【柘榴/ベノム】

 それで、我が君にはエダ・リストハーンの所有する本機の破壊か。


 ああ、何、心配するな。他を忘れていたとはあるまい。ただ御前の言うとおり、俺には俺としての役割をこなすだけのこと。御前が周りの話をしたところで、我が君の業務に重要性がなければ、取り除くも自然だ。それが要点というものであろう。

 この国の民は鰻を好んで口にしても、その分類は何かを識る者は居まい。万人、花鳥風月儚み慈しんだところで、その美感を応うる者も居ない。酒は酔うもの、それと同じだ、不要であるのなら俺の思考から取り除くのみ。案ずるな、すべて忘れてはいないさ、我が君には必要ないのなら、俺もそれに準ずる。それだけのこと。

 ただ、御前が些か危懼を孕むようであるなら言わんことも無いが……生憎、こちらは生まれ変わってばかりだ。口が思うように開かぬ。今の俺の口は、我が君の思慕と情念に依る。俺は俺の、御前の為に気を配ることは敵わぬ。許せ。だから多少のほのほうけの類ならば容易いのだが。


 ――る、なーる


 おお何だ我が君。


 ――つるぎ


 失敬、鶴よ。


 ――ちょうちょ、げんきになった、はね、くっついた


 そうかそうか、紋白蝶……それは昨日火に入ったものか、ああ、良いぞ、陽に当たる翅は柔らかい。春の色だ、御前が春を取り戻したか。

 では、その蝶を外に離してやらないとな。鶴は、御前はこの蝶を元気にしたのだろう。蝶の全うなる人生を反故にするでなく、この蝶に生きる機会を与えた。それは、誠に御前を尊ぶに値する所以でもあるが、手放さなければならない。それが出来て、御前は神だ。


 ……さて、我が君の今は混乱を極めている。心身は正常だが、現実の整合性に綻びが出ると、またいつ暴れるかも分からん……とすれば、バレーナに忠告したのは御前の眷の采配か。最善だ。彼は愛い子なのだけれども、線を引く、というのも大事だ。惜しいが、幸い再構成に言及しない。彼は俺の側にいた、そして我が君の言葉に肯定を促した。なら、彼は理解しているだろう。それでいい。

 俺が死ぬと我が君が現状を受け入れ難くなるのは、今に限った話ではない。無論、御前と談合した上でのこと、心苦しいが仕方あるまい。


 だから……暫くは、我が君の自儘に従うとしよう。適度に腹を満たして、思考に余地を與え。そこに御前の望む通り、勝機への道形みちなりを示させれば良かろう。我が君は多少の狂癲はせど、白痴ではあるまい……それもやぶさかではないが、今はそうじゃないのでな。我が君は、そう簡単にはこわれまい。夕餉を口にした後、魔を絡組み策を講じ、気に入っている運動靴を履いてエダの方へと必ず向かう。術は……『聊斎志異』だろう、一昨日から読み耽っていたからな。


『なあ、柘榴』

『……いや、いい』


 ――本当に愛いな、我が君。

 俺の寝ている間に言っても、知ること能わずというのに。何を言わんとしたかな、エダを殺すか、それとも俺は我が君の造物としてか……まあ、我が君自身、俺が死ぬ現実を受け入れなくて、俺が生き続けるというもの。

 可笑しい話さ、我が君はもう俺を造物と知っている。なのに造物の終わりを見ることは、堪えるのだ。

 そうなると、エダは聞き捨てなるまい。彼は全てを捨てて来てしまった。自分の持つ美なる思い出も甘やかなる人々も、いずれ全て毒になる。だから彼は自らを毒として捨てて、焚こうとした。

 彼が常世に来たのは、何も故郷の者としての復讐ではない。エダは、叛逆も虐殺も、全ての罪を擦りつけられた一介の歌劇役者だからだ。焦土は、虚しいものだ。だから名を変えて来ても、奪われて生まれた空虚が叫ぶだけ。

 合理だ、彼は機関を憎むな、白銀の鬼を見て埋めようとする。整合だ、ならば俺たちを襲うに値する……だから、我が君がどうしても憎くてたまらないか。彼は見てしまった、そして知ってしまった。我が君は奪う立場でありながら、奪われることに酷く弱いと……誠に愛いな、彼らは。可愛らしい。語られない物語の為に彼らは執心する。

 四肢を砕こうとも、日の目を見ないものに己の生を見出す。灰燼を背負うエダも、縋るイブも、待ち侘びるジャンヌも、抱き締めた了花も、酔う一果も……堪らんな、本当に。どうせ社会の隅で、影の一滴として終わってしまうと言うのに。


 ――それは自虐か、いつまでも捨てられた思い出にいる君が面白いことを言うな、ルナール


 結構。幾らでも言え、無くなれどこれも我が君の一部だ。記憶ですらなくても、俺のいる我が君に俺はいる。

 我が君の枠組みの中に、俺は居る。故に黙して従う、我が君は法なら俺は律だ。俺は御前も奴も、彼も、どれと比べても誠実な駒。今まで出会ったどの眷よりも忠実な者だろう……ああ、いや、御前には聞けない話か。


 だが御前には、矢張り良い話だろう。

 俺は、御前の言うことに順従を厭わない。何故なら我が君が認めたからだ、我が君が冀う、我が君が遠く先にいるものと跪いた者。俺はその我が君を是する。いや、是する以外にあろうか。

 だから我が君を遣うことを認める。我が君に甘言で耳を冒し、魔で口を濡らす御前の所業を、俺はうけがう……ただ、我が君を捨てることだけは、どうか頭の片隅にでも遣るな。

 我が君を処理に使えど、我が君をお前の都合で棄てさせるな。だが側にも遣るな、元よりお前をヒトとは思っていない。俺と同じかどうかも然りだ。


 ――しかし、聞き取りにくい。千年生きるならもう少し歯に着せる衣を知っているだろう


 さて、どうか。知らんな。今の俺は御前に気を遣えない。さっさと御前が解しろ。


 ――「鶴は俺がいなければ生きていけない。だから俺から鶴を奪わないでくれ」


 ――いや、こうとも言えるか「鶴の夢に私がいても認めない」「私に鶴を出会わせたくなかった」「私の仕組んだ不純に、心底吐き気がする」


 ああそうだよ、かの王。分かっているじゃないか、だから俺は御前が嫌いなんだ。


 ――君も大概だな、物語は大小問わずいつかは消える。そして忘れ去られる。沈んでいく。


 ――私はその消えた者に明かりを灯す、だから君は傲慢と思っているらしいが、忠告しよう。


 ――ここは地獄だ。光を灯した所で夥しい骸を目にするだけ。それを君は愛いというが、違うな。所詮君は、その表情の機微を好いているに過ぎない。進むことを見ない、ただその先の表情を愛でるだけ。


 ――だから私は、悩んでも進む彼らを称賛する。君は精々、鶴に察せられるなよ。

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