数年前/冬季

【幕間/Y】

【前書き】

 昨日自分でもちんぷんかんぷんでしたが腸がめちゃくちゃ震えだしていたので、修正は断念です。ごめんなさい。申し訳程度の幕間です。それでぬるっと理解出来たらなと。あと次から夕方編です、まだ昼でした、つらい、おわって


 ■


 親殺しとか、俺は嫌だよ

 そう邪険にするんじゃない、あるだけあれば困らない

 いっそ松山の所に養子にでもすれば?

 じゃあ僕が

 それは嫌、俺はそういう託児所じゃないの

 いっそ記憶があったら楽だったのに

 怠惰の件でまだ時間はある、それまでに思い出させれば

 骨が折るけどまあいっか、エダは……どうせ長くはないだろうし。松川か。


 少し、嫌なことを聞いてしまったような気がする。過敏された聴覚には否応なしに音を拾ってしまう、その弊害と言えるだろう。首都の成員が集う会議室から外れた廊下からでも、捩じ込まれる。

 すれ違った毛先を遊ばせる女性社員は、その会話に耳を傾けることはない。自らの目立つ容姿に好奇で一瞥するだけ。きっと、ここは静寂だ。少し明るい灰のカーペットと、自分が視覚の中で賑やかなだけの。


 ――今


 首都の顔触れの話は、きっと自分には関係はない。だがある程度の既視感はあるまま、分からないと初心を嘯くこともあるまい。ある種の、人身売買と似ている。首都らが口々にしている子供は、きっと一人だ。そして独りぼっちで、こんな世界のことを何も知らない。まだ一人になってぼんやり、霧中の先々にうっすら不安を抱いているまま。それが晴れるまでに、あるいは理想の道を勝手に作らされては大人達が晴らす。そして、その道を歩かせる未来しか持たされていない。哀れと言うべきか、だが需要がある以上供給となれたと言うべきか。


「お疲れ様」


 突然、頬にホットココアの缶が触れる。声は、差し出された手の角度から背丈は部長だ。香水は、秋冬につけるものだ。孤独を感じる季節の中にいる人間に溶け込む、紅茶と似た安らぎ。やがてそれに惹かれて、会話をするごとにしどけなく人柄を零すような、哀愁と苦さ。深い。深いが、沈み込もうとせずにゆっくりと潜って行きたいとさえ思える。香水は利き過ぎた鼻には堪えるが、この匂いは嫌いではない。距離も置かずに自然と近付けることが出来る。それを察しているかは定かではないが、部長は頻繁に使っていた。

 もう、彼は首都との所用は済ませていたらしい。いつもなら渋々付けていた名札ホルダーを下げて、書類を小脇に挟んでいる。


『ありがとう、ございます』

「ただこういうことは、君が先にやるべきものと思うな」


 そんなの一度も教わってないし、そちらの気まぐれでは。という視線を無視して部長は缶コーヒーを手にする。握って、開いてを繰り返しながら、表情を強張らせた。珍しく、表情が喜楽から外れている。僅かに眉を顰めながら、首都達がいる会議室を見遣っていた。長い睫毛が細くなろうとする目を覆って、美貌として騙す。ああ、いいや、それすらもない、笑みを絶やして、口元を結んでいる。


 ――これは


 周囲が一気に冷え込んだ。だがそのように感じたのみで、室内の空調には異変はない。ただ自分が寒いと感じただけ、ただそれは心臓からの寒気であることだけ。恐怖、とは行かないが戦意を削ぎ落としてしまいかねない、強いる気配だ。堰侘せきわぶ悲壮、それに近い。それに最も遠ざけようとするのは、殺意であることも。


「ココアは嫌いだった?」

『好きだよ』

「私も?」

『……そういうの良くないよ』


 そうしてふっと笑って、彼はいつも通りに戻った。数秒もかからない、自分みたいに近くにいなければ分からないことだった。向ける顔は、いつもの通りだ。暇さえあれば部下に話しかけたり、嫌味を言ったかと思えば、また振り回す。そんなろくでない奔放の男だ。


