4


 まあ、いい。

 嘘と隠し事は似て非なるものだ。信頼という光によって拓けた道を閉ざすのはめくらだが少し目隠しをするだけが手暗てくら。嘘は、目的については彼の裏切りはない。度が過ぎたことをとは叱りはしたいが、自分がそういった人種である説明は今まであえてしなかった。彼にとって蛇足だろうし、本当に子金には関係はなかったのだ。


「少しお時間よろしいですか?」

「どうぞ」

「つまりだ子金、私がこの地方の伝説の鬼で……お前には本当にその力があるんだ」 

「何故もっと早くに」

「混乱するから黙っておこうと思ったんだ。数百年間、私は北条家に関わった。伝説の通り私は生きるために人を殺した、食い続けた……だからいつかそれを終わらせようと、人間に化けて生活していたんだ、驚いたろう?」

「俺が聞きたいのはそれじゃない」

「イセカイジンかな? あとでゆっくり話したいけど、実は私はここの世界の住人じゃないんだ、どこか遠くの世界で住まいに追われて逃げてしまった人間……でも人殺しには変わりない」


 イセカイジン、異世界人。今は北条子金は哀れな一般人としての役割なら、唐突なファンタジーに混乱しているとしよう。彼自体はどういった設定で動いているかは計れないが、彼が機関を頼る線は薄い。

 この男は機関に頼る理由はなく、自分との協力で目的は遂行できる。北条一果は実は化物だった、だなんて情報は子金には必要はないだろう。


 ――確かに


 神体を破壊する、という点では自分は彼女と関連性はある。史実として、原初伝来する鬼の正体は自分。そして一部何とか切り離して、理性の大部分を人間に寄生させたのが北条一果だ。

 だが依代を人間の肉体としているぐらいには、本来の神体は醜いままで残されている。構造的にはほぼ変わらず、あのアバズレが再構築しただけ。それなら魂のみのような自分が言う意味はないのだ。彼はただアレを破壊する為だけにいるのなら。


「違う」

「分かってる、君がショックを受けるだろうと……けれど彼女も君も愛している。たった一日、北条の呪いから幸運にも逃れて、彼女に出会ったことを忘れない。私はそこで人をどうやって殺すかじゃなくて、守るかを知ったんだ」

「俺も?」

「銀はお嫁さんだから当たり前だろう?」


 松山を抱き留めたまま振り返る銀、そして嫁と口にした瞬間笑みを浮かべる銀が愛おしい。花が咲く、なんて言葉が似合うが、散るなら花弁ごと攫って標本にしたい無二の純真。機関と北条一果との協力は、すべてこの愛子の為にある。

 三輪や松山の前で向けた言葉は所詮台上のことば。人間としての幸福を願った化物と化物を憎む半妖の子の寸劇。三輪が傍で涙を浮かべるような、ちょっとした感動物語でしかない。茶番だ、この茶番を作るために自叙をしたためる程には、北条とやらの矜持はない。


 だがその劇の中に、銀への思慕は織り込まれている。よく分かる、食い潰されて四散した五感にも、過去は四季折々と色を付けて脳を愛撫してくれる。銀しか見えない、銀しか嗅ぎ取れない、実に白金に清らかな日々を送っていた。その真意を隠すであれ、愛への情は恥ずかしながら漏れいでてしまった自覚はある。

 伝説の通り、ホウジョウイチカは人を食っては殺し続けた。だが人を愛した。面映いが、これだけは変えられまい。その情愛は一応側近にいたはずの子金には分かるはずだ。


 ――ややこしいが


 ややこしいのは自分の責任しかないが、どう考えても彼が動揺する点が見つからない。

 彼と共有している情報は「北条子金と北条一果は神体の破壊を目的とする」「北条子金は神体と繋がっている」「子金と関係する何かと神体を北条了花が独断で結合させた」「北条一果は彼らが異世界人であることを容認する、銀にとっては無害だから」である。

 その内新たに追加されたのが「北条一果は元は神様だったが、比較的まともな精神を人間の方へ分割。本体は北条了花の介入で最早別のものになった」「北条一果は異世界人で三輪型を偽り続けた」のみだ。


 ――もしかして


 涙ぐむ三輪の前で上演を、子金に向けて言付けをと親子同士で抱き合う。精神状態は、子金は銀ではないから分かりかねるが、少なくとも驚愕はある。心臓の高鳴りは、早い。かなり精神的な急所を突いてしまったらしい。なら、考えられるものとしてひとつ。


