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修正は完遂した。
修正、修復、復元……いや、その言葉は些か不適当か。Recovery、即ち回復ないしは治療を終えた。不言推奨と下された瀬谷の外傷は主に脳、特に頭頂葉の部分的欠損は確認されている。エダのことだ、洗脳においても意識的にその破壊をすることは想像に難くない。そして、一応感染者ではあった瀬谷にもその傾向は見られていた。それもかなりの時点で、ということか。
――しかし
その点で瀬谷が自らの状態に気付くことはないだろう。彼は肉体的な面では正常な電子信号にて作用する健常であれど、魔力の運用が常軌を逸している。その事例は最早本人が止めてもやらかしてくれるので、思いめぐらせて列挙するのも飽きる。しかしそれでもなお彼の脳機能障害を起こしているにも関わらず、生還を果たしている。
無自覚の魔力保管、火事場の馬鹿力、という例えにも無理はある。魔力と言えば聞こえはいいが、結局は人間とは非なる外部者の妙だ。本来なら脳機能障害の際に魔力が代替的に保管することは起こりえない。
気紛れに、先ほどメイキングを終えた瀬谷の頭部を撫でつける。頭部、のみだ。人間は首を切断すると心肺機能の停止、血管断裂による酸素供給停止等の複合的要因で死に至るという。このメカニズムなら、本来体の持ち主であり抑制となった「彼」が働いて、一種の仮死状態となる。その下の体は、再生しない。彼の魔力によってはこちらの指図の有無関係なくこちらに覚醒する。
特に、前頭葉を修復され、まともな思考回路が復元された今は。頭頂葉の障害は、本来生物にとっては致命的なものになりうる。外界知覚、先ほどの状況を見ると、この傷の状態でまともに歩くことも感覚認識はままならない。それを彼は、無理やり元ある体内のものによって置換をした。
「又余計な事を」
得てして、それが今の「瀬谷鶴亀」の人間たらしめる負荷だ。
目の前に這うて睨めつけるルナールには、それが「枷」とも言った気がする。
――枷
成程、悪くない。人間は全知全能になれない、何故なら、内在する機構組織のみで彼らの装置は構成される。容積の小偏差を維持した海綿体に、その期待を寄せることは出来ないのだろう。盲目的であれ、何であれ、今の自分でさえある程度の容量規制を想定している。質量の存在するものにはその限界が付きまとう。これを逆説としたものが
「脆弱な物は我が君には合わない」
ルナールはその理論にすがった、とは考え難い。が、「人間の脳が人間の限界」とするならその逆を求める過程で行き着くのだろう。
証左に、彼は現実世界にいる貌を変えている……無理な介入か、いくつかまだ体に同化しているが馴染みはある。
「斯様な細腕が、手折れる足が、頸が」
獣。
嗅覚に刺激はない、威嚇行動において自分には外的刺激は無駄と判断しているか。賢明の誇示、元ある黔の毛並みを遠から。這うて、這うて、矜持を。我は同じに非ずと、ひかる目を伏せながら。
黒、光を喪わせたもの、影を食らう闇。詩的ならば威厳、実的には威怖を孕む。睥睨、その視線のみをこちらへ遣るのみ。艶を見せる背は、良く空間に溶け込む。自分だけの世界であるここには外部の光はない。しかしこうして化物が自らの身を光らせる所以は……他言は無用か。噤んで、容貌を見渡す。
過言だが、同じものとして、そうして一際低く呻吟を漏らす。見え隠れする歯は、肉はより彩を増すらしい。
「いるな、足は未開を歩くために、手は未知を知るためにある」
が、程度は知れている。巨躯、推定でも八尺は優に越える。耳か翼かも見当つかない、長い頭蓋のかざり、耳朶あるいは風切は彼が自ずに翻して、震わせる。
その震え……接地面は同一、故にその振動が隔靴まで。響いて、震わせながら風を、身の玄を感ぜる。独自性、なのだろう。人は彼を妖狐とも、野狗子と謂れたモノらしい。黒死の
「我が君が望んでいると?」
その所以に重く、強く。怒気は含めていないが、圧は露わにする。そこで薄く、ルナールの眼瞼がうすく開いた。黄の瞳。確か、毒の意を持つか。
「所詮メトリエッタの
「そうかもな、だからこの子を犯し尽くすことも」
喪失。
感度を失ったのは、頭蓋への感触からか。大凡、手首からその先。しかしここでは管は用いない。その意義すらここにはないからだ。接続か否かで規定している以上、掌の質量の気配もない。
瀬谷を一瞥する。欠けた腕首の直下にいるが、お陰で彼は血塗れずに済んでいる。
「寄越せ」
斬。
