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コードネーム【バレーナ】、年齢推定10代後半。
出自はイタリア南部、年少で暴力団組織に所属した構成員の一人。数年前に組織の資金運用に関わる掃除屋として来日した後、何らかの原因で親元を失う。住居は不明。だが、海洋生物に関して興味と知識を有することから、親元が失ったことで多少の転換が考えられる。伊系の暴力団が機能停止に追い込まれる抗争が勃発した事例は最新の出来事では数年前。簡易宿所を活動場所の一つとする
その場合、本人の嗜好と手配師との立ち会いを加味して彼が近い位置にいる場所を住居としている。無国籍児、密入国から出自国出自組織と関係の深い居住地に指定。その関係者から追われていないことで、フリーランスとして存在は黙認されている。
最近薬物による拷問を受けたのか、眼球の白目部分がやや黄色に変色。それ以外は異常なく、視覚で判別される限りの穿刺痕、粘膜皮膚異常はなし。性交経験は不明であるが、薬物接種と並びに「掃除屋とする上での
掃除屋としての機動力は水準値に達しているかそれ以上。記憶の復元は不可能と見ても、精神状態は極めて安定していることから即時での職場復帰は可能。これは記憶を失う前でも変わらない精神性を持っていた可能性が高い。なお、居住が固定されていることから関係者としての手配師は複数人と推察。彼らの意向によっては探し出す人間の存在を考慮しなければならない。
結論として、彼の記憶喪失及び職場放棄による影響はないことから無所属かつフリーランスの人間。しかし能力そのものはあるため、資材の確保として彼を捜索する違法事業斡旋者が捜索している。同時期に彼ちと同業者達数住人が行方をくらませている情報から、渉猟の激化を考慮。
いずれにせよ、一般人からの保護を長期化とすると、こちらにの危害が及ぶことが憂慮される。可及的速やかに身柄の受け渡しを推奨する。
以上が一般人の女性社員の推測だが、明察とするべきなのだろう。元あるべき場所に元通りにするのであって、社会支援か制裁を加えることはないらしい。
次に女性社員は『保身』、つまり『裏社会に入らない一般人』として振る舞うことを必要要素として選んだ。数日の音信不通であり本人が原因不明の記憶喪失ならば、受け渡した時点で不信を抱かれる。その為のものらしい。
「瀬谷君に土産でも買おっか」
「鶴坊は甘さ控えめがええねんよブリオッシュちゃん買おか、
「メロンパン」
「いいでえわかるでえ、俺とおそろな」
そして、今だ。
女性社員が知っている情報から、単身で返すには身の安全が保証出来ないと彼女が危惧した。それによりザクロとセヤを連れて四人体制での行動を計画した。場所は自分が住んでいると思われる労働者区域と下町付近。その二か所を円として重なった地点にあるショッピングモールに連れ出されていた。接点として人目のつく場所であり、男女がそこにいても不審がられない場所。
そして立ち往生しても良いように、一階のベーカリーに赴いた。セヤは、いない。女性社員曰く「顔が良いから一般人として人目に付く」ことから地下駐車場へ待機されている。何を言っているのかはよく分からないが、女性社員の言う言葉にザクロは深く頷いていた。よく分からないが、セヤは顔が良いらしい。アレでも。
セヤがいないせいか、ザクロが自分によく話しかけている。あれがいいかなどと、これも美味しそうやねと、意味もない偽物の口調をつらつらと並べる。自分には食にも菓子にも興味はない。ただ目の前にメロンパンがあって時間稼ぎに買えと言われたからそれを欲しただけ。それは自分の本質ゆえんと似ている、興味がないものには徹底しているのだろう。それでも常連客として笑みを絶やさなかったザクロがいる。
何も知らない人間に向かって、会話を続けている。セヤは甘い物が苦手らしい。食物は栄養さえ取れれば良いと考える人種、尖った味や香りは苦手らしい。コーヒーの苦み以上に耐え切れない弱っちい男だからそれに勝って、かといってくどくない物が良いらしい。
