3

 いつの間にか、外に放り出されていた。

 死の淵の酩酊さはない。澄んだ感覚、正常な五感を備えているが、肉体はぴくりとも動かない。直前に何があったのかは覚えている、暴れすぎていて昏倒した。ならばこれは現実ではなく夢。


――もしくは


 本機を手にして、絶やすことは成功したがその一部は体内に吸収されてしまった。と、なればこれはあの本機の物、いわゆる記憶の一部だろうか。背景は穏やかな農村を軸にしているが、一つの煙幕から始まり長閑さは潰れる、悲鳴と怒声。

 それらを覆わんとする火炎が、縦横に家々を焼き尽くす。これは記憶だが、悪い方らしい。立ちんぼの身体は、そのまま離れないが足が震え続けている。動けない、トラウマに近い、映像とその観客が自分だ。


 こうなってしまえばこの考慮もあり得る。人は美醜の醜、悪鬼百霊の無象に対してかたちと名前をつけたがる。それと同じで、悪いものには尾を余計に描きたがるきらいがある。


 目の前に炎が、人はそれを焦げついては逃げ惑い、だが赤として咲き綻ぶ花の中。瞳の中に、赤はよく焼き付くらしい。

 さながら走馬灯の灯火。その周りに人間が各々自らの最期を唄い踊っている。中には正気を未だ保って火を炎としているが、まあ現実の苦しみが待つのみだ。戦火は公平に、燃え上がるそれらを魂の隠喩として人々を震わせる。

 ある者、精悍な負傷者は幼い頃の母を回想して求め喃語を鳴き出す。ある者、快活そうな青年は片足吹き飛ばすされたことも気付かずに勢い余って転げる。ある者、子を支えようとする母親は煤けた赤子をあやし慈愛に満ちた顔を浮かべる。ある子、ぼろぼろに擦り切れた服をまとった女児、爆音が鳴ると花火だと手を叩いて喜ぶ。

 奥の民家から一人、幼い少年が飛び出した。彼は可哀想なことに、幸せな思い出を持たざるほど長く生きていない。だが後ろを見ることは出来るらしい、家の方へ振り返り、そして彼は駆け出す。顔を歪めていた、幸せな毎日に思いふけっただろうか。

 平等に、均等に血色よりも鮮烈に、激しく、炎は人の肌を赤く染め上げる。着色させ、人を生かす。


 そして平等に死ぬ。

 奥から投げ出される一閃、そこから咄嗟に身体が身を構え、閃光が目を焚く前に瞼を瞑る。すぐに、静かになった。煤けた、焼けた生臭さが鼻にしみる。余りにも無の爆音だ。となると、これは火の伝搬を用いた焼却とも考えられる。爆弾よりは耳を侵さない、殲滅には最適として選ばれたのだろう。


 とは言うが、眼前に黒ずんだ焦土のみが広がっている。肉体が全く動かず、そのまま胃から競り上がって吐き出された。吐瀉物、今日食べてすぐのものだろう、人間の胃液にかかるしっかりとした肉片と卵と似た切片。それらを彩るドレッシング、量の多さから肉体の持ち主は羽振りが良いのだろう。

 背後から、おいおい大丈夫かと気の良さそうな中年男の声が背中を擦りながら問いかける。それも、聴覚は鮮明なはずだがどこかぼやけている。肉体は彼に、臭いのにやられたとだけ答える。そうして男を離れさせ、また一つ吐き出した。野菜類か、細切れの菜葉が肉に降りかかった。肉類に卵にサラダ、さぞかし裕福らしい。

 胃の空洞を感じる。もう吐き出す物もないと体はしゃんとし直すが、誰かがズボンの袖を引っ張っていた。自分ではない彼の神経が、鋭敏に張られているのが分かる。一人にさせてほしい彼の前に、もう一人と情報を与える自体が脳にダメージを加えていた。


「まま」


 どうあれ、その形が何であれ一人だと認識する。効率が悪いほどに感性が鋭い。それは皮膚が爛れて顔すらも分からない、焼かれて肉の一つ一つも熱で癒合されている。目から水分が抜かれて空洞の虚を見せる物にも、子供だと体は判別した。それは息が停まった。幼児の縋る手が小さな五本指から大きな一つ指にくっつくと知る刹那、口内が乾く。


「ま、まあ」


 胃液だろう。焼けた匂いばかりの暗闇の中で、酸っぱい生きた香りを嗅ぎ付けると来るだろう。そして子はそれは母だと無邪気に信じて疑わない。

 そしてすぐに中年男は助けはやってきた。幼児を高く蹴り上げて、靴底で一撃踏みしだく。水分を要にするとは思えない、ぱっさりした音を立ててそれは動かなくなった。


 精神が分離されている分、まだ感情移入には程遠い。自分が冷酷ではなく、あまりにも唐突な夢のせいで前後背景が分からないことが助かっている。突然、過激なビデオ見せられて感想を勝手に感想を求められた気分だ。