「子金、あれはもう思考を持たない。壊れたって仕方ない化物だ」


 一果が異世界人かつ神体として提供してしまった。その設定から彼は「了花が結合させた何かが人格として目覚める」ことを不安視しているのではないか。人格として蘇ったから、殺すことに躊躇いを持っているのではないか。


 ――それは有り得ない


 了花の失踪の後は自分が儀式を執り行い、適当に子供を放ってやったら普通に全滅した。一体は神体の機構一部を寄生されたが人の皮を被った程度、脳を弄り回して相応の知能で騙せるだけのものだ。庭三の女達はそれを「ユメ」と言っていたが、お世辞にも人間として生きているとは言い難い。

 肉体が再利用された、とでも言うべきだ。彼女達も、あくまでも余興の要素として化物を名付けて一時的に遊んでやっている。人間になっているとは考えられない。

 だが考えられるべきは、「ユメ」という化物の擬態に心を打たれてしまった。そして混乱しているのだろうか。それは、子金は優しい男とは評価しているがやめてほしい。その辺りは境界を超えるなと、舞台裏で叱るとしよう。


「……何故、機関に話を通したんだ」


 意想外だ。

 どこからともなく、子金ではない彼自身の言葉として、弾丸を突き付けられた心地だ。彼の、怒りが感じる。抱擁は柔い、だが次第に力が篭もる。それは父への渇仰かつごうではない、滔々とした水が熱を込め、湧き立てる。

 機関に話を通した、彼はまだその点に執着している。彼は分かっているだろう、自分が協会にある忠誠は何もないということを。だがそこまで正直に話す潔癖でないと、彼は厭うのか?


 ――それは良いが


 それをする余裕は自分たちにはない。この世界にまで逃げるまでに落魄おちぶれてしまったと、学習しないのだろうか? 呆れではなく、疑問に近い。

 ホウジョウイチカは、異世界人としては弱種だからここまで逃げてしまった。だからどんな目的であれ、彼もまた自分と同じく逃亡者に変わりない。それにこれは嘘ではなく隠し事だ。死を偽って目を背けるような人間に、曝け出すつもりは毛頭ない。


 ――子金君は


 子金は、逃げた中でも割かし多めに話してくれたが、子金こそ神体の正体を話してもそのドラマは語らない。嘘もつけないのだろうが、それでも彼は一つや二つは汚れている。自分も彼もドブネズミだ。だが子金はうんと若く、汚れそのものを知らないフリをする爽やかな溝鼠。この期に及んで、曇り一点のない青空に希望を持っている。


「大人の事情ってやつだよ」

「どうしてそこまで」

お前達の為だ」


 オマエタチノタメの嘘八百が透けて見えるほどには分かるだろう。自分はその為だけに、手を汚し続けてきた。

 子金の顔がまたも歪む。明らかに、嫌悪の表情を示して自分へと向かずに銀の方へ歩んだ。松山からの手を無理矢理剥がし、空いて空を掻く手を手首ごと捕まえて――


 ――どういうことだ


 何が起こっているか、分からなかった。

 唇が、今まで丁寧に自分のもので満たしていたはずの銀の口が、覆われている。桃色の、肉のような、醜悪な何かで覆われて、銀は呼吸ができずに苦しんでいる。束の間に離して、細い唾線。空気を欲しがるはずの銀を、彼がねだる舌を奪い取っては絡ませる。じゅぷじゅぷと、その肉の痴態は赤い。


「……イチカ?」


 たがう。

 惚けて、息切れたか紅潮する銀が目の前の子金の腕を掴む。子金は銀の口端の唾液をねぶると、くすぐったさに銀が身をよじらす。それでも嬉しさが勝って擽られても離れまいとの意地で、子金にしがむ。喉奥から一層高い、銀の嬌声が鳴る。

 彼の頬が体液に汚される、あれほど丁寧に洗い上げたのに、グロテスクな舌が這う。子金の舌が頬から耳朶に、柔らかいそこにキスを落としてから舌先で突き回す。それもまた、銀は満更でもなく上半を震わせた。


「……そう、私だよ」


 震える、臓腑が。何も、声を真似てはいない、至って普通の声音、作りもしない声で彼は欺こうとする。

 この天の使いの前にいる化物の皮をはいで、生き血を見て呉れと懇願する。殺意が、生暖かい血が、脳まで灼けつく。銀は何も知らない、暗闇の中でイチカの顔に触れたのが嬉しいか、縛り痕も気にせずに子金を触る。イチカ、イチカと彼は子金を呼びながら顔に口付けた。余程、銀は耐えていたらしい。


