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【おしらせ】

https://wiki3.jp/potikura

本作のwikiというか設定倉庫作っちゃいました、必死こいて頑張ってしまったのでお手すきにどうぞです_(:3」∠)_


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 対話、その行動すらままならず、蓮は首筋に食らいついていた。ある時は汗痕を残す耳の裏を、またある時は血が滴った片側へと。音、それは血の悲鳴、食らって飲み込まんとする嬌声ばかりが空間を張り巡らす。それは大きく、限界も知らず、終りを拒むが如く。呻って、それでも舌で何かを紡ごうとする及川を遮るようにだった。多少蓮は意味のある言葉を発したら気が付く正気はあるだろうが、それ以外には無い。声を愛でるのみで、彼の行動に応えようとしない、その気すらある。言葉の分からない猫がにゃあにゃあ鳴いても、人は愛おしいから寄り添う。ただそれほどの愛情、それほどの理解だ。

 及川はまだ意識があるように思える。人間にしてはあかるい色素の双眸は、苦痛を滲ませても、背いて瞑ることはない。そう、彼は。だが掌中の蹂躙に遭う。添えようとする白い指、留めようとする眼差しの鏡玉レンズ、それを黒がまとい始めている。


「かおる、かおる、かおる」


 それを人は、毒牙とも、はたまた閨とも、ともかく不純した何かを指す。昼が夜に、夜のままだ。見目相応に低くなった声は、聞く側のこちらにも下腹の底を蠢かせる。重く、甘く、不本意にだ。その名を一度呼ばれた時には恋に落ちて、二度に愛に溺れて、三度には空になる。月並みだが、蠱惑だ。それを聞いてもなお、正気を保つ及川も、精神が頑強としているが関係はない。人を落とす術を知って、食い散らかしても足りない。だからなくなるまで食べないと空腹すらわからない。それが獣だ。彼はもう獣でしかない。


 ――いや


 それは、自虐か。エダ・リストハーンが死んだ後の、この肉体は目的の為に今も彷徨っている。その自覚はしている。ならば、目の前の大人は、自分とよく似ているのだろう。厳密に言ってしまえば目の前の獣は、例えるなら「次に死にぞこなった佐藤イブ」だ。目的を喪ったものが、何かに縋りつく。


 ――ああ


 だとしたら、蓮は自分とひどく似ているらしい。ひどく、空っぽのまま生きてしまったのだ。だから大人になったままも変わらず、だから可能性という不確かでも奪いたくなる。

 大人のような子供が、子供の体を覆いかぶっては貪り尽くしている。淫猥。腰も下部も、あからさまな動きはないが、少年の無垢さを中から掻き出す所作に他ならない。吸血。唸っては喉奥で笑う彼の触手は、及川の袖下に潜り込む。

 ほんの僅かに、及川の瞳から光が消えかかり、しかし直ぐに眼光を取り戻した……が、その後は遠目から見ても焦燥が露わになっていた。今更、男子高校生との耽りに、異形の怯えを見せていない。単純に、及川の体が酷くわなないていた。肌も赤く紅潮して吐く息が荒い。シャツの胸部が歪に盛り上がると忽ち、高い声を上げていた。


 まずいと、直感する。及川が危ないと、嫌な予感が過ってやまない。自分を置き去りにするのは、自分の失態だ。だがそれよりも、及川が、あの蓮の唯一の平穏が壊れようとしている。この危惧は、矛盾していると知っている。自分が壊そうとしていたのだ。


 ――だから


 絶望の計り知れなさも分かる。自分という敵からではなく、自らの手で日常と平穏を壊そうとしている。今の蓮の動きはそれだ。胡乱な瞳で引っ掻き回して、正気になったその後が……想像できない。想像したくないかもしれないが、同情ではない。同族嫌悪。彼は自分と同じだから、死にたいほどに見てて疎ましいのだ。


