【幕間/北条銀】

【前書き】

「前回どうなったか分かんないよ!!」と聞こえた気がするのでここでいつかは出す予定だった幕間を追加します。

 すみません、本当に夜編出す時は消すか、非公開につつ素知らぬ顔でいつか最新話として出す所存です。





「貴方の不屈に敬して、この腕を貸します」


 そう言って、松山は目の前で腕を置いて放った。手にした出刃包丁は、まだ血が滴って上腕を締め上げるバンドを濡らす。それに構わず、松山横にいる金髪の男に渡すと、男は顔色一つも変えずにカバンに仕舞った。


 太く肉付きの良い幹と、はっきり濃く浮き立たせる骨とが、テーブルの上に。中身を詰めて密着しきった断面を見せては少し転がる。ころころ、よりも、ごろん。重く質量があるまま、不自然に血は垂れ流さないが、今現実テーブルの上に転がっている。ガラステーブル。床面の収納スペースに小洒落たサンセベリアが筒抜けて見えるが、似つかわしくない。激しい色彩が、赤い肉が硝子を鏡面として反射した。

 奥、ビジネスホテルに設置された薄型テレビの電源は切られている。そこで、そうだ、腕が転がる前に、姉の訃報がニュースに流れていた。姉の遺体は病院で搬送されて、警察は同居人の男を探しているらしい。男で、あって、弟とは明示されない。その男は、自分は、違法な薬を持っている、重要参考人として警察は自分を追っているらしい。


 ――自分を


 また、頭がフラつく。酔ってはいない、単なる酩酊。姉の死。犯罪者は自分。犯罪者、悪い子。それだけが頭の血が抜けることを易くするが、蹌踉めいた体は支えられて椅子に凭れる。支えたのは、金髪の男だ。三輪と称したその白人男性が、不安定な自分の肩を椅子に寄りかからせた。柑橘の香り。出会う前の気障った物と変わって、いやに鋭く落ち着く。


 そのまま目線を下に下ろす。無音の中、松山の腕が出血もなく机上に。自分の側には松山の付き人らしい三輪と、向かいにいる松山の三人。そして今姉はもういない。死んでいると、テレビジョンはそう事語っていた。

 他愛なく、だ。まだそのことを覚えては、根に持っているらしい。姉の星座を一位と讃えたアナウンサーが、姉の死を呟く様を未だ。姉がもうこの世にいないのだと、事実が教えようにも体が受け入れられない。呆然と、それが長く渡ったか、三輪の掌が自分の両目の方へ伸びる。腕を見たショックと、誤解したのだろう。否と首を振って、それを拒んだ。

 松山がいたずらに、片腕を指先でなぞって遊ぶ。その張りのある弾力は、自分の心にはないだろう。目の前の腕よりも、自分は生気がない。


「……私と貴方は、確かに同じ不全者ですが、縫合は可能です」


 伏し目がちの松山が、自分の片腕に視線を。左腕、自分の肘から先は欠けたままにある。生まれつきではなくて、人為的なもの。応急によって切断をされたそれは、数年経てどもあるはずのない前腕の痛みを時々覚える。幻肢症、と、姉は言ったか。


 ――貸す


 目の前の男、自分と同じはずである「不全者」はそう言った。「不全者」とは「価値のないもの」、「生まれるべきではなかったもの」しか自分は知らない。そしてほんの少し「魔法が全く使えない人間」であると。


「不全者は脳機能が問題であって……第三者の助力によっては例外です」


 自分には、学はない。姉には誰かからの送金によって生活していたとは前々から知っていた。それを会得する理解と識字のみであって、まともに自分は「学校」にも通ったことなどない。

