4 ※1月20日更新

 粉塵爆発、彷彿とするのはそれだ。粉粒体となる有機物が空気中に舞うことにより、起こりうる事故。引火した際に飛沫範囲に応じて連鎖的爆破を引き起こす現象。微量な可燃物質、燃焼は瞬間的とは言えども広範囲かつ死亡事故も容易い。つまりは、それか。爆音と熱を立ち込めど、平静は狂わない。脳、爛れず、目、蒸発せずに全貌の閃を目にする。


 まばる、その様。

 フレアが、白閃が影を創る姿諸共を包む。白く、無垢に……痕跡ごとおおうか。やがて痕跡となりうるモノさえも、そのベールで覆っていく。彼らが這うた、或いは歩いたあと、重みさえも、白く。重く。軽く。熱、ひどく熱い波が肌を撫で付けるものの、外傷はない。それでも目は瞑らずに異形の喪いを見届く。まばたいた刹那に、自分もまた消えるのではないかと、そう思ったから。


 数秒の焼却にせよ、前方のセヤは微動だにしない。靡く髪と袖のみが生を暗示して、目を閉じやしない。角膜が火炎で艶めき、不意に口が無意味にすこし開く、その微細ぐらいが頼りだ。それぐらいしか、人らしさを確認出来ない。ふと視線に気付いて、彼は眼球をこちらへ向ける。整った横顔の輪郭のまま、なお金の瞳をも。その所作で漸く、「いる」と分かるのだ。


――――――――u n i n_a u a u


 唇を動かしているが、爆発音でよく聞き取れない。ただ、唇振りの母音から、彼も同じことは思っていたと推測できる。粉塵爆発、そう、不快気にあ様相をして笑んだ。穏やかに、嫋やかに瞳をも輝く。炎天がきららかに、ひとを妬いて屠るそれを拒まずに。

 しゃら。焼失の崩れかある種の軋みが分からない雑音すら立てない後に、そのような音を耳にした。未だ記憶に残る、透徹の破片の……結界の音か。破片の一つも見せないが、ひとたびの亀裂は連なって崩れを見せるらしい。


 そして、壊れる。

 崩壊。吹き抜けて長屋風住宅Casa a schieraと大差ない内装がまた露わになる。が、来た頃よりも煤焦げている。一層に、急速に失せた火炎から拠所ない灰が舞う。拠所、彼らがあるはずの肉体はもうないらしい。焦げ付いた床には、生焼けた鼠色の斑点しか残さない。そして幾ばくかの骨。付け加えるなら、その後ろにはやや細長い痕跡、のみか。


「……何度なの一体」


 最前に立っていたセヤは呼びかけられ、頤を上に向ける。すうと、眼鏡に張り付く灰に目を細めてから、敵のいた地点に向かい骨を踏む。砕かれる。苛立ちはなく確認程度にと、成人男性の爪先の圧でも容易い。


「表面温度4000度、ベクトル変えたからそれ以上か」


 二度、三度、確認に端まで踏みしだいていく。脆い、あまりにも。ただタップに弾かせただけで多量に舞って、黒い革靴にへばり付く。そこでやっと、軽く足で払い落しては眉を顰めた。


「……で、機関管轄所属って言わなくてもいいか」


 加えてセヤはその前方、それまでに見たこともない物体に目を遣る。物体――ではあるが、顔のパーツがない時点で人間かは定かではない。円錐状の、節ばった葉緑色素のヘドロ。未知だ、それ故に何と名状出来るかも定かではない。緑の色として、植物かも怪しいが、根がどこか蠢いて微動と一度の蒸気を吹く。


『早いね』


 そして……人間か、人間なのか?物体が声を発する様は見えないが、何かが頭の上で響く。ぐわんと、無理矢理入り込まれているが、聴覚として作用しない。イヤーワーム、それと似ている。


「余計な指示がなきゃもっとな」

『それでどうする気?』


 音はない、が、感情はある。そしてセヤの言葉に呼応するなら、信じ難いが生きているのらしい。意思を持って自分を操っていた化物、ということか。

 ただ……と、口出しはしない。これが、この世界の人間の話なら、瀬谷から先は殆ど闇に近いのだ。地平は続いている、同じ目線に立ってはいるが、隔絶させている。線、目の前の何かに、あえて踏み出すほど自分はすべてを忘れた訳じゃない。


「上司がお前を生きたまま連れて帰って欲しいって」

『それだけ?』

「ああ、それだけ」


 それだけ?