 まず、及川を蓮から引き剥がす必要がある。幸い、彼らが事を及ぶよりも早く廃ビルは全域に蔦を巡らせている。資源も、あまり使いたくないものだが潤沢にはある。手の震えは止まらない。ヨウの邸宅の隅にある納屋の中にいながら、そのまま暗闇に蹲りたい。怖い、だがそんな場合じゃないのだ。


 ――意識


 意識を集中させて、蔦へと。この動作はもう慣れている。本体である自分と本機を繋げた、少し掴みにくい遠い距離にはあるが、視覚はある。自分の意志で操れることも、脳の血管が一本一本胃液で溶かされる痛みは伴うがだ。ちゃんと、彼らの真上に張った蔦へと意識を傾けられる。この低層ビルは、構造は鉄筋にコンクリートを固めている。

 自分にとっては、天井がある以上自分の武器にもなり得る。砕いて、飛来物としてだ。廃墟として、コンクリートも鉄骨の老朽化を放置しているなら都合もいい。錆化した部分に、或いは組織が破壊された隙間に芽を捩じ込む。


 ――砕け


 呪文を必要としない。あるのは強固な意思と怯えの払底だけ。捩じ込ませた己を、そのまま擦り合わせる形で砕く。音は、案外派手ではないが、妙な風通しが、涼やかさが安堵する。蓮の頭上に亀裂、それを然と幹が感じ取る頃には重力に従って破片として落ちる。その重さは定かではないが、建造物の床がそのまま頭上へだ。狂いはない、凝固したそれを揺らぐ強風はない。誤差も、そのまま真下に。


 ――当たれ


「邪魔」


 目が、こちらを向いた。焦点、瞳孔をこちらに向けて、自分に目を合わせる。じっと、こちらを。だが、いや、まだ彼は吸血を続けている。頭上から及川の方に覆ってかぶりついて。その顔はまだ蕩けている。純粋に、吸っているだけで快楽があるだろう。その蓮の顔は、そうだった。一つは、及川を求め続ける蓮、もう一つは自分を睨め付ける蓮。この二つがいる、一体を枝分かれに、後者は彼の背に生えていた。いつの間にか、分からないうちに、彼の肩甲骨から首が生える、蓮が。


 ――待て


 理解出来ない。背中に顔が生えた、そうだが違う。顔が、最早人間のそれとは大きくかけ離れようとしている。肌と髪のみ残して、眼窩には紫水晶が目に。陥穽を、その奥に見える桃色の何かをあわく覆ったそれが顔半分を占めた。窩の黒い洞穴が目として辛うじて見えて、口は、未だ小さく紅を萌ゆらせて人に見える。


「じゃま」


 その口が小さく、鈴音と似た可愛らしさで唱う。唱えて、口元を裂けた。

 コンクリートの大きさまで、丁度蓮を押しつぶす程度に破壊させた欠片までに、口が、大口に。その口腔もまた肉の色はない。洞窟、確か、色欲国には地下地区の人間が誇りにした鉱物街道が今も遺る。まさしくそれだ。


 無数の水晶を歯として、粘膜を覆う。直撃する寸前に一度で納めて、閉じる。限りなく伸長したはずの口元は元に戻っては咀嚼する。

 ごりごり、がりがり。小気味好い音を立てて、その蓮は噛み砕いている。少し大きめの頬袋を、小さくなるまで。味か、何か気に食わないか、唯一表情を示す口はやや下に。

 そうして、嚥下した後に背中へと消える。すうと、音もなく、目立った動きもない。例えるなら背中が水面の波紋を描いて、水晶の彼は沈んで、消える。


 残るは、みだりなおと。本体の蓮は依然として及川から離れないが、周囲の異変は知っているらしい。及川も、視線を蓮に戻る直前、ほんの一瞬だけこちらを見遣った。幻覚、その類ではないらしい。覆いかぶさると判然としないが、まだ及川は呑み込まれていないらしい。


