【バレーナ/With≠in】1

【前書き】

 お久しぶりです、11月はガチ憂鬱で動けない日々です。暫くしたらコメントの返信行ったり人様の作品を読みたいのでなにとぞ



 笛。

 笛の音。

 故郷の鳩琴オカリナとはまた違う、澄み切っては跳躍する音色。肢体の舞踏、波紋、そう彷彿できる賑やかさに、太鼓も合わせて打たれる。聞き慣れないメロディ、だが、祭なのだろう。祭、和装の建物の奥、森林よりずっと向こう側の賑わいがそうだ。賑やかで、楽しそうな男女の声。生への祝、我らが生まれることへの感謝を尽くす贅。そんな、けたたましいほどの喧騒だ。


「しーっ、だよ」


 その喧騒の、遥か遠くに自分はいる。

 どこかの、木造の建物の中、その壁の隅。横から少年に抱きすくめられて、そのまま未動く。


 ――声


 聞いたことはある。いや、厳密には聞いたことはないのだが、感触だけは然と覚えている。白昼の、脳裏に駆け巡っていた少年のそれ……イド、なのだろう。イドは想像通りに幼い。自分よりも一回り小さくて、青年よりもずっと少年のそれか。小人、それに相応しく、自分を抱き込む腕は長さが足りない。本人もまた、懸命に腕を伸ばそうと強くしているが、それもたかがしれる。遠い昔に見た映画に、大型狸に偶然出会った子供が精一杯抱きしめる所作がある。それだ、それと似た動きで力いっぱいしようとする。


 弱い、あまりにもひょろっこい力なのだが、長い金の髪が忙しなく揺れる。一糸乱れない、よく梳いた金の髪……丁寧に整えられて、乱暴の気すらない。悪意、害という一点が抜けているのだろう。仕方なく、抱擁を受け入れた。

 静かに、と、穏やかな口調に合わせて出そうとした咽頭の震えを沈める。ごろごろ、多少の不快さを含ませて、前方の景色を見遣った。


 臭気。

 それは辺り静まった景色を強く指して、色彩をまた強く刺す。色彩、赤、強く強く。多勢の肉の塊を、死体と。肉の塊は、辛うじて服といえる布切れをまとう。

 手足と思わしき出っ張りもあるが、個人の判別は付き辛い。そもそも細切れで、とんと検討つかないものさえも床に転がる。老若男女か、転がる何かの一体は、胴から出っ張った部分から穴を空いている。そこに無数の白い小石を指したような……違う、これは口か。了然としない。筋肉も中途に削ぎ落とされるせいで、それが元来何だったかを不明にさせる。ただ、すべての肉は死体か。死体、どれもこれも息をしていない、かつて巡らせた血をその代わりに床に吐くだけ。


 血の海が、尚も。床を汚し、新しい木の匂いを犯す。染めるは、鮮めくいろのみ。精巧な平坦さをずっと、駄々広く塗り潰していた。


「……」


 例外は、いくつか。一人は、自分、もう一つは、イド――もう一人は、少年。肉に囲われた少年が、一人。

 無尽に広がる血海は何故か中心に佇む”それ”の足元には及ばない。ゆがんだ円を描いて、外へと放射していく血。その珍妙にも、少年の視線があるかは、定かではない。ただ興味もなさげにぼんやりと、前へ。自分の方に気付いてはいない。悲鳴、悲痛、それを己の肉を使って表そうとしない。平坦とも言える、機微のなさか。

 夢だ。確実に、この異変に誰かが駆け寄ろうとしない。祭の旋律はなだらかに続く。遠く、遠く……それだけ、近づくことはない。むしろ無関係たる平和として、嬌声としての痕。ここに触れられることはない。と、すると、ここは普通ならざるもの、その景色、風情。


 じゃあ誰のもの、か。まだ朧げにしか持ち合わせない自分でも、この経験はないと言える。見慣れない建物にも、微かに揺らす祭笛も。風土、その質感が触れる肌には違和を感じる。これは自分の記憶の抽出などではない、もっと他の、他人の、誰かの拝借。他人の記憶を垣間見るなどファンタジーにも程があるが、致し方ない。


