二日目/夜編

【The Other self】1

【前書き】

 すごく久しぶりに書いたので読みにくさゆるしてください




 イドが影に潜った直後、改めて容姿を見渡した。イドは、エスと同様に自分にやたら着飾ることを好む。それに魔力同然のからだであるのなら、周囲を好き勝手にメイキングされる。白帯で高く括られた黒髪、背広、イブからくすねた小太刀もまた、何故か伸長されている。総じて見た目は効率を欠いた見目だけの物。


――刀は


 見たままだと刃長は二尺ほどの太刀。手触りから重量は小太刀と変わらないが、刃は夜天の光を露として走る。

 つうと、上に翳せば縁からは白銀が。走り、星辰のものすら敵い、冴えた心地は月よりも澄む。ひとたび眼前に向かった風は、刃を裂く。その二尺は髪をいたずらに撫でる間もなく消える。作られた無風。それだけが残りながら、わずかに静寂も保たれている。

 戯れ、指に刃先を這わせる。小太刀には無い、先端を指で押しやれば忽ち裂いた感触が指に伝う。違うか、その触りは「裂く」よりか「分かつ」が正しいか。三名槍の一角に座す蜻蛉切は、刃先に停まった蜻蛉はそのまま両断された逸話を持つ。似ている。刃が拓く道、蜻蛉も硬い指は敵ですらなく道の一つでしかない。拓くためにある道、冴えた感触は、諦観。それだけを頷かせる為の傷が、血としてこぼる。


『やー』


 不満。やはりイドの創造物であって一部なのだから、分からないことはないだろう。顔が、今ここにあるのなら膨れ面をしている。刃が血を吸い込む。また研がれたばかりの白金、一点も汚れないものに戻った。

 まだ残った傷口を、舌で嬲る。舌先で、狭間を真皮から肉までを探る。細かな味わいと、つめたさ。わずかな鉄の香りを、生とだけ捉えて、飽けば唇で血を拭った。


 動きやすい。あの痴情の直後、肌着は虫に食われていたのだから、纏う正装は幻影か。ダークスーツ。この正装は、ほんの少しだけ覚えている。あれだ。一ヶ月前に、なにかしら都内で主催されていたあれだ。騒がしい何かで、ワインレッドのネクタイを締めたいとエスが強請っていたあれだ。アレ、何か、自分には関係ない催事だからエスが気まぐれに連れて行かれた。もうそれ程にしか憶えていないが、アレだ、あの時の服か。


――それと


 思い返すが、あまり記憶にない。不意にネクタイに触れれば、柔らかい質感が指の腹を撫ぜる。一つ、思い出した。そのネクタイは仕事で、欧州のテキスタイル展示会に赴いた際に気に入ったものらしい。

 一つ、肌触りが滑らかで馴染みやすく、もう一つ、自分の目の色に合うから。そう云って、嬉しげに締め付けたことさえ想起した。いつもだ、エスは構わず赤い物を寄越す。他者から喩えられる物は宝玉か血肉かの類だが、奴はそれを含めてそれ以外のものまで。とにかく、赤色を見る度自分を思い出すらしい。出張の帰りには必ず、赤い何かを手に提げるようになっていた。それが生首でなく、奴の顔が弛緩しきっているのだから、好きでやっているらしい。理解は出来ないが。

 特別だから、奴はそう云う。今や情報量の圧迫の回避に網膜に、直にエスの魔力を張るようにしている。漆黒。それを薄く伸ばしても灰に近いのだから、スラヴ人として偽るにも都合がいい。


『にあってる』


 だが、鬱陶しきかな。エスは合理的と言いながら、だがと渋り散らしていた。自分の目が見れないのは、恋しいと言う。それは分裂体であるイドも同感か、それに目を合わせると頬がよく紅潮する。


「……お互い嫌いなのに同意するのか」

『ぼくとえすの、ぜんかいいっち』

「余計なことを」

『でもね、かーまいんもえーじにあう』

「飽きるほど着せられた」


 カーマインは確か、クリムゾンと同じ語源らしいが色味は多少違う。クリムゾンを先進の鮮血とするなら、カーマインは芳醇たる情熱。何故かどうでもいい話ばかりを想い起す元凶はエスだ。まともに世間話が出来る相手はワンしかいないと聞く、耄碌に、妙な点ばかりは老人臭い。


――羽音


 羽音。だが、自由を欠いた物。

 藻掻いては地に叩きつけた翅。透徹の拉げが土をさらっては鳴く。その音のすぐ真下に目をやれば、先程切り落とした虫が足を捕らえていた。

 金蚉カナブン。前までは自分を蹂躙されていたはずのものが、体液とノイズ垂れ流す。鞘翅は、折れているにも関わらず懸命に甲の裏から羽ばたかんとするらしい。

 鋭痛。鋭い鉤爪が、空脛に挿し込まれる。束の間に出血、生温かく流失しかけているらしい。皮膚に近い脛骨は強く触れられると、痺れるくらいには下肢の力が抜けてしまう。ついだ、甘い物を取りすぎて飢えていると神経が情事の如く意識が朦朧とする。

 不覚だが、ヒビまでは悪くないと許して、虫の口器を足でなぞる。運悪く、摂食器官の大部分は刃物で破損しきっていた。露出しきった繊毛状の舌を辿る。心地はいい。体液を通じる物として使われるものか、先程まではついひどく悦がった。あの容赦なく座れる気分が堪らず、ひと思いに蹴り上げる。