 それだけ、だったか。いいや、違う、違うだろう。それは覚えている、夢よりも確固たる現実を目にしている。彼がそれ以外の理由を何も持っていない訳がない。柘榴はあの時確かに息絶えていた。だが……彼はそれを覚えてすらいない。

 何故か。つまりはこの時点でもセヤは柘榴が死んだことを、何一つ記憶していない。柘榴の身に何が起こったか、その私怨なしでここまで来た。


『驚いた』


 警鐘。敵であるはずの、自分の未来を奪ってしまった相手に危惧が増す。危ういと、彼もまた同じ光景は見ているはず。だとしたら、彼は、いやその言葉は。


『味方を犠牲にしても君は動じないのか』


 水音。

 間髪入れずに、異形の頭部が破壊される。素手……掌によって、膜に覆われた肉ごと。植物に赤い、何か。果肉ではない、まだ痙攣し続ける肉か何かを瀬谷は千切り上げて叩きつく。肉片、床に散らばるそれは本体から切り離されれば、活性を失せる。それから、赤が色褪せれば、腐乱した臭気と一致する。目の眩む、無理やり行き繋いだ喪屍ゾンビの気配。

 床に、縁付きの眼鏡を見かける。瀬谷が飛び掛かる拍子に落としたか、屈んで拾えば嗅覚が嫌でも分かる。この臭いは、死んでいる。僅かながらの生気でも、臭いは数歩後ろでも感ぜる。強烈に死を彷彿とする何かを放つ……が、瀬谷は意に返さない。直に殴りつけ、直接的なダメージは驚異と説明した相手を殴打する。手応え、それが有効かは定かでない構わず、何度も。


「セヤ」

「聞いたか?」


 そして平坦に、彼はそう言う。尋ねている。

 平坦に、単純に、彼はこう聞いている。今しがた敵はこう言った言葉を口にしていなかったかと。『味方を犠牲にしても君は動じないのか』ということを。分かっている、そしてそれは事実であり言うまでもないことなど。


「なんて、言ったか、聞いたか?」


 振り向いて、その瞳は自分を見据える。答えられないことへの苛立ちはない。恐らくは、多少の催促。呼び掛けられたのだから、次いで自分からも聞きたい、そういった、その程度の催促。裸眼ではより、特徴的な目がよく見える。金も、白目に這うた返り血の数滴も、よく映える。その血を拭わずに、痛がらずに見開いて聞くなら、尚更。


 言うな。言ってはならない、先程の発言の肯定を。それは間違いなく瀬谷の逆鱗か……比喩ではなくて、なにかの線が切れてしまう。


――言うな


 そう考えど、不自然にくちが開く。指と似た間隙、その圧、力強い。言えと、催促として何かが強いている。口を噤むことは許されないこじ開けられ、生臭い臭気が喉を焼く。誰、誰だ、見えない、自分の口を使うお前は。


誰だ、後ろで囁くこの男は『如何したぁ、言ってみィ小鯨』

これは昼の奴じゃない、お前は、『我が君の供物にゃ御前が好ぇカ』


「……わからない」

「分からない?」


 まばたいて、しかし未だ目線を合わせる。瀬谷の掌がいたずらに千切られて跳ね上がってもなお。白目に血を付けたまま、その目の前に手が落つ。



 しかし、やや冷静な判断だ。セヤも確実にあの化物の話は聞こえているだろうが、自分が聞こえているとは限らない。まだ、情報交換せずに先陣を切った瀬谷の中でなら。この場で自分が聞いていない、という事実に仕立て上げるのであれば、聞かれはしない。

 聞かれは……それ以上の追求はしないはずだ。


「そうか。じゃいい、悪かった」


 別に、そう言いかけた寸前、セヤは再開して腕を振るった。掌はない、ただ漸く気付けば、状況に従って手首で殴りつけ付けていく。殴打、その音のみが不条理に響く。それだけ、言葉のみの和解はない。


「どうした?」

「上司に連れて行くって」

「ああ、言ってたな」


 違う、彼に話そのものが通じているのかも分からない。彼が目の前の化物をどう見ているか、自分はどうか。対等か、非対照か、彼は言葉か、暴力の解決を望むか……違う、それはない。唯一言語の大体となる脳への伝導もない。

  瀬谷への反撃が行われるなら、まだ生きている。いや、その場合じゃない。彼は化物をまるで驚異と思っていない。それですらない、その領域ですらない。彼は


――セヤは


 本当に人間なのか?