 ――だけど


 自分の耳元には、まだ会話は続けている。子供は、彼らしい、少年らしい。だがいつしか、年齢にそぐわない言葉のみの往復を続けている。蹂躙、凌轢りょうれきが、言葉の角を使って抉ろうとする。彼らは、少年を引き取った後はそうするらしい。

 数年後か、数カ月後はその子供がまだ人間として生きているかも定かではない。ただ、普通なら肉も血も残らないことは分かる。彼らには子供を捨てるという露骨なことは言わない。だが進路だの、そういった言葉は何一つ含まれていない。良く分かる、散々聞いてくるのはこれからのプランをどうするか。彼らは親としての責務はするらしい、或いは親以上の愛を欲と偽るらしい。そうして捩じ込ませて、親以外に生きられなくして、可愛い子供のままでいさせたい。それが彼らの思う最適化だった。


「……君には良くない話だな、早く帰ろう」


 近くに部長はいる。彼は元は優秀な役員だったそうで、Tに配属されるまでは首都にいたらしい。彼にもその言葉が届いているのなら、然程胸を痛めることはないだろう。彼も隣の会話を聞いているはずだが、笑みを止めることはない。首都もそのつもりなのだろう、それだから聞かれても構わないか、むしろ聞かせている。俺達はこれを続けていると、いつも通りに。お前が何を動いても変わることのない機構だと。


『分かった』


 だから部長は、笑みを止める所を見失ってしまったのかもしれない。どんな意志が、祈望があってこのに来たのか分からない。だがもう笑みを止められないとだけは解った。

 彼が傲岸に振る舞っても、支配者として見れない理由も、同時に。


 ■


 首都との所用が済んだあとは、いつも通りに部長にもてあそばれた。いつからか予約していたか分からない服屋に連れて行かれた。2mの巨体の自分を着せ替え人形として連れ回して、一人で勝手に吟味を続けられた。君はどちらが良い?これ。ああ、これは派手だな……等と不毛な会話を続けて、結局あの男好みの服を押し付けられた。

 タグを横目で見たら、一々桁が余計にあるものばかりだ。思わず給料から天引きするのか、と訪ねたが彼は首を横に降った。曰く、若い自分は生きるだけ財産なのだからもう払ったも同然、とのこと。意味は、分からない。そもそも余命が明確にされた人間に、私服なんていらないだろうが、それは閉口した。


 仕方なく、その消費に社内で身に着けた。未だに桁と一致しない、モノクロツートンのトップとボトムス。確かに見立てと慧眼は称賛するべきだが、また変な事を言われそうだった。だが、どうせ会っては何か言われるだろう。彼が三輪としての顔で席を外している間、そんな事をぼんやり考えながら掃除した。

 命令されてはいない、近くの瀬谷の机の偏執的な机に感化されたのだ。アレは、地下室にいる連続殺人犯の写真の並べ方、だからあの男は好きじゃない。せめてあの散らかりよう以外は、綺麗な部屋でありたかった。


『新聞紙ない?』


 窓にまで着手してしまったが、掃除だから致し方ない。すぐ真後ろにいた松山に声をかけたが、振り向いてくれた。いつも多画面に映し出されるチャートだの気配値だのは、丁度オフにされているらしい。


「これ」


 新聞紙と聞いて目線を彷徨わせて、しかしなかったか、紙の束一つを渡される。副業中はこちらの声をまるっきり無視をするから、今は会話してもいい方だ。だが、仕事中の過不足ない視線の動きとは異なって、平時の松山は、いい加減だった。どうせゴミだから使えなければ捨てろ、なのだろう。


『映士さあ』

「インクがあるだろ、1000文字くらい」


 興味のないことには壊滅的だ。昔から相変わらずだが、馬鹿でも天才と言っても差し支えない。部長がいない、仕事もない、何もない時は決まって松山は泥のようになる。泥だ、そうなって時間を浪費する前に自分のやることをやるのがこの男だった。


 ――あれ


 だが、その紙の束は資料らしい。資料と言っても、松山が副業として使う物とは全く異なったもの。添えられた少年の写真と、名前を筆頭に書き連ねた、経歴と備考、追跡調査の報告。書式から機関から送られたものらしい。


