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 そうして親指を強く弾く。コインは擲たれた、三面賽は投げ打たれた。

 青い直線と曲線を描いて、失速を知らず加速を記す。軌道が目の前にいる女性の腹部を突貫、だが突き破らず清々しく抜けると真横の男女に二人。乗り移りまた奥の方へと割いた二線が突き刺して蹌踉よろめかせる。直線、わずかに見える青白い光は上空の空とは似ない。酷く冷たく、それでいて誰も捕まえられない青火だった。

 その軌道が、ラインが遠くに追いやられ目視出来なくなるや否や、口の端が切れる。続けざまに、面白いくらいに競り上がった血が口から吐き出される。中が、胃か何かが炙られているが酷く熱い。吐き出された血も、ほんの少しだけ湯気を立てていて目線を辿るごとに皮膚が裂ける。痛みが、痛みのせいで生々しい音もない。裂帛れっぱくの気迫にすら響いて輪郭がぼやける内に、バレーナと強く誰かが呼ぶ。前方だから、柘榴か。だが歩こうとする足も裂ける、体内の血液が拒絶して投げ捨てられていた。


 辛うじて残る意識を掴んで目だけははっきりと開ける。敵、のような攻撃した一般人。彼らに出血はない、傷もなくゆっくり倒れるものの中で柘榴は自分の方へ駆け出す。通り越そうとする彼を、烏合衆らはまだダメージの余韻に響く。手を伸ばす、何とかして押さえようとする気概を見せるが、その速さは遅い。

 突然、ナイフ。

 差し伸ばした女の手の甲に突き刺して、同様に貫くが血の代わりに妙な塊を抉る。血肉ではない、そうだとしたらあまりにもゴム質、植物的な緑色の塊が刃先で拾われて女性が倒れ込んだ。同時に周囲の人間諸共ナイフだの箸だのが人間一人一人を刺す。臀部、頚椎、腰を、金の線を描いて同じ程の物だけを刳り貫いて体外へ抜かれた。


「何を使った!?」

「魔法だよ、多分……アンタの上司っぽいのから」

「See Line Again?」


 動ける筋肉を使って頷くが、彼は顔を明らかに歪めた。今まで極まれにしなかった顔だ、人間らしい、非常識に嫌気が指している顔。それでいてどこか逃げたがっている悲壮。

 体力は擦り切って、魔法って言ってみたけど結局何との軽い言葉も叩けない。下半身を千切れさせたと似る喪失感だ。弛む肢体を、柘榴は床に横たわらせてまた不可思議なことを呟いた。相変わらず意味は解さないが、治療されていることは分かった。一斉に押し寄せてきた痛みの群体、どこかで皮膚が自然と編まれ始めると明確に分かる。


 それもそれで苦痛だが、全身の出血がないと確認された頃には問題なく身体が動く。苦痛の疲労は、意外と強い。まだ起きようにも起き上がれない身体で藻掻くが、柘榴が起きるなと腕で制させる。軟派な男かと思われたが、意外に芯がある。


「……可愛くないでしょ?」


 目があったからそれだけ、それだけ軽口を言うが、柘榴の表情はあまり変わらない。悲しみは減ったらしいが、怒りが少しだけある。近付いたせいか身体の臭いが傷の間を縫って匂う。今までよじ登ったほこり臭さと、どこか甘い香りだ。その人間っぽい香りが、その顔によく合う。

 だがすぐに目を伏せて嘆息させて、キャラを切り替える。顔の造形は変わらないが、風の質が変わった。


「恰好良かったで、そういうの好かんけど」


 横たわらせたまま、柘榴は倒れた人間の方へ向かう。そのまま確認か、偶然側にあった木の棒で一人一人突き始めたが、誰も反応はしない。おもしろくありませんわあと、また誰もいないはずの客のための諧謔を独りごちて、だが一つ物を拾う。

