5
庭三桜子
今や北条家は、首都に本家を構える三輪型の
少死多生、ではなく少召多救と言い換えることも憚られない。いわば、北条家の周囲の
端的に、北条家の周囲一帯はとても信心深い。これは連絡手段の発達していない時代において珍しくはない。文明の速さは水に墨汁を垂らすようだというが、そもそも墨汁が遥か遠い。だからこそ苔として教訓として、摂理や事実として神話は根を張る。
北条家は――その背景から、定期的な食糧が補給できるように――ある言い伝えを残した。
『この村の山には恐ろしい鬼がいる。人を拐って食べてしまう。だがその代わりに、認めた人間は山に帰し、その家の者には幸せをもたらす。』
そして緩慢ながらも自然の脅威に曝された者達は、次第に赦しを懸命に乞うようになった。
そして土に着く頃には『この村の山には神様がいる。だが神様は子供の新鮮な魂から、村を守るかどうかを決める。欲のない、純粋な子であるほど気に入られる』ことだと解釈する。そして加えて『7つの子に必ず山に赴かせ、神に気に入られるか鬼の恐ろしさに打ち勝ち下山を果たす』この儀式を絶対条件とした。
それを崇敬と共に行ったことで村の安寧が保たれた――と言うのが、桜子の口頭での北条家の解説だ。そして由緒正しきものだからユメの件は管理が杜撰で偶々起きた事故。彼女とは別に安置されたもう一つは、厳重な管理により暴走することはありえないと締めくくった。
桜子は北条の成り立ちを、三輪型に沿うように物語った。神は人間とは違う、
北条家は北条家なりに宗教っぽく聞こえるような儀式は用意はしているのだろう。今日において露呈してしまったユメの事件は、生贄は生娘であることを拘った。魂が清らかである者、成人を迎えぬもの、処女性その他諸々、そういった理由で選定される。最初の説もまた、不作の際の間引きに正当かつ真っ当な理由として歪曲された。
気味が悪い。これは生理的嫌悪、と言うよりはシステムとして組み込んでいる違和感だ。超越的存在としての食材収集としては良いが、あまりに北条家は出来すぎている。説話を残した、というより説話を捏造したが正しい。そして人の上に立つ何かの為に、彼らは奉仕を選びそれは命にも及ぶ。あの場所には脅かすと言うものはない、差し出すといった神に殺されるとすら考えていない。それよりも他に分かるものがないからだ、だから彼らはそれを信じることに全てを託した。人間同士でしか持ち得ない、信の心を利用した機構、それが心を指の腹で引っかかれる気分だ。
――純粋に聞けないんだよな
そして決定的なことに一つ、北条子金は不死に近い能力を持っている。それは神に近付くものとしての冒涜か、あるいは誉れである異端だ。その彼が機関に頼ることを認めた、そして説明する桜子もそれとなく三輪型とは疑わしい伝承を説く。彼らは神の制御を知っている、そして人間らにどうするかも心得ているのだ。だがそんなものは神とは言えない。端的に、三輪型の人間ではないどころか、三輪型の思考さえ持ち合わせていない。
――黙ってるけど
それを三輪型ではないと言ってしまえば、ここで今までの演技は嘘に変わる。北条家への真実は、三輪型をある程度尊重する庭三の人間の一人が自分であるで終わらせたい。その方が機関……というよりもTにとって都合が良い。七面倒臭いが、北条家の中には三輪型であると考えている無垢な者がいる。彼らが暴れるのは極力避けたい。
理想では、ここで嘘を吐きながら情報収集をして考察する方が定石か。桜子は善意で物を言っても庭三の人間だ、オブラートに包んだ美辞を自分が世辞として剥がす。情報分析としてそれが求められているのは明白だった。
だが自負をするが、自分は勘がいい。勘と嗅覚がいやに良いのだから、ここまで落ちぶれてしまった。零落した子犬として、反省にわざと悟られないことも必要だと覚えた。
