2

  罎詰の檻。

  抽象的ではあるが、それが具体されているのであるのだから仕方ない。その檻は、人に枷を嵌める物は、瓶。瓶は、小さくて丸い。掌に一度掴んだ質量程度だろう。

 掌ほどに収められる程度の物の中に、肉が敷き詰められる。区別に名前を綴られたテープには異世界言語。イデアのためのものか、特徴的な記号から暴食国か。流麗な筆致は、「ジャンヌ」という愛らしさをアンバランスにする。ジャンヌ、と記される小瓶。本来なら、この名札付きの瓶には甘やかな物をいれるべきか。軽く融かして紅を絡ませた飴細工を詰めるのが妥当か。妥当、というより少女として本来あって微笑ましい物であった。


 肉。古めかしい、僅かな瑕を見せる小瓶、その中に詰まれた新鮮な何か。じゅくじゅくと、せいいっぱいの水音だけが生気をさらけ出す。

 いや、肉と血管と骨と、総じて砕かれた肉体。桃色と、かつて自分がそう形容した一色で容態をすべて推し量ることは叶わないが、容易だ。生きたまま砕かれて、こんな状態にも関わらずまだ生きている。現実世界なら到底あり得ない話なのだが、彼女が見せる世界は異なる。異世界、それも彼女が体験した記憶の再現であるなら、この露悪は間違いなく現実だった。

 呼吸はまだ中で続いているらしい。呼吸として、蠕動を。それには声もしない、音を探ろうと瓶の側面に耳を触れる。感触、感覚の温度の再現には至らない幻想。しかし蠢々とだ、わずかな動きはさざめきを微かに与うのみ。何かを伝おうと動かしては、粘液の音色だけ落とした。


『くるしい』


 いいや、もしかしたらたすけてか、しにたいか、はたまたいきたいだろうか。

 兎角そういった調子で、こんなにも人間を忘れじに、けたたましく振舞おうとする。保存とも保管とも言えない、我が世界では放置というニュアンスが近い状態の中で。腐臭。その臭いすらする。すずろな例えだが、肉と血の腐乱臭。粘度の強さは鼻をさす不快と比例する。可愛らしくない水っぽい薄紅色のそれは、ただ動き回るのみで表情を見せない。あるわけもない、漂うものは人間でも異形ですらない肉塊そのもの。掌にまだ残っている、彼女の破片を握りしめる。指、力はなく筋に動きはない。彼女そのもの気配もか。

 まだあの姿の色をした、赤褐色の空間に閉ざされている。あの丘山を呑み込んだ後の調子は変らずこのままで、害はないとはいえ禍々しい。炭化したセピア。それと似た閉塞たる小部屋には、多少の文明水準が上がった造りとはいえ、安らげはしない。ジャンヌの小瓶の横一列に連なった容器も、中の肉らがそうはさせまいと自分に迫する。


――同化、ね


 彼女の姿はどこにもない、というよりも形成出来ないらしい。同化の対象者は片方の意思に従って操縦、あるいは支配を余儀なくされる。理性なきイブが占領者となっているなら、彼女が出来る範囲はこれくらいか。最早嫌がらせにも近い、殺せと全力で訴えるべく。

 ふと、瓶に映る鏡面に気が付く。後方、何か人だかりが出来ているらしく、目を遣る。

 呑み込んだ暗闇とは異なって、薄暗いが彩度はある。赤褐色、所々浮かんだ赤炎に照らされた、何処か。窓もないなら密室か、地下か。念のために後ろを振り返えば、虚像が群を成していた。

 数人の、人間のすがたか。自分とは違って手足はあるが、人とは言い難い。ひとらは中央に取り囲んでいるが、そこにはベッド一つ置かれているらしい。頭頂はあるが頭蓋が似てるとは言い難く、目鼻口はない。指も、比喩ですらなく細長い針として中央の何かを指す。音は、ない。指をふらりと虚空に描けば、数人の化物が凝視か顔を向く。周りより背の一つ分高い、それが彼らの中の指導者なのだろう。

 囲まれるベッド、寝台、いや、単なる台か。冷たい鉄の上に人一人が乗せられる。幼い足裏、足首から続く垢の抜けない肉のある脚部は、まだ幼い。


■■■■切除開始


無音。

――否、それは違う。周囲が何一つ音を立てたわけではない。秒をおいて、不愉快な振動ばかりが耳朶から耳腔を弄る。

 暴力のふるえ、明確な音も掴めない。酩酊。不快感に膝を付きかけるが、この状態には覚えがある。鼓膜だ、爆音が生身の体に絶えられずに破裂したらしい。


 攻撃か。いや、違う。それはこの場において非効率かつ、結界内の攻撃は最大限まで気を払っている。ならばこれは、この肉体的なダメージは純粋なものか。何を、何について。


――あの子か


 正確には、今台の上に寝かされた過去の彼女。鼓膜が破れる程の悲鳴を、彼女は上げ続けていた事になる。血。台から滴って行きながら、暴れ回る足が跳ね飛ばす。拘束具からそれほど動かないが、苦痛の証だ。足に直に縫われた革を、いや皮を千切って振り乱す。その痛みすらも構いやしない。

