3
■
クリア。
イブ・リストハーンの破壊を確認。生命活動は完全に停止している。
これが今回の君の狙いなのは知っているが、他にもあるなら早めの報告を頼む。健闘は祈らない、趣味に人を巻き込むな。
アウト。
■
うたが、きこえる。
それは詩だ。静謐な夜に纏わる詩を遺したリルケの一作。作中にたぐわない閑寂さで、松山の歌が聞こえた。交互に、ハミングするものも。ノクターンの、どこかのものだ。表題は忘れてしまったが、松山は決まって気を抜くと、そのメロディを歌う。
――いいや
彼が気を抜くのだろうか。その低い歌声は、余韻を残しては響く。まだ耳朶が細かな痺れを奔らせて、脳裏に声色が描かれる。黄昏。今松山が一人思う相手は、その言葉に尽きる男だ。誰も彼も分からない人間を愛するならと、届くまで歌い続けている。いつも、構いなしに。二十歳半ばにしては、あまりにも無垢な発想だが、同時に飽いている。知己故かもしれない。その声は、流暢な発音は、我が身の為に身を客に委ねる為に育った物。道具、あまりにもきれいな道具が、聴覚を刺激し続けていた。
とはいえ待ち時間は、報告からおおよそ3分ほどか。彼にしては、早めに言うことは聞いてくれたらしい。それとももう飽きたか、いずれにせよ今日は真面目に着てくれるのだから、容赦はしよう。
耳に障ると眉を顰めて、前方の背景に目を遣る。
白百合の花畑、夜の影を映さない純白。その白の中で、踊り遊ぶ少女が数人。二人を除いた多勢は、少女というよりも一桁程の児童。黒い頭を見せる背丈の小さい彼女ら、裸足で白い丘の上を駆ける。
足音、小さなものだけと、それをかき消さんとする朗らかな笑い声。歓声。周囲の事を知らず、ただただ彼女らは互いの顔を合わせては笑みを絶やさない。また一つ、百合を手にした少女が仲間の髪に挿して、笑顔を弾けさせた。
背丈の大きいもう二人も、女性だ。長い黒髪の波うった者が一人、もう一人はきちんと編み込みをした桃色の髪が一人。彼女らも、児童らも皆同じ白いワンピースを身に着けては丘の上にたわぶれる。自分の気配には気付かない、彼女らが触れる百合にも触ろうにも透けてしまう。よく咲いて滴るはずの蜜の芳香もだ。
――残滓
残滓、転じて、亡霊。魔法を齧ったものなら常識だが、魔力に触れる際使用者の感情や思念に干渉する。魔力がある種の原子としたら、使用者が生命活動を停止させてもなお活性化する。それが、この世界ではいわゆる「幽霊」だの「蜃気楼」といった現象を取る。
――だが
思念があるとはいえ、ここにはもうジャンヌはいない、イブもいない。原子というただ一つの作用が、ジャンヌという酸素を受けて呼吸しているだけ。吐き出されたゆめ、まぼろし、うたかた。その類でしかない。
「報告はありません、しかし一帯ここで焼き払う予定ですね」
そう、何もだ。幻想には価値はない、泡沫には未来はない、まぼろしは覚めるためにしか産まれない。
松山の身体、エス……ではなくイドが誂えた背広だろう。エスの情感にイドが連動したがるきらいがあるから、この装いも意味があるだろう。自分には見い出せない。この景色だって言える、松山には何も意味を齎さない。
松山の本来の目を、自分は嫌っている。
世辞にも、綺麗で見惚れるものではない。「結果に沿って生きていくだけ」の人間性を加速させた……何かか、人間の塊すらある。
――だから
松山には、今まで何をあったと言おうにも、悲壮はしない。ジャンヌに何があったか。ジャンヌと剥離したイブが、何度も自分に返せと糾弾したか、自分はその心臓を引き千切って潰したか。無意味だろう。言っても、それは効率が悪いのではと些少な親切心からプレーを指摘する。
それ以外気にならないのだろう。彼にはすべて分かっていた、そして他の結果である以上気に障りはしない。単純だ、あまりにも単純な造りの上に彼はいる。その単純さで完結するも彼だから、人間とも言い難い。もはや生きるために活動するある種の機構とも言える。
――いいや
もっと、小難しい言葉よりはいい言葉があった。サイコパス。彼の人格性は、この五文字に尽きる。
「じゃあ、いい、僕がやる」
「どうぞ」
彼は頓着はしない。終わったものに、何も執着もしない。勿論、戦ってきた自分に愛着も沸かないだろう。その三つすべては、特定に向けることしか知らない。
乾いた笑い混じりに、目先にある百合畑の地面に人差し指でなぞった。コストも特にない簡単な魔法。原子との連結から簡易な爆発を起こせる、時間もかからないものだ。
つうと、なぞる。伸ばされる腕は風が撫でる。まだ、肌寒い。
ここで、自分は少女を抱き締めていた、自分は男に抱き締められていた。その意図を、憶えながら体温は冷えていく。ゆるやかに、緩慢に。感触は、ジャンヌの感触は最後まで鈍いままだ。助けを呼ぶ手に、つくりものの手を思い起こす人間などいないだろう。
「
……点火。振り払うべく、紛らわせるべく。業々。しかし幻は、害意に意を介さない。ここは永遠の幸せであると、高らかに笑い続けている。煌々と、火から散らす火花は、その破片と感ぜた。
「何を思おうが、何を感じようが、貴方は人間ですよ」
それに返答は出来かねる。また、読むなといった心を勝手に読んだらしい。
人間、その道理に産まれた時点では外れたような人間が言える口ではない。彼にとっては、自分が食える者は皆人間と、歪んだ価値観があるはずだ。その基準でしか、人を人として見れない。その人間に助けられた時点で、人間はとうに捨てたと言ってもい。
忠犬、その意志がある訳ではないが、ある程度は追従する。自分を助けた人間が、自分を生かすのだ。事実そのものは気に食わないのだが、その至難さたるやは気になるところはある。
――そう
自分が生きる資格は、表面上はそれだ。本当のものは、松山にしては返り血か灰燼程度のもの。それに軽んじられて許す神経ではないが、かと言って彼女に言うこともあるまい。
自分はもう、人間ではない。物だ、「まだ生きている情報」でしかなく、それがイブや北条家らと一線を画した程度。
「僕は、君達のわんこだよ……乱暴に扱ってもいいさ」
「貴方は人間ですよ」
笑みを零しながら少し吹き出す。珍しく、松山が感情を発露している。繰り返して言っているのだから、感情としては呆れか、珍妙かだろう。ワンという物は、物分りは松山相応に良い。だから言っても聞かないことに面白さは――非常に不服だが――感じたのだろう。
「――犬は、夢を見ないんですから」
無邪気に笑いながら、歪まずに彼はそう言う。悪意はない、事実として、いや、称賛と言う名の評価で彼はそう言う。それが自分を蹂躙すると知らないで、その無邪気は他の邪気を棄てるとも悼まずに。
炎の中で、少女達は高らかに笑っていた。何度も、何度も、偽った熱を超えて耳にこだまする。
ジャンヌの笑い声を、初めて聞いた気がした。
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