5

 ヨウとの交渉にSは意外にも快諾して、用意していたかアタッシュケースに散らばった札束を詰め込ませた。三千万、その大金を、その約数千枚を乱雑に掻き込んでは中に放る。不遜だが、これが彼らの金銭感覚なのだろう。

 集め終えた直後は率先して門まで送り、ヒヨはヨウからの治療をすると良いと勧めた。露骨だがSはそれに障る気すら見せない。Yが良ければ選べと、上司としての気概かそう言った呟きは見せた。


「打ち合わせをしたレストランの砂糖瓶にこんなものが」


 その、帰り道。渡り廊下でヨウ達が見ていないことを確認すると、彼は振り向き様自分に目を合わせる。窓ガラスから入る日光、そこに差す金の髪は、綺麗だがややくどい。それに乗せた少し甘怠い低音が向く。

 ビジネスバックから一つ、小袋を取り出された。それはSの掌には簡単に収まる程度の小袋、そしてその中に白い粉末が詰められている。細かな粉が、手で軽く振られるとそのまま小さく舞う。変色した様子もない。至って、純白だ。


 ――だが


 かなり痛いところを突かれている。というよりも、彼らはもうエダを定めていると差し支えない。内部事情を知るものとして、オランダ料理店で待ち合わせをすることは兼ねてから知っている。だから松山がどの席に座っても都合の良いように細工を施していた。それは他人に向けて施していた。どんな人間がどの席に座り、どんな料理を頼んでいいように、松山を足止めできる伏兵として仕込ませた。

 そして店内のシュガーポットや調味料としてあの粉を丸ごと挿げ替えた。体内と結合するために耐熱性が脆弱なのがあの薬の弱点だ。もしも彼が薬を無効化する物、ホットコーヒーを頼んだならポットにも砂糖を入れさせる必要がある。


「グラニュー糖、ですかね」

「普通の喫茶店ならそうだろうが、オランダの砂糖は砂糖黍ではなくて甜菜から作られる……ベルジョワーズというが、色は最初からキャラメルのように甘い褐色だ」


 それは、盲点だ。松山がそれを既知としているなら、白い砂糖瓶は使おうとしない。警戒はするだろう。


 ――だが


 慣習から外れた異変から合わせようとしないのは、あくまでも本能的な危機感によるもの。彼が耐熱性のなさから幸運にもホットコーヒーを頼み、そしてバレーナを奇跡的に混乱させた。そのようなことが偶然としてつながるか。

 いいや、それは有り得ない。バレーナの攻撃は多少の怪我はすれど殺傷には程遠い、そこから彼は自ら加害になるまで力を加えた。

 自分がそれに混乱して制御不能には陥ったとはいえ、バレーナの刃にも事前にあの薬を塗布していた。あの個体事態は不全者の能力は必要とせず自生する自律を持ち合わせているからだ。それを自分が操作する程には精神が立ち直ったのは数十分ほど。本来なら、そこで操作してから松山の手を破壊する覚悟さえしていた。


 ――ただ


 立ち直った時には松山の体部から薬物が感知されることがなかった。松山のダメージは左中指、第一関節の切断、そこの傷口から芽は発生できる。それなのに本人の捕捉すら出来ずに不発に終わってしまったのだ。 癒合にしろ縫合にしろ、指を治療する段階なら彼はそこで感染をする段取りにあった。

 それがなかった。考えられることは治療可能時間である十時間を超えてもなお、彼は指の治療を施していない。


 ――それどころか


 反応さえなければ、数十分以内に第二関節以上の体部を切断したことが考えられる。いいや、それ以外有り得ない。そうでなければこの力が熱に焼かれる以外の不活はないのだ。

 だから彼らはその瓶だけですべてを察したとは思えない。むしろだ、過去に導き出した結論の為に論拠となりえそうな要素をいやらしく探している。推理すら必要がない、答えを答えとするために粗を揃えている。

 返答を、考えあぐねて、黙って袋を見つめる。それが妥当か悪手かは判然しないが、今度は二枚の写真をSから差しだされる。鞄の中から、焼いた毒の香りがする。インテリジェントには程遠い、気化されたタール。それをまとった二枚の顕微鏡写真はどうも不釣り合いだった。


「右が本来の砂糖、左が今回の物の拡大した物。この不揃いさは人間が人為的に削った物とも考えられる……これに最も近い物は?」


 静かに首を横に振る。


「コカインだ。一般的な製法はガソリンを入れたベースを結晶ソーダに混ぜて結晶化させてから削る……そのまま入っているのではない、ただ類する物が入っている可能性がある」