「かおる」


 それでも、これはまだだ。ゆるく締め上げた己を遣い、再度持ち直してから及川に口付ける。重ねて、粘膜をちいさく鳴らす。ちいさく、それを及川にもあるかと確かめるように軽く舌先を這わす。強引さ、暴虐さはまだ残している。まだ震えを残す及川の後頭部とうなじを支えるが、拒みを零すくちびるを奪わんとする。


「かおる」


 だが、いやにゆるくて繊細だ。あれ程肌を裂いては弄んだ口が、いやに優しく人間らしい。先程の貪欲さは薄れている。ただ乾いた唇を舌で辿って、じんわりと湿らせて、馴染ませる。


「……これ終わったら、えっちしようよ」


 そうして口先で味わってから、すぐに口を離してそう言った。今のは、彼にとっては別れの挨拶と似ているらしい。触手、その禍々しさは消えないが、声音は際立って優しい。首筋の傷を、指でなぞってはその傷を塞いで閉ざす。そこには学術的な魔法を感ぜない、神秘。不思議な力だと言いたげに、及川の動く体を楽しみながら這わせていく。眩惑。直接的な愛撫だ、露骨なところにはないが、もう触れられてしまっている。声も未だ深い。常人には、目の眩んで彷徨わせてしまう、毒そのものだ。


「どうして、こんなことするの?」


 だが、及川は違った。目が、まだ生きている。呼吸を自由にした以上、理性を取り戻すのもそう時間はかからないらしい。或いは、多少のことはあれど、最初から維持をしていたか。


「だいすきだから、えっと、あいしてるから」

「僕が怪我して心配したから?それとも僕が深入りしたからとか……自分のせいでこうなったとか、かな」


 理性を得ている彼は、この状況を理解しているらしい。その上で……信じ難いが適切に蓮の思考に合わせている。事実、及川を突き飛ばしたのは蓮だが、蓮にとってはエダが突き飛ばしたと思い込む。それだけのことだが、それもまた蓮の狂化を加速させている。その人間にいくら事実を言っても聞き入れることがない。


「僕が何も知らなくて、蓮を追い詰めたなら……もう、会わないようにするから」


 及川は蓮の譫言に合わせた。合わせられることが出来た。だから、苦しいのだろう。それほど人の理解と感受性が強く、そしてひどく優しすぎる。自分を非日常にした彼を詰る前に、彼の日常から心を軋ませてしまう。いくら強くても、強く慕い続けても、重荷なら数歩下がるのが人だ。


 自分勝手だ。心なしか、胸が痛くなってしまう。及川は、機関には何も関係はしない。ただ彼を巻き込んででもと決めたのは自分だ。笠井ごと倒さなければヒヨは……そのつもりだった。かつてのあの国もあの機関と自分に変わりなくても、身勝手に、卑怯に締め付けられる。


 ――だから


 せめてだ、この場を引き起こした人間として及川も蓮も


「……そっか」


 ぐじゅり。その粘着質は触手か、水音を立てながら――及川の右耳の外耳道を突き刺した。

 そうしてひとかき、ふたかき埋め込んで貫いた触手がのたうつ。粘液かは分からない、ただ擦っては出し入れを繰り返して、泡立たせる。悲鳴は聞こえない。及川もまだ現状を理解していない。ただ異物感からひどくもがいて、ゆるくなりかけた触手が押さえつける。


 きつい、だろう。腕から分断されていたそれは、四本ほどでひとまとめになる。一本だけでも耳にいれるものではないそれが、耳に差し込まれる。元ある粘液が滑りをよくするか、柔軟性があるかは分からない。


「かおる、脳ってさ、掻き回すと気持ちいいよ」


 その言葉に及川は激しく首を横に振る。無理はない。これは異常だ。性行為なんてしたこともない自分には分かり得ないが、これは常人じゃない。耳は、そういった器官じゃない。違う、その為にあるわけでも貫くためでも。彼に命を委ねてはならない、その警鐘が及川の体全体に巡る。


