3
ひどい、暴力を見た。
何一つ強さを変えず、だが丸腰で有ることに変わらない。それなのに松川が松川を殴り付けていた。いや、それは殴殺ではなく撲殺、または格殺、扼殺、縊殺か。ただ結果的には、鏖殺だった。とにもかくにも、誰からも騒ぎ立てる人はいないが、そういった類の人物が山のようにだ。外見上は何も変哲もない、老若男女混合として、共通するのはやや見窄らしい身なりぐらい。入り口から溢れてくるそれらを、松川が殺している。
「すぐに終わる、見ない方がいい」
いや、殺すという表現もそもそも誤りかもしれない。「殺」という漢字の成り立ちは「イノシシを生贄に捧げる武器を持った人間」だ。つまりあるはずの尊敬や畏敬、罪悪あってこそ「殺」とばかり思うが、彼は違うらしい。殺す、ではなく、こうするだけ。目の前のものは血が出ないからよりも、もっと他の理由だ。それだから彼は叩きのめせる、正確に、正解として、機械みたく、淡々と。
圧勝、同情してしまう圧倒だった。
人が吹っ飛んだ弾みで机が多く散乱している。丁度、松川は隣でひっくり返ったそれの脚を引き千切った。歪んで、柔らかく切れたが鋭利な断面。それを自分の方へと押し寄せる何かに突進した。深く、胸部への刺衝だがゴムの伸びたシャツが風を切るだけ。本体は何も反応はない。痛み、苦悶、その表情を以て乞う姿をみせずに、それもまた自分を凝視する。5秒、それは自分の外傷へ目もくれずに、自分の目を。最早本当に自分を見ているのか疑わしい、胡乱な黒い瞳を向けている。
――僕を?
自分に何か、あるらしい。よんどころない事情らしい。ではそれは何か、何か悪いことでも? そう考えても、こんな状況でそれっぽいことを並び立てても、何一つ心当たりはない。
考えられることはまずないのだろう。これは異常だ、高校生はひとり多くの殺人を犯して、そしてまだに騒ぎにならないのだ。それどころか教室は密室でもなく行き交う何かの為に、教室の引き戸は開け放たれている。
それでも、野次馬すら出来上がらない。奥から閉め切った他クラスの様子さえ見える。彼らは皆、教師の話に耳を傾けている。
誰も後ろを振り返らない。誰も。
――まるで
例えかどうかはさておき、自分達はどうしてか切り離されている。そして松川はそれに当惑もなく攻撃をした。なら松川はこの状況について何か理由を知っている事実自分は狙われているみたいだだとしたら松川の言う通りここで待ったら助かるかもしれない待てば、待ってしまえば
「――カサい、れンか?」
しわがれた男の声。それは明らかに自分の耳を突き刺して、問い掛けた。確かにだ。彼の名前を口にした。調子はいささか良好と不良が上下しているが、それは刺衝によるものだろう。
だが、と、疑問を浮かぶ前に手に触れていた机に目を遣る。窓際にある、蓮の机だ。ただ蓮の机がある下部よりも、ソレは明らかに自分に目を合わせている。
人間、じゃない。
まともな人間どころか、人間かどうかも怪しかった。自分に傷を負わせた松川は眼中になければ、最早脳味噌も機能しているかも怪しい。低知能、低知能であるからこそ自分を笠井蓮と勘違いした、ということか。ソレも、一番に倒されたアレを見るが、武器のようなものはない。
――誘拐目的?
反撃する様子も見せないなら、簡単な機械の役割で差し支えないだろう。それこそじゃんけんのような、あまりにも簡単なプログラミング。チョキに勝つためにグーしか出せない機械仕掛け。それがどうして生っぽいかは察し難いが。
唐突に、男の首が刎ねる。断面、離された胴が倒れる合間に見えるは鮮烈ではない新鮮な緑。埋め尽くして、伸長を続けている。蔦が生えて床の溝にまで侵さんと伸びたが、松川はそれを上履きで躙った。目、半身に向けた双眸にはいつもの黒目はない。真白。銀にしては鈍く、雪にしては汚れて、ただ砂糖水より透った、だけどより甘い色。
「黙れよ」
似た色の何かが、宙に浮かんでいた男の首を突く。体長数メートルはあると見るそれは、松川を起点に太い紐みたく揺れる。ヒトデ状に右から左に耳孔を刺し、だが貫通した先端には血すらつかない。あるのは、重力に従い下に流れるのは成長を続ける蔦だけ。
そして、男の首は破裂する。正確には太いヒトデが中で二つに分かれて、中から上下後からで引き千切られた。それでもなおあるべき液体はない。拉げた頭蓋が転がって中を覗いてもだ、中には芽と草が絡んでグロテスクを覆った。
男はゆがみながら蓮の名前を言った。とすると、蓮に関係しているなにか。不意に蓮の机に目を配った。机の脚の部分に薄っすらと斜めに切れ目が作られている。
――まさか
ついぞ、松川は机の脚を千切って武器にした。信じ難いが、以前からもしもの為に松川が机を細工しているなら、これも例外じゃない。
『薫、嫌なの?』
急に出てきた、香からの問い掛けに頷く。
だがどうして今になって出てくる。ずっと見ていたなら、入れ替わってでも何とかすれば良かったのに。自分は香よりも人は良くない、皆香を薫と思うほど、自分には取り柄がない。だったら自分じゃない香が、無理してでも入れ替われば良かったのだ。
――いや
