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【まえがき】

風邪が治ったのでそろそろブクマした本を読みたいです、がんばろう


『イブ・リストハーンはイデアに侵食されていた』


 『ヒラサカユウ』もまた、状況に面していたらしい。こちらが一切事項であるも、適切かつ今後においては効率的な解。この状況であるなら、ジャンヌ本人の接触も完了しているはずだろう。そうして事態の根源に位置する、どうにもならない話さえ。

 『ヒラサカユウ』は、『ワン』は激情かかつ暴虐だが、性根は優しい男だ。しかし温厚篤実に尽きない。生温い意思では偽善を貫けないのだから全身を以て焼き終えさせる。優しさだけでは救えないと、諦観した男でもある。

 だとしたら確実に、『ヒラサカユウら』の身内である仲介屋と桜子の避難も終えている。庭三桜子は人を人として殺すには幼すぎるか、無垢すぎるか。いずれにせよ彼のことだ。彼女が決意をいくら言えど、自分がやると言って聞かなくなる。仮に彼女が無理を押して参戦する、その可能性を考えてもだ。必ず彼は、桜子をこちら側へ引き入れようとしない。庭三に従順で忠実な『ヒラサカユウ』を逸脱したアクションを必ず取る。『ヒラサカユウ』が過去に優しさと甘さを履き違えていたのであれば、彼はそれを否定し続ける。暖かな善よりも灼き圧す偽善として、どうせ生きているのだ。


『……なんでしょ、早く言って』


 だからか、未だに反骨精神が極めて高い。立場を対等に立つ意を示さずして、未だに信頼の欠片もない。ただ自分そのものは公平に評価しているらしく、その信用があるのみ。そうして自分に対しての顕れが、この嵩高さ。ひとたび、彼が深い溜息を吐く。感情、そこには悲壮に類するものは見えない、該当するは怒気と無聊。併せ持つに、またいつもの癇癪なのだろう。


打音。


 打つ音は、こちらではなく彼の方に。打音。それは水気を含ませながら亀裂、破裂の重奏。武器は、斬撃は太刀筋そのもの、空を切るノイズは鎌。変則。ワンの義手であるなら彼のカスタマイズによるものであって、最適化か。そちらもそちらで、片手間にでも処理はしているらしい。

 持ち替える小太刀を翻して、重みに委ねながら推する。ジャンヌへの攻防、そして息に乱れは生じていない。心身ともに優勢。桜子らの避難を遂げながら、操作も簡易的な物……魔法は、種々雑多に渡る。音声だけで判別するには、星空の中から一つ理想を探すに等しく難しい。が、座標の移動は音で感じられない。せいぜい躱した程度の2m前後、近接を鎌として、遠距離を魔弾とした上でのカスタム。

 妥当、だろう。『松山映士』に難癖を付ける上では、片手で事済ますことは彼が許さない。敗者だからだ、敗者だからこそ矜持としてジャンヌを葬る。


――本当に


 エスが散々気を揉んだ男ではある。誰にでも優しい、その癖してその優しさの為に己を捨てることを厭わない。優しいから、何もかも捨てられずに、別れとして選びたがるのだ。この男は、臆病者だから。


「懸念はないです、続けて」


 大きく舌打つと同時に、咆哮が骨から伝う。彼の声ではない、化物のもの。化物、最早人間とは言い難いものだが、ワンにとってはまだ人間だろう。ならばと、余計な気を障らすまいと閉口した。


『ジャンヌへの恋慕を考えると……このまま帰化するんじゃないかな』

「それが最悪です、加えて彼は自分自身を把握出来ていかったかと」


 だろうねと、『ワン』は吐き棄てる。その悪態はまだ燻っているが、危うく近い処で爆ぜる。その時の激情たるや、言っても聞かない瀬谷よりも厄介なものなのだから避けたい。

 だが……難しいかと『松山映士』は思った。推測ほどの理論立ててはないが、これはクオリアの疑似構成からなる共感。『ワン』としても『ヒラサカユウ』としても、彼はイブ・リストハーンへの怒りを抱いている。確実に。

 門外漢だが、普通に考えれば簡単なのだ。僻地の人間を暴食国にわざわざ送るなら、どう使うかなど。実験施行中のイデアが現存されているなら尚更、国家は彼を利用する。利用しながら、表向き「人間に対する平等的治世」として適当な福祉を宛行う。今回はそれが学校であって、即ちイブそのものに魔法使いとしての価値は見出し辛い。


 だがそれ故だ、「些末な才能を持つ人間への施し」は、他の人間に対する救いになる。そして透明な飴であり、実体のある鞭を甘受する機能が出来上がる。それだけでも美味しいが、メインがイデアだ。イデアという機構にて「人間は国家に絶対服従する」という概念をイブに植え付ける。その実験は成功した。彼は自分に慈悲を与えた国家に対して敬意を払い、そして憎しみを抱かない。


――一応


 この辺り煩雑している。『ワン』と共有すべきだろうか。

 列挙。イブ・リストハーンは暴食国に招致されたその日の内に、イデアの実験に使われた。その素材は摘出済み。またジャンヌも同様の物を使用されていたとして、彼女が国に反乱出来なかった可能性が高い。イデアの実験は、機密に属するか、それに比して厳重な対象者への管理が行われる。しかし放逐した。イデアには実体そのものは公表されていないからだ。彼らがどう足掻いて死のうが、暴食国にとっては、彼らの生死はサンプルとなり得る。

 イブはそれを知らない。何故なら彼は機密保持者であっても、知る権限はない。彼は国家の意思によってか、自分の意志としてジャンヌを拉致した。しかし人体実験を目撃して感情に亀裂が入り