「……何が言いたいんです?」

「気をつけろ、と言う他ないな。私達はしてやられてしまったのだから」


 そうして静かに写真と袋を鞄にしまう。してやられた。本来は佐藤イブに対しての忠告なのだろうか。ヨウ・イルディアドは慈善事業であれ、限定的な企業の社会的責任CSRであれ、周囲と影響を与え合うものに変わりはないと。その魔の手は楽園であるここにも忍び寄ってくると。サポーターとしての世話焼きをもって、そう言った忠告なのだろう。


 ――だが


 それをイブとして答えるわけにはいかない。イブでは守れないのだ、イブ・リストハーンも、佐藤イブも守りたいものはどうせ守れない。

 ならばどうするか、それは決まっている。自分は手の内を明かされても貫き通すしかない。麻薬の原理を掴まれても、それを懇切説明されても、対峙し続ける。


「……いるんですよね、子供」

「とても可愛い子達がな」

「手駒がこれ以上減りたくないなら、もう少し自分の心配をしたら良いんじゃないんですか?」


 これは、布告だ。ヒヨがこの団体に属しているのは何よりも耐え難いが、彼の話では年少の子供も働いている。彼は好意的にまるで親子のようと形容したが、本質的にはそうではない。そう定めたい。

 彼らを駒として扱う以上は、たとえ何人犠牲になろうが追いつめてみせる。Sは現在安楽椅子に安住しているのだ。それは瀬谷鶴亀、松山映士、笠井蓮、そしてヒヨの四人で構成させる。彼らさえ除けば、彼を近づく手立ては出来る。


 ――笠井蓮は


 彼は、その毒牙に掛けられた被害者だが、やむを得ない。あの状況下、Sの下で働いているなら後継者としての育成先が彼だろう。だとしたら、それをいわゆる伏兵とする彼にも手を出さなければ――


「……誤解しているようだが、私が駒だ」


 意想外。

 彼から笑みが消えて、いや失っている。それどころかない。なにも、仮面を剥がし落ちた、という喩えそのものに顔からの表情が亡い。

 異質だった。それは、単なる美しい金髪と青目の人間が、人間の形がそこにいた。彼はそこで立っている、自分を見ている、自分に向けて語りかけている。その動作を支障なく人間に向けている。ただそれだけの当たり前と違和感を編む。だから綾となるのだろう、綾と言うほどに何かが隔絶としている。彼は自分を、人間を見ているはずだ、目を合わせてさえいる。深い青色の瞳は、もう溺れ飽きれたほどに。その美はもはや見慣れてしまった整った形程にしか自分は感じていない、そのはずだった。


 だが、目を離してはならないと、そう直感はしている。今が、今だけは彼を捉えている絶好と絶望の表裏だ。彼の言葉を無視してはならない、それすらも彼の目を逸らす一つの所作とされる。目を逸らしたらどうなるか、それは分からない。ただ瞳の中の海から逃げられるものではない。もっと深く凍てついた何かだ。氷よりも鋭く、海より深く、空よりも喉を締め付ける。埒外の苦痛。


 ――駒だって?


 だから、だが反芻するのだが、そう自称する理由が分からない。自分が機関という人間の集団に置いていることへの嘆き。それだけではないというのなら、何を示しているのだろうか。まさかあの笠井蓮が駒ではなくて笠井蓮の駒がSとでも言うのだろうか?


「何を冗談を」

「君は私と同じ目線で立っている、そして君は私の上から見下ろしてさえいない。そのことを忘れるな」


 それは有り得ない、そんなことは絶対にない。彼らは純真無垢なヒヨさえも利用している。だとすれば罪のない年少の子供には何をするかなんて明白だ。非人道、そもそも人外の彼にはその道を渡る必要はない。あるいは人道をガーデニングする餌としか見出さない。傲岸に渡り、他の道を妬み憤怒に踏み荒らす。そして果実を恣に欲し、色欲に濡らして熟れた果実を食らいつく。その更地の上で懶惰に眠る、その人間のはずだ。それが敵だと、自分はそう考えていた。


「――そして覚えておくといい。君の兄を殺したのは、私だ」


 だから、そう。これが正解であってほしい。

 すぐににこやかな顔に戻り、人でないことを口にする。それが化物であると、自分に相応しい化物なのだと、言ってほしかった。

 でなければ、自分は彼よりも醜くなってしまうのだから。

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