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 しかし、だ。結局のところ、一果は了花のものを葬り去りたい以上は、意志は変わりない。自分を手駒にしてでも、協力関係を餌にしてまでだ。簡単だ。庭三桜子に危害を加えると、比良坂悠はここに来る。何故なら、庭三桜子はノエルエティ・マーティンの実子にあたる。何故なら、比良坂悠はノエルエティに因縁を持った死者でさえある……だが、比良坂は庭三桜子を気にかけている。

 そして比良坂は一度庭三桜子を守る形で、神体に接触した。比良坂は神体を破壊した。北条一果はそこから、戦略を立てた。しかし庭三桜子は神体を覚醒されてもなお、ジャンヌを手にかけることは出来なかった。北条一果は、自分の作戦に確信をもった。

 しかし、北条一果は戦力を見誤った。何も出来なかった自分を、何も成し得ないと誤算を起こした。それくらいだろう、それだけのことだ。


 そう思っても仕方はない、ジャンヌの言うとおりに自分は脆い。何かの為に犠牲を伴わければならない、その原則すら乗っ取れなかった。何故か、それは彼女達への救いへと値するかどうか。彼女たちは今も肉体を壊されても生き続ける、その後も、尚も。

 自分は、協会だ。搾取する側だ。自分が関わる以上は、彼女らを抉る刃、刻む針。その肉を焼く者、食らう者。


 ――だから


 せめて苦しまない最善。同じような同業が目の前にいたとしたら、彼らに明け渡す気はない。この魔法はその為にある。搾取されるもの達を変えるもの、搾取する者への布告だ。

 その為にはまず、誇示をしなければならない。あまり気乗りはしないが、彼はまだ企ての狂いに気付かないでいる。なら、今の状況を示すしかない。


焔、阿てSalamander


 手始めに、平地の灯を凪ぐ。灯、蒐めて、咲かるそれらを足元に遣る。思考、魔力は想像に追いついたか、無形に振るうそれらに具体とした形が宿る。強く、強靭で、火を司るか、といえば疑問だが、兎角想像の通りに緋色は揺らす。揺らして、体を、胴を揺らす。まとう火は茂る草木を冒さない。それは魂の輝きとして、煌らかに波を見せるだけ。頭部、前肢、後肢、尾、有鱗を羽織り形作る。蜥蜴ならぬ、火蜥蜴の姿そのものだが、イメージは逸脱しない。極彩。硬い鱗は体をしならせて、鈍く光る。炎の中で深みのある緑を、濃く、強く。


 ひとたび、生まれたての火蜥蜴の頭を撫でる。きゅう、と鳴いて、か細く声を出すたびに火は炎に化す。喜んでいる。爬虫類に鳴き声はあるかどうか、それはさて置いて、必要最低限の構成には成った。

 こちらが膝を屈めば、つぶらな目を細めて、うなじに顔をうずめた。甘え、だろうか。もう一度撫でてほしいと、軽く鎖骨を咬んでは頭を揺らす。口から出てくる細い舌が擽ったく、仕方なく腕で軽く抱き寄せた。


 ――まあ


 成功はしている。この炎は生きながらにして、呼吸して、死をはくことしか許されなかった。生まれたては、皆子供なのだからこうして甘えたがる。掌中は母胎、恋しくなるのも致し方ないが、それでも彼らはいつか大人になる。それまで、ゆっくり自分は注ぐ。個の愛し子への安楽を、安寧と、安堵と、愛を。

 数度と数秒触れ合った後、火蜥蜴は身体から離れて。前へと進んだ、体躯は先程よりも大きく変わっている。体長は、2メートル程、自分より一回り大きなそれは、一果の前に立ちはだかった。


「……魔法使えないでしょう。つまりそういうことですよ、北条様」


 彼は何もしないままこちらを見ていた。むしろ、出来ないのだ。この空間において自分が母になった以上、作り手という無情な表現者は必要とされない。だから呼応は、隷属は一時的に抵抗される。この火蜥蜴も、成長の終点まで自分に寄り添い続ける。


「……貴方はどうして」


 どうして。それは疑問だ、純粋なものだろう。最早自分は忌み子ではなく、継承者そのものだ。魔力における生命の干渉。彼が神の子だと称えられたと、相応しい力ではある。依頼の遂行を保証するだけでは済まない。協会にそれがいた以上、人間の戦力として足り得る。御三家の均衡を崩す要因にすら。


「残酷じゃないですか」


 だが、悪魔だ、冒涜的なものだ。今まで人間が制した人道や倫理といった、あらゆる道すらも壊す。人間がこれを持つには、あまりにも輝いて焦がしつくす。

 それほどこの能力は魅力的なのは分かっている。神にすべてを捧げる協会には、ひどく甘美で、しかし邪悪なもの。彼はこれを何十年も抱えていた、母はこれを死ぬまで背負わなければならない。ノエルエティという人間が、無辜が。

 だからだ。この火蜥蜴で傷付けることはしたくない、その為に彼を生まれ変わらせたつもりじゃない。


「北条様、私は貴方の依頼は守ります」

「……意味が、分からないな。君がその力があるなら、何だって出来たはず」


 返答に応じない。錯乱、しているだろうか。声音の色は判然としないが、会話が不成立してしまった。

 この世界で彼を理解する者はまずいない。いないから、北条一果のような男に同意は期待していない。何だって出来る、それを自分にすら信じている人間に、理解出来るはずはない。

