【オイカワカオル/六本木心中、嗚呼無情】1

「……それで、こんな、まあ屋上前まで呼んだのは、笠井君が欠席した話なんだけどね」


「あの、まずいことはしていないんですよ」

「でも皆聞いちゃったからね、その、そういうのは自由で良いと思うんだ。だけどこう、風紀として?」

「確かに行き過ぎた発言だってそこは反省しているんです、そこはとても、好きとかそういう告白よりも踏み外したし、刺激が」

「まあ刺激は、そうだね。刺激は強いし?」

「健全な関係を示唆しない不純性を仄めかし青少年の抑制を刺激させた功罪人として」

「そこまで言っていないんだけどな……でも笠井君とは前から仲が良いって聞いているから、そんなに言うつもりはないんだ。あっ学年主任から聞かれたら大変だけどね、とりあえず、僕はね、そういうのも高校生で良いと思うから、応援している」

「へへ、ありがとうございます」

「……反省してるかな」

「してます」

「分かった……それでその諸々なんだけどね、笠井君が欠席について何か知らない?」


「……分からない、ですし、本当だったら一緒に学校行くはずでした」

「だとしたら、いつ笠井君と別れたとか」

「デリカシー」

「探るつもりはないんだけど……いやでも及川君さ……仕方ないよね及川君……」

「……応援してます?」

「してる、笠井君の青春の一つって感じもする……だから応援しているから僕はこう、心配でね」

「先生そういう時期あるんです?」

「関係ない話だけど、それなり、それなりだから知り合いが落ち込んでいる時とかにも似ているし」


「……本当に、行き過ぎたことはしてないです。最高で、添い寝くらいで」

「じゃあ朝まではいたのかな」

「朝食も一緒にいたんです、離れたのは登校で」

「それは、笠井君は何か言ってた?」

「言ってないです」

「どうして離れたの?」

「……」

「……言いたくないなら、仕方ないし聞かないから大丈夫」


「僕、行きの電車はJL使っているから、満員だったんですよ」

「そこではぐれたとか?」

「はぐれるように、されたというか、僕から離れたというか」

「……誘拐とか?」

「ないんです……いつの間にかここの駅を降りたと思ったら、また入り直していて」

「自分から?」

「自分から」


「……」

「……」


「……まあ、ちょっと強引なところもあったから、気まずかったのもあると思うよ。あとかかりつけのお医者さんが駅の向こうとか」

「その腹痛って誰が言ったんですか?」

「お父さん、だけど」

「三輪さん?」

「……そう、親御さん、今の」

「……いや、なんでもないです、なんでも……すみません、それ以外は何もです」


 ■


 実の父親との交流は覚えがない。自分を産んだ雄、という意味ならなおさら守ってくれる男はいなかった。ただ、守ってくれる女性はいてくれた。女性の一人は伯母、その片方は伯母の恋人。年齢として母親と呼ぶことはほとんどないが、二人の母親に育てられて今がある。男女どうあれ、恵まれている家庭にいることは自覚している。言葉には出来ない何かを、教えてもらった居場所として。それを本人の目の前で言うのは死んでも御免だけども。


 父親、好きな人には父親がいたらしい。

 父親らしい男は、一度見たことがある。三輪春彦、担任も彼のことを指しているのだろうか。汚れ一点もないが、本人の油断しやすさみたくどこか頼りなくシワをつくるシャツ。多分、20代として残すそれが、妙齢には愛嬌にも見えて頭も悪くはない。義母からの印象も悪くはないし、自分のような複雑な家庭環境にも突っ込みはしない。

 良い担任に当たった、というのは否定しないがそれでも若い。審美眼に欠けている。前任の教師のような擦り切ったモノはない。だから生徒として付き合いやすくても、それ以上はできない。それ以上、担任と蓮について踏み込むことは不毛だ。


 三輪春彦。父親。アレを父親と、人はくくれるのらしい。

 息子の外泊を他人が簡単に許して、あまつさえ自分自ら名乗り出てくる。父親としての過保護、ではない何か。突き放された何かによって自分たちはへだたれている。

 あの男は容姿は良くも無ければ悪くはない、年齢とは似合わずに若く見えるだけか。目を合わせたらすぐに微笑みを返す、ほんの少し苦さを含ませたヤニを乗せた男。問題はないが三輪は笑顔をつくることが多い、それが蓮の義理の父親と代弁していた。彼は蓮の父親ではない、父親になるつもりもないから、あの態度かもしれないが。


 ――ただ


 突き放された、という実感は湧かないでもない。まだ腕にもその感触は残っている、彼はしっかりと自分を押して遠ざけようとした。痛みのないいたみだけが、腕に残っている。


 ――蓮は


 嘘は、付いていると思う、多分に。だけど傷付けるようなことは言わずに、激しく逃げ回る性格。外からみたら落ち着いているが、大人しくしているだけ。自己出張はそれなりにある、乱暴な言葉を使いそうな時もある。自分の誘いも、そうやって断ることも出来たはずだった。蓮が本当に嫌がっているなら、あの場で逃げていたはずだった。もしくは素知らぬ顔で反対車線に逃げることもだ。それに泊まりの誘いは前からだ、今になって何故か蓮はそれを受け入れた。


 ――どうして


 自分に分かることと言ったら、図書館だろうか。彼は喫煙こそは行っていなかったが、シガレットを一つ歯で噛んで味わっていた。それが本来の楽しみでもないはずなのに。目の前にいるのが自分であることを差し置いて、彼はずっとそれを咥え続けていた。


 ――愛おしそうに


 愛おしそうに――? それは本当に愛おしいのか? あのタバコは父親の物として、父親を思い浮かべることに?


 ――蓮は三輪さんが好き?


 じゃあどうして、蓮はこんなことをしているのだろうか。三輪は、父親としてそれに答えてあげるべきではないだろうか。答えないから、蓮を放任する? だったら何故今になって父親が出てくるのだ。秘書との提携が取れていないから今更か? だとしたら叱責するのは無理矢理誘った自分ではないのか?


 止まない。止まない疑問のみが出て行って、蓮がいない。学校を休んでまで、彼は自分から逃げた買ったのか、それは普通の考えだろう。自分は誘った、あの場で強引に。


 ――ただ


 すべて自分のせいであるとするには、不足している。自分と同じ「おかしな家庭」の出身としての目線ではなく、もっと根本的なだ。何故彼は逃げないで泊まったのか、ただ何も言わず帰ったのか。


 もしかして、逃げたかった、のだろうか。父親から、父親のいない空間に行きたかったか。どうして、父親を愛しているから? それほどに苦しいほどに愛しているから?


 ――いや


 もしもだ。彼は父親を愛していないとしても、父親を愛さなければならない環境下にいたら?


「――ムカつく」


 彼はこの考えも共有しているのだろうか、口から出たそれはひどく低い。嫌悪感そのものだ。


 ――いや


 誰の意思が発言したか関係なく、胸が灼けるようにあつい。そして苦しい、その辛さから自然と吐き出してしまったかもしれない。同じ感情、というわけか。香になった時の記憶はないけれど、香も香で同じものを抱いたらしい。あの社交的でうるさいほうが、不機嫌さを露わにしている。


「……お前結構怖いな」


 それをクラスメイトの松川に見られた際、どう気分を変えるか分かりかねるほどに、混乱していた。

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