 ――それに


 景色は見慣れない、が、少年には明らかに既視感があった。赤髪、本人とは大分異なってひどく幼い背丈だが、眼差しは違うことはない。その目は、無情だ。雑物に向けての無聊を、碧眼に……碧眼、同一人物化は怪しいが、面影は似る。

 ぼうっと、セヤに似た何かは佇む。そのまま、一点の汚れもない和装が少し揺れるだけで、身動き一つもしない。未だ血は海に広がるが、だ。彼を一切汚さないでいる。


「我が君、只今帰りました」


 声音、周囲に対してひと際穏やかだが、どこか重たい。後を引いて、そのまま爪を立てるべく傷を深くつける。それとにた触りと、粘質だろうか。

 正面の入り口から男が一人。彼も洋装ではない。和服で、確か、袴か。丈長で細身を際立たす清楚たる振る舞いと、足音はまだ足袋で乾いているが、どこか湿る音が滲む。瘴気にも、似ているかもしれない。袴襞プリーツが歩いた拍子にささらと鳴れど、獣尾が乾いたまま毛をふさつかせてもだ。湿る。血糊からただう何かが、生暖かく頬を撫でんとする。血の臭いがいっそう、腐をまとった気がした。


 しかしその声の聞き覚え、ふつうの体付きに耳と尾を隠さない……ザクロか。ザクロと似た男が、少年のみを見遣る。その瞳、宵闇に点す心許ない行燈ばかりの色をめど、死体に目もくれない。


「だれ?」


 少年のみにしか気に留めないか。呼ばれば笑みを浮かべ膝をついて、少年の矮躯に目線を合わす。ジっ、と、合わせたザクロの黄の光彩は人をよく映すか、傍目からも輝きを増し金と変える。えて、少年の方のみを網膜に捉える。

 そうして、にこやかに笑み続ける。なにかザクロが。笑みは力無い。跪いて擦れた裾が、床に転がる腐乱に塗れど、眉を顰めない。ただ言うなら、汚れ一点もない少年ばかりが夢中か。じわり、膝就いた袴に血溜まりが滲む。赤黒く、布地を吸い込ませては、滲みて黒に。

 ほんの一瞬、なにかは下部を一瞥すると、目を伏せる。両脇を締めて床に突いた右手を、左上腕へと自らの袖を滑り込ませた。


「これを」


 血溜まりが、肩に。まだ黒みを持たない鮮やかなそれは、袖の下まで白地を染める。赤、か。いや、まだ生の紅を帯びるか、光に照らすと薄金を帯びる。床を汚すよりも一段と、艶を残す。

 素手でそのまま千切ったが、ザクロの表情に翳りは見えない。痛覚、それは多少かほそい口元から息を漏らすが、苦痛の低さはない。唸りは、耐え難く高い。恍惚、その二文字が合う。腕、力なく断面を見せるそれを、片手で器用に持ち上げてはセヤに近づける。血が、滴る。そこで漸く、一滴が彼の真白の足袋を汚した。

 鼻先に掠められれば、それは嚙り付かれた。まだ生白い皮膚を、セヤの幼い口内に。甘く噛んで、やがて容赦なく力強く。音が聞こえる。口腔から、筋が切れ血を吹き出す様。絡めとって食わんとする仕草は、人間だ。獣ではない、食事を基本として狩りから離れたモノの、拙い所作。


 ――違う


 彼は厭わずに、さも美味しそうに頬を赤くして食らう。腕の骨を砕く音すらも、鳴らした。


「おいひい」

「石榴、と言います」

「じゃくろ」

「ええ、石榴、私共の国では可憐で、高貴、という意……」


 停めて、ザクロは視線をこちらに。ザクロはセヤと違って顔立ちに違いはない。ただ一つ、向けられるは平素の表情を抜けた冷やかさのみだ。冷たい、そのもの。感情をさして持たない凍てついた何かを。


「何故、御前はあの鯨っ子を停めた?」


 声色すらもだ。抑揚もなく、低い、重い。


 ――だけど


 これは本人で間違いない……そして、彼は自分のことを見てはない。見れていない、のだろうか。目を彷徨わせず、一点に自分とは違う真横にと視線を向けている。その先には、イドがいる。イドしかいないのだと、彼は気付いていないらしい。


