7
意識が醒めた後はよく覚えていない。
激情を濁流にして呑まれた所作が、ようやく触感として神経に漂着した。そして記憶が映像として染み渡る、何とも薄気味悪い心地だ。
夢のあと、脳天から頭蓋を叩き割らんとする牙を義手で抑え込み、口腔を覗いた。人の歯茎を模した
それを目視出来るほどにはそれの咬合力は弱かったらしい。あるいは「これでは死ねない」と死に損ないの義手の働きだろうか、憔悴が訪れることはなかった。味覚、特にないが鼻から花の甘い薫りがふわりと漂う。先程口付けた桜子の匂いだろう。
触覚、都合の良い手足なのだから痛みはない。嗅覚、消化酵素を発達させた酸性の名の如く胃を刺激する臭気。視覚、
それは救いだった、唇に血がついた人間なぞと、誰が接吻を交えたいと云うか。
そうしてこうしてああして、戦闘する柄でもないと喉奥に全身をブチ込ませて、今に至る。
倒れた身体を起こして立ち上がる。空気、質感共々湿っているが、体内の消化器の中であるにも関わらず義肢は溶けない。その点効果は発揮しているが、衣服は流石に数箇所穴が空き始めている。
動ける以上大事には至らなかったが、素の脇腹は灼けた痛みを負う。奥行きの見える広さからして大体六畳間、上空の天井までは目視五メートルほど。そのスペースをドーム型に包まう腥い肉の壁。床はふくよかな絨毛、細身の自分でさえ踏み込んだだけで、身体が少し沈む。これは桃色だった。
そこで自分が狙っていた獲物、ユメと同じく嵌め込まれた緑色の石も直ぐに見つかる。天井の中央にぶら下がり、籠の形の血管の中で閉じ篭もっていた。そしてその下、鞘のかたちをした肉が中央にそそり勃ってそのまま床に繋がる。この鞘は全長で2mほど、数秒に一度ほど中で何かの蠢きかが浮かび上がり、また引っ込んだ。
――大きな怪物だったけど
この広さならば、屋敷にすら入らない。だが体内であり、自分の予測では異世界来の物質か、あるいは人の可能性が高い。となるとこの規格外の大きさは、
オニイチャン
声が響いていた。子供の声だ。
オニイチャン イタイヨ ハハハハ アツイ オニイチャン イタイ ゴメンナサイ クルシイ オウタウタッテ キレイ ネエオニイサンキレイ オニイチャン
子供の声が部屋中に響き渡っている。肉壁から覗く、幼児のような、マスクのような形をした幼子から発せられていた。全体を見回して九つほど、埋め込まれていたそれは確認できる。
その一つ、一番近くにあったそれに近寄った。それは贋作か、それともまだ彼女は口内から植木を生やして咳き込み、可愛らしい笑声を繰り返す。消化液に当たっていないか、運良くぼさぼさになってまだ残された黒髪。右目から発芽を催して、横を見やると耳から下までは壁と一体化している。ズボンにしまっていたソフトクリームのスプーンを彼女の眉間に押しやると、ナアニと笑って応えた。
――ユメちゃんが戻ってきた、か
子金は生贄十人支払って、一人だけ残った。そう言ったが、彼は知らないらしい。情報、記録としては九人死亡は事実と相違ないのだが、その下でまだ彼女たちは生きている。
贋作だが、自我はある、化物だが、人間がある。だがその声は振動として胃液を刺激するらしい。自分のような見た目のいい人間は特に、甘えた高い振動をするのだから分泌を促す。不意とした激にも似た衝動で、目の前の少女の頭部を殴りつける。彼女がこれ以上喋らないように、息も出来ないように。瀬谷も応えて骨を割り、奥底の喉をひしゃがせる。そうして彼女一人、泣く腺すらも踏み潰して黙らせた時には圧迫感を覚える。物理的なものだ、天井が下に垂れ下がった。そういった機能でもあるらしい。
活路を見出して、また近くの少女に行く。
少女は今の光景を目にしてごめんなさいだの殺さないでと言っている。それを言う相手はもっと別だっただろうに、そうふわっと笑い返して今度は倍の速さで処理した。
――神秘ね
一体、三体、五体、立て続けに鎮魂を促しては、ぼうっとその物思いに耽っていた。
神秘とは言わば、これも対象だったらしい。遼遠だが暖かな施しを慈愛として与える神への崇拝、その偽物を暴く庭三。彼女達は毎日こんなものを相手にしているらしい。片方は死神として、もう片方は生きている人間のように温和に接して、そうして別れを告げる。熾火爆ぜて、あとに燻った黒炭のみを拾い集める、その仕事を彼女らは続けている。それを彼女らは救済と言っていた、この世界を愛していると言った。あの瞑目した瞼の奥の瞳をした彼女は、あの子は、忌憚なく奇譚を歩く。
――傲慢だ、神相手にも僕達にも
だが、認めよう。
最後の一人の頭蓋を潰した
少なくとも、その審美眼は褒めてやろう。
■
残響を利用し、少女を生きたまま捉えることで魔力の数人分を確保させる。その単純なメカニズムか、異空間を保つ能力が切れて、石を盗んだ辺りから周囲は破裂した。
外界、倒れ混んだ襖と畳をまだ新鮮な屍が覆って、自分は全身肉だらけになっていた。少しだけ好きな、畳のイグサの香りよりも脂肪の腐乱が肺臓を突く。周囲を見渡すが、桜子はいない。中身から出てきたのは中に立っていた鞘のみか。
前方、広間から形貌が一つ。門前にいた男と同じ色の背広とシャツを着こなした者が一人佇む。顔は、何か奇矯な文様を描いた白布でおおわれて見えない。性別は、肩幅や喉仏からすると男性らしい。
