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 それから、時間は早く過ぎ去った。会話を交わしたお陰か、幾分か園内の空気は和らいでその後軽い雑談をぽつぽつと行った。ヨウは植物を使って創作料理を作ったりだの、タクモクの好きな音楽はクラシックだの他愛ない。その話題に合わせて自分もまた、浅いながらもいらえることを繰り返していた。次第に天から夕へと、宵闇の気配を葉陰から色濃く出始め、ヨウが様子見に来るまで作業を続けた。その頃までになると、佐藤の口調も敬語から抜けてやや砕けていた。いつぞやの、賀上の時に見せた気さくさがより強く出ている。そして人懐っこさから、一つ二つ自分から話しかけることも増えた。


――早かったな


 今は屋上のベランダでひとり、手摺にもたれかけ上空を見上げる。佐藤と回収した頃の洗濯物は跡形もなく消えて、広々とした夜空だけがかかる。昼と夜、乾きたてのシャツと夜天、白と黒、対極だと言うのにやわらかさに満ちている。晩春の風が、眠りから醒めて辺りそこらじゅうを動き回っていた。それは夜も欠かさず庭園の花を包み込み、蕾には花弁を爪弾いて咲かす。夜が、眠りやすい夜がやってきた。

 夕日のぎらついた赤もいいが、それは軈て空の灯火は星の水面に溶ける。星屑が、甘やかな響きを以ていつしか空へと顔を出す。群青の空の中で、僻地のお陰か無数に頭上で散らばっていた。それを訳もなく、探す理由もなくぼうっと眺める。星辰のしろがね、冴えた色だが冷たさを感じない。涼やかな夜風が温度を代弁して、他者に抗うはげしい光はなかった。

 一日の中で、とても遅く感じる。業務の一つに入っていた家事も一通り済ませたのだが、ヨウから自由時間を言い渡されたのだ。瑕疵にまみれた体を見せるのは憚られるので、深夜帯に遠方の浴室を借りるつもりのせいか余暇がある。だが趣味といえるものはない、馬鹿真面目と言われていたことだけあって生き甲斐のみに生きて甲斐なく死んだ。あの時、どんなに感情を尽くして佐藤にぶつけていても蘇ることはない。腐乱の臭気は、もう蛆に食われてなくなりかけている。本当に、ほんの少し彼の感情で突き動かされて、生きたいと出てきたゾンビだ。

 理由もなく、星を眺めては何も考えない。こうしていた方が、よっぽど自分らしい。そして次に考えることは本格的に計画を実行する明日のこと。何度何度も、黒いキャンバスの上で自分の巨躯と凶敵を描いては模索した。


「星は好き?」


 視界に、緑が。

 今生の夜には目立ちすぎる緑色の髪を靡かせて、ヨウが近寄った。目の奥に青い、瑠璃色を深く宿らせている青葉を湛えて、昼と出逢うことのない夜へ代弁する光。背中まで伸ばした長い髪は、いつの間にかポニイテイルに括り付けて元ある中性の輪郭を目立たたせる。

 昼間のどぎまぎは、もう鳴りを潜めたが綺麗な顔立ちだった。薄くて細っこいシャツからも、体のラインがよく見えてしなやかに伸びる背は気紛れな猫と似る。だが犬と猫の好きは、どこか違う気がして、正直に言い難かった。


『地上よりは』


 佐藤に向けて昼に話したことを言う訳がないが、どうしてか迂遠に、意味有りげに言ってしまった。わがままがまだ生きている。それは自分が人間だと喜ぶべきか、鬼の死として悲しむべきか。だが硬い表情筋では顔で察せられることはない。それにだけは確かに安堵した。


「冷えるから中においで、あとヒヨ君と話したいしさ」


 晩酌のこと、だろうか。確か17歳だと断りを入れたが文脈としては話し相手になってくれと頼まれていた。ヨウに話せるだけの話題があるかどうか、思い巡らしていると腕を掴まれる。白い肌なのに温かい。羨ましく、感じてしまった。


「危ないから繋いで」


 夜目は効く方だととっくに知っているはずだが、ヨウは握ったまま離そうとしない。すぐに腕力に任せてしまえば、良い音で折れてしまいそうな細さだ。それを傷つけまいと、黙ってヨウの進む方へと歩く。


――この腕は


 彼は知っているだろう。自分が何かを愛しいと表すよりも、内臓を潰すために抱き締めることが圧倒的に多い。その腕には何度も他人の体液がこびりついている。彼と同じ男を、あるいは魔法使いを、美丈夫を何度も殺し続けた腕だ。そしてこの先も、ヨウと別れた後も血に濡れると約束された。

 彼が触れるには、あまりにも冒涜だった。本当は振り払いたいが、それは彼を傷付けてしまう。初めてされたが、どうしてかそれは分かっていた。

 対して、本人の天然ボケか導く方のヨウがよろけて転びかける。その前に上体を自由だった片腕で抱えて、そのまま胸元に引き寄せた。


――どうしよう


 第一に過ぎった不安が、佐藤に見つかることだった。

 それくらい、そうなるくらいには、幸せだった。

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