「これが、親父の欲しい北条銀か?」


 銀は、北条銀と口を叩く俗物に相変わらず口付ける。幸せそうに、イチカと唱え続けている。すぐ近くにいる冷ややかな化物の一言すら気付かない。


「アンタと俺でさえ声の区別も付かないほど、壊れたこいつが欲しかったか?」


 それでも銀は気付かない、俗物同士の呼応なら今ここで殺してしまおうか、とまで至るが目の前に機関がいる。

 いや、機関がいたとしても平静にいられない。彼は反故をした、蹂躙した、それには襟首を掴んで引き摺りだすのが相応しい。それでも、落ち着いていなければ駄目だ。親子としての関係を守らなければならない、守らなければ。


 ――欲しいさ


 ずっと欲しかった、その為に何だってした。彼と出会って今まで人を食って良かったとさえ、報われたと思った。彼に近づくなら神でもやめてしまいたかった。お前には分からない、分かるはずがない。口で言って分かったところで、上っ面しか理解できないはずだ。


「貴様」


 だとしたら、もう耐えられないのも無理はない。

 自然と、子金に対する声が低い。自分が、感情が追いつかない程に激怒している。奔流。熱い。銀に顔向け出来ないとのみ、それしか常識を考えられなくなってしまっている。子金の顔は、相変わらず生の滓しかない。


「……殺したければ殺せ、死んだ方がマシだ」


 急に掴みどころを失って、畳の上で彼は所在なくイチカを探る。彼に目隠ししていたことが幸いだった。そう、銀はまだ幸せだ。死んだ方が良い子金とは違う、胸ぐらを掴んだ手の爪を生やして首を裂いても、変わらない。


 一つ、指鳴り、それも変わらないが、後方に人影、二つ。後ろから子金を襲いかかろうとする銀、もう一人、そこから庇おうとする黒髪の男。後方の気配がしない、とすると彼は三輪だ。

 三輪は銀に直撃すると同時に水音を立てる。純水、流水を思い浮かべるものじゃない、拉げる破壊のついでの破裂。滴下。

 生暖かく落ちて、畳を濡らす。それでも銀は一心に三輪に覆い被さって、覆い尽くして、顔面を歯で食らっている。最初に食べたのは鼻の全体らしい、付け根まで削ぎ落としたそれを吐き捨てて、また顔へ。強固な骨までを彼は食い尽くそうとする。器官の配置と組織も関係はない、ただ口の真下に喰処があればそれを食い千切るのみだ。肉を食らっては吐き、筋を口にしては捨て、眼漿を唾棄する。それを繰り返して肌着を染め上げた。真っ赤に、それの方が却って綺麗に見えるほどに。


「イチカを困らせてる人、なの?」


 やがて食べどころを失ったか、ふわりと銀が聞く。笑みを浮かべて、三輪は、顔面はもう原型を留めていない。確か人間の顔はしていたが、もう黄ばんだ骨のみだ。出血量も致命的だが松山が焦燥に駆られもしない。


「……また俺が悪かった?」


 すぐに笑みは消えて、眉尻を下げる。悲しそうに、彼はそう言っている。銀だ、銀が自分のために子金を殺そうとしてくれた。生憎三輪が横入りしてひと違いに終わったが、彼のお陰だ。彼の善意が、今までの怒りが収まっている。だから今は、この手は子金を掴むのではなくて銀を撫でる為にある。


「無事だから」


 らしくなく、即座に言えない。それだけ、絞って言えた言葉は届かないで銀が震えだす。手拭いから涙を零しながらみっともなく、嗚咽を洩らしている。地下牢の泣き方とはまるで違う、慟哭にも似ている。成長だけはした肉体が、余計それを助長させていた。


「い、嫌だ、イチカが、イチカが離れるのは嫌だ、だって俺はこッ、こここまでやってきたから、ここまで来たのに、嫌わないで」


 嫌うはずがない、軽蔑するはずがない。彼はそのことを一番知っているはずというのに、暗闇では不安らしく、手は三輪の方へ這う。着こなしたスーツを手で破り胸を手で裂く、その拍子に返り血を浴びても怯えない。まだ、倒れている誰かがイチカに仇成すと手を伸ばし爪で切る。時折、衝撃に耐えかねて爪が割れるが痛覚すら麻痺したか止まらない。壊れない、砕かれない肋骨を辿り、下部の窪みへ、近くの胃に手を伸ばして思い切り引き抜いた。