そして時間はない。庭三桜子という金髪碧眼の極致に辿り着いた、それ故和室の妖姫。時間は、ない。桜子が先程の口述で五分、その前の数分先導した桜子との鉢合わせに都夜子と談笑して時間を食った。そうして今しがたここでやっと、応接間にて二人ゆっくりしている。茶を濁すなどと下らねえ道具もない、絶好の機会だった。
義手が、また微細な音を嗅ぎ取る。今度は襖向こうに聞こえる衣擦れた邪魔の音、騒がしい足音。時間はなかった。
「何かついてる?」
敬語を抜いた対等の話し方で訊ねた、桜子が。
恐らく都夜子と予め口裏を合わせていた通り、自分は桜子達の部下になっている。談笑間際に、ユウ君ったらあもう帰りたいって言うんだよおと片割れが宣ったから間違いない。
そういった設定で、自分は気軽に接することができる。設定だろうが、だ。精神の鈍さを染み渡らせた半死の指先が震える。この時間を余すことなく使えるが、握ることはとても出来ない。
「いいや、可愛いからずっと近くで見たいって思ってただけ」
「私の話聞いてた……?」
「北条家ってそうなんだあ、怖いなあって思った」
嘘偽りないが、そんなものはもう何千と聞かされたか、躱される。都夜子は、桜子に明らかに行為を持っては自分が恋人関係にあると言った。
可愛いだの綺麗だの、単純だったり婉曲な綺麗な言葉は聞き慣れているだろう。ただそれよりも、桜子の同年代の目線の口調を知った。案外高嶺よりも、鉢植えで可愛がられて愛された躑躅。垢抜けないが華やかで、声は時折蜜の味を孕む。
――でも
蜜は、乙女の甘さはやっと零れた。それまでは表情すらも硬い、咲くことを拒んだ強張りを見せた。仕事だから無表情は当たり前なのだが、それよりも冷たい、死にかけの生者の諦めの熱だ。ふっと消えてしまいそうな、あの口振りと表情を忘れられない。あの顔は、既視感を覚えてしまう。同じ色素だからと、彼と一層に交わってしまう、その嫌悪を感じている。だろうと断定することはできない。
知りたいと、思ってしまった。
「……桜子は怖くないの?」
「鬼とか、かな?」
「それもあるけど、ユメちゃん見てる時すっごく楽しそうだったしさ、でも話す時のトーンとか低いし、元気ないなって」
「……やだなあ、仕事なのに」
彼女は、庭三として異端の立場にいる。それは再三自分は反芻したが、曇る顔は心拍を上げた。彼女はそのつもりでここにいるのだから、ここでは不自然に泣くことはない。怜悧に冷徹な采配人としてここにいる。
――僕はらしくない
右より、嘘つきとして飼われているはずが、人間らしい感情を抱いている。人を優しくできない優しくない言葉しか分からないくせに、話しかけることをやめない。
彼女を泣かせそうにしたことを後悔しかけていた。いつもみたいに考えれば、彼女は子供が無下に扱われることを好かないと分析する。そしてそれを手玉に取るための材料として使う。揺さぶりたいがために使うのであって、純粋に知りたいと聞くのではない。
揺さぶるために子金とユメを一度壊しかけた、仲介屋を脅した、都夜子に探問した。自分のために二度の生を受けて、人もどきに振る舞う責務を続けた。
「しがみつけるのは成功の証左だよ、向かなそうなのに頑張ってるし」
綺麗な言葉を持つ自分を許してはならない、そこまでに至っている。
理由は分かるが、それをどうしようとは考えていない。犬は人になれないから仕方ないだろう。だから嘘の会話もやめられない自分が、腹が立って仕方がない。
――どうしてだ
あまりにも唐突だが、明瞭としている。自分でも恐れているほどに抑えが、まったく出来ていない。
彼女は酸いも甘いも知ってここにいる、そしてそれは自分も同じだったのだ。あの場所で一人立ち続ける意味を自分は知っている、だからこそ最大限の扇情が可能だった。
神経が通されている、痛覚が、痛みが惚れただけで変わってしまった。それは、反吐が出る。
「……ユウさん」
