3

 松川太陽。もとい、強欲国第二研究所に所属していたアネラハノイはここにおける協力者ではある。

 強欲国出身の強欲国育ち。不定形の頂点レジィ・ンイブロの現出により、政府は同種族であった彼を保護。以降は知識人の憧憬とされる研究所の役員に就き、魔法の最前線に携わっていた。

 その他はあまりよく知らないが、現実世界に渡り歩き人間の生活に浸漬する以上知能が高い。自分が現実世界に移転した際も最初に出会った人物が彼だ。曰く、お前が目的のために麻薬の売人であるなら俺の日常に支障はない。曰く、広範囲に渡る擒縦術を得意とするなら提携を結ぶのも吝かではないと、彼から持ち掛けた。意思は違えど、不殺の意思を持つらしい彼は自分に対しての態度は高圧ではない。多少人外として気に障る下瞰ぶりはあるが、その他意の無さに許してこうして体内にしまっていた。


 彼とは協力の明証として、自分の体内に彼の体液を注入されている。それでも自分は殺さないという彼なりの誠意と、エダとしての信用らしい。実戦で使えるほどではないが、体外に出すと反応して本人の任意で意思を持って形成される。おおよそ、彼との関係はこれだけだ。ある程度監視はするが危害は加えない、だが母国と異なる世界故のパイプラインだ。それだけ、それだけを目的にしているのか、自分の意識下では未だに操られる記憶もない。嘘は付かない性格なだけ、胡散臭い機関よりは信用ができる。


 ――が


 面倒な種類と人格であることを思い出した。優秀な故の種族至上主義者にして自らを檻に閉じ込めた所以の反政府主義。そして今の怠惰国のへりくだりに憤りを隠さない革命派。正直、面倒なことこの上ない。死にかけな今に考えると脳の血管が爆発して死にそうなくらい死ぬほど面倒な人物だ。

 アネラハノイ、名は強欲国では「裂かれる闇」と指すらしいが、その名を口にするとたちまちその人間が先に裂いてしまう。自らを冷静に振る舞っているらしいが、いかんせん高慢さが鼻につく。そして人間と溶け込むのに何か抱えているのだろう、えらく短気である。


 睨みつけられているが、そうしたいのはこっちもだ。関わるだけ面倒な化物である以上出来るだけ回避したかった。何故この状態で笠井蓮が自分のクラスメイトであることを言わなかったか。何故お前が彼に目をつけていると言わなかったか。それもお前のあの悪趣味で生臭い魔法少年団とやらに放り込む気か。ああ、いや、目が白い内の松川には聞いても無駄なのだろう。弁明、鋭い痛みがまだ腹部から離れないが、する必要はない。


 息がまだ続かない。濡れた服が張り付いて不愉快でもそれを払うことが出来ない。傷も、一向に治らないでいる。保有する能力から縫合はさせているが、肉体の回復速度が遅い。


 ――ああくそ


 違う、止まっているのだ、不自然に。血管は裂けたままに断面の癒合を許さない。適した処置は、断面の縁と縁を茎で合わせることか。すぐさま幹部に手を当てて試すが、多少の痛みは和らげど傷は治らない。


「機関を潰したくなっただけ、あの子役員でしょ?」


 機関。この傷は、笠井蓮という新入りから負ったものであると間違いはない。あの自分と同じくらいの少年だ。腕も足も細い、ヒヨから話を統合させると「意地っ張りで寂しがりやな少年」そのもの。

 その少年を、本来自分は狙っていたはずだった。ヒヨのために、Tを崩壊させる為に手始めに彼を手にかけようとした。


 ――そうだった


 本来は、あの及川と同じように弱そうな少年を狙っていた。それなのにこのダメージだ、外傷だが……外傷と言ってもいいのか分からない。超常そのもの。彼の憎悪はこちらに向いていると観測したが、その時点で自分は死にかけていた。もしかしたら外部の、エスによるものかの他の懸念を廃して。彼は彼の力によって自分を攻撃した。


 痛み、次第にそれすらも危うく暈されていく。エンドルフィンか、ドーパミンか。痛みが滲んで、次第に感覚が鋭利に。鋭く、納屋の暗影から松川の容貌を映す。翻った体を使って見上げて。