「死んだと彼奴が言えば贄に為ったと言うのに……御前が吹き込んだか?」


 心当たりは、地下駐車場の件だ。イブに足止めを食らって、そのままザクロの圧死を見過ごし……瀬谷からの蘇生が行われて……そのまま、疲れて自分は眠りについて、この夢の中へ。間違いなく記憶は、混濁しないままだ。整然としたまま、不自然な穴がなければ……自分がただ不理解を極めている。


 ザクロが……という裏切りに憤怒はない。元より、いた場所は今日の味方を明日殺すような場所だ。そもそもそういった利用には湧き上がらないのか。幸か不幸か、意外性、とのみのリアクションだ。


 ――いや


 しかし、不明瞭が一つ。この際、あの時セヤは確かにザクロを蘇生させたことが証明された。では次に、ザクロの言う真意だ。


「だって君死ぬ気だもん、良いでしょ別に」


 予感の通りだ、セヤは「ザクロの死を拒絶している」。それ故に部外者である自分が、死を宣告することは許されない。加えて、魔法とやらである程度のコストをかける。魔法は、何一つ分からないが与えられたものの分だけ物は還る。それが自然の法則としてあるなら、蘇生魔法のようなものもそれに則るはずだ。


 だが、しかしと考えて、思考を閉ざした。『では何故わざわざザクロは死に行ったか』……それは、考えてはならない。閉ざされることで理解されず、薄い憧れに溺れる恍惚。知っては、分かってはならないなにかだ。


「余計な事を」


 本能的に、人道に悖るなにかを。

 両断。突如イドの体、右肩が裂かれて削ぎ落とされる。刃に相応するものはない。充てがう凶器はないまま、破れていく。音はしない、失血も確認出来ない。平常、静かな中で、捉えるはイドの呼吸音のみだ。


アレは生かしても仕方が無い」


 遅く、イドの片腕が床に落ちる。失血ない、黒い断面を見せながら血溜まりの中へ。飛沫に、波紋を、海に散らしては身につけた白布も侵す。一介の肉、そう呼ぶが相応する。


「記憶が亡い、帰るべき場所も無い。生かす意味は有るか?」


 一片の肉、些少たる肉へと……それは自分を比喩するか。ザクロは、確実に自分の姿は見えないらしい。そして、こうやって本性を振り回している。己が己として出せる夢の中で、これが本性だと。冷えた体温を、思い出すように。


「あるよ、バレーナ人間だもん」


 ……だが、平然だ。

 イドはこちらに気を配る様子もなく、切断を素足で床に転がす。素足、だったらしい。生温い血の中、その中の己の肉を爪先で軽く蹴る。ころりと、すぐに小さく揺れれば、霧に。霧として、腕が瞬く間に粒子に散る。白銀、血濡れたとは思えない欠片たちが宙に舞えば、すぐに消えていった。


「生贄とかわかんない、仲良くしてってば」


 異変が、ザクロに。

 横一線、銀色の軌道がザクロの下腹部に走って、そのまま断たれる。上半と下半、簡潔に分かつたまま落ちた。そのまま、音は鈍く重い。咄嗟に上半はまだ動く腕を使って、床に手を付けるも再生は見えない。再生……どころか、痛みすらも感じているらしい。同様に、断面は黒に関わらず。


「我が君の供物を穢すか、御前は」

「それって俺を汚すなーってこと? 駄目だよ、僕これでも痛いもん」

「……所詮其れか、我が君の事など如何でも良いと」


 ザクロが目を伏せて、瞑ったまま開く素振りを見せない。

 冷気……いや、相似したなにか。張り詰める空気、それがサツイ、らしい。サツイ、その息を吸うだけで肺を刺さんとする殺伐、一段階明瞭な意味を持てば、本能が退く。気配。そのドス黒さが、下から頭上へと擡げて行く。