結局は自分の作る料理を美味いと言うが、選んだ既製品も食べてくれるらしい。そう、らしい。ザクロはセヤが好きなのらしい。本人はセヤを可愛くないだのお子様だのと言っていたが、最終的には好き。そう思われたさだけは伝わった。
セヤが何を好きか、何を食べるかの雑話は、奢られたメロンパンを頬張っては消える。そして濃厚なホットココアで流し込んだら改竄されてしまう。
「……セヤ、これ好きそう」
「くぁくぁおの焙煎はええんけど甘いなあ、鶴坊コーヒーもチョコもブラックなん」
間違えても、忘れてしまっても彼は咎めない。それどころか、彼の話を他人がしてくれることに嬉しいか、それを注視して話をよく付け加ええる。朝食もそうだが、元来人と話すことを好む性格だ。
セヤとは同じく相容れないとしても、付き合いにくくはない。ただその評価の無難さをも、彼は不満を抱かないかもしれない。ありがとうなあ、でもなあ、俺はコロちゃんの思てる以上にええ男なんよ。そう言う男なのだろうと、少なからず理解はしていた。
他愛ない会話をしながら、女性社員とザクロで併設されたカフェスペースにいる。
はち切れん程に実った小麦を焼いて、その上に粉砂糖をまぶした甘さ。それを深く浸かろうとするコーヒー、歯切れの良い食事の音、カントリーの彩色。全ては朝食のバケット風味の心地よさの中にいた。
異物感、というのも白いパン生地の中に閉じ込められたドライフルーツ程度に押しとどめて。丁度ザクロが自腹を切ってテーブルに置いたフルーツのブリオッシュほど、無難に混じっていた。
「こんにちは」
ふと、来客がテーブルの横に。
背丈は年齢相応に中ほどの男性がこちらを見ていた。他の血筋を伺わせる顔立ちもなく、見た目は老いても30か、妥当では20。服装はスラックスではなくラフかつ整ったモノトーン。彼もパンとコーヒーをトレイの中に入れては、桜色の爪を見せた。
端正、美しいほどではないが白黒を引き締めて佇むか、清潔さが見られて汚さはない。悪くはないが、通りすがった際には通りすがりとして終わってしまう。無駄な感情を残さない印象だ。
――無駄がない
というよりも、あえて個性を排除したと言うべきか。印象に残さないための、無難なスタイルと言うべきか。邪の気配はないが、うっすら男は自分に目を合わせる。初対面としての笑みはそのままだが、自分に対してが女性社員やザクロよりも長い。
「どうも」
「ご兄弟、とかですか?」
「あっちが私の友達で、この子は友達の友達と言うか、良ければ席どうぞ」
「ありがとうございます」
女性社員もそれは感じ取っていたか、椅子に置いた荷物を自分の膝上に避けて誘う。突然現れた男に対して、興奮を見せず一期一会とした細やかさで談笑に連れる。その上で軽い身の上話をすれど、かと言ってスキを見せず推測もされない。当たり障りのない、無害で退屈なやり取りだ。
――目は
男性は度々こちらを見ているが、女性社員は我先にと話しかける。セヤは顔が良い男らしいが女性があの態度なら、演出か。
「あの、どうかされましたか?」
彼を捕まえ、そして数秒に数回、自分に集中を反らすことで彼女は定める。定めて、彼に尋ねている。ここまで殺す消すなどの仄暗い話は一切ない。類似とするなら食べちゃう、それだけの甘さで隠して。
「……お別れかあ」
机の下、丁度手を置いていた自分の上にまた尻尾が被せられる。体制として、公然の場としておかしいが、ザクロの尾は確か着脱可能だったことを覚えていた。確か、金髪の男から手放されて治療された時か。
惜しんだ、声をしている。普通ならそうするのだろうが、彼はこの場でもその情があるらしい。
――寂しそうな
いや、それは自惚れだろうか。短い間だが、とかく彼は人好きのする性格をしていた。良い意味では世話焼き、悪い意味ではお人好し。そして多分、致命的に優しすぎる。
「知り合いに似ていたもので……すみません他人、ですよね」
「あの、実は……」