 念の為、一果を拘束するべく手を翳して彼の周囲のエーテルを惹く。そうして、連結して体内、彼の懐まで指先で感ぜた後に強く握る――が、感触はない。いや、ある。あるのだが、人体ではなく、いっぱいに満たされた魔力だ。さながら水。違いはよく分かる、魔力を滲ませた血肉はそのままの感触だ。外れた、はずはない。袖の肌触りは確認できる。


 ――まさか


 人外。しかし神体はジャンヌとして別に、人語を解して、奇矯だが人の生活に溶け込む。だが肉体は最早血と肉に活力を流し込ませたそれ。異世界人外、該当するとしたらそれだろう。指摘を、するべきだろうか。


「……」


 ……それは、悪手だろう。北条家の伝承の神は未だ触れられず、謎の多い部分があったが、恐らく彼が張本人だ。異世界人外だとすれば、一端の家を転覆させることはおろか、滅することさえ易い。しかし、長年一果はそれを出来なかった。


「君は、比良坂君を何故閉じ込めない、その力があって、祝福を受けながら」


 北条銀との関係は勿論知っている。北条銀と一緒に暮らすために、彼の遺恨となり得るすべてを破壊したい。それが了花のこれだ。北条銀と一緒に暮らすために、この家から連れ出したい……彼はそれしか出来ないのだ。

 それが、彼の力の限界だった。人間は脆い、圧倒的な力がなければ、精神を粉々にしてしまえばそれで釣り合いが取れる。

 だから比良坂は犠牲にされてしまった、そして生かされるまでのモノにまで成り下がった。恋慕を抱くなら、それを物にするが適うだろう。


 彼の中では。彼の常識の中では。


「あの人の娘ですから」

「彼もそうしていた!彼もそうされることを望んだ!一人だったからな、彼も!君も!」


 初めて荒げてみせた声は、自分にはひりついて届く。ただ、草木は揺れない、木の葉も、空気も。霧散。疎癒おろいゆ夜天に届く前に、とどかない。虚しい、むなしく、暴力的な響きだけは残る。空虚、それは彼だ。


「分かっていますよ」


 一果は、それだけしか知らない世界で生きていたのだろうか。閉じ込まれた中で、やっと見つけた光を暈すために閉じる。それで終わってしまうことに、救いを見出してしまったか。


「――だから、私は進むまでです」


 それを以てだ、神体を、子供達も、一果もだ。義務と責務と任務を以て、自分は箱を開いてみせる。それが、世界へと出してくれた母に相応しいものと信じているから。



 ■


 ――しかし、一果が異世界人ということは予想外であった。

 能力上、魔力を扱うことには特化しているが、それ故に魔力ありきのものには弱い。実体化が崩れたが先か、火蜥蜴を追い越したその時には、一果の姿は消えていた。だが魔力の死はない。まだ手元にある内は、呼び戻すには心許ないが活性はしている。色、夜空に翳すと、光りを散らす。昼の燦然、森林を馴染ませた雫型。活用する他ない。


「シャラウ、おいで」


 眠りこけていた火蜥蜴は、声に答えて顔を向ける。彼の前で雫を叩き割って、緑の炎を散らす。それが火の霊が如く中に浮けば、彼の微睡んだ目は見開いた。すぐに、針穴程度の鼻をひくつかせる。目を動かしては、舌で炎を掬って、吟味して。やがて嚥下した後には満足げな表情を浮かべた。


 ――夜だ


 炎がよく見える刻だ。それなのに、星はなおも輝いて、冴え冴えとしながら煌々とする炎と対になる。星が、満天に。指でなぞった思い出の数だけ名前が付けられる、爽やかな群青。異世界の空も、存外悪くないらしい。


「貴方、やっぱり向いてないのね」


 ジャンヌの声がして振り向く。ジャンヌ、彼女はもう、幼い体も口調を止めた。元ある精神性と、それに見合ったもの。自分の魔法の作用でこうなるが、自我が強い以上はある程度対象者の精神に依存する。華やかで、まだ始まりを告げたばかりの春色の見目。それは変わらないが、曇らせた表情は夜そのものだった。


「……リョウカも、人助けなんかするもんじゃないわ」


 彼女の膝上、そこで頭を乗せて眠る女性の頬を撫でる。見慣れないが、事前調査でよく見た顔だ。北条了花、黒いウェービーロングと、整って大人びた目鼻立ちをする。ただ、呼吸、肺の動きは感じられない。


「サクラコ」


 北条了花は、死んでいるからだ。ジャンヌもそれを分かっている。だから生かすようなカラクリにしなかった。腐らない肌と肉のみを思い出として、撫でるだけ。


「私達を殺して」


 それでも終わらないとならないのは、認めている。北条了花は死に、ジャンヌは斬首の前に立たされている。


「……貴方ならきっと、私は諦められるから」


 誰によって殺されるかを選ぶことしか、彼女は選べない。自分で死ぬことすら許されずに縛られた。諦められる、違う、ずっと諦めて終わらせたかったはずなのに。


「私ね、もう駄目なのよ、薬が残ってて」


 だからこれは、彼女の最期だ。

 彼女の最期の理性が、自分を選んでいる。彼女は自分を認めている。


 ――私が


 彼女の人生を終わらせなければならない壊す前に殺さなければならない。ナニかに夢を見た少女を、翻弄された女性をすべて。

 それは、覚悟の上だ。それが自分の仕事なのだ。彼女らへの蹂躙を彼女らが知らぬうちに介錯することも、仕事だ。それが今の自分に必要な、協会としての仕事だから。


 ――分かってる


 それが母に会えるための試練なら、自分が強くなるための課題なら――


「僕がやる」


 ――ああ本当に


「僕が君を解体する」


 貴方は優しくて仕方がない。

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