「ユウで良いよ」
「比良坂さんは」
「ユウ」
「……ユウは、私が目を離したこと怒ってる?」
詰まる。そんなことは微塵も考えていなかった。あれは確か、ああ、それも、自分が最も遠ざけるべき心だ。欲しかったと言う前に、もういらないと捨ててしまいたい。
彼女も彼女だ、連れ出すことを分かっているのなら、そのくらいの覚悟をしていればいい。彼女は分かっていない、半ちくな優しさは自尊を傷付けてしまう。とてもね、君が食べられれば良かったのにと言ってしまおうか。
「とっても、でもユメちゃんには僕のほうが綺麗だって証拠だから、それはちょっと嬉しい」
吐き気がする。
次の言葉を言わないと、これでは人間になってしまう。痛みを知ってしまう人間は弱くなる、それを鞭として褒美とする家畜として生きなければならない。
もうすぐで時間は終わってしまう。蜜月を終えたあとの月のない夜は本当に心寂しい。寂しいと感じるのは、人間としての特権で自分にはない。
「ということで、僕は僕で楽しんでいるんだよ、死んじゃった分楽だし」
「……ユウさんは、死んでないよ」
考えるな。ああ、何か知らないけどえらく純粋な子だと、空っぽに思うのが理想だ。顔を見ても、泣きそうな顔をしている、何か言いたげな顔をしていると機微は見ない。主人がこんな顔してる時はこういうことをする、その言い聞かせに口付けようと唇を重ねた。柔らかくて仄かに厚いそれを、少し押しやってそっと話す。何かを言おうとする喉元は静まった。彼女は大人しくなった。
「うん、ありがと」
だから君は僕よりも望まれて、汚れることはないと、後でもいいから分かってくれればいい。
そう口が、自然に上がった。笑っていると安堵した。
直後、真後ろから襖を突き破る。
その何か、全長は成人男性の身長をゆうに超え、下手したら2m。文字表記し難い雑音を奏でて、頭上に影を作る。透明で、濃く臭気をまとった体液が顔にかかる。音は声に変わる。おにいちゃんと、うっすらとそう聞こえた。
そういえばと思い返す、桜子と会話をしていて足音を聞くのをやめてしまったのだと。それほど彼女の声を聞いていたかったか、知りたかっただろうか。
――でも
これじゃ格好悪いと、間際に浮ついた気持ちを並
■
「……君にしては意外だ」
この空間は慣れるそのものが悪だ。
カンマ数秒で頭蓋が砕き割られるだろう未来を停止した今。明らかな死よりも曖昧で虚に満ちた意識、その世界。いつだって、此岸の彼はそこにいる。死を許されることはないと、黒の中から白を穿ってこちらを覗き見る。
彼と、用意してくれた机上のボードゲームを見遣る。リバーシだ、最終更新は飢餓状態の数ヶ月前までに遡る。四隅の内三つは白丸の自分、残りは黒丸の彼、自分は20枚で彼は18枚。寸分の狂いもなく、そして接戦だった。
「こういうの君好きでしょ」
この空間では何故か自分は生身だ、生身を模した自分がここにいる。しっとりと吸い付く肌を確認して机に座る。部長もまた、そう言ったかなととぼけた一言を返すが、向こうに着席する。右手には紅茶のティーカップ、湯気を立てて角砂糖は二つ。これは自分の要望だ、ここに着いてしまった以上は団欒風味に会話する。後にすることは馬鹿になることと決まっているが、彼との対価とした決まりだった。蓮にはまだ言っていないが、彼はそのくらいには優しい。人間として見ているかどうか、悩ましいところではあるのだが。
鼓動は落ち着いている。性的興奮の刺激を例外とする、凡庸な動物の息吹を自分は吐き出している。服は、洒落込んだ物じゃない。平素下を身に着けないシャツだけに耳と首輪。安定はしないが、安心した。
「――逐一説明してほしかったな」
「それは……私の声が好きの比喩かな」
うるさいと、犬なりに一つ吠えた。
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