 だが当事者の身としたら、殺せないという理由がつく。この状況において、この身体は助かってしかも親切にされている。それでもなお身体の拒絶が収まらない。同族を、人間を、殺せないのだ。


――だが


 これは彼にとって紛れもない悪夢なら、それによる脚色と捏造はまだだ。これは現実の、過去の焼き回しに過ぎない。

 すぐに来た、彼の足元から這い寄る者がいつの間にか出てきた。数体、複数体、髪も焼けた肉色の物体が、棒切れの肢体を動かして近寄る。それらは助けてくれとも言うが、同時にうらぎりものとも言っているように聞こえる。要するに罵詈だ、彼らの体臭、死の臭いだけが迫った。


「――全く君は無茶をする」


 その上に、えらく爽やかな香りと声を被せて。まるでこの夢の空の綺麗な青空を示すように。




 字通り、追いつこうとする魔の手から部長が後ろから抱き寄せる形で退いた。硬い服装から、先程までの軽装に変わる。心地良さに脱力する前に――部長の腕の中に抱かれてしまった。

 退く拍子に、彼は椅子に深く腰掛ける。自分を膝の上から離さない。26の男にこんなと、足をばたつかせるが天井すら届かない。


「……伸ばしましたね」

「ざっと194ほど」


 男色の気はないはずだが、やや食い足りない牙を見せかける声色は、耳に悪い。低音が、封じたはずの肚を悪寒に晒し。それを認めろとまたきつく自分を締め付ける。落ち着いてくれと沈ませた。自分は、26歳の自分は、見た目37に、淫魔に、抱き締められている、まるでぬいぐるのように。句点を過剰にさせながら唱え続けるが、生の貪欲さが縮こまって性に変わる気配まである。

 気紛れに、今時分がいる空間を見渡す。先程の雑多な風景とは変わった、黒一色に塗りつぶされた空間。重力があって、初めて精神の安寧が得られる静寂、漆黒。この空間は何度も来たことがある。


「上から君の痴話喧嘩が聞こえてね、随分派手にやったな」


 確定した。確実に、彼は部屋に戻って治療している。そして次にどうなっているかも検討がつく、全裸だ。その肉体が修復されている間に、こうやって識者の知恵を悪用して意識に入り込む。そして、問訪ねたり、あるいは性的に弄ぶことだってやる。部長はそういう上司だ。


――だが


 いつもなら、重傷した自分に対して胸部に、シャツの下に手を潜らせない。いささか接触がすぎるが、この程度ならまだ優しい方だ。となると、部長が求めているのは愛玩動物キティではない、調査官ドッグだ。記憶を読み取り、なおかつ今まで戦ってしまった証人を、情報愛でる者は離さない。離すわけがないのだ。


「整理したいので、途切れ途切れになりますが」


 是の合図か、髪が深く項にかかる。擽ったさに身をよじるが、固く閉ざされた中では藻掻くことすら叶わない。体臭の欠片もない、無機質さに塗られたコロン。これは、いつも苦手な気色だった。


 まず彼は、「機関」を知り、さらに瀬谷と松山を狙うなら、Tまでの組織構造を把握している。しかしデータとしてはそこまでだろう。

 瀬谷鶴亀と部長しか持ち得ない二重詠唱、即ちライトノベル詠唱を察知することはなかった。松山とYがどこかにいる、瀬谷鶴亀の名を知っているなら、ある程度は得ているが。秘匿に関するものは分かっていない。その程度だ。それならまだ正式に認められていない笠井、隔離されているワンは認識出来ていない。


「バレーナ自身は操られていたという意識すらない、自分がしたかった、この程度のレベルだった」


 これは本人には確認していないが、内心の空洞さが明らかにしている。本人は松山が上司であることすら知らずに、だが的確に攻撃した。彼の意識と記憶は既にある、そして知らず知らずの内に攻撃している。霊の憑依とよく似ていた。


「それほど催眠は無意識を装えるが一方で、自我も強い」


 自我、バレーナは確実に個性のほとんどを奪われたが、自分が魚を示す名。そして魚に対する魔力の衰えはなかった。それなら、抽象的だが本能的なものはまだ消えていなかったと推測できる。本人が何らかの意識を持てば、行動することは可能の範囲に彼はいた。


――だとしたら


 バレーナの芸当からして、出自は後ろ暗いところで間違いはないだろう。経緯はどうあれ、そこから彼を摘みだして操った。これに因んで、バレーナは人殺しのような荒稼業に慣れている。その技術は嗅覚は、記憶がなくても生きる。

 そして操った黒幕は、死に対しての恐怖を抱いている。暗殺を目論む、ましてや肉薄で操作できる傍ら自分の手で汚すことは考えにくい。


「……松山さん、わざと怪我しましたね?」


 本当に途切れ途切れだが、部長の世界そのものだから都合よく心は読み取ってくれるだろう。続けて、返されないと確かめて自分のペースで思考した。

 脅しの為に、松山を襲った。だがそれと伴う出力なら牽制程度の力じゃ、第一関節の指を骨ごと切断できない。彼は、そのまま冷静に応急処置を行い、縫合の為に病院に向かったらしい。