その音は、する。それは威嚇か、間髪入れずに首は、視点が急激に降下する。視覚、正常に作用するが、その先には自分だ。首はない、だが断面は美しくない侭か。
感触が頬に。下顎から白い牙にかけて、鋭く。感度は保ち続けているが、痛覚は元から存在していない。頬は弛緩なく強張らず
「瑣末に我が君を遣うな」
どこか生温かい体液がしとどに濡らして行く。唾液、過剰に分泌されながら、粘液が裂け目を這う。つまりは、そう、彼は怒りに満ちている、そう推察される。
細く、まだ意識があるまま瀬谷の頭部を見やる。目を閉じた、赤髪の青年。その赤の形容には枚挙に暇がないが、血、といった例えはしない。
「落ち着いてくれ」
人には相応しくないからだ。
そうして、始点へと意識を戻していく。切断された肉体、手と首か。頭蓋のアーチを描きながら、再度瀬谷を上から見下ろす。
「君は鶴の親友になったことで、鶴の精神的負荷から、解脱への意思表示を作る。そのくらいは分かる」
赤い、そしてやわらかい。風呂上がりに湿っていたので薔薇と例えた時、嫌味だと彼は口を尖らせていた。が、それと類似する。血、は、人間として生きている彼にはらしいが、不適当だ。彼は人間として生きているのなら、尚更。
……加えて、「今の瀬谷鶴亀」が願う時点で「抑制」は必然的に排除される。この「瀬谷鶴亀」は、人間の体を使って、危うく「ヒト」を留めている。人間として、人間の思考を有して、だとするなら生きていたが所以に人並みにその衝撃には脆い。
「大層気に入られているな、死んでほしくないだなんて」
よく手に吸い付かせながら、ルナールに目を遣る。黒い毛並み、毒を深窓に姙んだ瞳。この化物に、瀬谷は唯一無二の信頼関係があるらしい。死んでほしくない、と思うほどに、体に拒絶反応を起こす程に。
然し素体だから、無理もないだろう。瀬谷家は元来、異端ではあるが協会には属する。それに醜聞を飛散させると言うのに、実家からの苦言は一つもないと彼は言う。「今の瀬谷鶴亀」は、精神そのものは頑強だ。今の今まで見放されて、それでも自分の道を征く意識はある。
「本当に、鶴は親友思いに尽きる」
……が、この肉体はだ。あまりにも繊細で壊れやすい。負の感情で負われた人間は、誰をどうして使おうが、脆い。その恐ろしさを体が覚えている。例え今の持ち主が関係なく暴虐を振るえど、慣れど。ルナールは、そこに執拗に付け込むと云うか。
気配が、その線が切れる前に眼前の獣が両断される。モーション、手や足を使う必要はない。ただ自分の世界にいる。
「ああ、すまない」
面白みのない倒し方だが、致し方ない。自分もまた……人間の脳を用いたか。酷く機嫌が悪かったらしい。血管の膨張、血圧の上昇は見えないが、音声が聞こえない事に多少の鎮静を覚えている。
なら、そうかもしれない。獣の最後は言うまでもない。見る興味も失せたか、断面を見せないまま跡形もなくなった。
再度暇になる。暫くは、手持無沙汰な片手を瀬谷の頭部に遣る。先日軽い報告に立ち会って、その拍子でよろけた際に触れたが、感触はこれか。
人を撫でるのは、ある種の趣味だ。三輪春彦ではなく個人の自生、なのだろう。映士も蓮も、ワンも例外なく、気が付いたら触れる事はある。身内だけの話だが、興味深い観点なら心理的安心感、だろう。かつて当代のマーティンも、想い人にはスキンシップをせがんだ記憶はある。結局は孤独になるのだから、共にいるなら触れ尽くしたい……と、言ったか。彼らしく年不相応に甘怠いが、よもや感染したか。
――ハルは
もう還暦そこらか。だがサンプルにしただけあって、彼の体躯は使い勝手が良い。白人、細く何かを指先で何かを弄るに適した長さ。何か情欲を刺激するらしく、手については変えていない。
情欲……良い手の骨格はそれを齎すという、気紛れに、指先だけを元の姿へと変えるが、面白みはない。
――所詮
無個性たる所以だ。指の節からも関節とシワすらない、光沢もない、只の白い棒切れ。観察も簡素だが、淫魔の本来はこれだ。個々はない、個々は社会と集団によって規定される。その適合のために個性を捨てて、子孫繁栄の迎合を行う。これが遺伝子的に行われている。瀬谷が人の皮を被った化物、という点では同義か。しかし、異なる点といえば、彼と違って集団ありきで生かせざる負えない。
それ故、だ。自種には嘘も真実もない、虚無的な媒体に過ぎない。そして欺瞞を以て生存を図る。この業界も等しい、本当が本当と扱われないのであれば、自分が歪曲せしめても捻じ曲げる他ない。
……即ち、
――君が