 つまり、あまりそう言われても、意味は分からない。遠回しな表現をして、明確な説明を避けている、というのは嫌でも分かる。「何をどうするか」は、まだ明示しないらしい。


「5ミリ切断よりも前に確認してほしいな。俺は馬鹿だから、何回も確認しなきゃ覚えられないんだ」

「デザートは後派と」

「え?」

「それはエージだけだろう」

「……確認ですね。

 一つは北条了花の要望を以て、貴方を一企業の計画の従事を前提とした社会復帰支援。生存権与奪については、雇用者の判断によって左右される」


 大きく頷いて、肯した。姉は遺書を残さずして息を引き取ったが、彼女が彼らと取引をしたとは考えられる。

 一つに、自分は重要参考人として警察から追われているとのこと。しかし彼らは自分の身柄を知りながら、ホテルへと連れ出したが、妙ではある。

 彼らは図体がどうにも目立つ。一人は金髪碧眼、もう一人は黒髪灰目のどちらも白人の肌を持つ。その目立った容姿と、目を付けられている自分が堂々とフロントを歩いて部屋に運ばれた。それでも数時間経った今でも外への変異は起こらない。

 魔法、魔術、その概念から閉ざされた環境下の人間には具体的な策は分かりかねる。しかし、それを行使する以上は、北条家のような集まりと繋がりは薄い。


 ――いや


 繋がりが薄いはずではない。しかし、仲間ではないといったところか。姉は、北条の裏切り者である以上、また同じ「北条の裏切り者」と手を組む他ない。ただ、北条とは、あの北条だ。姉が自分を匿って社会的地位と金銭を確保することが許された数年間。この期間の長さが北条の裏切り者としては、信頼関係にあったと言える。同時に、きょうかい?とは考えにくい、彼らは他のグループだと考えられる。

 ふと、金髪の男から手渡された資料をめくる。自分でもよく知っている、安価な家具メーカーの、その一社員の計画によるもの。

 そこに記載される経営、見通し以前に、漢字もよく分からないものが多い。一枚一枚、文字を拾っては読もうとはしても、日本語と横文字があること以外は見当が付かない。ゆえ数十秒も経たない内に読み終えてしまった。


 単純に、自分には知能がなければ馬鹿なのだ。監禁されてからまともな知識が何一つない以上致し方ないのだが、不利ではある。資料は数十枚あるが、数十枚分理解することは適わない。至極、野良犬と同然かもしれない。ペットは飼い主を選べないのなら、こんな話し合いをする意味はない――が、それは、浅慮か。

 自分が物を選べない、何も役に立たない立場であるなら、こんな場所に自分を呼び出さない。価値のないはずの自分に、価値があるかのように名前を呼ばない。


「もう一つは、貴方の要望を以て北条家及び神体である北条一果の捕縛……解体の際は貴方は遠方への避難を予定しています」


 彼らの本懐を知るには、自分の脳は足りない。ただ、姉を裏切ることはなければ、自分を人間として扱う。

 別段、彼らを良い人として見ることはない。「合理的」だの「効率的」だの「一石二鳥」みたいな、搾取する側はそういうことを大事にする。そして理に適っているからで要望を聞いている。それが大いに有り得ることは、念頭に入れなければならない。


 悲しいが、彼らが今最も信頼するべき人間であって、頼らざるを得ないのだろう。もとより、彼らとは今日初めて会う。自分の要望、と彼は言えど、それを彼らに口にしたことはない。


 ――姉さんにも


 姉にもだ。

 姉は、自分の幸せを願いながら死んだ、その象徴が北条を忘れることでもあった。彼女はそれを明言していなかったにせよ、実家の話を共にすることはなかった。北条の時でも、姉の記憶はある。外の記憶は、姉との交流すべてだったから、それだけが思い出だった。

 だからだ、姉が北条を切り離した自分を望む限りどだい無理なのだ。それは、姉を不幸にする。だから、恨み辛みすら、なにも。


「――片腕は緊縛からの脱出として断った自傷痕、神体である北条一果の顔面の損傷は貴方によるもの、誤謬は?」

「不全者、だよね」

「ええ、テレパシーではなくて見たものをそのまま述べただけ……誤謬はなくて何よりです」


 この男には、自分のことを何一つ話してなどいない。が、彼には関係のないことのようだ。「言わなくても分かっている」の究極。誤謬と確認したにせよ、辞令の言葉にも近いのだろう。見たことをそのまま、当たり前のように言う。自分と、人間とは少し異なった眼球を脳を持つ人間なら、景色は大きく違うかもしれない。故に「否定するだけ無駄」だろう。否定するだけで、彼には見える論拠を立て続けに挙げる。

