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 部長と松山が求めているのはジャンヌそのものではない。ある成果を得る為の口実として、ジャンヌがたまたま渦中にいただけのことだ。この可愛らしい人間は、物体だ。彼女には省みる過去が用意すらされていなければ、改められる未来がない。

 ないのだから、自分の世界の中で停滞を延々と享受し続ける。ずっと。それを彼らが求めているのだろうか。それを彼らの任務の必要要素として足り得るか。


 ――じゃないよね


 この世界は外界に閉ざされている以上、現実には起こり得ていない。証拠にならないのだから自分はあえて「最悪の状態エビデンス」まで引き伸ばさなくてはならない。眼前にいる塊がたとえ誰かの無垢アドバンスでも、無邪気な悲願イノセンスでも。

 当事者として、息を整えて、この楽園を彼岸に戻す必要がある。手の下には細首だ。すぐに自分でさえも手折れる、無防備なその頸をあのムシドリの如く自分がへし折る。彼女の違いは、誰も褒めてくれないのみか。


「なかよしだねえ」

「お姉ちゃん!」


 後方から桜子の声が。頬を掴まれたジャンヌは表情を変えて、自分の手から離れて彼女に駆け寄る。インセンス、後ろからの桜子の香りが漂う。深夜にこの世界が創られてしまった直前は、別行動の都夜子と交渉していた。その前の、適度な入浴と和室に沁みた線香のあわい。その素朴さを匂わせて、寝間着だったグレイの浴衣をたゆらせていた。


 王冠が一つ。ジャンヌが抱き着く桜子がそれを手にしている。なんの凝った細工もない。蔦同士を円形に絡み合わせ、そのまま赤い木の実をアクセントにちりばめただけ。白詰草とよく似た、小さな白蓮たちを可愛らしく添えて、朝陽がうっすらと昼の色味を持たせる。そんなささやかさが目を惹くか、ジャンヌはすぐに手にする王冠へと目を遣る。それよりも赤く派手なタイを、桜子の胸元に深く沈ませて。


「ジャンヌちゃんにきっと似合うって思って」


 膝をついて、目線を合わせる。そこで力を抜いた笑みからは、慈しみを零す。黒い虹彩、細く滲んだ。どこにでもある目の色は、陽よりも生を帯びている。帯びながら、零しながら、王冠をジャンヌの上に乗せた。


 にあう? うん、とっても可愛い。 とってもとっても可愛い? お姫様みたいに可愛い。しってる、ジャンヌね、ふらんすってくにのおひめさまからつけたんだって。じゃあジャンヌちゃんは本物だね、だっていつも明るくて元気だから皆も元気もらっちゃうから。じゃんぬもそういう人だってしってる!


 他愛ない、終わりの見えない応酬を続ける。

 続け、繰り返しながら、乗せていただけの王冠をジャンヌは手で深く被せていた。そこには都合よく、あの生き物はなくなっている。だがそれを惜しまない。なにも憶えがないと、桜子から貰ったそれを手にした。

 嬉しげな子供を前に、桜子は肩に手を置いて何かを囁く。桜子を好いているはずの少女のリアクション、異変はなく興味津々に小さく頷いて傾聴する。


「えっとね、綺麗なお花は、こっちで」


 途端に、目の色を変えて、様々な方向に指さし始める。指が人差し指では足りない、そう言いたげにあちこちへと差す。単純だが文脈と流れとしては、王冠を綺麗なものにするか、自分のオリジナルが作れるか。目的は明確でなくともやりたいことは鮮明に分かる。


「ほら、ユウくんたちには?」


 そうやって、桜子の呼びかけに単純に反応した。ジャンヌはしまったと、口を手に当てて自分がいることを気にする。そわそわ、体を揺らしてユウを伺う。ついてこないでくれ、これは二人だけの秘密だと。それが今の子供心を引き付ける要因たるものか。

 つと、桜子が自分へと目線を合わせて頷く。すぐ後ろの木陰からは、仲介屋の姿が見える。彼は確か、ジャンヌの初対面時に髭が生えているからと嫌われていた。


 桜子は暗に一時的に任せてくれ、と言っているだろう。ジャンヌと交流して間違いなく疎遠されるは仲介屋だとしたら、固まって行動するより分散して守る方が得策。特にジャンヌの知性が限りなくゼロから動かない。その場合は、ジャンヌを守るより囮として時間を稼ぐべきだと言うことか。


 ■


 桜子はジャンヌに任せて、仲介屋とは森を抜けた先にある村、本来の始点に戻ろうとしていた。


 手に伝わる子供の感触、快音が広がっている。子供が大人と切り離して親密に遊ぶには適した森中の草原。葉擦れはひそひそとささやいて天へ天へと伸ばす。

 空が、青く広い。だが天文すらもない。蒼穹、それは稚拙なキャンバスだ。青色だけを塗りたくって、必死に擦り切れるまで塗りつくした青い天井のみしか描かれていない。どこにでも続く、深さだけをかくしたベールで覆って、村が鳴る時鐘を小さく千切らす。ここには時間はないと、この世界はそう謳っている。歌ではない。終わりがない様にフレーズを使いまわす詩。