――いや


 中断。

 止めたほうが良いと、警鐘が鳴っている。意志のない人間を、『ワン』は酷く嫌っていた。このまま煽ってしまえば、彼は『ヒラサカユウ』の優しさを棄てる。それは、とても良くない。『ワン』は人が死んだだけで気が動転するような脆さはないが、手に負えない。ただただエスがあの後疲弊する程には面倒臭い人間になる。なら、まあ、避けるべきなのだ。


『……ああ、あとだ、今映士は銀でしょ?』

「はい」

『興味本位だけどさ、まあ僕の頭冷やしに聞いてよ』


 次いで、斬撃と轟音。声すらも成さない甲高いノイズが走る。前右方40度程10m移動、その間の跳躍につきどこかの体部を止むなく切り落としたらしい。

 怒気は控えめだが、もうじきか。怒りそのものは溜って、そして煮えているらしい。沸点は振り切っている、というべきか。興味本位、とは言いながらこれ以上の会話をする気もないと見て取れる。お前からの会話を受付はしないと、暗にそう言う。


「ええ」

『……北条一果は、どうして君を銀として見たのだろうね』


 応じを是する。その話題は極めて簡潔だが、彼には情報が足りないだけのこと。別段話しても困ることではない。

 エスと『本来の北条銀』とは、白昼の談話のみの接触だけだが、情報量は足りていた。十分すぎるほどにだ。連絡手段は殆ど断たれていたが、元凶の発狂は感情の読みを容易にする。一果はその手本ですらある。

 一言、適切に紡ごうとするも周囲の足音は疎らに、周囲を囲んで増える。イドには応援を頼んでいない。奴には奴だけの娯楽に留めて、放って置いていた。守るなと、自分は命じてそのまま、歪な円を作りながら囲われる。

 にじり、にじりと人は寄るか、這うか。それはひとか、人のかたちをした何かか。呼吸音すらも途絶えたものら。歩くことさえ忘れたらしく、一人引き摺っていきながら、また一人は手で匍匐を。腐臭よりも先に、青臭さが鼻につく。


 彼らは、数えて数十人ほどか。どれも瞳からは胡乱か蔦を零すだけで、知能は見当たらない。

 筋力は平均ほどのものらは、自分を取り囲んでいるが、生殖本能は、ないだろう。視線、彼らは自分の何処を見るかを辿るが、曖昧にばらつく。口元は端なく、開いたまま体液を。零すが、蠱惑のそれではない。筋肉の弛緩、たかだそれだけか。

 見渡して、耽る。このまま自分が不注意で刀を落としたら、まず最も近い距離にいる這う者が足首を捉える。自分はそれに絡め取られたまま、周囲の者共が一斉に自分のもとへ寄る。生きてはいない、仮死で、理想なら食人衝動だ。その仮定をした上で彼らは自分を捉えながら噛りつく。いつしか肉が裂く、血をも呑まれる。じゅぶじゅぶ、この土に情けなく血溜まりをつくりながら


――それは、駄目だ


 駄目だ。それには果てが終わりに見える。最果ては、甘美でなくてはならない。何故なら人は果実であるから、果実は食われることを享受するのだから。向かう前の終わりは、何とも悲しいものだろう。

 誰かは誰かの果実を食らう、そうして臓腑の一つとして生き続ける。それが人間だと、かつての兄が教えてくれた。そう言ったことだろう、このようなことは。


 果実。それは目下のものに似ている。柘榴を彷彿としない、土で汚れきった汚れたもの。頭蓋を貫いたそれを蹴り上げて、前方のものに覆い被させる。無様に横に倒れては、そのまま動こうと藻掻く。

 加えて、腹部を貫かせる。肌を裂いて、中をえぐる感触、それは鋼から溢すが生々しい。肉の袋を割くが、内部の蠢動は止まない。生きてはいないだろうから、これは伸長か、植物の。構わず、引き抜いて首を撥ねる。そこで這う者の機能は停止したらしい。無駄に動かず、重石として他の輩に伸し掛かる。

 またひとたび、それを撥ねる。派手な出血はない、が、断面すら赤はなく蔦で詰められている。葉緑。濃い自然の臭いが鼻につく前に、風が頬を撫でる。涼しい、上に月さえあれば――ああ、あるか。なら、この辺り一帯燃え広がれば、人の美感を得るか。

 得るか。思いながら、駆ける屍を刺す。脳へと、眼窩に貫ければ光線の一筋に近い。月光、それを零さぬように、一人二人へと、歪んだ体躯を裂く。


「さあ、分かりませんが」


 少なくとも、果実が食われるのは草ではないのだ。人間に食われるために、果実はいる。そうして血肉になると兄は言っていた。再三と、そのことをずっと覚えている。本来は貧しい時の束の間の御伽話としても、忘れずに自分は覚えている。それも果実だ、自分は、人間だ。

 一果は自分を銀として食らった、それもまた、果実だ。彼はそれを欲していた、それが彼を人間として留まった理由であるなら尚更だ。

 そして一果は、イブの認識を乗っ取られたまま目の前の自分を銀と誤認した。

 だから正確には、一果はかなり早い段階で自分を偽物と看破していただろう。だが、伴った行動をする前にイブによって操られていると漸く気付いてしまった。それでも彼は理性があった、だから偽物の自分を最後に手放した。

 北条一果には、北条銀が必要不可だった。彼がなければ、北条一果はとっくに消えていただろう。それは最早――毒にも見えるが、人のことは言えまい。


「――愛していたから、でしょうね」


 何も捨てられないで生き続けた男を、人間とする為に自分が生きているのだから。

 故に、人間として殺すために生きるから。

 故に、刀を再度、虚空へと振りかざした。






 

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