 ――笠井蓮


 カサイレン、15歳と言うにはまだ少し幼気な少年の情報がここにある。分かりやすく、簡潔に、頭に入りやすいのだから、つい目で追ってしまう。


「今度、それが新入りとして入る。週に一度送迎を頼むと思うから、そのつもりで」


 新聞紙の代わりにこんな物を出す人間はいない。しかし必要ないと思った以上、そう容赦なく利用するのは松山らしい所以か。彼は、本当にその書類には興味はないようで、目で追う自分を咎めたり叱責はしなかった。


 ――けど


 二枚、三枚と続けて資料を読み込む。実に、分かりやすく書かれているからだ。それでいて平凡でないくらいに非凡で、目を奪われるだけの物が書かれている。不謹慎だが、読み物として面白いくらいだ。限りない壮絶。正直、こちらよりも首都が我が先にと引き抜くような人物だと思う。


『随分すごい子だね』

「これにはどのくらい価値があると思う?」

『……結構あると思う』


 正直に答える。この経歴は自分の既知を超えている。一般家庭の出てあれ、彼は平凡な母子家庭を今まで送っていたのであれだ。機関が彼を見逃すとは思い難い。


「ないな、彼自体には」


 ――確かに、それ以外を除けばだ。中途、松山は机の端から新聞の切れ端を見つけて引張出しては、紙の束と交換した。手元から離れても、笠井蓮のことは印象深い。特に彼が置かれている環境、特に彼の関係者、特に……彼以外の周囲についてだ。


「こんなものはただの説明書に過ぎない……利用できるとしても、一時的なものだけ。まあそっちの方が首都が使えるか」


 松山には感情と言うものは希薄には近い。松山が末端の責任者になったのは、首都と同じく結果至上主義で、超えて利己主義者だ。機関の総意と松山の意志は一致していなかったらしく、無理矢理ここを作った。

 彼はそんな人間だ、そんな人間だからこそ度し難い瀬谷を、起き難い自分を許容した。だから、彼が情で一人の人間を、あまつさえただの少年を救うとは考えがたい。


『使わないの?』

「いや、適度に使う……適度に教育をして『捨てられる人間』になるまで。そう約束された、仕方ない」


 捨てられる人間、それは確かにここでは必須事項だ。松山は機関の人間として、その素養は持っている。使えるだけは使い、そして使えなくなったら切り捨てていく。松山と機関が異なったのは対象だろう、機関は「情報」であり、松山は「人材」だ。その点において確かに彼は面倒見が良いように見えるが、最後は変わりない。勿論、彼も良いように見られる為に行わないだろう。


 ――ただ


 約束、とは。捨てられる力は必要だが、あえてそうは言わなかった。約束、松山には縁のない言葉とばかり思っていた。彼以上に、未来も過去もただ一つの為に捨てる人間を知らないから。


『部長のこと?』


 だから、その人間が先々まで持ち込んでいく、その矛盾を抱えられる人。それは部長しかいないのだが、迂闊だった。松山の目が愚鈍から少しだけ開いてを自分を見据えている。しまった。あまりこういうことには口出しするべきことではないというのに。


『あ、いや、なんでも』

「――そう、何も捨てられなかった奴だよ」


 例外に、彼は笑って返した。久し振りに見るかもしれない、何もない時に、こうして虚無以外の彼を見るのは。その言葉は、いつも通りのものとは思い難い。松山は視覚以上に人間を見るなら、部長が何を思っているのか知っているはずだ。だがそれでも、いつもなら思考を行動の最適化として利用する。


 ――もしかして


 読み取ったのではなく、汲み取ったのだろうか、松山が。だとすればそれは、松山がそうするに近いほど、部長の思慕があの少年に注がれていた。それはどこにも記載されていない何かだ。それは書いていない以上無価値だ。


 ――だけど


 それを部長が捨てられないとしたら。だが松山がそれを互いに見つけたとしたら……情以外に相応する言葉が、あるのだろうか。

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