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この数年、ソドムとゴモラが拍手喝采を止まぬような日常を送ってしまった。
食べてしまえば眠くなる、猿人にも劣る本能への奔走っぷりだ。だがその最後の歯止めと称しようと、理性っぽく毎晩のこと人間的悪夢を見る。
比良坂の夢だ。
いつも彼は暗い部屋にいる。部屋という空間の中で、湿ったカビの臭いと遠く響く足音で、五感が機能するだけの、地下牢のようなところにいる。自分はそこに動けない。彼が覚えてほしいと刻むために、自分はその夢に居続けなければならないらしい。
もうない手足を生白く生えさせて、自分に向けて素足を晒して、よく体育座りをする。深く、深く、自分の足が恋しいらしく、愛おしげに足と手を抱えて体を丸める。頻繁に膝を頬擦って無い朝がやだねえと問いかけに来る。是も非だろうが、どう答えても彼は変わらずに、喉奥に得体の知れない笑い声をくっと上げる。
いつも彼は暗い部屋にいる。そうやって自分の目の前で事細かに今日何が起こったなどと克明に呟く。それはいつだって爆ぜる前に淫縻に濡れぼそって、そのまま腐乱した物。何もない所で彼は嬉しそうに話すのだ。色素の薄い髪色と、もう朝日もみない翳る木色の目を細めながら、ゆっくりと。彼と会わない日はない。一日欠かさず空になった心は他人のモノで穿たれ埋められる。
その様を聞くためだけにあの夢が出てくる。今日もつつがなくそうなってしまったと、彼は満足げに詳細隠さずに口にして、ただ密やかに。枯れきった彼の貌にひとつ、生き生きとして艶めかしいくちびるがあることだけ覚えている。
それだけ、血色の良いそれのみだけ携えて、彼は夜を待ち構えている。
それがどうにも、アイスクリームの後味を強烈に悪くしかねないと一気にかき込む。甘さを通り越した、冷え切った痛み、血管の収縮をいたく味わうが眠気には勝った。
「それで君は庭三と合流、あれよあれよとウチのと板挟みになって、僕の義肢を名目に僕を呼んだってことかな」
「そうだ、というかキレないんだな」
「ユメちゃんのことかな、轢き殺したくても運転出来ないし……じゃ、望み通り義肢のことね」
仲介屋を擁護する気も同情する気も毛頭ないが、仲介屋はその職種故に一般人を相手にする。異世界には、社会のはぐれ者に擬態するものはいるが、必ずそれしか出来ないことはない。むしろ事を有利に運ばせる為に、擬態対象の社会的権威を使って上手く立ち回るのが常套だ。元々低い母数に運悪く当たってしまったか当てられてしまった、不運な結果にも見える。
余興にはなるかと、空になったアイスカップを仲介屋に押し付けて自分の
瀬谷鶴亀手製の取り扱い説明書を未だに読んでいないが、使い勝手は良いのだ。とにかく周囲が考えるすごいことは大体実現できる、そんなすごい物。
試しにもう一度、子金の時のように付け根から離れた関節部分をへし折り、仲介屋に渡す。義体の中でしかないエネルギー体を介して起動する。その極端にシンプルなお陰か、関節部分にはコードのような物はない。
恐らくは、唯一として創るがあまり代替品を考える発想がなかった開発者の弊害だ。人道を焦土にしてから闊歩する瀬谷に対して効率は考えない方がいい。
――戻れ
だが瀬谷の欲望を凝縮させたと言ってもいい。故にこの義手は貪欲で単純だ。自分ではない持ち主が戻れと言うだけで、ちぎれた腕は自然と仲介屋の手をすり抜ける。そのまま宙に浮きながら断面を目指して、また結合させる。痛覚は、あらかじめシャットダウンしているから、神経が繋がった異様な気持ち悪さが合図だ。
「ね?」
「……何か逆の方指欠けてるけど」
「製作者苦手な子でね、八つ当たりかも」
