4
義肢は黒く、纏っては飾られる。黒だから、豪奢な死なのだろう、虚ろな生なのだろう。詩的にケバついた色素はスペアの肢体により這い回って飾る。
特に、烈とした感慨はない。ただ色濃く染まって、倫理と冒涜のあわいに立たたったなまじの足らが装飾されている。それは寡婦の喪服にも、駿馬の蹄にも見紛うだけの、黒い手足そのものだった。
一刻一刻、頬に触れる時の揺れから仲介屋の腕から離れて、外へ飛び出していく。早い。彼の背後へ旋回しても、走るという行動を思いつくが前にすぐだ。行動する前に、プランを立てるのみで即座に反映される。暴走、無意識の自意識剥奪を感ぜない。ただこの速さに慣れていない自分、それだけがいる。
玩味。吟味をする、この獣のような、人間のようなこれを。出力の40%解放とはいえ、実際には最大出力を黒が抑制として縛り付けている現状にある。つまりいつでも、だ。自分の意志さえあれば、また部長と掛け合って彼が提案する自分の力出す余裕は存分にある。その意思表示にあるのだろう。
必要となるは戦力差が歴然としているのみだ。つまりは今はまだ、自分が推測出来る範囲なら、ここで使うまでもない。
息を整えて、跳躍。飛び交う矢にはベクトルそのものは強いが、単一の力か始点からの方向性はそう変わらない。時間停止から解除してカンマ15、修正の気配は未だに、いや、変更はない。外見的変化がもっとも憂慮すべきものだと考えるが、それを些末と判断を下したらしい。眼前の射出、軌道補正を施さない一矢が頬を掠める。
――触るな
矢を霞みに、霧へと。霧散した凶刃を弾く。彼らは還元された。音など、衝撃もない。材質としての変形も許されない。許すことはない。何故なら許さないのだから。許されてはならないものだから、目の前で丁重に砕き続ける。
じっくりしっとり、手で払う。重みという概念を感じるが前に、矢は元の魔力へと分解しようか、黒い霧に変われば掌でそれを裂き続ける。それは見目奇異なものらしい、五本ほど捌けば流石に見えざる狩人も手を変えた。今度は異なった位置に始点を。
視界から右斜め六十七度、丁度自分ではなく仲介屋にむけての矢じり。魔力の突出は確認できる。これ以外にも真後ろ、ぴたり仲介屋の臓腑と目と鼻の先にある箇所へと矢が蠢いて這う。見えてはいないが、そのくらいの見当と座標はついている。
――いや
視界にあるだけでも五十七本に増えた、どの角度でも刺衝に支障なき様に出づる。もう、矢と言う形態は失われて鉄の刃のみがまばらに構える。だがディティールは多少あるらしいか、鉄が鏡に、反射して小さく自分を歪ませる。真後ろには、蹲って顔を確認できない仲介屋。
そして自分の姿は、金の髪をもつ青年に変わっていた。髪型、質感は変わらない。ただ、勝手に供えられた金の髪だ。ふと、後ろ足を沈ませて姿勢を整えると端に髪が。これもまた変わらぬ、整然とした金の髪をしている。先ほど部長とは青い瞳を基点として迎えた。だがこれは、だとするとこれは
――どいつもこいつも
悪趣味。これに尽きる。
40%の出力。急事としてついそんな中途半端な数値を口にしたが、出来る限界としては収束と拡散か。高度かつ精密は難しいにせよ、それが出来るのなら勝手は出来る。釈するに、ここまで二人に対して殺意を向けた上での戦闘を仕込んでいるらしい。そうなると結界はまた、二人の為だけのものに分断して閉じ込めている。
その方が彼にとっては効率が良いからだ。ここは本来、ジャンヌのために展開されたものを第三者が補強している。広大な村を舞台にしてただ閉じ込めたままだと、そのジャンヌに露見するか魔力自体散漫として扱い難い。
そう、小さな箱の中に閉じ込められている。その三方を針山に押し潰されかけているのも現状。しかし現実は、その箱が脆弱であるのだ。
「悪いけど、僕は今機嫌が悪い」
前方に向かう。歩いて、矢の動向、方向性を捉う。狂いはない、だが常もないそれらは自分が進むたびに照準を異にする。どいつもこいつも、目が合う。鈍いひかり、艶めきながら自分へと、目に、脳天に。
「――ノエル」
その三文字を聞き逃すことはなかった。