 不快にならない、と言ったら嘘になる。しかし、抵抗は出来ない。聞いているだけでぼんやりとする。思考が暈されて、上手く反抗しようにも出来ない。声だろう、自分より同い年だが、自分よりも低いが威圧的ではない。呷ったウイスキーの芳醇と酔い、それに近い。


「時間置いたら?」


 しかしと、下腹部に目を遣る。一点だけ、不自然に布から前屈みに浮き出ている箇所がある。やんどころなき部分だ。


 ――ここは


 出会った頃はそう目立たなかったが、腕の切断で顕著になったと思い返す。確かにあの時から様子がおかしかった。


「失敬しました、これすごく痛いんですよ、すごく」


 穏やかな口調だが、どこか熱っぽい。痛いのは、当たり前にせよ、別の感情すらある。いわゆる「そういった人間」なのだろう。言ってしまえば、一果のような正反対の人間。


「でしょうね」

「ええほんとに……」


 松山転がした片腕を掴むなり、断面に合わせれば元に戻った。その仕様らしく、試しに腕を振るい手を握る所作を試みると都合よく機能する……が、松山の体が途端に動きが悪い。三輪の手を借りて、浴室まで連れて行かれた。


「上司なの?」

「仕事はしているな」


 浴室から出てきた三輪の顔は、苦笑いをしていた。慣れているだろうが、いやと言うほど上司の性格は知っているらしい。


「契約に変更は?」


 代わりに、三輪が自分に確認を取ることとなったか。上司の席を開けて、立ちながら睥睨をしながらだが、眼差しに冷酷さはない。ゆっくり、首を横に振った。


「よかった……それで銀、君は何がほしい?」

「要望、言ったけど」

「それは我々の仕事で……まあエージの迷惑料としてだ、何だっていい」


 指を鳴らして、ホテルの部屋を何かに塗りつぶしていく。室内ではなく、どこかの風景の花畑。赤い花、芥子の花のみが地面を埋め尽くして空もどことなく桃色に彩っている。


「体でも、なんでも、痛みも消してやろう」


 この香りは、危うい。

 かつて叔父が自分を己で叩き込もうとする時に部屋中に焚かれていた。下肢の震えが目立つ。地下牢に焚かれたそれは先に目を殺し、喉を殺した挙げ句に、叔父と脳を焚いた。肌が毒を吸った時、耐えきれずに肌着を解けど、擦れた布から撫ぜていた。体溶。十分に染み渡った後で、悶うちながら一果の背を掻いてはしがむ。随分と、余裕がなかったらしい。その時は上機嫌に一果は縛りつけようとしなかった。ただ、子を個として、己を。二日間程に渡って腹一杯に可愛がられて、自分もえらくよがっていた。


 それを、全部思い出しそうになる。その赤は、色彩は、香りは毒。しかし目を瞑っても、一度吸った肺は快を強請って止まない。肺胞から、血管、心臓まで霞が撫でていく。その幻想を感受する他ない程に、濃く纏う。


 ――駄目だ


 耐えて、目を瞑る。爛れた叙情が叙景を追う前に、深く息を吸う。匂は香ばしくも肺を疼かせる。ひどく、視覚を自分でも塞いだ以上また激しくだが、何も見えない。


「――月が、見たい」


 一人だ。三輪は自分には触れないまま、瞼裏のくらやみに自分がいる。一果を待つ地下でも、姉のいた夜でもない。ただ過去として無常に描くひと切れ。監禁から逃れても、悪夢を見ていた。

 悪夢は、姉のいない夢だ。ずっと、姉に救われてしまったのだ。彼女が泣かないで、と言うのであれば自分は泣かない。彼女が笑って、と言うのであれば、自分は笑ってみせる。それしか、人間との接し方が分からない。