「我が君は、此処に居るきでは無い」


 低く、低く。


「御前は何も皆を紙上の無価値とは云うまい、全てが平等に無価値と、識る癖に」


 重く、重く。


「未だ巫山戯けた事を。人をも捨てぬ御前は」


 鉛が。


「死んでも判りたくない」

「ねえ簡単に言って?」


 払われる。

 今までに聞かない唸りを、イドは一声だけで払う。そして歩んで、ザクロに近寄る。拙い血糊の足跡のみを残して。


「僕が強いのが納得行かない、ってことだよね?」


 子供の持つ高い声が、ザクロに刺さるらしい。声を出しはしないが、隠そうとする顔から眉を明らかに顰める。


「うん、ね、だから絶対勝たせてあげない。人間の世界は人間のルールがあるの、それを破らせるのはだめ、ってことを守ってほしいの」


 近付いて屈み、負傷を続けるザクロの額に人差し指を立てる。ぐりぐり、特にギミックはない、ただの暇潰しだろうか。途中飽きて、緩急を加えては減らすを繰り返しては、声は幼い。


 ――子供


 ……では、ないのだろう。性質そのものは幼いが、質量は重い。重い、夢見と似た軽やかさはない、吐き出された息が解かれない。言葉が、言の葉として分解されない何かだ。


「つるぎも、れんも、えーじたちは、人間だ。僕たちなんかいちゃだめなんだよ」


 幼い、たどたどしい、いとけない、怪しい言葉が、それでもしかと。要領を得ない、この世ならざる者の話でも、明確な意味を持って目の前の男に刺すのらしい。


「知っているかな、柘榴」


 そうして、明確に輪郭を持とうと、凛とした声に変わり。


「――私達は、人間に寄り添えないんだ」


 そう――振り返らずとも、自分にもそう言い聞かせている。

 その彼の意志だけ、伝った。


 ■


 ■


 何か、夢を見たらしい。

 丁度、目と鼻の先にセヤの顔面がかち合えば、その何かすら忘れてしまう。何か、夢を見ていたらしい、少年と、木造と、着物と……何か。和風、なのだろうが、瀬谷と目があった衝撃でまた幾分かは断片がすっ飛ばされたと感じた。さしあたり、それほど重要でもないものだろうし、夢そのものは考えても仕方ないだろう。


「目星はついた……後は行くだけだな」


 布音。部屋から溢れる冷気から、セヤは上着を取り出したらしい。軽い、血色も見えない濃紺のジャンパー、その金音には夕暮れの暗さにはよく冴える。部屋、は、照明器具は何も付けていないが、代わりに円陣か何かは光っていた。

 黄金色に……直感的に、照明ではない、所謂魔法陣とかいう、何かだろうか。起きたばかりの早鐘を沈ませて、脳に冷静さを誘きだす。鼻先から煙草の香りが仄かに触れる。セヤ、あの顔立ちに似合わずに、やけに冴え冴えとした鋭い煙香。


「あのさ、石榴って好き?」


 ……ふと、うっかり口を滑らす。

 何故か分からないが、ぬかるんだ脳に割って入った紫煙が導き出した。置いて、怪訝そうな顔付きで応えるセヤに植物の方と、咄嗟に付け加えた。意図は、分からないが撤回はしなかった。


「好きじゃ、ないな」


 それでも、質問に答えてくれるらしい。数秒の逡巡に、癖か首を仰がせながら答えてくれる。零される口から、また濃い残り香が漂った気がした。


 ――植物


 確か植物の柘榴は苦手だと、前日にそんなことは言っていた気がする。あの時はただの言葉遊びだとも思わなくもないが、明確に苦手だったらしい。


「あれだ、最初食った時は美味かったんだが、なんか他のは旨くない、ギャップ?ってやつか」

「昔って?」

「子供の……」


 くちびるが、空を掻く。

 セヤの唇は、暗闇にでもよく分かる。髪と同じくして赤い。けばけばしい彩色ではないが、心なしか見えるは宵闇の影に灯す何か。何か、は、唯一の光にさえ捉えられる。

 それこそ、一言を紡ぐだけで誰かに縋る余地を与えるが如く――


「……いや、覚えてねえや」


 まるでその色は、血肉を啜ったかと同じ程に赤い。何故その比喩が自分の中に出てしまったかは……分からないが。

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