 自己修復能力。破れた鼓膜を塞ぎながらリカバリーを施したが、状況が終わるまでには維持したい。鮮烈に、尚も響くそれに耳を塞いだ。


■■■■■■■■■頭蓋切開、生存確認

■■■■■■■■あの核が少女の本体か

■■■■■■■脳幹摘出

■■承認


 憎たらしい、自分の頭の良さが。異世界語を、未だに理解しているキャパシティの広さが憎い。彼女が何をされようとしているか、何故暴れ狂う彼女の足を細い指で裂いてはもぎ取るか。その道理を知る。

 理不尽だが、彼らに知る由はないだろう。意志の硬さも強さよりも、彼らは脳を砕かれても生きる術を欲する。そういった人間が、使い勝手が良いのだ。暴食国が種族公平謳うであれ、実験体の扱いなど所詮こんなものなのだろう。公平に、脆弱たる人間の耐久性よりも多くのさばる異種を元に平等に。


――ただ


 長く待ち続けようとした少女に向けて、合理的に殺し続けていく。エダに会わせるその時もまた、仲良く台上で達磨になるのだ。比良坂もそうであったように。


暗転。


……ジャンヌ、ごめんな、力になれなくて。

国が、俺達を守ってくれると思ったんだ。

違ったなあ、ごめんな、痛かったろう。

こんなことがしたい訳じゃなかった。

何で、こうなったのか分からない。

ただ綺麗な魔法を見せたかった。

良い国だって、教えたかった。

……なあ、二人で逃げよう。

違う世界に逃げればいい。

体を取り戻しにいこう。

俺は期待されたんだ。

俺が叶えないとな。

エダも待ってる。

終わってない。

ジャンヌ。

あいし


暗転。


こども。

こどもだ。

おんなのこ。

おびえている。

ぼろぼろのこだ。

ばけものとなくこ。

あばれてにげるだけ。

おかあさんといってる。

おとうさんとないている。

みんなうられちゃったこだ。

たべていいっていわれたこだ。

いえのなかをはしりまわるから。

いけないよってわたしはかじった。

ひとり、おんなのこがきえちゃった。

もうごにん、もうよにん、つかまえる。

はやく、はやく、つかまえてたべないと。

きっと、もっといたくてくるしい、だから。


暗転。


『……ジャンヌ』


……

…………

………………


 ……結論から言えば、あまりにも陳腐だ。

 メロドラマ、と類するだろうか。想像した通り、何も生み出すこともない些少な程度に可哀想らしい。ジャンヌとは、正真正銘国を動かすものでもない、か弱い一市民。特異な事は、初恋の幼馴染からの貰い物が生命と同化したことか。それもまた、闇に葬られそうだが。


――幼馴染


 今映された景色は、幼子食らう密室でも攫う地下でも喰らう境内でもない。奥まで続く和室の大広間の真ん中に、一人青年がうつ伏せ倒れている。出血が激しい、血溜まりを眼窩を中心に広げるばかりで変化はない。何も、続きが。

 この青年は、ジャンヌと言いながら見開いた目は赤い。松山よりも澄み切って、例えるなら果実と喩えられそうな、みずみずしさもある。顔立ちも幼いなら、相応な瞳だろう。


「君の想い人、結構可愛いんだね」


 今横たわる幻影はエダ本人か、滞在の時間も長い。それだけは、切り替えたくても切り替えられないのだろう。同化した彼女の理性は、記憶をもとにして縋るなら彼を選ぶ。

 とかくこういったものは何を見ても、胸を締め付けられることはない。慣れてしまって、要は運が良かった等と思えるのだ。ジャンヌは運が良い。ここまで来て人間に知らせることの出来ない実験動物はごまんといる。彼女は「そうでないものの一人」という意味では、限りなく掛け替えないが、存在は別だ。


 気紛れに、エダが倒れている方向とは真後ろに向く。未だ、赤黒い渦がとぐろを巻いては空間を途切る。それもそう、彼がいるから幻想を創るのであって、それ以外は稚拙でも構わないのだろう。


「そっかあ、エダ君と別れちゃうかあ、嫌かな?」


 掌、間際に掴んだジャンヌの白い指に話しかける。返事はなくて構わない。元より彼女も承知しているのだろう。原則、結界はある種の世界創造、ジャンヌはいつでもその中に閉ざされた自分を殺せる。その意図を感じないのなら、もうどうこう言ってもリスクはないのだ。