 宙へ、翻って。

 そのまま金蚉は落ちる。地面をほのかに映す青緑色の装甲は、いつの間にか彩度が低い。そろそろ、死に時ではあるらしい。


かえせ」


 頷き、是の合図はないが、太刀は姿を戻して小太刀へと変える。振りかぶれば、その様子は顕著だ。影が小さく、しかし虫へと一線に描く。鈍く光る甲の上に、黒く。

 直刀。金蚉もとい昆虫の体は人間と異なる。心臓と類似する器官は背脈管。内部の破壊よりかはそこを重点にした方が早い。奥から、差し込んだ傷からゆっくりと手前へ戻す。巨大化するなら、致命の器官を捉えるもそれを割って壊すも容易い。


 足に絡んだ爪は自分を未だ掴もうとする。まだ、その力はあるらしいが弱い。傷を付けられた足が嘆きを覚える。あの無惨に裂く感触が良いと、衣を解く優しさもなしにと。


――残念だ


 それも終わりか。息を吸っては吐いて、体の断面を描いては抉る。内臓の音、猟奇趣味はなく不愉快に眉を顰めながら、背を割り続けた。

 翅音は、いつしか聞こえなくなった。



 合図に傍らに小屋を燃やして数分ほどが経つ。それまでは壁に下提げられたもの物騒な物ごと、どうしてか自分を母と憶えている子らを焼き払った。

 廃屋が、火柱に呑まれては屋根を落とす。哀愁はないが、多少の愛着はある。巨大昆虫なら幾らでも遊べそうなのだから、一つや二つ持ち出すのも悪くない。いいや、大量に育てて胎内ごと引っ掻き回されればと考えると、良い話か。


『ぼくがおこるもん』


 しかし『僕が怒る』らしい。それは即ちまた甘怠いものしか奴は与えてくれない。仕方なく、すべて手放して焼き払った。


 さてと、思案をする。

 「この北条銀」は明確な筋道の上で歩いている。そして、兼ねて取引を行ったヨウの庇護下に入ることで、手筈は終了する。

 対価は、ヨウ・イルディアドの社会的地位の向上の貢献。本人の意志はどうあれ、あの邸宅を所有した一般人であるなら、当然やっかみも増える。ヨウ・イルディアドは「松山映士」の数少ない信頼が置ける縁故。ならば、障壁は避けるべきか。その為にも不全者の社会支援計画は、彼の立場を正当化するに必要なものだった。不全者は協会にとっては、人として扱われない。


 「松山映士」の推測通り、協会の不全者が生きていける立場もまた異端だ。無論、潮流によって人道的な扱いに切り替える家もあるが、そうでない団体もいる。その状況を考えると、三輪型の北条家は好都合だった。懸念は「北条銀本人の同意がないこと」だったが、これは杞憂に近い。むしろ、北条了花と接触した時点で、限りなく可能性は低いものでもある。


――ただ


 「松山映士」は人間であって、神ではない。だから人間が起こしたこの計画は、決して完璧ではない。同じ海綿体を有する哺乳類であるなら、同等の知能を持ち合わせる人間に暴かれる。それが人間だ。盤上は俯瞰できる、それは捨て駒を積み重ねた瓦礫の上から眺めること。

 その覚悟がある人間を、人は勝者と呼ぶ。瓦礫の上に、「松山映士」と「その敵」は常に立っている。それに終わりはない、危惧の払底などもない。


『――映士、聞こえるかな』


 そして敵は常に、背後に立っている。味方という名の敵が、愛玩動物という名の敵が。現時点で反旗を翻すことはないだろうが、扱いの難しい犬がいる。気を抜けば喉元を噛み千切り、媚びることを知らない。

 耳珠に施した骨伝導インプラントを通じて、音を捉える。鮮明に、そう遠く無い距離らしい。舌打ちには苛立たしさは表層しないが、テンポがやや平均0.32秒早い、『ヒラサカユウ』の感情よりも『ワン』の感情か。

 魔法については学はないが、『ワン』からは幾つか聞いている。磁場。結界だのを行ってしまえば、空間現実世界別の空間結界等が横入りする構図になる。そうなると重力とも局所的に一定の狂いが生じるらしく、彼はそれを利用しているらしい。足音、吐息、これも未だに半径10mから反響も確認出来ないが――いや、彼ではないが捕捉を確認した。


 前方を見遣る。

 一つ、二つ、人影がこちらへ向かって来る。光は……ない、ただ黒い影が山の道ではなく坂を登る。背丈は前方15mは172cm、同方23mは176cm程。いずれも体格は男だが、坂に登るには足の筋肉が薄い。

 北条家が所有するこの山は、『北条銀』の監禁の他に用途はあまりないらしい。不法侵入者を食って捕らえる程度か、道呼べる道はあるが夜分に動き回れるものでもない。イブの差金、そう考えるが妥当だろう。終わるわけが無い、この世界に来た異世界人は並々ならぬ執着を持っている。


「問題ないです」


 だが――それでいい、問題はない。

 危険性はゼロには出来ないが、可能性はある。それに執着所以に彼らは自分と対峙している、それは初めから分かりきっていたこと。

 今更、脅威と恐れることはないのだ。


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