環境に殺された者は皆その殺人鬼に対しての敬意を述べた。

 その幼い時点の類義語は「妬心」だろうが、対義語は「感染者」であった。その点で言えば自分の村は、平和だった。


――そう


 この国には不平等はない、格差もない、平和だ。「その注意喚起や意識すらも殺された人間」があの中にしかいない。争うという概念はなかったのだろう。


「……だが、結果として暴食は君の魔法を高く評価した」


 そして自分とジャンヌが対象外、とも言える。自分はそれに「不快感」を、ジャンヌはこの状況に対して自分に寄り添っていた。何もない場所で蹲ってから得た知見だが、それが真実だった。胸奥に張り付いたドス黒い何かだけが、自分の確かなモノだ。自分だけしか残らない。彼女はいない、ただ踏みしだかれては引きずられた丘の花の跡のみ。

 何故、か。確信ではなく可能性の高い推測でしかないが、自分は自分の本意でジャンヌにあの石を作った。

 あの石をだ。兄が手紙で送られた花の石と共を真似て、見様見真似で倣ったあの石。学校に行ったこともなければ、その適切な作法を知らない。見様見真似で抽出したある種の薬であり毒素、でもある。無傷じゃ済まされない。現に何回か生傷を作って飛沫感染から、ジャンヌへもそれに渡り……二人して例外の体質を得た。そう考えられる。


――最後まで


 推測だ。推測でしかないが、自分はあの中で「死に損ねてしまった」。「生き永らえた」のではない「死に損ねて」しまったのだ。

 口に手をやる。思い出すだけで胃がひっくり返る。その炎には誰もが鈍かった。変わった兄を見続けてしまった、眼球を萎ませた赤子が煤焼けた母親に抱きついていた。燃えた。何もかも燃えた後に、自分は溶け込むことを良しとしない――ならば、その孤独を埋める者は何もいない。誰もいない、ただ理性だけはある。村人を見殺した、その事実と自我だ。

 ある種、「振る舞えなかった」のは不運かもしれない。自分は、その村で狂うことが出来なかったのだ。


――だから


 自分が生き残った、理性を残した事項を逃げながら徹底して突き詰めた。その結果が、あの薬物であるらしい。イデアの魔法を聞き齧り、その知識を逆手に愚直に薬草を食らった。共生。四六時中駆けずり回る激痛と不快感、それに耐えるべく馴らした。

 馴らして、慣らして、生らして


「国が君の業をジャンヌの石と模倣しても出来なかった、と聞いた」


 ――胸糞悪い結果となった。

 Sの言葉を反芻する。彼は今自分が暴食への評価が高いと明言した。次いで、彼は暴食の内情をこちらに提示した。それは論拠だ、「イブよりもその弟の方が才能があった」と認めた。


――だが


 彼らの目標は「イブ・リストハーン」を名誉的存在に仕立て上げること、だ。つまり「イブ・リストハーン」は世情の中ではまだ生存していると言っても過言ではない。いや、もしかしたら今は病床だと託けているだけか。


 この三点で何を示すかは嫌でもわかる。暴食は名誉と保身を優先している。名誉とは「イブ・リストハーン」という大成した弱小を育てたとされる名声。保身とは「イデアの黙認」と引き換えにした社会的扶助――実質の令状だ。


「『イブの名を借りて国に従事しろ』、そう言い換えろよ」

反社会的勢力テロリストには極めて温情な措置と伺えるが」


 耐える。歯を噛み締めて、喉奥へ沈めて。その喉は枯れている、その胃は爛れている。が、生命を絞った声は大気中に霧散するまでか。ただ脳裏までかける血潮が、血流が熱く早い。憤怒以外の何物でもない……当たり前だ、村を燃やされ幼馴染を殺した張本人からだ。愚弄だ。そして彼らは、その種明かしを知られた側でいれど悪びれもしない。それを知りながら生くか、死ぬか。

