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テレパスとして波を発信していながらも、悠々とシュウは注文した寿司を手に取る。
電子板から到着を知らせるアラームが鳴るが、画面がサーモンの赤身で埋まる中、手持ち無沙汰に四方を見回した。
ピークとは外れたチェーンストアのテーブル席最奥の一角。入店以降に来店した客はゼロ。自分達以前に来店して未精算の客は、流し目程度にはカウンター席3人のまま。周囲を見渡すことは出来ない。目の前にシュウ、そのすぐ後ろには壁として顧客スペースが仕切られている。つまりは後方の窓越し、もしくは異世界人としての本能で危険を察しているのだろう。索敵については自分が得ているのは極々少ない。
彼は確かに「首都のおっさん」と言っていた。本来の機関にはあまり関わりないが、殆どは協会の出か、裏で政界だの裏社会だのなんだの支えた者達だ。身元不明の性奴隷、高校生のアルバイトが普通にいる「腫瘍」がおかしい。主要たる面子は本来は地位や名声や評価を得ている。つまり魔法名家の人間ならそれなりに目立つ魔力であるから、シュウが見誤ることはない。
『このおっさんは年齢は1.5瀬谷、能力は0.25瀬谷、善良さは3億瀬谷だな』
軽く叩ける口があるくらいには余裕らしい。1.5瀬谷の年齢、首都の面々は平均年齢が高いから絞り込みにくい。0.25瀬谷の能力、そもそも瀬谷が命を知らないから実力を測れない。3億瀬谷の、いや、何故人は生きているかを考えるに等しいほどに馬鹿馬鹿しい。おっさん、魔力汚染の影響で色素が変わっている中年男性と考えよう。
まだマイペースに食べるシュウだが、頬張る毎に人間味が増している。薄っぽい肌に、ほんの少し血管の朱色が浮かぶ。炙りチーズガーリックサーモン。変わり種ではあるがサーモンゆえか、笑顔で咀嚼しながらレーン上に掲げた電子板を弄くり回そうとする。溜めた息をついて、自分の箸で残り一貫を摘みシュウの口元に運ぶ。きょとんと、しばらく呆気に取られた顔で自分を見たが、どうもと礼をして口にした。
こうしている内は変に平和なのだが、シュウには面白くない出来事ではある。怠惰国の回し者なら、まだ暴食と強欲の関係が比較的強い機関と鉢合わせることは避けたいだろう。そのためのT、それ故にTだけしか会話が出来ないのも無理はない。「部長」を通して話をするなら、首都にも知られないように行動するべきだ。
――だったら
彼が外に出て動き回る自体が迂闊な行為ではないだろう
『あまり急かすな、勝手に動かれると困るな』。
いつの間にか、口元に遣っていた指を軽く舐めとっていた。舌先からの指紋、その段差は自分は人間だ。たった一人の人間でしかないが、この行動がたった一人によるものではない。もう一人、影から「何か」が回路を圧迫する。
誰か、それは明確に分かっている。枷だ、影だ、彼だ。自由に身体は動くが、勝手に脳の一部が動き回っている、そんな奇妙な感覚だ。苛まれる、そのような支配感はない。ただ彼は中に居座っている。
第三者、部長の電波を受け取ったか、それまで食事に傾倒しまくっていたシュウの顔が変わる。目は最も分かりやすく見開いたが、口角が少し下がった。明らかに待ち構えている、先方のこれから来るであろう叱咤を構わないとでも言いたげに。
『本人じゃなくて子供一人よこすのは感心しないね』
『私も君の王の意向と同じく分裂している、了承してくれ』
『分裂じゃない分解だ』
脳派、イヤーワームともとれる形のない声だが、シュウから不機嫌さは伝わる。分裂と分散、言葉遊びには聞こえるが怠惰の不定形なら例えとしては異なるのだろう。分裂と分散を比較するなら、分裂は本体そのもの、分解は別個体に向けてか。どちらも怠惰の状況なら知られたら危ういのだが、辛うじて侵入出来るとしたら分解か。露見を想定するとなると、「分裂」より「分解」の方がまだ他人に転嫁できる他動的意味合いを残している。
――彼は