彼はお喋りが好きでも、この会話に参加できない。それが彼自身を物語っていたと見えて仕方がなかった。
■
この事件は、不幸と奇跡の重なり合いらしい。
ある女性社員は、不幸にもごみ捨て場に捨てられていた少年を拾った。不幸にも、その少年は記憶がなく、不幸にも異国の言葉が話しやすく、不幸にも女性社員は外国語を会得していなかった。そして状況が状況なので不幸にも誰にも話せず、同僚にどうしようかと相談していた。
その最中に奇跡的に男性は現れた。
彼は奇跡的に不幸な出来事に苛む女性社員に話しかけた。奇跡的にも彼は少年の言葉が分かり、そして奇跡的にイタリア語が堪能だった。そんでもって奇跡的に彼は海外留学生を援助するNPO法人の責任者らしく、どうやら奇跡的にも行方不明知れずだった利用者の一人が少年らしい。
かくして不幸で始まり、奇跡で終わった留学生失踪事件は一般人の間で幕を下ろした。
そう処理された。勝手に、そうなった。
「……お前は無事か」
店から出た矢先、ザクロ達が窓際で食事を再開したことを確認してから男性は口調を借りる。
元々、彼が本性をすぐにでも出せる為の証明にあのパン屋が選ばれたらしい。何も動く気配はなく、それを安堵として捉えた男は自分を一瞥する。
――外敵は
気配、という抽象的なものならある程度確認は出来るが、殺意はない。女性社員の言う情報には、自分と同じように失踪した掃除屋は多いと聞く。その警戒から手配師が依頼者として、残存した同業者を配置させるだけか。迂闊なことをしなければ、害を加えられることはない。
「記憶はないんだけど」
「覚えても困るものしかない……あの一般人といたのはお前だけ?」
案の定か、女性社員の心配通りに手配師は彼らに対して注視する。
――行方不明
彼女は何処でそれを得たかはさておき――と言うか知りたくはない、朝にコーヒーを飲みながら知る程度の気軽さからだろう――自分はその中でも見つかった少人数者として数えられているらしい。それよりも、この手配師にとっては「ただ一人」か。連日起きた行方不明事件についての手掛かりが見つかるとなると、そこに目を向けるのも無理はない。
「調べても良いよ」
仕方なく、メモを渡した。事前に行く前に女性社員が記したもの、女性の住所の一つらしい。丁度彼女はタンニャンの送迎とホームステイのホストを担っている。それを利用して
小手先だが、自分は普通の人間である以上、普通である証明をしなければならない。それが刃物は何に使うか程度で区別されて許されるなら、多少の侵入は目を瞑って無視する。それが彼女の考えだが、女性社員はセヤの理解者ではなく知り合いだ。つまり、同類。明らかに一方的に呼び出されたのに対してやけ寛容なのだが、慣れているのだろう。すぐにプライバシーより現実的な保身を重視した。個としての尊重も、あの男とにてあまりない気もする。
彼はそれを受け取り、彼女の部屋は程よく侵入され、それで外部への影響は終わる。その計画だった。
「ああ、助かる……」
外は無風だ、雲一点もない快晴の下で、上機嫌そうに手配師は紙切れを受け取る。
その下。いやに不自然に、男の袖下から何かが動いた。動いた、いや、それは腕ではない。何かがうごいている。
蠢いている、かたちを、細い蔦状に変えて袖の上に波打った。強く、跡を浮き立たせる。意思を持って、影を深くして。
――これは
まずいと、直ぐに後ろへ退いて懐を探った。そこに一つ、あの女性社員が自分に投げた小石が指に当たる。それを振り被り、顔面に投げる。モーションは小さく、指程度の、同業にしか分からないものだが気配は動かない。固まっている。異質、安全ゆえの違和感が自我を強烈におかしている。何かがおかしい、何かが、青空の下で。命中された顔を手で覆う彼に、彼の何かが。
「どうした?」
それは傷の中で血の代わりに蔦を這うことで語り、さも日常に生きる人としては男が騙る。そんな違和感、そして明らかな危険だった。
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