5

 要は、結界の結界が砕かれるだけだ。硝子細工を砕いた小気味良さを除いて、後は無味としたものに戻る。一生の一秒とするには、記憶に刻まれない森奥。

 黒から白へと、肢体の縛りが失われていく。数秒の虚脱だが、呼吸に異常はない。怒り、平静の消失はない。冷静に、冷静に呼吸をしながら、立っている。血腥さを除いて、穏やかさに欠ける仲介屋を一瞥した。彼の顔は見えない。振り向いてはいなかったらしく、何故か少し落胆した。


「……君もう帰ってよ、答えは後で聞くから」

「なあ」

「何」

「待っている、どうせまだ生きているだろうしよ、ここに、ここで」


 名を呼ばず、しかし己のみを。

 ノエルでも、平坂でもない。しかしワンと言う気もないらしい。それはもう、名前のない誰かへの一言なら、価値のない呼び止めに過ぎない。そのようなことを言い出すような男ではない。ないと思っていた。


 風が、吹いている。青風。異世界にも季節の訪れをもたらす兆しがあるらしい、萌えを得た草木たちが、束の間の風に大きく揺らぐ。強い風だ、これから起こる猛暑を遠まわしに知らせる便りが、髪をも靡かせていく。見目茶髪へと元に戻した格好には、もう誰をと喩えられることも投影されることはないのだろう。


 ――自分には


 ワンとは、ただ一つだけなのだ。影というものすらない、ただ生き生きした死体だけが生命の活動をしている。この世界が夏の便りを運んでも、受け取る人間はもういないように、自分を待つものはとうにいないのだ。

 いや、自分が消してしまったか。過去の自分では自分すらも守れなかったのだから、死んでしまった。その過去を掘り返しても弱さだけしかないと決まっている。忘れては、ならないのだ。仲介屋を助けたのはヒラサカでもノエルエティでもない、自分だと。


 ――なあ


 それは僕に向かって言っているのだろうか? それともまだ過去の人間に縋っているためだろうか? 縋られたそれに応えたところで――君は元のままでいてくれるだろうか。自分を見てくれるだろうか。


 自分を裏切らないで、前で呼んでくれるのだろうか。偽者ではなくて、本当の人間同士として。


「じゃあね」


 返答はしないまま、腹部を強く殴りつける。横隔膜への殴打、その機能を麻痺することで男としてのやや肉のいい体が崩れ落ちる。わずかに、肉の熱を感じた。結界なんかでは到底感じようもない厚さ。皮膚の下に臓腑、そして血があるのだ。彼には。自分と同じように、似た臓器と体を持つのだ。それがいやに近くて、そして遠い。


「……馬鹿なやつ」


 それでも救いは、ある時点まで彼の表情を見なかったことのみか。最後まで、顔を見ることは出来なかった。


 ■


「……50%以上は鶴の許可が必要だが、彼は今行動不能に陥っている」

「道端の雑草でも食べたのかな」

「だからエージに承認権を渡した」


 茶化しに部長が諌めないということは、本当のことらしい。義手、説明するにもどこもかしこも割愛する必要のある、所謂「すごいなにか」。それは瀬谷の過去の集大成と聞く。その運用となれば当事者の末裔としても気になるが故の「承認権」であり、実質フリーパスにでも近い。

 松山もまた瀬谷と似た好奇心を持っているかは分かりかねるが、本来ワンは「いちゃいけない人間」だ。その点から情報の確認として報告する義務があるだろう。

 またも停止されている中、仲介屋をを担ぎ上げていた部長は、三輪春彦の出で立ちだった。その詳細は語られず、案の定松山と共に北条家に伺ったと恬然と報せられた。北条家の処理と同時に、不全者である銀を当主として置くことでの事実上の機能停止の協力らしい。更にも言わず、彼は推測を容易に出来るほど神に対する信仰の薄さからその行動は有り得る。


「どうせ予想通りだけど、やることはやるよ」


 予想通り、神体そのものは目の前で大部分破壊されたのだが、これはあくまで庭三の仕事。機関を呼ぶとするなら「北条家への適切な後処理」ほどか。三輪と松山のTとしての人間が向かったのなら、首都からの指令が下った所以も考えられる。