はっきりと、自分に向けられていることが分かる。後ろを振り向いて、彼は自分にそう言っているのだと、嫌でも。だが仲介屋の声が妙に重い。重い、のだろうか、軽くはないのだが聞いただけで軋む。心かは、脳かは定かではないが。
ノエルエティは、こんな綺麗な髪色をしていたらしい。つまり彼はこれを見てそう呼んだという訳だ。太陽よりも控えめで、穏やかな蜂蜜。甘やかなこの色に思いを馳せている。
「違うよ」
無粋にも、後方の奥に定めた矢が揺らぐ。指の腹から感じる、発射せんと擲つ素振りをいなした。いいや、制した、それか、壊したか、砕いたか。砂糖菓子どうしが割れる、砕いた音を鳴らした。そこに血の生臭さはない。自分は邪魔をされて憤って、いるらしい。
――ノエル
その名は、冬だ。凍てつく季節の名前だというのに、聞いただけで自分は眠ることさえできない。夏の日にはそれがどんなに涼やかか、春にはどんなに惜しいか、秋に聞けばどんなに焦がれるか。羨望を抱き続ける名前だ。
「幼馴染でしょ、知ってる。そういうの調べちゃったしね」
仕事仲間が稀代の天才と深い関係を持っていた、という情報を比良坂悠は過去に掴んだ。どこからかというのは割愛するが、たった一人に命名として呼ばせ四肢のない男を介護した本人がこの男だ。幼馴染、という言葉で集約は出来るがそれは決して浅くはない。
――でもその名を
彼は憶えていた。ずっとだ、突き詰めて発見した時点よりも先の今までに、屍の男に対して彼は忘れていない。ビジネスライクを貫き通しているはずのあの男がだ。滑稽に、もう二度と呼ばれない名前をしまっている。良い年した男が、さも純朴な少年として。
「ノエル」
そして、こうだ。懲りもなく呼び続ける、返らないと知っていながら、目の前の似ている人間に対してこれだ。相当に、こんなことをされるだけで精神が摩耗されてしまっているのだろう。それよりも次の言葉をも言わず、彼はただその名前を唱え続けている。自分には縋らない。何度も答えている、比良坂として答えているのに。
「君は馬鹿だなあ、違うでしょ。どう見ても」
仲介屋という、無力な自分を助けているのは死人ではない。今ここにいるヒラサカだと言うのに。
「……面白いこと教えてあげるよ、ノエルエティは生きてるけど壊れちゃったんだ」
だからと、親切心で付け加える。この状態だと最も近しい人間にも関わらず、適切な情報を得られていない。それだと、彼が可哀想だ。いつまでたってもよく分からない幻想にしがみつくことになる。
放射、許可もなく出しゃばる前方からの部外者を薙ぐ。支障なく、塵に霧散する。黒い靄とだけで、美などない。いつかは忘れてしまう無象でしかない。
「どっかの意地悪な悪魔に唆されて。男なのに孕まされて。それでおかしくなっちゃったんだって」
天才。それは肉薄した相手にはただの人間として見られることはあるらしいが、それが仲介屋にもそうかは分からない。それでも敬愛されていたのだとしたら、それを抱き続けていたのなら、それは呪いだ。誰からも理解されず、彼もノエルを理解することなく死んでいく。
それは不幸だと、ノエルエティは何度も怨嗟を零した。それは何度も味わっている。味わい尽くして、こっちにも染められて、骨髄に至るまで。じゅくじゅく、血を通わせながら、こうして今まで生きて立っている。それがヒラサカユウだ。
「その子供はどうした」
「知らないよ、僕でさえ分からなかったんだもん。捨てたんじゃないの?」
――違う
それは嘘だ。本当はこれも全て知っている。ノエルが産み落とした子供はどうなったか、比良坂は知っている。知っているからあんな無様な姿になったのだ。知らなければ、こうはならなかった。誰も傷付かなかった、比良坂が仲介屋に、ノエルエティに興味を持たなければ。
――ああ
彼の顔を、想像してしまう。後ろを振り向くと、彼はどんな声で、どんな顔で居亡い幼馴染を呼ぶか。それがすぐにでも分かって、だからこそ確認は出来ない。
「つまり、ノエルエティは死んだと差し支えない」
それよりもだと、振り返らない。駆ける、飛び掛からんとする矢を目掛けて、足が、土臭さを飛沫き、飛ばして。起点として、結界の壁であろう最奥に向かって。
「――だから
殴り、壊した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます