【ヒラサカユウ/遭難、ハンサム過ぎて】1
翅脈。うすくしろく、透き通った翅は、奥の叙景をゆるく暈しては歪ませる。センシティブに、静かに。虫はそっと昼と陽だまりを閉じ込めては、肺腑と連動して翅を動かす。あるいは、それは鳥かもしれない。全長は50あるかないか、透る膜につつまれて、腹と名指せる体部は白濁している。目と言えるだろう頭頂部の球体、そして真下の嘴を震わせた。
グァと、嘶く。翅ではなく喉を鳴らすらしい、この虫は。だが見目は弱者の為の色彩らしい、この鳥は。
――ああ
きっとそれだろう。陽照る桃色の髪は血肉の一片としても足る。間違っても、彼女の髪色は子宮の慈愛とは考えてはならないのだ。自分はその髪色と同じ肉を持った子達を、殺めてしまっている訳なのだから。
つと、彼女の両手が虫の首をすばやく捕らえる。遅く鳥は、足を宙にばたつかせては、翅が不自然に擦れてやけに甲高い音を生む。それも彼女は知っているのか、手首を使い細く捕らえられた首をへし折った。その知恵は、多少無いと思われた脳にはあったらしい。或いは少女から綯いだものか、一時的に亡いだけだったかは検討は掴めないのだが。
「ユウくん! 見て!」
ユウくん、と呼ばれている。高い声と、子供としての相応の自己顕示欲。瞳に反射する茶髪碧眼の男にそう呼ぶのだからこれは本心に見てくれ、と言っている。その茶髪碧眼の男は、悪くない見た目だろうがそれが同年代にはよく思われていない。そのフィルターが取っ払われている限り精神年齢はそう高くないのだろう。ただ優しい口調の男だから興味を持たれている。それだけか。
「見てたよ、ジャンヌちゃんおっきいの捕まえてすごいねえ」
「うん!いっぱい捕まえてるからなれてるの!」
息を絶やした獣をこちらに見せる。造形は現実世界のものとほど遠く、ほぼほぼ透明か薄気味悪さはない。だが、嘴の端から妙な粘液と、塩酸と硫酸と混交臭が臭う。それが、イカれた芸術品ではなくて逝かれた死体として出張されるのだが害意はない。褒めてほしいと言わんばかりに、モノを眼前に出される。
数時間、こうして彼女は同じような振る舞いを続けている。ジャンヌ、丁度朝焼けより前の刻に出てきた少女は自分をそうやって称していた。
そうして、昼しかないこの世界に三人引きずり込まれて今に至る。緊急事態として一度部長には報告したのだが、慎重に事を進める方針で彼の干渉は今はない。虚偽はない、彼女は先日自分が破壊した肉の中で突然産まれて、こうして生きてしまった。この風景には巻き込まれた庭三桜子と仲介屋二人には心当たりがない。
――慣れている、ね
ジャンヌ自身はこの世界を自分が創ったという意識はないように思える。だが、捕獲方法を昔から知っていた、というのなら記憶の採掘だ。生を受けたのが先日の自分のアクション、からではなくて何らかの理由であの中に眠らされていた。
――いや
それは安直だ。彼女が自分自身の状況を理解できていないとしたら、結界を創るという考えにもまず至らない。ある平和な時に何者かによって眠らされ、閉じ込められ、息を吹き返した。その順序だけだと自分の世界はどこにあるか、をまず疑問視するのが普通だ。彼女の場合、それをなくして一方的に創り上げた。
そして彼女の記憶に依存してこの世界を創っている。だが彼女には創造の意志はない、意識もない。当たり前のようにそこに自分は暮らしていたのだと、ただそうやって振る舞うのみ。しかし違和は、指の腹でよく分かるのだ。出来心で、指先でセンスを手繰りながら空と掻くと程よくも硬い反発が捕らえられる。
何も見えないのだが、彼女の卵殼がそれだった。これが彼女一帯を取り囲む魔法、月並みな表現では結界だ。しかし困難ではない。瀬谷のにくが接続されている以上、殴り付ければいとも簡単に壊すことは出来る。
ただ今は、彼女の幻想は常識の上での描画ではない。しかして、穏やかではあるのだから今は放って置いている。
だからそっと、両手をジャンヌの両頬に触れる。今の指の使いみちは、手遊びはそれに相応しい。
子供らしい、やわらかくてふくよかで、それでいてぽったり落ちそうな頬。ほっぺた、と言われる幼いそれは皮の下からゆったりのぬるさが伝う。体温は平常、らしい。不意にそれを持ち上げられて、不思議そうにこちらを見るのだから、感性も普通だ。
――問題はないね
普通に問題はない、彼女という個体については。部長の報告は必要としない。
必要なことはあれで全てなのだと結論は出来る。彼女は、あの化物未満の物から這い出た。その物は異世界の物である可能性が高い。その物を注視していた北条子金、北条一果は同じ異世界人の可能性すらある。ただそれだけ、環境はそれだけなのだ。
「なあに?」
「……うん、えらい、とっても」
頬を寄せて弾力を確かめる。掌中にあるのはただの爆弾、いつかは壊すべき廃棄物の廃棄物だと、手で憶える。
それだけでジャンヌは自分の敵になりうると認識するに足りる。彼女は意志もなく過去を創りだした。それは死にぞこないがやることだと、死人としての勘が刺激さていたからだ。
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