「じゃあ明日にしよっか……じゃあさんはんきかん?ね、ここ擦るとね、ぐらぐらしていいの」


 蓮はそれすらも分からない、だが彼の譫妄には極めて現実だ。極めて、理想的だ。耳への律動を早めながらそのまま、及川を両腕で抱きしめる。跳ね上がる肉体を腕の中で、響いて、及川がシャツを掻き薙ぐ度に笑みを深くした。


「かわいいなあ……薫が離れることはないんだ、俺のこと好きでいてくれてうれしいから、だいすきで」


 そうして、ひどく冷静に言葉を紡ぐ。大好き、愛しているは本心なのだろう。蓮には、及川への感情はそれしかない。だからキスを喜んで、吸血を楽しむ。自分の一部になると、錯覚するのだから。


「いつでも一緒にいてあげるから、置いていかないでよ」


 警鐘。意識を張り巡らせて、蓮に集中する。今度は蔦だ、悠長している場合じゃない。殺す覚悟でいないと、及川が危うい。


 及川達が


「――なあ、死んでよ」






 ■


 意識は途切れていた。唐突に、腹部の猛烈な熱が、いや痛みを帯びている。納屋は照明もない、暗いままだが、下腹から夥しく何か、血が溢れている。血が、傷口、それは綺麗に裂けて、提げられていた用具からの怪我じゃない。

 息が、上がってしまって仕方ない。いくら魔法を使ったとしても人間の体だ。あつい、いたい、いたい、いたい。思考が潰滅する程度の弱い殻だ。


 ――嘘だ、どうして


 体内に温存した蔦を這わして、口を縫い合わせる。麻酔薬を常備しているにも等しく、理性はロジカルを司る。

 だが、めちゃくちゃだ、あまりにもめちゃくちゃすぎる。結果という暴力がここにしかない。何が起こったか全く、分からない。

 弱者の過程がない、ただ、防ぎようのないものだ。分からない、思考が圧迫していくのを感ずる。腹が裂けていた、何故、分かる、彼だからだ。彼がやったに違いない。死ねといったのだから、彼が。


 ――どうして、どうして


 息が続かない。納屋を汚したことで、ヨウの顔が浮かんでしまったが、すぐに消えてしまう。何も、考えられない。焦っているのが分かっている。自分が。どうしてかも分からない。無様に血糊が靴を滑らせて転んでも、全く。

 確かに、傷を受ける前に死を感じた。死ぬと、感覚の断線がその疑似と言わんばかりに。そうして肉体は、彼によって割かれた、らしい。


 ――アレは


 化物かどうかも怪しい、いや本当にこの世界の生命体か――いいや、分からない問答を続けるのは不毛か。


 ――及川


 深く息を吸って、彼の顔を思い出した。彼を助ける前に、自分は殺されかけてしまったのだ。彼は何一つ悪くない。蓮の傍に寄り添っていたのに、自分が、まただ。


 ――畜生


 また自分が、殺してしまったかもしれない。いいや、殺したのだ。自分がいなければ、自分が弱くなければ。

 その事実が嫌で嫌でたまらなくなる。それに後悔するのが弱いエダであるから、慣れてしまったのがイブだから。嫌だ。湧き上がる腹のムカつきを、噴き出そうとする血で抑えようと飲み下す。結局、最悪だ。瀬谷は分かりかねるが、蓮は生存している。それも最悪の形で。


 ――違う


 生きていることが最悪と思わないことが、最悪なのだ。結局、ヒヨを守りたいという自分はその程度だったか。


「――何故こうなったかは聞かないでおくが」


 突如、納屋からもう一人声が這う。若い、男の声だ。この男……いや、男か女をよく知っている。聞くだけで、いやでもまた理性を取り戻してしまうからだ。彼もまた自分と同じイレギュラーだ、思考は違えど生存戦略として彼女と協力関係を結んでいる。


「何故俺達を狙ったか聞こうか、人間」


 それは、不定形だ。彼の性質を利用して、彼女の一部を体内に取り込み、確かに互いの過干渉を禁ずると約束した。

 彼は――松川太陽という名で高校生として潜伏しているらしい。

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