 ――じゃアイツ化物か


 別段簡単な推理で嬉しくはないが、フィットは心地がいい。神を神としてみる三輪型の人間にしては手口が清清しく早い。神体を壊す前提での行動に加えて、機関を相手にすることは同等の価値を持っていることに準ずる。協会としてのプライドが彼には全くない。これが推測しやすくしている。

 三輪型が、こういった状況に陥ったのなら不全者を当主に据えるよりも先に養子縁組を確保する。そもそも不全者を公然と生かしているケースすら少ない。その選択もなく迷いがないのなら、その不全者自体にも何らかの理由がある。

 いや、むしろその人間に理由があるとしか思えない。そうならば、彼の三輪ならざる振る舞いも子金を迎えた寛大さも納得がいく。


 ――ああでも


 それ故に、彼らは齟齬か軋轢を犯している。子金は機関に対しての一定以上の恨みを抱いている。そのせいか一果との情報交換に障壁が起こっている可能性を考慮すると、子金にとって一果は裏切り者として見なしている場合がある。

 そして最悪、その激情が表に出ることで互いに余波と危害を加えている……ということは最悪の話だ。あくまで最悪であって……


 ――最悪だな


 最悪じゃなければ、このタイミングでジャンヌだの針山にされることはない。これは、独断の行動によるものだ。ここには自分含めて燃えるゴミか粗大ゴミしかいないらしい。例外の庭三と仲介屋はその餌食になりやすいが、彼らはその害意のみを受け取るを否が応でも受け取るのだろう。


 ――嫌だな


 それは、ワンとしての行動理念に反する。それだけは何としてでも阻止をする。そのために身を呈してあらゆるものを壊した。ジャンヌの秘密そのものに触れる職務はあるが、これは責務だ。これだけは、殺してでも全うしなければならない。


 ――いや


 殺すことさえない、過去に縋った死人には血はない。壊す、何としてでも、清清しい綺麗事のみを呼吸して生きているゾンビが、もう何も抱かなくなるまで。


「……君の秘密は、君自らが言うと私は『結論している』、ただ予想よりも早かったな」

「どのツラして言ってんだか」


 望まない形で、彼に自分を知られてしまったが後悔はしていない。それでもなお、自分に憎まれ口を叩くかと部長を見遣った。


 金髪碧眼のせいねんが、自分をじっとみてこちらを笑っていた。

 齢を20前後に留めて、長い金の髪を一つに括って束ねている。声を出さなければ性別が検討もつかない、華奢な肢体と顔つき。長い睫に縁取られている翠の瞳は濃い。そして奥に青みががった光を寄せて、じいっと。碧眼、それは若葉よりも、樹木も鉱物も似ない。ただいつまでも太陽に愛され続けるいろ、誰かに求められるいろ。そのはずのものと誇示し続けている、眼差しだった。


「せいぜい僕を越えて見給えよ――僕の子も、私も、彼も、そう望んでいる」


 180cm、金髪碧眼。部長にあの白人男性の姿を強いたのは自分だ。その気配は、その風格は、かつての一族と同じ姿をもっているのだから。


「……悪趣味だね、お前は」


 顰めつつも目に焼き付いて、そして時間は解かれた。


【お知らせ】

 物語の筋道として次は瀬谷ルートに入りますが、以前の瀬谷ルートや佐藤イブルートにて「佐藤が瀬谷の見舞いをするかどうか」って話があったかと思います。ただあれ人間関係として明らかにおかしいのでなかったことにします(瀬谷ならあほなのでやりそうだけど部長が真っ先に止めそうなので)。

 ということで昼編の瀬谷は「見舞いに来てくれる佐藤を襲った上で調査する」から「佐藤が怪しいけどがんばって調査する」みたいな方針に基づいての執筆となります。粗は多々ありますがご了承ください。問題のシーンを消しつつ修正しだいこのお知らせも削除いたします。

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