「お怪我は?」
声は、不明。どういった声とも形容し難い。高い女の声、低い男の声、しわがれた老人の声、子供の声を同時に流した、最早音だ。それは性別を模糊にする。
「怖かった」
「それは大変失礼しました……私、北条のイチカと申します。怯えさせてしまって申し訳ございません、我々も怒りを鎮めるべく尽力をしているのですが……」
これをどう返せば良いか。怯えるという範囲をとっくのとうにブチ壊している。心境としては今すぐにでも布ごと燃やし捨てたいのだが、それはワン的思考だ。ヒラサカ、庭三のヒラサカならどうすると、都夜子達との会話から構成する。
――ユウは
彼女達からはどうせそこまで考えてない、馬鹿っぽい少年のイメージと受け取った。それを自分であると振る舞うのは癪だが仕方ない。
「でも仕方ないよ、庭三の仕事だし。ずっと頑張ってきたんだね」
「そんな……ご寛大な心賜り感謝申し上げます」
敬語使えば良いと言うものではないが、ヒラサカはそんな刺々しいことは言わない。黙るよりも、気にしていないとはにかんでいた方が、それも大概だが後先困らないだろう。
――イチカね
周囲には肉、北条としては神様の死体がそこら中にあるのだが、イチカはそれに気を留めない。グロテスクとしても、家柄としての異常性から彼は内部を知る者、幹部の座に相当するのだろう。
なら、話は早いと握りしめていた核をイチカに見せる。照明の明かりが中に透徹する度、気泡もないそれはなだらかな光線を屈折させた。
「これすっごく綺麗だね、きらきらしてる」
「ええ、ですがあの方の大事な物ですので」
「えーでも綺麗だもん」
無邪気な子供、設定を組み込むなら少し常識がない青年として演じる。動き回れる肢体、足の裏に水音をはっつかせながら、イチカの方に駆け寄る。あれでもまだ便宜上神だとするイチカは、回収目的でここに来たのだろう。特に離れる様子もなく、自分が近づいても咎める様子はなかった。ちょっと物珍しい物に、非常識な子供が興奮してみている。その感覚だろう。
「――子金君の心臓みたい」
その感覚しかないのだから、新たな情報は得てして如実に反応する。イチカの身体は強張る。
彼と自分は初めて会ったのだから、新たなものは無理はない。彼は子金がユメに食べられて、内臓を見せられたヒラサカユウを知る訳がない。ヒラサカユウはそこから、ユメと同じ緑の石を子金が持っていたも然りだ。
「僕ね、ユメちゃんが怖かったんだ、だって急に襲われてさ、子金君に助けてくれてくれてよかった」
異世界人は神ではなく、動物として合理的な能力を備えている。ユメはあの通り、ひと一人は噛み殺せるが、あの化物はその代わりに胃酸を強化させた。あれがユメでない、桜子の言っていたもう一つの化物だ。とすると暴走しているのはユメであって、その一つは制御が成功している。つまりあの場所であの化物がここに来るのは普通は考えられない。
そうなれば、暴走という不手際は北条にとっては有り得ないはずなのだ。だが彼は、それを事故として偶然生きて帰ってこれたヒラサカの機嫌を伺おうとした。急場だが、対応としてはおかしくはない。神様は気まぐれだ、百人捧げてもちり紙しか貰えないこともある。神に対しての商売だから、その言い訳は許される。
「ほら、心を入れ替えるっていうでしょ? だから心臓みたいだから出来るかなって」
だがワンは、それを受け入れる気は最初からない。ワンは人に手解きを受ける神は神ではないと信じる。
だから自分は子金とユメが同時に力尽きた際に、核を入れ替えてみた。そうしたら彼は継続して生き続け、ユメも同様だった。彼女は互換性の不具合か、移動の際には大人しくなってしまったが、機能としては理解出来る。
――本来それだけでも良かったけど
予想外、否、本当にここまで愚直に作ってしまったとは思わなかった。
ユメ達に送り出した同じ神様は、ユメと子金と同じ作りだと考えられる。ユメだけが神域から生きて帰った、ならばそれはユメの本機と考えられる。ユメ側の出力から本機はエラーして、瞳のきれいな自分をここまで辿ってしまった。
「イチカさん、僕この宝石好き……機関から取られたくない」
イチカに近寄り、掌を触るがそこまで反応はない。つまらないが、周囲の空気は張り詰めた。ここで間違えたら命取りになるが、そんなヘマをする歳じゃない。するようなら、庭三を利用するのも考慮しよう。彼らは化物を闇に葬り去る、
実際、石を取り替えたのは出来心に過ぎなかった。だがそれを悪戯心で変えてみたいのが性だ。見ているだけでは何も分からない、それでは仕事にならない。揃った材料を眺めて、何を関連とするかを見なければならない。庭三の犬では、庭三の仕事で終わってしまう。それは情報としても生命としても二重の意味の死を見過ごしてしまう。
それをどうやって生かすかは、既に分かっていた。
「……ねえ、何か言ったらどう?」
使い捨てられる前に塗り替えればいい。捨てられた人間がそう学んだのだから、間違いはない。
【一日目/午後編終了】
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