 自分は、もう、壊れているのだ。どうしようもなく、果てしなく。誰かの為に生かされた人間が、誰かに依存しないで生きられるわけがない。


「一人で、平穏にずっと見られるような」


 それでも麻薬の中でさえ、月は見える。その幻惑は、アパートの一室からくり抜かれた夜空。何も変哲もない、小さくて大きくもない、一般人には飽きられそうな鑑賞物。

 数年前のことだ。抜け出して、息も絶え絶えになって、魘されて、治りかけの夜半に姉は月を見せた。


『銀』『月ってね丸くて奇麗なの』『星空も見せたいな、星座とか探そうよ』


 月明かりに照らされた姉は、そう言っていた。逆光。その僅かな翳りは、姉の目の下のクマを隠して、自分に笑いかけていた。自分があの家から抜け出して、一週間目のことだろう。嬉しそうに彼女は言っていたが、それは自分の為だと気付いた。

 言葉、仕草、一つ一つ覚えている。結局、今日を除いて数年間一度も外には出られなかったが、充実していた。花の名前、色の名前、料理、枚挙に暇がないくらい姉は教えてくれた。隻腕から、さり気なく隣に居て、彼女の背丈も知った。思ったより、姉が小さかったことも。頭一つ分ほど小さかったから、星を見る時は自分の方が大きく見えそうだと。

 自分は、もう壊れていた。だから彼女が綺麗と言うなら、それは綺麗だと答えるしかない。星座を探そうと言ったら、それに従うしかない。


――だけど


 あの時自分は姉を持ち上げていた。自分より低い位置ではなくて、月を見させようと、それだけの意思を持って。とても軽くて痩せぎすの彼女を持ち上げて、月に翳した。


「もう、下を見ることがないように」


 ただ――もういないのだ。

 北条了花は、どこにもいないままだ。目線を下ろした先には、あの姉の姿はきっともう。いなければ、もう一度自分が持ち上げることも叶わない。

 生きる意味を、二度断ってしまった自分にはもう一度生きれるかも分からない。一度は、自分の意思でだが、もう一度は、最後は、姉が。


 ――俺が


 真に、了花を殺したに等しいのだろう。

 花を砕いた。自分がいなけれれば、生まれなければ、彼女はもう少し長く生きていたかもしれない。自分がこの体じゃないまま産まれていれば、彼女は生きていた。

 何故か後向的だが、素面にらしい。芥子がいつの間にか嗅覚を刺激しない、代わりに雨臭さだけが鼻腔を滲ませる。月を見た、あの日の香り。

 薄らと目を開ければ、景色は夜に変わっていた。夜空に、満ちた月が。三輪が、いつの間にか景観を変えたらしい。それが、三輪の言うサービスか、余興かは、分からないが。


「血を馴染ませる、下は見るな」


 首筋に強い痛みが走る。似たようなものを味わったことは、あった。首の肌がたちまち裂かれて、牙が中に入り込む。奔流。血の巡りが止めどなく傷口から逃げて行く。そうして、舌で血をすくって呑む。

 時折、吸われた拍子に跳ね上がる体は、三輪の手によって押さえつけられる。胸部を、鼓動の鳴りが、激しいと伝う。それが生きていると曲がりなりに感ぜた時には、目から何か流れ落ちた。分からない、雫か、透明な、分からない。姉が死んだ時にすらなかったのに。流れる度に、咬は強さを増すことは分かった。

 嗜虐、ということは分かる。紛れもなく、趣味が悪い。月を見せながら、彼は倒錯に耽る。


「……俺は、貴方達を許すことは出来ない」

「それでいい、私達を許すな」


 それでも似てはいない、一果だとしたら自分を壊すことしか考えない。

 何故か、分かっている、彼は一人にはなりたくないのだ。壊れ物同士、自分と他の人間がいさえすれば彼はそれでいい。自分と落ちていれば、それで。


「君の味方は、君を利用しないからな」


 だから北条は、一果は、彼らとは違うのだ。自分を落としてまで、幸せになろうとする人間ではない。何もないものに道を与えて、価値がなければ人として価値を定めようとする。

 聖人とは言い難いが、それは紛れもなく了花が自分に与えたものでもあったのだから。

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