「ねえこれ心臓でしょ? どくどくってするのが、心臓だって、イチカ」


 彼には聞こえていない。声を求めているはずなのに、聞きたいはずなのに、困惑が彼を乱す。助けられたいと、そう確かに痛いほど聞こえているのにその一言すら出ない。どうしてか、理解が出来ない。だがそれに納得したかった、だがその納得がとても恐ろしいものかもしれないと感じてもいる。


 ――私が


 銀を狂わせてしまった、その確証に進める気概が、それを言葉に乗せられない。彼の行動を肯定できないと、ほんの一瞬でもそう察してしまう。だからただ静かに背中をさすってあげることしか出来ない。背から、包帯の厚みが伝わる。彼には鞭を打った。自分から遠ざけた痛みを知る為に、彼の肌を引き裂きながら一物を捩じ込んだ。すると彼はよがっていたのだ、今までの過ちを悔いて、自分を欲しがった。それまで、それ以降に間違ったことはない。


 ――間違ってはいない


 だが、手を回せられない。彼を受け入れられない、彼を赦していないからではない。

 これは、そう、自分だ。自分が、自分の決断の化身たる目の前の銀を拒絶している。それを正当化するなら「満たされない」だろうが、そんな甘ったらしいものじゃない。もう遅い、草臥れて腐り果てた、追い詰められたものしかないのだ、今の目の前には。胸がせわしなく締め付けられている。苦痛のみが、肉を締め付けて叶わない。痛い。イチカと傍で囁く声が響いて針へと刺しこむ。傷はない、血もない、そもそも自分はそれすら置いてきてしまった化物だから無理はない。


 ふと、視線を感じて銀の奥へと目を向ける。そこにいるのは松山だが、静かに片手で親指を少しだけ伸ばす。指を鳴らした後の、そのままの形だ。


「何をした」


 松山は今、四人の騒ぎを見たはずだが微動だにしない。表情は変えず、だが社交として有るべき笑みを浮かべてただ劇を見ている。その雰囲気だった。


「私のような不全者には常套ですが……催眠術、ご存知ないのですか?」


 接点はわずかだが、それで十分だと言いたげだった。

 催眠術、魔法使いの名家としても機関としても名高い松山家。その内の子息なら銀と同じく悪目立ちしやすく、それでいて彼の悪名は絶えない。「七光り」が当然のところ多いが、目立つ容姿に加えてそれでも取り入れる彼を「魔性」と揶揄する。

 松山の目は以外にも色素が薄い。黒ではなく灰色、白を取り入れているが、一色で塗り潰されている景色に見えるか同じ笑顔を浮かぶ。殺意は、明らかに出したにも関わらず、彼の網膜ごと吸いこんだ。


「申し訳ございません、気になっていたのでアレでは防衛機能の退行にも」

「……今日のところは、お引き取り願いますか?」


 殺意ではなく、今の自分にはその目が嫌で仕方がなかった。


 ■


 三輪春彦は、彼は腐っても三輪の一人だった。臓器を元に戻すや否や、服以外のものは修復されてそのまま何事もなく立ち去った。子金は先程の話が不服か、見送りと称して同伴しようとするが止めなかった。今までの激情がうそ見たく落ち込んでいる。今は、冷静さが必要だった。

 膝の上に銀を乗せて、そしてようやく自分は頭を撫でた。生臭い部屋の中、銀は寝息を立てて寝ている。寝息が、長い髪をいたずらに遊んで夢中を穏やかに過ごす。幼少期か、まだ肉厚な頬をしていた頃は、日向の時にはこうやって膝の上で寝かせていた。不全の君子には、悲劇の彼は自分のことを神とは分からなかったらしい。ただ一人にしない叔父をイチカと、イチカだと耳元でこだまさせていた。鈴よりも凛として、猫よりも可愛らしい声だった。


 ――銀


 今の銀は、自分を好いてくれる。銀の幸せを第一に考えた北条一果を愛してくれる。犠牲は、何百何千とも構わないとさえ思えた。あの女を殺しただけで胸がすくえた。

 だとすれば、逃げるという選択肢はないのだ。人を食らった記憶は残っている。それでも正気を保てるのなら、自分は外道だ。外道らしく、変わりなく銀を生かせさえすればそれでいい。


 ――子金


 いや――イブ・リストハーン、彼が機関の何を思おうが、イチカの仇敵へと変わった。彼だけは、銀を騙して掻き乱した彼を許すことはできなかった。

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