 そのうただけが蔓延している。この自然の中で生かされて育ち、そして固められてしまった結果、と捉えるべきか。


 歩きながら、今までの経緯を仲介屋に説明していく。部長との連絡手段という機関的禁則はあえて省いて、ほぼ全ての手の内は明かした。ユメと子金とが二人きりになった喫茶店では、自分は核をどうしたか、あの代理当主の一果は。

 などとつぶさに語るが、仲介屋は静聴を貫いていた。聞いていない、という難癖は入れない性分らしい。


「……その、上質なお前さんらの核を持ってる子金から、あのチビに移し替えたらこうなったか?」

「加えて、外部の力は有り得そうだね」

「核がチビの願望をつくる土台で……この細かいところは誰かってところか」


 傍に聳え立っていた樹木を手の甲で叩き始める。木の、特になにもない静まった殴打は、木霊とかき消されていく。

 今までのことを反芻するまでもなく、すかさず彼は問うた。当然だが、仲介屋もこの状況には惚けてはいない。「外部の力」と曖昧にしても、深く聞こうとしなかったのは薄々気付いているのだろうか。


 ――外部


 この点は確定し難い要素が浮遊している。が、自分の知見なりに辿ると、異世界の中でも限定された土地とは考えられる。ジャンヌという単語から、あの少女の元の家柄、生い立ち、そして関係する国は検討がつく。予想のみの組み立てなら、この世界は9割方背景は説明は出来る。


 ――ただ


 世界といっても、箱庭だ。何も変えられない箱の中に放り込まれている。それに旨味を見出すのは、機関であって


「……俺は顧客がどこに行ったかの手掛かりだけで良いけど」


 彼は、違う。仲介屋は別の目的でここにいる。それを自分は忘れてならない。


「やり方を変えたと」

「ああ、そのためだけにいる人間にお前さんは甘すぎる」


 婉曲だ、迂遠だ。それが、その軽すぎる言葉が、直接心臓を締めにかかっている。どんな葉よりも厚く、重い。


「分かってるよ……この件で君が得たい情報はない」


 彼の得たい物はまだ手にしていない。仲介屋は元は「行方不明になった顧客」を探す為に庭三に協力している。そうであって、神体破壊の協力をもしているとは考えがたい。


「……ワンとして僕を使いたいわけだ」


 今となって手掛かりが掴めないなら、再起出来る素材がほしい。いわば目の前の繊弱な男を人質にして機関を使いたい、これが仲介屋の考える合理的な判断だろう。人間を対象とする庭三と仲介屋と比べると、相対的にこういった状況には強いのが自分。それなのに自分がこの状況を打破できていないのが、現状だ。それなら仲介屋もまたワンを「利用できる使える人間」として見ていることは、想像に難くない。


 ――言えばいいのだけど


 どうしてか、なぜか言いたくない。いやどうしてもなぜすらもない、往生際が悪い。言うことさえできない。こんな風にまでなってしまったと言うのに、まだだ。自分がそう言ったところで彼は頷いてしまう。その些細な肯定が、嫌なのかもしれない。嫌、だろう。


 ――空が


 青い、久しぶりに青い。窓越しじゃない、風も汗を感じる、外の世界にいて自分はここに立っている。その特別が、浅はかに求めている。ここにいたい、というジャンヌの同意ではない。


 ――ただ


 留まりたい、停まりたい。それは知っている、忘れているわけじゃない。忘れるはずがない、裏切られた人間の痛みを。もう一度人間として味わってしまうのが、怖いのだ。

 要は画面越しのビジネスライクに血が通ってしまった、らしい。彼はワンを裏切って人質にすることを自認する。それだけだ、それだけでこうも嫌気がさすものか。


 不意に、空から矢が。後方から確認出来る。

 空間の歪みは義手によって認知出来る。その機能が鋭敏に働くくらいは、ここは魔力で満たされているから予測を持って制する。矢とは視認していないが、歪んで、融けて、雫に、棒へと変えた。これも、その一例に過ぎない。

 肯定を促す代わりに、盾にと腕を矢に合わせる。突如としているが状況は理解できる。これこそジャンヌ以外の外部からの力であり、攻撃。仲介屋はそれをも目的として見ていいだろう。


 見ている、はずだ。


「……それもいいが、ならお前さんは生きて帰るしかない」


 血が広がった。

 それは永遠の昼を飾るだけの、単純な黄昏にも見える。この世界には似つかわしくない、だが原料に他ならない字通りの血肉。それが、後ろにいた仲介屋の腕を染めていた。

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