 顔、明らかに眉を顰めて、瞳は透徹としない白濁さを持つ。不定形の形をやや保てていない際の姿だ。湿気の篭る室内にも関わらず、松川の顔には汗は滴らない。眼球、丸みを帯びてみずみずしくも、それは生ではない。ただ血をある程度通しただけの人形。学生服をそれなりにらしく着てはいるが、漆黒は室内の暗さに混ざらずに孤をまとっている。一人、一体だけ、松川に纏っては確かにそこにいると主張する。


「……キレるなよ」


 それが擬態、人間とは非なる故のものだが、明らかに嗔恚しんにを湛えている。化物のくせに、人を騙るもののくせに。心臓は自らの意思で動かしているくせに、心はあるのらしい。種族優位だの、至上主義だの余計なことを考える意識ごと。

 松川太陽は、笠井蓮とクラスメイトである。そのことを考えると、彼はその間に学生としての笠井蓮を別で見ていたのはあり得る。


 ――なら


 情か、お前ら化物には似合わない情を、彼に抱いているとでも言うのか。あんな、化物と例えるには生温い邪悪を。

 それは……百歩譲ってどうでも良いとしよう。松川の目的は、自分の目的とは大きく異なる。学のない自分には松川の考えることは到底理解に及ばないのだから、一々気にする必要はない。


 ――だが


 笠井蓮には触れるべきではない。忠告として、それだけは伝えたい。

 お前が何を思おうが、アレは対峙するべきものではない。親切心にそう言おうと口を動かすが、血を吐き出す。咳だ、寝転んでいるというのに、まだ血が逆流する。飛沫、床に転がっては死にかけていた羽虫が全身を浴びるのを見ながら、数度体を震わせる。横で、羽虫が死んでいるらしい、きっとその苦痛は一秒とない、自分と違って。痙攣、したくもない疼きが、胃と横隔膜を刺激して殴りつけた。


「笠井はどうした?」


 それでも彼は聞いてくる。項に冷えた物が当てられるが、スコップの刃先だ。用具から勝手に拝借したであろう。薄い端で頸動脈をくすぐるだけで、切れる予感をもたらす。同時に血の波打つ勢いも感ずる。切れたらたちまち、人間の自分はあっさりと死んでしまう。

 それを彼は容易に脅してして使っている。余程、同業者に奪い取られるには重要で度し難い話だろう。


 ――俺も


 自分も同じ人間で、同じ年齢の男であるのに。こうも好感度とやらは違うらしい。

 そう言っても通用しない化物とは分かってはいるが、また虚しさを覚えてしまう。捕食対象のはずなのにまるで態度が違う。

 彼と自分は何が違うのだろうか。悲惨さか、いや、笠井は親をなくしてもエダのように村を燃やされたことはないだろう。悲壮さか、いや、笠井は扶養者に守られているだろう。

 ああ、いや……それは、佐藤イブは守られている……のではない。佐藤イブなんて人間はいてはならない。ずっと、死に損なったエダしか自分にはいない。佐藤イブでは、村への贖罪が出来ないからだ。


『――エダ、ありがとう、ずっと大事にするから』


 ――……。


 ほんの少し、混乱している。

 何が、何が言いたいのだろうか自分は。この場で松川に。そうだ最初は蓮が危ないと言いたかった。それが今どうした。松川に慈悲を求めているように、まるでエダに起こったことを可哀想と宣い続けている。

 そんなことを言っても変わらない。蓮みたいに、松川みたいなのから余計な執着を向けられることはないのに。


『エダがいなきゃ嫌よ、ずっとここにいるわ』


 後悔……まだしているらしい。こんなことになる前なら、村で死にたかったと。


「……俺は誘拐に失敗した」


 だが、時間は進むのだ。心臓は刻だ、刻みながら、自分に教えている。行動した時間もすべて、心臓が鳴って生を強いて死を知らされる。自分は自分の意思でここに立ってる、そのために死体を蹂躙した、瀬谷を襲った、蓮をもだ。そこに後悔はない、あるわけがない。