 ナイフだが、ステンレス製で調理よりも食事用と伺える物だ。その刃の部分に和紙が巻き付かれている。文章にも見えるが、絵の中に文章と言うべきか。視線に応えるか、いつもの笑顔を浮かべた柘榴が、目の前で実物を見せてくれる。一度体内に潜ったにも関わらず、ナイフにも紙にも血はない。巻き付かれたそれをゆっくりと剥がし、それを地面に広げた。円陣と星と文章のような描画だった。


「鶴坊、君にしちゃったやつを遠距離でやってもうたな」

「つまり?」

「今は飯やろな、他も多分逃げちった」


 飯、その言葉を合図に運悪く腹部が鳴ると、柘榴が吹き出して笑う。破顔している、カレーを食べさせてくれた時の顔と良く似ている。二枚目に不釣り合いだがよくお似合いの顔だった。

 日が、ようやく建物から身を乗り出した。



「SeeLineagain使ったのはお前か、アレ普通に使うと内臓機能ぶっ壊れるからやめておけ」

「……それで魔法って何」

「魔法ねえ……魔法と言っても一概には言えない、異世界にとっての科学が魔法という位置づけだが最適的仮定として当てはめていることは変わらない」

「うん」

「加えて粒子として大気中にあって国によっての魔法の扱いは異なる例えば暴食国は人外と人間間の力量差を極力縮めるために国法として使用される魔法が定められている」

「うーん」

「人間の哲学には共通概念ってやつがあるみたいだがあれを利用して一個デカい世界を媒介として魔法を作り出す略して媒界みたいなことを国家規模で成功させたのが暴食だ分かりにくいからもう少し噛み砕いて言うが例えばオークが現実世界に行くときに人間に変える必要があるがそこで媒界でオークはどう見られているかってオーク達の共通概念から抽出されるオーク達がそいつを美形と認識しているならそいつは美形の人間として作れる逆も然りだそしてこれを魔力ごと国王が見れることで統制もできるってことだなこれは特には欠点はないが共通概念として思考を統一しなければ意図的に望まれる魔法は生まれない他の魔法の弊害も」

「鶴坊、お粥」

「もう冷めてるか……」

「なあ意味分かったん?」

「全く……」

「柘榴!熱い!」

「ふうふうせな……シーラインアゲインはなんぞって、そういうことだけゆーたらええの」

「See Line Again瀬谷家初代から継承する」

「もうちょっとゆっくり」

「自立型魔法組織体『エイドス』の生成を承認させ」

「かんたんにせえ」

「なんか、すごい、魔法」

「らしいで」

「……全然よく分かんない」

「せやな」


 瀬谷は熱い物が苦手、ということだけはよく分かった。そして熱いからと、そのまま冷めた物を食べるのは好かないということも。揚げ立てだが焦げた油条は指の腹で触ればまだ強い熱があるが、瀬谷は恐る恐る粥と共に口にする。ゆっくりと、舌の火傷以上に脳漿が煮え返っていそうな男が怯えながら咀嚼する。

 彼は猫舌に精一杯で、長話に投じられる暇がない。柘榴と自分が身を投じている間、この男はタンニャンから話を聞いていた。だが応援程度にカトラリーを投げつけただけで、食欲に任せて朝食を最優先にしたらしい。パンを何本目か揚げている際に、敵がよじ登って来たら足底で討つだけ。手元に置かれているのはその「何本目か」の、作り手に見逃されてすっかり焦げついた物だった。

 あの後、問題なく屋上から一階、元の棟へと自室に戻ったが直ぐに撤退したのが不審な人間は見当たらない。それには興味ない、飯を食わせろとキッチンから動かない瀬谷とタンニャンだけがいた。あの男もこの男も同一人物だが、極端にマイペースな人間だと分析……するべきなのだろう。社会的かは考えてはならない。


 こちらもゆっくり口に入れる。まだ温かくて疲弊した体にはかえって沁みる熱。卵の濃厚さと強い塩気を入り混じったピータンには、甘みをしみ出した米粥と豚肉によく合う。腹持ちは良いが重く感じると来たら次に油条を口に含む。下準備の生地より数倍も膨れ上がれば、噛む味は小気味よく油の薫りが清々しい。ざくり、良い歯ごたえの後に零れそうなパンくずを指で掬いつつ、口が乾燥したら粥を口にする。揚げパンと粥の組み合わせは初めてだが、悪くない。食事の物音がいつもより多い気がするが、これも悪くなかった。