 果てるか、死ぬかだ。


 ふと、Sをいや蓮を一瞥する。彼の表情には笑みを絶えず宿らせている。取り憑かれているのなら、当たり前なのだろう。Sは、この瞬間を勝利と受け取って然りか。


――ただ


 蓮は、この姿に意識は意識はあるだろうか。

 笠井蓮、あの学生の周囲情報は知っている。母子家庭からのあの上司の子、だが、その生活は自分とは離れていた。まず引き取る相手が血の繋がりもない「他人」。そして自分の立場に気付いていないながら、恋慕へのスキンシップが過剰だ。年不相応に、不釣り合いに。普通の生活を送っているにしてはだ、彼は「別離に異様な恐怖を覚えている」。


――異形


 あれは、廃墟の一抹は暴走時であるが、彼の真髄といっても相違ない。だが彼は及川という少年に激しく執着をした。自分という外敵を認知すらしていなかった。それが彼だ、自分よりも恵まれて、しかしどうしようもなく臆病な少年が笠井蓮だ。

 その少年を、親代わりであるSが操っている。そこに彼の意識の有無は関わりなく、Sは悪趣味だ。


――ただ


 彼は、暴食国の民ではない。ならばその意識下には自我が必ずある。この状況で、愛するべき親友を危険な目に合わせた張本人に会わせている。

 彼そのものの自意識は、


「……」


 ……いや、ある。彼は今、目を意図的に逸した。その瞳に、自分を排した。


「……何でも、得る立場ではないと思え」


 然しと、会話を止めずに一蹴するが、絶えずSは笑みを零している……違う、蓮がか、蓮が、笑んでいるのかもしれない。何かを押し殺して、Sの代弁に蓮は笑う。その言葉に追求がない、微笑みは柔いが口は開かない。開いたらどうなるか、その共感を抱きかねないほどに、硬く。


 帰結として、Sは人の心というものは内在していないだろう。それか、タチの悪い化物。上司であるSが行かず、代わりにその子であり部下が代理に向かう。同時に傷害未遂の被害者としてもだ、上司としての道徳は欠けている。


――だが


 これは果たして道楽に限るのか?

 それは、判然としない。彼としての余興、そう処理して然るべきものだろうが……些か腑に落ちない。不快感は極めている、だが違う。


――ああ


 合理的ではない。何故笠井蓮が姿を変えてまでここに来てしまったか、Sではなく蓮か。その理屈が未だに解明できていない。嗜好、道楽の一つか? 名状し難い不快感の比喩か? 否、かもしれない。勘だ、何かが間違いなく蓮を趣味以外の目的で意識的に操っている。

 奇妙感、それも不快が強い何かが。泥濘、その濁った汚水の中に深く深く沈められた何かを……隠されている。意図的に、そして爆弾としてか、手を伸ばしたその時には引き摺り込む。その周到さだ。


 整理を、しよう。

 兄であるイブは、環境的条件下から恣意的に選ばれたもの。雑輩、でしかない。彼には国が保護される特異性はなく、終始無名の一介村人として生涯を終えるはずだった。しかし選ばれた以上、実験体である故に生かされている。

 彼が頓狂に村を焼き、自分を罪人として仕上げたのは、実験的猶予が残されていたから。その点に関してイデア魔法は、洗脳に他ならない。ならばそれを社会的脅威として認識されるよりは、脅威のない人間の悲劇として仕上げる。


 想定される舞台は、自分か。弟であるエダ・リストハーンは悍ましく残虐な実験につき村は焼失。イブはジャンヌを救い、学園へと避難される。リストハーン村は、怠惰国の領地だが暴食国の「管制下」にある。そういった物語化へと変えることは、可能なのだろう。

 イブの感染は村民に広がり、それを薬草で防止していたが……確認した際には途中すべて刈り取られた。鉱物の毒素を交えた薬草、ならばそのパンデミックは異世界に起こりうるとこの世界に降り立った。その正体はイブがいるなら、きっとジャンヌもいると確信していた。


――だけど


 が、自分がついた時にはジャンヌはあの姿であり、イブは恐らく……あの男が殺した。そこに虚偽はない。イブよりも自分の方に価値を見出したと組織が結論付けた、それ以外の理由はないだろう。ここまで生かされたのはそれ故だから、しかない。


――しかし


「イブはどうした?」

「死亡したな、我々が回収した」


 疑念が、明確化される。

 不穏にだ、解明ゆえの安堵とは程遠い。想定内の惨事、屠殺にも等しいもの。エスの証言を鵜呑みにするのであれば、国の汚点である石をも保管することになる……つまり、暴食と組織は共通の機密を抱えざるを得ない。パワーバランスがどう考えても不釣り合いなのだ。不均衡なバランスであるならまず破綻する。だが今提示された情報だけの構図では、暴食があまりにも下手に出過ぎている。