 諦観を、抱いている。齢は、今換算すれば丁度同居している男子学生と同じ程の女児が。


辞世の句くらい言えば?Our New Era≒ON ES


 手にした指先を上に翳して、無理矢理にでも彼女を形成する。供給は、ジャンヌではなく自分か。記憶のある限り、ディティールまでにジャンヌの姿を再現する。

 構築。大人とは言えない、長くて熟したばかりの桃色の髪を、まだ夜闇を知らない青葉の瞳を。指先から手へ、腕へ、真白のブラウスにかけて構築を施す。


「……ただ、寂しいわ」


 魔力と記憶で綯いだ少女は、偽りみたいに可愛らしい。だがと、先程まで勝ち気に溢れていた表情が曇る。

 寂しい、それ以外の言葉を代弁する意義もないか。その言葉を呟いて、まだ出来上がったばかりの眉を顰めた。


「死ぬって、苦しいかしら」

「ああ、とても苦しい、僕は何度でも死んだ」


 質量、重力。彼女は落ちていく、自分の握った手の方へ。声音は弱いまま。何度も殺すと言った男の胴に手を回したまま。締めようとしないか細い力で聽く。

 弱い、重さも、声も。腕も、あまりにも弱々しい。この手の抱擁は、本意ではないだろう。後ろの、あの惨めな男に回すはずだったもの。それなのに、堪え性もなく自分を掴む。


――顔


 仲介屋の時、魔力の放出の際にまとわせてノエルとして容姿を変えた。その要領で、待ち草臥れたであろう、黒髪赤目の君にでもなれるが……過度な放出は停めた。ジャンヌは自分を見ようとせず、ただ胸中に埋める。

 温度を確かめようもないのに、深く、夢の闇と譫妄するか。姿を見ようとしないなら、変える必要もないだろう。顔も、声も。


炎、赴けSalamander


 指を鳴らす。指、人差し指は欠けているがこれで良い。無音であれ、波は動く。

 忽ちに、遠く彼方から爆音が耳を障る。ジャンヌの体がこわばる、自分の意図したものではないから、驚愕の意か。その怯えを宥めるべく、腕の中に抱く。柔らかい、乳白の香りはまとわずとも、まだ中に童子がいる。幼い、少女が。

 小細工を施したのは昨日だった。イブこと北条子金がユメの強襲された際、義手の人差し指をイブの死体に埋め込んだ。第一関節を捩じ切ったが、自己回帰機能を備えた義手ならば追跡も出来る。

 北条子金、という奇異な人間に念の為小道具を試しに入れてはいた。イブの素性はあの時点では知らなかったとしたら、この状況は幸いだった。


――同化


 ジャンヌとの同化を、イブは願っていた。

 だからイブは、。何が何でも、絶対に。誠に愉快だが、恋とは会いたくて会いたくてて震えてしまうのだからそれが性だ。彼女のために生きているなら尚更、埋め込まれた本体は必ず彼女の傍にいる。


 だからこそ、この爆弾は使える。彼女の素体を、脳を先に指先が破壊する。単純な再生能力の高さなら、それが尽きるまで燃やせばいいだけのこと。この義手には十分にある。魔法学見地に則った物理にだ。倫理に悖るが、その製作者は瀬谷家だ。良心も悼むまいし、ついでに彼らはもっと大きな薪を使えと文句を言う。


「苦しいだろう、熱いだろう?」


 そんな人間だ、そんな人間と同類の男が、自分だ。その男によって、腕の中の少女の体は崩れていく。少し、硝子と似ている。ビードロが、からから音を立てては自分の肌を差していく。彼女そのものに、亀裂は首にまで及ぶ。半身の感触がなければ、もう既に砕けたのだろう。


「あの子じゃなくて残念だったね、こんな酷い死に方だ」


 結界、というよりも臓腑に近いここからも、呻きは聞こえる。剥離。イブは理性は欠けども、怨嗟を抱くか響きが強い。

 ジャンヌが、ジャンヌだけが焼かれていく。その死は、苦痛は、想像を絶すると言ってもいい。

 脳髄そのものを、焼かれている。先程のように鼓膜を破り、脳を震わせる苦痛があってもおかしくはないのだろう。彼女にまだ人間の体があるとするなら、彼女にまだ痛覚が宿るほど生きているなら。


「……うそつきね」


 彼女の音が、こんなに涼やかでなければ。

 彼女の体温が、もう少しあたたかければ。

 彼女の声が、自分の恨みに満ちていれば。

 苦しんで、痛がる顔をしていたのだろう。


「――良い夢を」


 彼女が崩れるまで、自分は最後まで笑みを保った。外道は笑うからだ――化物は、痛みを知らないからだ。

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