それもまた本意ではあると言いがてら、接続の確認に彼の前で手を動いてみせる。指は、生を取り除いた白さで好きになれない。体に合わせて、こうだろうと手足も変えてみせた意志のある道具。
これにも欠点はある。自分が「これは自分の手足」と錯覚した時点で、知覚する領域も拡大する。例えば慣れすぎた時に不意打ちで腕がもげると、ショック性の致死を引き起こしかねない。瀬谷の十八番も自分は出来るが、瀬谷を強く認識して継承するという理由で拡大されてしまう。実質使われることは肉弾のみだ。
そして己と合わせようとするものだからそれなりにいやらしい主張をする。この義手に関しての汚点であり美点はそのくらいだった。指はそう、自分の意志と反して現実のように白くて細い。理想ではなく現実に忠実にいる、夢見る機械そのものだ。
――だから
これは瀬谷を代名している。
部長から聞かされたが、彼はネジの緩んだ脳味噌に合わせて体を自分で改造したと聞く。自分の理想に届く前に死ぬのを嫌って、人間という枠から外れた肉体改造を無意識にやる。彼にはショック死という概念は遥か遠く、一本二本失おうが頭が冴えたとしか感想を持たない。それが設計者なのだから自我だけは強い。自分であると錯覚する馬鹿正直な無機物なだけ、まだ制御はできる。自分がその役目を負ってしまったが、仲介屋から遠ざかったのは不幸中の幸いだった。
■
余分な話をしている頃に子金が意識を取り戻して、運転を再開する。高速道路から抜け、都から下った隣県。疎らに設けられたチェーン店も見慣れないローカルのそれと変わり国道を抜ける。小道に差し掛かり、一件の屋敷の前で停まった。複数人ほど、儀式と会合を兼ねてか和装と洋装の身なりをした者どもが集まっている。それは自分らを乗せた車を見るなり、顔を上げて何かを囁き合っていた。
停車してから一番に降りて、彼らの姿形を一瞥する。和装は蒙昧だから無視した。洋装、ダークな色合いの背広から見えるシャツに、やや厚めでツヤが良いボタンを見つける。真珠層が見える麗しき白蝶貝製、ボタンの中でも高値かつ高所得ステータスの一種だ。どこかの金髪のせいで容易に分かってしまったのが惜しい。それを身にした男は、自分よりも別、車の方へと目を向けていた。
「アレは」
「アレって?」
「生き残り」
「ああ、ユメちゃんね」
ユメと口にするが、男は表に出さずとも聞かない言葉と言いたげな視線を向けた。午前だったか、あの胡散臭い都夜子は、彼女の名前を即席でつけた記憶がある。アレは演技の素振りでもなければ、本当に彼女には名前がなかったらしい。あの片割れの桜子は、まるで彼女の名前のように呼んで可愛がっていたから忘れていた。
後部座席より奥、トランクの方に目配せをして、先に後ろへ回った仲介屋が開ける。
中に、見た目黒髪振り乱した少女が一体。喉までティッシュ一箱分ほど喉に詰めて、手拭いで口を縛り付ける。いつどこで、またあの異形が出てくるか分からないからと手足の拘束と目隠しも欠かさない。出刃包丁で深々と突き刺した胸部中央からの出血はない。運転中の振動か、柄まで体内に潜り込もうが、シャツにプリントされた猫を切りつけただけだ。実質人間ではないのだから人間の体液は持たない。胸のあたりに、心臓だと人間っぽく偽るためにあの核が備わっている。そこから繋ぐ導線を常時何かで切断したら動きは鈍くなるらしい。
まだ少しだけ出ている柄に手をかけて、わずかに外界に引いてやる。ひとたびユメの躰が跳ね上がるが、それでも生きるための抵抗は見せない。生きてはいるが停止している、留めている。生き物にはあるまじき様子だが、男は虐待された生き物のような目で自分を見つめた。
「それで、君が運んでくれるの?」
スーツの男が目線を明らかに外した。良心か何かはあるらしいがもう遅いだろうと笑んだ。
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