彼の口調は軽薄だ、だがそれで主君への忠誠の尺度とは比例しない。この言動からすると、彼は部長の代わりに男子高校生を差し向けたことに不満を持っている。次に彼は王の意向の解釈に訂正を促す。首都に嗅ぎ回られるリスクは承知しているらしく、これは意図的なもの。部長を呼ぶために自らリスクを高めようとした、ということだろうか。
となると、彼は少々荒っぽい手は使うが、王に対する敬意は最低限あるらしい。
会話から察するに、シュウは国の遣いとして見合った待遇をしていないと不満を抱いている。だがシュウが冷遇される否かよりは、王の話に対してまともに聞こうとしない不敬として解釈した。他方面での人格要素が阻害しているのだが、諸刃の剣である忠義を利用されないのなら納得が行く。
『手短に本題に入るけど、共同開発地区はイデアの実験場なのは認めよう』
『単一の種族のみで構成された集団的行動、そこからイデアを用いた催眠魔法辺りは可能だ、だが何故リストハーン村の蜂起が起こった?』
回想。すっかり二人とのやり取りが行われてしまったが、盗み聞いている自分でも把握は出来る。便宜上、イデアと称された無形の共同体を使った魔法の開発を暴食は行っている。ここでの話なら秘密も何もないが、応用して意識そのものを絶やす目的で使われると考えやすい。
シュウの大分に含みのある発言から、暴食の介入ならば思想の統一、削除、収斂はこなせられる。人間のみで構成されるなら、イデアを形成する課題である「意識」を探るのも易い。
だとしたら、共同開発地区の人間は常に催眠をかけやすい状態にある。反乱を起きにくくする催眠をすれば良く、暴食からしたら反乱は煩わしい。彼らはまずその対策を取るはずだろう。
『村の付近は鉱物資源、核になれるらしいし暴食が狙っているから魔法の強化は考えられる……が、問題はその周辺だ、その近くで取れる薬草が鉱物の成分と混じっててさ、魔法的な成分凝縮されてる。村民がほぼ全員回収されるまでは希釈もされてなかった』
奇想。
希釈されていない、ということは薬草をそのまま使ったらしい。鉱物資源の安定した供給を根差すなら、暴食は一層イデアを活動する方針を固める。それなのに彼らは解除して蜂起をしてしまったのなら、イデアが効かない理由がある。一番簡単な理由として、人体改造に近い形での投薬。イデアの対象外になる独自のコミュニティの成形がある。村だけでは、地区で統計が既に採れてしまっている。だとしたらイデアで代わりが効かないもの、限定されたもの。
――テレパスだ
テレパスを使えるなら、脳同士での共同体をつくることは可能ではないだろうか。本命の鉱物から流れたものが付近の植物に反応して、同様のものを得る。彼らはそれを摂取したことによって、恒常的にイデアとは別のやり取りが可能になった。それがシュウがホテルにて指していた「兵士」なら、頷ける。
――ただ
彼のジョークか定かではないが、薬草を「シャブ」と悪意を以て例えた。なら兵隊そのものも状態として健全ではない。それを統率させるのが、普通に考えてエダだろう。
『草は?』
『むしってから焼き落とした、結構それまで毟られたようだけど、エダが採ったものとして間違いない』
聞き間違い、だろうか。
それとも日本語特有の言葉の文だろうか。
――今
苦して、懸想。嫌な予想が過る。
むしって焼き落としたと、彼は克明に言った。むしられて焼き落とされたという観測ではない。むしって、焼き落とした、彼は実行に移したと言っている。回収された、処理はされていないのなら人体に移された村民も謎のまま。彼らは何も分からずに巻き込まれていたなら、薬草はエダか身内のみ知る話になる。シュウがその身内の一人であり、証拠の隠滅の為に一役買った。それは有り得る、ただそれだけではシュウは動かない。
ホテルでの独白、そして今の話から彼は身分を偽って開発地区に潜んでいたと考えられる。彼はエダ相手にさえ一切身分を明かしていない。それならエダもシュウを村民としてしか見ない、薬草を教えるわけがないのだろう。
そしてシュウの立場なら、別段薬草の隠蔽を重要視している訳ではない。
『エダは、現時点で反乱の指導者だ。彼が今死ぬのはありえないが、あの薬を異世界にばらまいても意味はない、人間にしか大きな効力しか持たない』