 人間離れした挙動とは関係がない。その吹き出した血の後に、彼は何を中身を出す?消化物か?臓物か?脳か?違う。違う、違う違う違う


――まずい


 咄嗟にだ。駆けて、瀬谷の襟元を掴み上げる。引っ張ればその質量は青年そのもの、違う。これじゃない、瀬谷鶴亀はこれであって、これだけじゃない。ジャケットとシャツを羽織る肉体、それ以外の何かがここに。


「ツルぎ」


 飛沫。赤い。宙に浮かぶこれは……自分の腕らしい。こんな世界地味たところで生きたらしい、本来掴みかけるはずの物。飛んで、次いで片方も。痛み、それは無くは無いのだが、頭が急激に降下を感じる。下に落ちる、その感触。

 しかしと、どうしてか頭が冴える。そういえばだ、先程まで踏むことを躊躇った所に、自分が踏み出したのだ。そして、これか。なるほど、やっとのことで理解出来たが……つまり、これが彼らの世界らしい。確かに彼はこう呼ばれていた、我儘だと、我が道を行くと。攻撃は不明瞭なままだが、つまりはそれか、「行く手を阻む者は何が何でも排除する」。瀬谷らしい、実に。


――セヤは


 セヤは、最後までよく分からない男だ。好きな物には全力であって、それ以外に全く興味を示さない。おまけに、おかしな話だが、その張本人は今更再度目を見開いて……驚愕しているらしい。この姿が、自分がそう望んでいただろうに。柘榴を手にかけたあの化物にも、そういった目に合わせるという気概はないのか。


――いや


 あるだろう、だからこうして彼は化物を蹂躙していた。人間の振る舞いを忘れて、いま自分を見つめる表情を見せず。それにしても、か。思ったよりも驚いた顔をしてくれる。本当に柘榴が死んでいた等と記憶はないらしい、記憶は。さながらかのような顔をする。


――あれ?


 じゃあ、先程のお前は誰だ?

 じゃあこの顔をするおまえは、いったい



どした鶴坊  なにゆえか? 

皆いじめる  使えないから 元気だしいな

              泣き虫だから

兄さんばかり ここは、ああ

褒められてて あの夢の景色 おいたわしい

       しかしこれは 鶴坊賢いのに

おにいさん  柘榴と、誰だ 

また遊ぼか  セヤツルギ? 遊びたい

       ねえどうして ええでえ

沢山遊びたい 泣いているの 

帰りたくない お前そんなに 遊ぼうなあ

       柘榴もなんで 時間はある

       いつもなのに

みんなきらい 手をつなぐな

そうか嫌いか そこに行くな 泣くのはよし

       はやくもどれ 放さんといて

       何かがちがう

       違う、戻れよ


 ほな、いこか。


『おにいさん、名前なに?』

『秘密やで、げえむに勝ったら教えるで』

『勝つまで待ってくれる?』

『勿論――ずっと、ずうっとな』



…………

……


 ……干渉した以上は記憶の消失対象に入るか。彼には感謝している分心惜しいが、やむを得ない。

 鶴、今の彼が見えるかな。意識がショック状態で断絶していると、彼はこういった体感を憶えるらしい。彼は足元から、奈落へ落ちると相違ないらしい……と言っても、今の君には分からないか。酷いな君、一体全体大脳をここまで損傷した上でどうやって行動したんだ? 人間の脳は良い密度を持っているのに、君は穴ぼこだな。


 ……まあいいか、私は修正する。ついぞの君の精神的負荷もな。視聴覚が作用しない間は、これからの報告を感知することにしよう。返事は聞かない、早くしたい。君の知己は、君の大脳のみしかない状態に憤るようだ。しかしこの方が治療しやすいから変える気はない。今ただのローテーブルに直に置いているが……すぐに戻すから我慢してくれ。

 返答はなし、反応はないなら現状機能停止、独り言同然か。ああ、いや、それでも私は君に語り掛けるとも。それが私の仕事、君の脳が活性化するまで、私は掌で撫でつけたり、皺をなぞる。この報告はいつしかイヤーワームとして感知させる、眠っていてくれ。どうなろうと私は保証できないが。


 まあいいか、それではまず――ご苦労様、君に貴重な体験が出来て何よりだ。

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