『置いていかないでよ』


 後悔するとしたら、自分が生きてしまったこと、ただそれだけで。


『兄を殺したのは私だ』


 それでも生きるとしたら、やるべきことがあるから、それだけだ。


「……笠井蓮は無傷だ、だが手を出さない方がいい」


 生きてしまったから、自分はまた心臓に従って動くしかないのだ。感傷をしても世界は変わらない、優しくしてくれる人間は……いない。エダにはもう誰もいない。蓮が、あの何かが自分にはない物を持っていても。何も縋れないまま甘えても、自分はどうにもならない。

 

「貴様がか?考えにくい」

「褒めてるのありがたいなあアネラハノイ」


 ぐわんと、松川がスコップを上げて、先端を顔面に定める。予想は、出来ている。このまま脳まで刺す気だ。尋問をすると言った和らぎはどこへやら。血が昇ると手がつけられないのはこちらも理解しかねる。

 元より真名を誰よりも嫌っている男だ。自分が彼の名前を知ったのは偶然だ。偶然、彼の同朋がついそのことを口走って内臓から触手を産むのに食い潰された。

 よっぽどだ、彼はよっぽど自分の経歴を厭うらしい。自分より不都合なはずのアンデットが、自分を組み敷いている構図が、そんな自分が。眼球、そのまま脳へと目掛けて振り翳す殺意に等しい。


「……そうだよ、この俺が失敗した」


 開花。伸長を行った右眼の孔から蔦を生やし、近づく先端を絡め取っていく。硬いが、固定するだけで十分だ。鼻柱を掠めた程度に蔦を這わせ、そうして柄にまで成長を続ける。木目、僅かに既製品としての感触を、間隙を脳に伝えば、そこから芽を生やして成長を行う。

 退脚、化物でも有機物ではある松川はスコップを手から放し間合いを離していく。英断だ、すでに柄の部分は食い潰されて温床になりつつある。ぽんと、そのはずみにスコップの刃が腹部に当たる。地味には痛いが上等だ。


「だから忠告する、お前には無理だよ」


 後方直線に間合いを、ならだ。彼はここが納屋であると分かっていても、周囲には何があるかは分かっていないだろう。分かってもその驚異を図れるかは定かではないが、周囲は草原だ。ヨウによって満ち溢れて若々しいそれを、外から中へと這わせて根を松川の足に縛る。足首まで、きつく地に縛り上げて地点を定める。


 ――ヨウ


 ヨウの物を、今ここで使っている。こんなくだらないものの為に。

 右目の花、松川を縛る根はすべて彼の物だ。その事実を改めて知っては胸がひどく痛む……が、抑える。抑えて、未だ自由の利かない体を起こして、根を全身に張り巡らして補助をさせる。立ちくらみはひどいが、まだ生きる息は残っている。


「……貴様は、もう長くないだろう」


 名を言われて不機嫌になったかと思えば、以外にも他の表情を彼はしている。懸念そのもの。眉を顰めることは変わらないが、怒りの他に正規のない目玉には感情がごった返している。

 寿命。あまり考えたことはなかった。エダは死んでいるはずだったと思えば、今生きている自分は幸運だと錯覚するからだ。何度も何度も、薬を打ち込んでは人間とかけ離れてしまったが、それでもまだ心臓が動く。そのたびに自分は神に見放されていないと思えてしまう。近付いて松川の片目を刳り、そのまま脳へと侵入しようとする指先が、自分が生きている。

 指先に当たる固形。脳とも骨とも言い難い、石ころみたいな硬さ、これが体内に秘めていた松川の核だ。


「そうだよ」

「……だからもう言う意味ないと思うが、俺は彼を国に連れて行く。俺の邪魔はするな」

「そうかよ」


 それはまた心を軋む前に、立ち止まる前に松川の前で引き抜いて、そして砕いた。砕いた、というより潰したか。その核はゼリー状に柔く、潰れて床に。松川はいない、ただ水と気化した何かと、血溜まりがそこらに溢れる。

 蹂る。惨状だ、だから落ち着くまで足で躙る。何もかも聞く耳を持っちゃいない松川への蟠りが融けるまで。このどうしようもないむなしさがどうにかうまるまで。立ち止まって、泣いてしまう前に、足でも何度も踏みしだく。


「良い夢でも見ていな」


 もう、慰めてくれるジャンヌはどこにもいないのだから。



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