 

――俺は出来ないが


 考えにくいが、あえて自分の指を切断して誇示をした。そしてバレーナに本能的な警鐘を鳴らせた。そうでなければ近くにいるYは本能的に殺す、同時に抑え付けるような眼光、威圧で黙らせた。

 そして松山が指を切断した。即ち操られたと判断するには不可解な動きが彼に知らせる。


――ああまたか


 これではある可能性が事実となって台頭する。もしかしたらまた、彼がゲームマスターとして主催される馬鹿げた話に付き合わされていた。今までは知らず知らずだったが、今度は手掛かりを得た状態で立たされている。部長の腕が、知らないとは言わせないと代弁して強い。

 だが、話し合いの場まで漕ぎ着けた以上、それに数人しか知り得ない某所を把握したなら限られる。念の為話は聞いていたが、そこは松山が行きそうにないカントリーなレストランだ。そこで日常的に食べる、という情報はあるはずがない。彼は待ち合わせ場所を知っていた。あんな馬鹿に図体のデカい二人を連れて行くのだ。それなら人気の少ない、外部の人間を松山らも分かるように指定するはずだった。


「……奴はイルディアドの話を知っている、だが彼の護衛そのものを中止させるなら、Yを牽制するべきだ。真っ直ぐ向かったのは思念……また変なの考えてたとか、そんなの」


 そんなのとは、つまりそんなのだ。瀬谷とYには遠そうな、だがわがままと冒険で近づけさえできる、そんなの。


「たしかに『そんなの』だな、加えるとエージの場合肉体的損傷で私を呼べる。原則ではそういった決まりだ」

「……イルディアドの依頼を受けている時点で何言ってんです?」


 曖昧な言葉を曖昧に返す。まるで首都からの許可を得たような言い方だが、ヨウの依頼は個人として処理されている。ヨウは、あの邸宅からは尽きることのない財宝が眠っている。首都に言い渡すのは惜しいほどに。首都への露呈は最悪、そして万一の行動の言い訳や理由付け程度にあって漏れる意図はない。あってもどう得をするかも見当がつかない。

 急に顎を上へ持ち上げられ、顔を覗かれる。素顔を現実ぶりに見たが、相変わらず笑みを浮かべてそのまま、否応なしに口付けた。引っ掛けに気づいてくれたのが嬉しいらしい。

 そのまま、見上げて晒してしまった首に手を這わせて、軽く押し込む。首締めではない、羽毛をしかと触れて掴む愛撫。ほんの少しの息苦しさにくちひらいて、喘ぐ舌とを絡ませた。じゅぷじゅぷとうごめいて、一人よがろうとした呼吸を奪う。穏やかな動きとは逆に中の熱が、あつい。小さく零れる呻吟に、唾液と滲ませて濡らした。

 体液の強姦を感じる。生気が、そこから肉が酔って冴えた諦めを得ている。力が抜けていく。後ろに回された腕は緩くなったが、抜け出す意志を投げ棄ててしまった。


「それで、由々しき漏洩をどう対処すれば良い?」


 迫られている、一択に。

 重力に従って落ちる唾線を、舌で受け取る。生温い、まだ温度があった。


 自分に危害を加えたのは、情報として追おうとしたから。

 部長との会話を聞き、そしてそれは機関らしいと彼は攻撃した。人すらも殺せない彼は、ミスをしたバレーナを差し置いてそれを例外とした。再三考えたが、彼の能力は強力だ。接触できる相手にはいつでも攻撃が可能である。だが今更発動して問題なく届けられた時点で、部長が届け出る間は察しがつく。部長は、何かを知っている。知っているからこそ面倒ごとを避けるために、自分から会話することを減らした。


――情報化を恐れている


 彼は何かを恐れている。だからバレーナを拘束された際は、殺さずに彼らの話を傾聴することで様子見にした。だが自分が機関らしい言動をしてしまった、ここでここまで来てしまった。


――だが


 あの時手にした本機、あれは人体の一部ではなかった。正確には、自分の感覚を頼りにするなら、それもまた草と思われる。そして松山の位置情報を把握するもの。


――ヨウ・イルディアド


 いいや、彼は有り得ない。絶対に有り得ない。

 それは、この世界においてまず選ばない。植物のエキスパートだからと容疑にいれるのはナンセンスだ。彼はイカれている、数多の未来をつかさどる上で植物だけに託し委ねたジェンガ野郎。植物の情報以外に何も価値を見出さない。常人の思考を、どこが持つというのだろうか。


「……佐藤イブ、彼をもう一度調査させて下さい」


 部長の瞳の奥で自分の顔が映る。そこから嵌められた自分の瞳は黄金よりも、少し青っぽい。

 いいや、鈍いが青白く発光している。それはいつだって、正答を示す象徴であった。

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