「佐藤ちゃんに連絡は出来てるから後は自由にな」


 頬張ったまま瀬谷は頷く。

 タンニャンは自分と同じ程の年齢で、瀬谷は20代前半か後半くらい離れているが顔があどけない。瀬谷としてはまだ起きたばっかり、というのもあるが彼女よりもうるさそうに食べる。けっして、表情豊かに食事をしてはないが、一口一口が大きいせいかもぐつく。やがて危機を感じて、グラスに入れられたソイミルクで一飲みして事なきを得る。そんな、そそっかしい人間だ。また粥を一掬いして加える、少し冷えたのか顰め面は失せて双眸がよく見えた。

 金眼、草木を眠らせる冬の日に熟れた実と甘美を抱かれてしまいそうな光。黄色より金色、何も人を寄せ付けないその色素はあの矢とよく似ている。最上と人は知るが、寄り付けず地に埋もれる最低。その持ち主は年不相応に、状況不相応に不遜に振る舞う。瞳孔の黒が向日葵を思い浮かぶ、澄んだ目付きだ。澄み渡っていて、綺麗、だが赤い髪の紗幕がそれを炎にも変えている。昨日よりはまだ取っ付きやすい雰囲気があるが、それでも話しかけれるかは別だった。


――あの目は


 炯眼が、何かに取り憑かれた際に押し倒されて自分を射抜かんとしたことは覚えている。あの目付きは、押さえている自分を指しているが別を刺した。あの透徹した視線が忘れられないからか、足の裏が地につかない。

 気を取り直して油条に手を付けるが、いつの間にか瀬谷がじっとこちらを見ていた。掴んだパンを、そのまま皿に戻した。


「……何?」

「免疫、ついてんじゃねえかって思って」


 免疫とは、それを言う好奇心と疑問は残っているが、言う前に口を塞がれる。何があったと、考える前にスプーンが落ちて同時か前後かで金属音が床で跳ねる。どっちにしろスプーンは落ちて、どっちにしろキスをされているらしい。前振りに、恋人っぽく顎を手を添えられてはいない、ただ口を合わせて、唇を噛まれる。柘榴が癒合してくれた赤い肌からぶつんと、歯で裂いてしまえばそれを舌でなぞる。

 反射的に、本能が湧く。突き出された舌を深く自分の口に突き入れさせて、動く前にそれを噛む。前歯が、別名タンという舌を切り込ませた。唾液が、他人の血と混ざって気色悪いが耐える。更に至近距離まで近づいたが、神経が蒟蒻なのか目は見開かず微動だにしない。目とよく合った無表情と、人間らしい粥の米の残りを口から漂わせるだけ。瘴気からか一層深く噛むが、彼は落ち着いて離した。前歯で、瀬谷の舌が切り込みで不自然に動めくことは伝った。唾線は赤いが、気にしたのはそれに汚される顎下のみか。鬱陶し気に親指で救った。

 唐突に、舌を出されて見せつけられる。先ほど切断したけたはずだが、もう出血が抑えられている。代わりに断面に芽が、切られた患部に集まっては巻き付き、止血かその補助をする。極彩色に、唾液という艶を見せて生命を見せつけられているが意味が分からない。意味を通すように解釈をすると、それで回復できる。そう言わんばかりに先ほどの猥褻に柘榴は割って入らない。ただ好奇よりは同情する、そんな苦笑を浮かばせていた。


「……いい感じ。あと数時間で調整できる」

「アンタ人間?」


 きょとんと、拍子抜けした顔で周囲を見渡す。今の瀬谷はとぼけていて阿呆っぽいが、先ほどの人間と同一人物なのは変わらない。


「俺だけ人間だな」


 だが彼は口付けの意味をあまりよく知らない。興味もなければ、何かの手段でしかない。そんな人種で自分の価値を求めさせるにはあまりにも無駄な人間、それがよく分かった。

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