「……」
微笑。それが今の自分として、最も適した表情だ。
眼輪筋の伸長と、頬筋の収縮。大頬骨筋と小頬骨筋、笑筋の微動によって微笑は起こりうる。破顔、というよりも僅かに表情を零したものは、人は安堵を覚えるらしい。安らぎと言うには遠いが、人は本能的警戒を解く。動物の意思疎通は原始的行動による単層的相互作用に対して、人間は逆の動作をもたらす。複層、人間は生物学的観点から高い知能を有している。
当該の脳は超的次元を思考する上で、彼らもまた高処理の余波から原始的行動に歪みを齎す。それがいわゆる感情であり、彼らはこれを行動根幹とした。その中で「喜」は生物学的意思表示の「無」であることと相似する。即ち警戒対象ではない意思表示として、しかし感情が持ちうる人間としての抑制を付属する。それらを併用されることにより、脆繊なコミュティの中での成体活動を保つ。そして外敵をつくることはない。
僅かな筋の引き攣り……しかしこれでヒトは安堵を覚えるのだ。
――私には
彼を嘲笑うことのみを許されている。
……。
指の腹で口角をなぞる。ややかたいが柔い、サンプルに使った男通りのものだ。あの男、マーティンの当主も似た笑みを浮かべるかもしれない。笑うなと、もしも目の前にいたら仏頂面で言うと思われる。が、これが再現であるなら致し方ないだろう。あの男は、人間の癖して学習能力が局所的に低い。物分りは良いというのに、夢といった不定的な領域に対しては判断が著しく落ちる。それにも関わらず、この笑みで幾人か要人を捌いたことは忘れまい。
私は
三輪春彦は社会的権威者かつ、サディストに分類される。
協会の有数の名家の一人息子でありながら、その一つにして至高たる三輪家を破門。以後反逆者という烙印を押されながら、協会の情報を機関に明け渡す。客観的評価であると精神病質の基質。名家の出身故に振る舞いに随所慇懃無礼さが見受けられる。
私は
三輪は、父にも母体にも見捨てられた少年を執着している。何故なら彼は、人間が施されるべき愛を知らないで育った。だが奉仕、という意味での他愛の精神はある。それに偏れば飢えを知れど喉の潤し方を知らない。分からないまま、彼は他人に依存するという。他人の言うことを聞いていさえすれば、その代替として自己肯定を得られる。その精神構造をした人間に、三輪は目を付けないはずはない。
私は
手始めに母親の亡骸の前で繧エ繝。繝ウ繝翫&繧、繝翫ル繝イ繧キ繧ソ繝ゥ繧、繧、縺ョ縺ァ縺励g繧ヲ繧ォ繧ェ繝ャ縺ッ縺翫l縺ェ繝ゥ縺。繝」繧薙→縺ァ繧ュ繝ォ縺九i縺ゅ″繧ソ縺ェ繧薙※繧、繝ッ縺ェ繧、縺ァ縺翫@縺医i繧後◆繝ゥ繝、繝ォ縺九i縺後▲縺薙≧縺ォ繧、繧ッ繧ォ繝ゥ縺ェ縺舌l縺ェ縺上※縺斐a繧薙↑縺輔>縺ァ繧ゅ※縺ッ縺翫l縺セ縺吶≠縺励b縺ゅj縺セ縺吶←繧ヲ繧ォ縺ゥ繧ヲ繧ォ
……。
雑音、の様だ。
喃語に言葉を彼が喘ぎ続けたとは言え、こうも言語化に解釈出来ない。そもそも、この辺りは後に廃人に追い込みかけたから記憶を……いや、そのままか。それは三輪春彦のすることじゃない。
記憶は、自分は克明に覚えている。片手で縛り上げた時、やけに細かった。股を開かせる際の足首も然り。歩くには手折られそうなそれが掌で覆えて、捻じ曲げた。
それも、痛みが応えたか跨がれば不乱に息を上がらせる。時折、捻じ曲げて壊死させた足に怯えて、また蓮は荒い息を上げた。余程痛かったらしい。その事後回復したか分からない蓮はその場で蹲っていた。完治した足を指さして、然し痛いと言わず這々に付いていかんとする。そこで撫でてやれば、彼は最初酷く怯えていた。
――それは
当たり前だろう。そう思わせる為に自分はそうしたに過ぎない。
「……レンは、私の物だ」
言う程のものではない。その意義すらもない、蓮は嗜好を満たす貴重な手駒に過ぎない。彼の指す不幸と痛みは自分だけで良い、それで彼の思考を誰かに閉ざされるのは耐え難い。それならば、自分が先に壊してしまいたい。彼に恋慕する同級共は、いつかその熱が冷めてしまう。
そして半端な優しさで傷付くのはいつだって彼だけだ。彼は、そこで奪い取ることを考えない。奪い取られたいのだから待つのだ。どうしようもなく我儘だ、だから叶えてやれるのは自分しかいない。
……それを、何と言うのだろうか。現在分散して発信する
兄のように振り回す人間を、それを至上とする人間をどう例えるか。
『……卑怯者』
嗚呼――そうだったな。
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