5
セヤは、後だ。
あの女性社員は強行突破の姿勢を取るが、ザクロは極端な行動は取ろうとしない。加えて、女性社員は魔法を一切知らないが、ザクロはその逆だ。それで命が助かるのなら、その方面を優先として殺生に及ばない。
そして、状況として女性社員は自分に対して守りを行ったのに対し、彼は来ていない。周りを囲む敵が一堂に襲ったか、待ち構えていたかだ。
実際、女性社員はセヤのいる方へ急かした。ならその時点で彼女らは異変を察し、彼らが一階の屋外にだけ包囲網を張るとは考え難い。
――じゃあ
セヤの危機のためにザクロは地下へ戻っている。場所はやや大型のスーパーからして、身を隠しながら攻撃するにも地下駐車場は最適だ。
■
異質だが、区内の大型スーパーにも関わらず人の気配がしないが、端々に紙切れが貼られている。ミミズ張りの赤字、それらを等間隔に貼り天井の要所要所にも同様の紙が覆われていた。詳しいことはよく分からないが、謎ではない。ザクロかセヤが前もって満遍なく貼られているとしたら、この奇妙な人気のなさには説明がつく。
――ただ
足音。それも複数人の、追う者達と追われる者。打ちっぱなしのコンクリートからはよく響いて、激烈を散らしている。刃、金物の音はまだ聞こえないが、仰々しい衝撃。これは、銃声ではない、この場ならボンネットを足で蹴り上げては飛び終える。呼吸は少し、床に這って張る。低く唸る男のものが際立った。
心なしか、土埃が香る。前面には整然と並べられた常用者があるはずだが、八方に聞こえる音のせいか猥雑に見える。それぞれ方向性が違う。セヤとザクロは確実に二手に分かれて対極の位置での事態に追われていた。
セヤは、あの三人の中で植物の攻略をしている唯一の人間だ。そして人間性の問題から、早く処理する問題事項として挙げられていることは間違いない。そして瀬谷自身が類似した能力を身につけても、根本的な能力の威力は衰えていない。直接の接触、小指一本どころか髪の毛の擦過でさえ戦闘不能に陥れる。それでは数を暴力的に増やして戦うのもありだろう。
仮に自分がこの能力の宿主であり敵の数が明確ならば、その十倍は感染させたい。効用があの限りでは、暴力的母体数の増勢はかなり容易いと考えられる。つまり極端な話なら、セヤとザクロそれぞれ50対50の分散で始末することさえ可能だ。セヤならまだしも、ザクロがその人数を相手にして捌けるとは考えられない。
物音が前方、荒い男の息の方だ。最奥の車の端から、黒髪の男が屈んでは駆ける姿が食み出す。入ってこれた闖入者には一切分からないまま、視線の先を追い、それを素早く避けようとした。
――違う
いや、違わない。これはザクロだ。彼は明らかに敵に対して苦戦を強いられている。まだ感染はしていない、避けることに全力を注いでいるせいなのだろう。では何か――勘だ、この場所は何かがおかしい、明らかにおかしい。さしたる異変もない風景の中で嗅覚が味わっている、何かを。
異変は、この空間の中にいる人間たちだけだ。皆魔法を使い、特に顔も見えない誰かは草を操ることを得意とした。その草は耐久性と生命力に優れている。成人男性の片腕を蔦の成長のみで肉と骨ごと飛沫に変える。あの暴虐だ。
まさかと一つ、天井に仰ぐ。嫌な予感をしてしまった、その力であるならば、草自体も怪力として動けるのではないかと。
――ああ
的中した。乗用車、1200kはゆうに超えるこれらが蔦に絡み合いぶら下がっている。
これらだ、人間が通る通路に沿って全て、車が天井に吊り下げられている。その奥、本来の蓋部に目をやっても、コンクリートの色すら見当たらない。暗闇か、空洞。真上にある駐車場の車を使っているらしい。
まさか、だ。人が入ると分かって一気に殺す気なのだろうか。自分の植え付けた味方諸共。その微かに揺れながら落ちようとする数十台を。
――大丈夫
いや、まだ勝機はある。ザクロをセヤ以外が守る方法が。
――
声が、した。
それは少年と少女のあわい、高くまだ星空を手に出来ると夢見る、おさなさ。夢物語の主人公になれると目を輝かせる可愛らしさ。それ、その声が、重く擡げて重く伸し掛かる。動かない。石として固められたか、発声すらも奪われる。
――
重く、体を鉛に、鈍く。周囲の音すらも曖昧にぼやけていく。鮮明なものは、場違いな童子の声だけ。それはどこに響いているかも分からない、耳朶か、頭か、胎か。ただどこも泥濘だ。
――
こんな馬鹿げた能力を使う人間は知っている。あの金髪の男しかいない、だとしたら、こんな精神に訴えかけるだけの、実質を伴わないものは。
――
ないはずの力が強く、押し込まれていく。深く、ただ僅かに動く機会を与えても、それは横這いのみに。死の通路から外されることしか許されない。喉、苦痛はない、だがはっきりと抑え込まれている。潰されて一つも出やしない。
――
木霊する。子供の声が、無邪気に。高らかに笑いながら、行動を否定していく。
――
これは、違うのだろうか。間違っているのは、自分だろうか。
『だから君の考える普通の生活もお仕事も出来ない、僕達はね、僕達のルールで守り合うの。だからそれが守られる限りは大丈夫』『君は見ているだけで良いの、迷惑かけちゃってごめんね』
思考すらも黙らせた。それを聞いていると勘違いしたのか、それは喜々として話している。嬉しそうに、上手く捕らえた蝶を両手で広げて見せるかの、純朴さで。
普通ではないと、言っていた。あの男は、普通の生活をしていないと言うのか。あの、記憶を失う前の自分よりも、気苦労の絶えなさそうな、世話好きの男が。
――手が温かい奴が
違う。
彼は最初から暖かい手はなかった、暖かいのは尻尾だ。自分に重ねられた手は、死人のように冷たかった。彼はそれを親切心で自分の体に当てて涼ませただけだった。
「……お前は誰だ」
もう遅い、けたたましい事を終えてやっと口が開く。
今までの叫びが腹の中の渦として消えかけて、煮えたぎっている。生臭さが、それを攪乱させようと、目まぐるしい。それでもひどく緩やかな口にはそう発するのが精一杯であった。自分は、喪失している。それを抱く前に、憎悪でも何かを持っていたくて。
瀬谷の声が、イドと重なって聞こえる。それがあの少年であり、化物の一つなのだと、嫌でも分かった。
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