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「……ボスは?」


 ふと、気付いた。ヒヨの目には映るべきであろう恋患いの姿が見えないまま、だが明らかに違う男を見ていた。スーツ姿男性。黒髪の中肉中背、平々凡々の類似点は性別のみの男のみに視線を注いでいる。ヒヨの瞳からヨウが映り込むこともない。じっと、男の方だけ見つめては頬を白いままにする。

 ヨウはいないが、見知らぬ男はいる。なら、単純に彼が来客であってヨウはその応対をしていたらしい。次いで、男はこちらに向えば彼の瞳孔の激しさを捉えた。

 振り向けば二つ眼が、優しい眼差しだけをしながらこちらを見据えている。双眸、肉と心臓の反転色をしたそれと目が合ったが、逸らさずに合わす。威嚇とも言えない、警戒としても未満だが、より深く瞳を覗く。底は、見えない。光の反射で燦としているが、それすらも届かない海底、閨房の風味。顔は若く見える三十代半ばの、人好きの風体をする黒髪の男からそう見えたが、所詮風体だ。も行ける口なのだと、男が履くテストーニの革靴が代弁している。靴は、当たり前に血塗られてはいなかった。


「三輪と申します、松山と彼の上司で、首都の人間と言えば宜しいでしょうか。松山がここに来る予定でしたが、一身上の都合で止むを得ず私の方からお伺いに参りました」

「勝手にここに来ます?」

「ご心配には及びません。三輪春彦は玄関先で待っていました。ずっとね」


 舌を打ってしまいたくなる。辺り近所にいる人間の人格はとても期待出来るものではないが、利益を嗅ぎ取れば殊更悪い。欲しいものはもう目の前にあるから、Tから押し退けて来てやった。接待したヨウについての話題を一切振らなかった行動が、そう要約している。口にこそ出して言わない、言わなければ良いと思っている人種だ。だからこそ余計に嫌味たらしく見えてしまう。


 三輪は平凡な容姿だが、特徴的な瞳を頼りにしても初対面に思える。『機関』の『首都』。Tを表向き庇護下に置き監視する親元。国内の機関の中でも屈指の精鋭を揃えた支局だが、それ故機密性の高いものしか扱わない集団だ。

 異世界にて死亡扱いされている「エダ」を一々探すのは考え難い。ならばつまり、別の要素で彼が興味を示していることになる。


 だが、興味を引くであろう植物園を物色しない。彼の立場であるなら、松山達から隠されていたヨウの植物園を不思議に思い、そして手を出す。しかし妙なことにずっと、佐藤イブの方に目線を合わせて離さなかった。

 佐藤イブしか、三輪は見ていない。


 ――まさか


 三輪の言葉通りなら、松山の隠し事は首都に伝わっていることになる。松山が怪我を負った、だが証拠が分からないと首都が身を乗り出すのは想像に難くない。


 ――違う、アレは


 あの時松山をそこまで重傷にさせるつもりはなかった。何もあの場で乱闘するのが目的ではないが、松山はいつかヨウを明るみに出す。その懸念から取引そのものを中止させようと考えていた。立地条件も、周囲の監視下に置きやすいものなら店内を変えた。周囲の人間を操ることが出来ると威嚇する為だ――なのに、バレーナが逃げて捕まったことで破綻した。

 だが激しく詰問するわけもなく、三輪は懐から一つ木の実一つを取り出す。

 いや、それは茘枝ライチだ。白い指先で、赤黒い厚みのある皮を弄び始める。


「先程瀬谷という部下の見舞いに来ていたのですよ。エスから聞いたですが、なにせ酷くて」

「エス?」

「Tの一人で、ここだけの話我々の秘密兵器です……部下が片腕失ったらしくって。ぼん! と」


 ぼんと、拍子に玩んだ茘枝の皮が捲れる。真珠より脆く、人肌よりもうぶな純白を見せるが、表面からの果汁は止めどない。淀みない雫、あるいは生き血。それが三輪の手を濡らす前に口の中に放り込んだ。

 長い咀嚼。それは猶予に見せかけて舌なめずりにも見える。三輪は、色白に似合わず口内が毒々しいほどに赤い。人はその中にいる、あるいは食われるものとして外にいる。そう物語っていた。


「曰く、植物からの攻撃に見舞われたらしいですよ……実はですね、松山も指の切断をされてしまって」


 避けきれなかった指先の蜜を舐めとる。舌はひどく赤い。血よりも生きている、生きるために奪うことも長けていると云う舌が中で弄る。じっと、視線をイブからヒヨに移す。舐め回す眼球は嫌に生々しく動く。逃さないとも、喉を併せて無音で囁いた。

 首都としては、下請けに怪我人が連続して出ていたのだ。本来Tは厄介払の肥溜め、しかし厄介払故にどうしても捨てられない集団。彼らの異変を、それも何も言わなければ奇異に感じることは有り得る。そして何故か関係のない場にヒヨがいることもまた、興味を引かせる一因になる。


 どちらだろうか。どちらでここまで辿り着いてしまったのか。愛すべき部下を失った哀悼か、ヨウの秘め事の解答か。どちらにせよ三輪が首都の人間ならどちらも同質に避けたい。


 ――だけど


 諦めが胸を締め付けてくる。彼は、ここまで勝手に出歩いてしまった。普通はここまで辿り着かない。常識すらも外す確信がなければ、ここにはいまい。


「……それはそうとだ。Y、腕を見せて」


 終わったと、確信した。

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