シュウの立場なら、薬草の隠蔽を利用して逃げた彼を炙り出す。エダの凶悪性を側で見ているのなら、失敗した村を後にしてそのまま彼が終わるわけがない。幾つか名前を変えても、彼は怠惰国の一員の内の大罪人として背負い続けている。元は正義感での半目ならその重圧は消えることはない、発散するまではどこかに蓄積する。それに「ある一定の犠牲で多くの救済」という考えが乗算されていると考えられる。だとしたら、薬草の研究すらも未完成だと事に及ぶかもしれない。
――代替物は
薬草、とくれば薬、そして一般人が容易に手に入るのなら脱法した何かだ。まだどのくらいの脅威かは定かではないが、「危ない薬」というラベルを張られたら厄介だ。中毒性を利用すれば、被検体が逃げることはない。
及川、どうしてか及川の顔が浮かんだ。彼はいつも目の前で笑っている。笑顔の彼しか頭に浮かばないが、不安を感ぜるには十分だった。及川はそんなことはしない、一度底にいた人間がもう一度落ちようだなんて思わない。
――だけど
だが日常の中の歪みに彼が落ちない保証はない。自分は非日常から遠ざけるのは出来るが、それは出来ない。歪みの暴力は理不尽に振るわれる、彼がいつそれに曝されるかは分からない。分かりたくない、本当は理解したくもない。
『君も……ばら撒いたのか?』
だが分かった以上、後ろを振り返ることはできない。そのための意志が動いた。エダが実験として薬物をバラまいているなら、自分も対抗して挑発に同じ物を配るのかと。
これは自分の意思と感情が乗った伝達だ。格好ついた、鼻についた淫魔の糸はない。幻聴から、彼の訂正が聞こえない。同じことを考えていたらしい、もしくは丁度いいと自分に聞かせる為にか。
――どっちでもいい
良くはない。身振りが正常、乖離と思わせるくらいに心腑の音が早い。苦しい。まだ及川を重点に囮に使うとまで言われていないが、だがそうなった時はそうなるのだ。彼の価値が更新されてしまう。彼の口角が上がるような、細やかな誰かの幸せとして処理されていく。
『エダが引っかかってくれるなら安い』
自分はそれに、誰かの一員として見殺しにしなければならない。安い買い物だと、一緒に安心して殴らずに握手することのみだ。自分で及川を守ることなど、嫌だ、その想像はしたくない。
まだ、見目には不可思議な異変は起こらない。動揺はしているが、多少のものですぐに鎮静させられるものらしい。呼吸をし直す必要もない、口内は乾かずにまだ酢飯の酸味が舌に残っている。
それは、良い事ではある。自分が子供ではない優越だ。自分が表に出さなければシュウは及川を特に利用することもない。
『……このくらいにしよう、そろそろ首都が来るけど次はそっちが苦労してくれ』
苦労、シュウがそれに見合ったことをしていたのかさておき、彼はまたいつもの顔に戻った。シュウは、あくまでも国側の人間として働くのだろう。例え国の民を守ろうとした者でも、国の為なら彼は動く。国の名を飾るは英雄、名を汚すは罪人、それだけで彼は動いている。目は、口は柔らかいが奥が見えない。肉色の唇、ネタの脂で光った表面が、余計に不気味を煽っていた。
『蓮君の魔力こじ開けられるでしょ、それで一度くらいカモフラかましてくれ、■■■■■■なんだろうし』
何を言っているのだろうか、分からない。ピンポイントに一箇所だけ塗り潰されて、鮮明に聞き取れない。噛み砕こうにも、文字として書き起こしも出来ない、ただ自分の何かが利用されているのは分かる。
――魔力?
そんなもの自分が使った記憶もない。魔力を使って魔法も使わせてもらったことがない。必要がないと、そっちが閉じ込めていたのに、教えていなかったのに。また都合の良いように使われている。
『もう一度ああ教えてくれ分かった許可しよう』
『せいぜい食われないように』
止まらない。止まろうにも、良いように使う者共が押さえていた。ここには化物しかいない、自分は何者にも守られていない、食い潰されて利用あるのみ。
空は、見えなかった。
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