元々、ここには自分一人しかいないのは変わりないだろう。誰かに好かれる性格が、誰かに愛される優しい性格だから、主人格を侵そうとしない。香も、自分もこの状況に切羽詰まっているのだから、出る意味さえない。状況は変わらないから、自分が無力なままだから。所詮を自分が望んだ想像の範囲でしか、動けない。香に変わっても選ばれることは出来ない。
――
だけど、やることは一致している。そのはずだ、自分は蓮を好きならそうする。
蓮の机を背にして、松川の方を向く。何より蓮本人じゃなくただの私物であろうが何だろうが、当たり前だが感化は出来ない。
ヒトデが化物を御する傍ら、手持ち無沙汰の松川がこちらに目を合わせた。視線には気がついていたのだろう。既にいつもじゃない瞳と、険しい顔をする。
「……お前大人しいね、本当に多重人格っぽい」
奇妙だが、声に水っぽさがいやに入り混じっている。左右にあるヒトデと合わせて、彼自身もヒトデになったような、その錯覚すらある。
途端に、足が竦む。一斉に松川は化物の実感。それに襲われて、胸が痛い。彼は自分を助けてくれると言うが、下手なことを言ってしまえばあの死体通りになる。ヒトデに捕まったら、きっと苦しい、痛い。だが蓮の机には離れたくない。足に力が抜けようが、その場所にだけしがみついた。
多重人格、にしては都合の良い感じに扱えているが、本人は何も変わっていない。人から笑顔を向けられる及川薫は、自分ではない。紛れもなく香の功績にある。自分じゃない、自分がしたかったことを香がしてくれる。それだけで人生が明るくなった、自分とは違う誰かが人生を歩いただけで。
「――呼んでる?」
この唇の動きは自分ではない。香だ、香が交代した。感覚はある、視覚も蓮の机の角が当たる触覚もあるが、自在には動かせない。
「半信半疑でさ、いるんだなって」
「あっそ……短刀直入だけど、どうして化物が人間を助けてくれるの?」
「笠井を助けられるのは、俺達しかいないんだ」
「どうして? そんなに仲よくないでしょ」
「……キカンって知ってるか?」
キカン、その名前に聞き覚えはない。病名、なら気管支喘息とか、もっと分かりやすく言う。機関車……これは知ってるかと問いかけるまでもない。だとしたら、機関か。それは正式名称や略称の類すらなく、組織としての『機関』か。
――でも
機関、とは。その括りをしてあえて具体的な名前を避けるコードネームな扱いをすることはある。ただそれに『機関』と蓮は関係があると、そういうことだろうか。
――あっ
――
――
こんなことは今までにない。お互いの意思共有はしていて、仲違いすることは滅多にない。意思が対立して拮抗する、それは香は今までずっとしていなかった。彼は一度決めたことには頑固だが、無理矢理に薫の意見を変えようなどとはしない。
『……お願い、だから』
心情に声は現れない、イヤーワームと似て音楽を再生しても聴覚を刺激しない。ただ香らしくもないくらいに、弱々しい。
「知らないよ、だってお前は化物だから黙ってなきゃならない……どうしてお前の内輪もめに、理解も出来ない話に関わろうとする」
ただ、閉口はした。懇願、これもまた香には一度もないことだった。現実では苛立ちを含めたのに、この中ではそうじゃない。本当はその名前を避けたがっている。香にとって■■は……ああ、もう、侵食されている。彼にとって、とても嫌なものらしい。もっとも、三輪に深く関連して、あまつさえ大人が動いているのなら致し方ない。
松川は、そのまま香に応じず口を閉ざしていた。それは肯定か否定かは分からない。ただ化物であることは否定せず、香の言うことも間違ってはない。その自覚はあるらしい。
――
だとしたら、それに答えられないのなら松川を信用することは出来ない。それよりも、蓮の無事を探す方が先立った。
それには香も賛成したか、ひとりでに窓に足をかける。ここは確か、3階だ。入り口がどうしてか封鎖されているなら、リスクはあっても抜け出せることは出来る。
「
何を、言っているのだろうか。化物の方が敵を倒していて、出しゃばっていたのはこっちだ。ずっと明るい香を蓮は見ていた。図書館の時だってそうだ、香だと偽ったら、結果として抱き締められたのだ。薫だったら、こんなことをしない。
――僕じゃない
僕じゃない、自分じゃない香を蓮は求めている。仕方ないのだ、だって香は自分よりも松川の顔を見た、険しさを顕にした。臆病な自分はこんなことしない、蓮を助けられなかった。そんな及川薫は死んで『生きてくれ、僕は生かされている、それを忘れないで』。
――嗚呼、本当に良い奴だ
嫌なくらいに、自分がいやなくらいに。
窓から飛び降りたのは5歳以来だ。懐かしいとさえ思わない、ただ前よりも何故か清々しい風が頬を撫ぜた。
上履きを踏み締める感触が伝わる、それだけは自分のものだと錯覚した。
■
そんなことを思って、蓮を探し続けていた。人の目を掻い潜って、彼を探そうとした。彼は望んで休んだわけではない、きっと近くにいるはずだろうと、そう思っていた。
「及川?」
そう、思っていた。だから自分の自我がとてつもなく嫌なものだと、嫌悪した。
【二日目昼編】了
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