 彼らは国の機密を逃がし、それを機関に捜索の依頼と破壊を持ち掛けた。そしてそれには、国民の自由意思を殺す魔法をが使われている。これでは、一方的に暴食が握られている。


――いや


 そもそもだ。大国の一つであろうものが、この一団体にそこまで頭を下げるとは考えにくい。何故立場として尤も信用できない機関を暴食国は頼ったか……明確な相互利益しかあるまい。


 機関に頼る必要さえ疑問に感じる。確かに魔法の信用に関わる不祥事だが、これは自国の問題でしかない。そしてそれ以前に、村の中で悲劇を完結させるならこれ以上の拡散は不毛なはずだ。

 機関は、この情報を必ず糧として、味がなくなるまで貪り続ける。その相手を協力者として選ぶか、というのが甚だ疑問だ。確かにエダ・リストハーンを逃がしてしまった落ち度はあるとはいえ


――違う


 「逃してしまった」、ではなく「黙認した」のではないだろうか?

 確かにここまで追い詰められてしまった。が、瀬谷であって暴食そのものの関与ではない。「イブの能力」については、結果論であって暴食の副次的報酬だ。村を焼く時点では不明瞭な「予測」。その為に自分を逃したとしたら、その時点で泳がされていたかもしれない。全員死ぬことが正規なら、イレギュラーは搾り取るまでどこまでも飼い殺す。これはイブも自分も例外ではない。


――だから


 例外ではない、イブはどう従うかを調べるために生かされた。なら石を有したジャンヌは、「イデア魔法よりも石の効力に依存した」とも言える。


――じゃあ


 ――


『早いな』


 声が聞こえる。低い、男の、この湿った夜にはより染み込もうとする甘さか。

 違い、蓮は横に倒れ込む。地に伏して頭を打つも起き上がりはしない。そのままだんまりと……首筋から発芽をさせていた。


『同級生に一名、強欲国の亡命者がいる、それからもう二人……まあ、国次第か』


 それは甘い。しかし冷淡だ、温度は、それを怜悧と示す。倒れ込む少年に気を留めない。それを優しく労る指も、撫でる所作もない。ただただ、消費物の説明に成り下がる。

 耳障りの良い音声とが、布擦れと小気味よく合う。180の肉体か、伸張は止まらず早い青葉を繁らせる。

 今しがた、目を合わせたが、そのまなじりにはうっすらと涙を滲む。それだけ、それだけを見せて……逸らした。


『難点は……制御出来ないらしい、兄君は苦しんだそうだな』


 予想通り、兄は国が模倣した自分の石を入れられたらしい。


――違う


 違う、納得したいのはそれではない。その帰結ではない、その情報でもない。諦観じゃない、その為じゃない。


「選択の余地は残す……だから選べ、彼がつくった選択肢だ」


 それをどうしろと言うのだ? それでどうなる?彼をどうやって生かす? 父親にも見捨てられたこの少年を? 自分という大罪人がいることで生かされるのか?


――これは


 その生き方の為に生まれてきたのか?


 彼は自分と同い年らしい、そして、同じく天涯孤独だ。死体の温度も知っている。自分の体の死を何度も経験している。


――ただ


 それでも彼にはまだ救われている、とは感じていた。親だ、腐っても親が彼の側にいた。親は、子を守るものだと村でさえも教わったのだ。


――なのに


 自我を持ったモノが、誰よりも守れるモノが、何にでも得られるモノが。愚弄、その二文字を人間に浴びせる。

 青臭い。尚も、か。蔦は彼の肌を裂いて、布と肉を擦れ合わせる音を立てる。それだけ、それ以外の声を蓮は立てない。それ以外を許さない、とても他外の気圧されているか。黙って、蹂躙を受ける。

 それでも彼には感情がある。自分と同じ怒りと憎しみさえも。それを、それをだ、何故親である立場が、国のような、所業を


「――のな、土産には上出来だろう?」


 卑怯者と、呟いた。

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