3
狸の瞳からくぐり抜けた小人達は皆、中から薄紅色の死肉を頭の上に乗せている。それでもなお、数体は狸の体内に戻り、また戻っては肉を書き集めることを繰り返している。その行き来の最中、残った者達は狸の毛皮の中か外側で外部の見張りを行う。統率の取れた行動だ。耳をそばだてれば、微かに言語のような、不明瞭だが形式を持つ声を発している。そうして、皆が皆皮膚は緑だが、服としての文様を身に刻む。これだけでもコミュニケーションと宗教的思想は確認できる。
それほどの人数なら、小動物くらいの狩猟は易い。だが狸の死体そのものは、眼球を除いて胴体や足に外傷は見当たらない。彼らは学習能力もある、むやみに攻撃するより視神経を辿り脳へと直接ダメージを与える方が的確だと。そこから内部を食い潰して中で動かすのも、カモフラージュとしては適当だった。
文脈から、佐藤が来て間もない頃に彼らが転移されたと考えられる。魔法の移転は座標が指定されない限りは魔力が充満された所に自動的に決まる。この異世界植物だらけなら、このサイズでの移転も無理はない。だから唐突にここに来て、だが狸の狩猟は簡単に出来たと見える。
――頭は良い、だとしたら
移転に事故は有り得ない。厳密に言えば事故で移転されて生きた者はいない、転送される身体ごとバラバラになってしまうからだ。意図的な異世界転移から彼らはここに来たと考えられる。
亡命、その二文字が浮かぶ。
おおよそ、言わんとしていることは分かった。これは暗黙知、軽く口に出すべきではない繊細な話題だ。
「怠惰国と暴食国って知ってます?」
怠惰国と暴食国、名高いボスの絵画を見るなら地理的には隣接している。簡単な概略では、多民族を纏め上げた天才が新たに興した国が怠惰。暴食は強欲と双璧を成す、魔法が発達している他機関との関係が深い一国。強欲との違いは、元首が憤怒国と同じく正真正銘の化物として君臨するが、人間に対して極めて温情な政策を執る。その程度のものだった。
「怠惰国ってまだ新しく不安定だから、経済的支援と人間と人外の公平化だって、最近共同開発地区だとか出来たみたいなんですよ。それで住みづらくなったらしくて」
『住みづらくなった、というより住まわせてくれない立場にあった』
「……実際、そういった理由だと思います」
佐藤の一言が重いが、彼らはサイズとしては人間ではない。だが使える脳味噌があるならば、それをいくらでも利用する手立てはある。政府からの隷属を避けての決断だとは簡単に考えがつく。
人間と人外の公平化、というのを掲げていても暴食がそれを理想としているのは定かではない。だが不運なことに取引先の世界がやたら人間が多いから、それへのアピールだろう。人間は繊細な手芸を除けば、どんな職種にもコストは他の人外よりも高い。
――開発地区か
暴食と怠惰のどちらがこれを提案したかは分からないが、隔離にも近い。実際そうでもしないと、特に人外の割合が多い怠惰には憂慮すべきことだろうが。
話し終えた佐藤は、視線をしばし彷徨わせる。それはとても弱々しいものだったが、狸から懸命に肉を採取する小人に向けて目を細めた。
直感として、それは同情ではなく優しさだ。ここは情報の巣窟に等しい、一歩先の景色を部長に話しただけで万にも億にもなり得る物しかない。小人も、本来は機関に報告されるべき代物だが、ヨウの判断で秘匿され続けていたのだろう。
――もしも
機関の人間としてすべて報告したら、だがそれをシュミレートする前に佐藤を見て戸惑う。報告する気はない、ないが、その前にしなければならないと使命感が湧きだっていた。
「……すみません、仕事しちゃいましょっか」
『あの、佐藤君』
俯き加減でいた佐藤に、自分の今までの境遇を説いた。それはもう紙すらにもならない焦土と化した塵。小ぶりの蕾を携える植木鉢を動かしながら物語れる気軽さ、ウェットさで咲いてしまいそうな半生だ。導入は、単刀直入にここに来た理由とここまで来た意思を。
次第に、これまで話すことはない勝手に流されたエピソードを順に言葉が溢れた。双子の弟との確執と決別、まだ名前を大切にしていた頃、その頃食べていた果実の甘さ。擦り切れて熱っぽい食道を擦り、セピアに枯れた記憶を色づけて吐いた。露わに、観客だろう佐藤に向けて、だがそれはもう死滅した金魚であることも忘れずにしっとりと。
言葉を紡ぎながら、鉢への移動は恙無く行える。
情念は、最早薄い。濃い冷静さの中で、自分はあの激動を語っている。目まぐるしいシキだ。それでもなお、目的だけは燻らずに一字一句乱さずに言えてしまう。
一人語りは少しばかり物悲しいが、佐藤は耳を傾けていた。同情よりも他の色を見出したか、もうそろそろと話の内容がつきかけていた頃には、目線を合わせた。
青年と幼さが混ざった、あの丸いけれども視線は固い目つき。だが本質は優しいのだろう、暗澹たる言の
『――長くなっちゃった』
「……びっくりしています」
それは自分が寡黙か、言いなりの性格に見えたかどうか、そう突っ込むのは野暮かと黙った。それでも、向けている
『機関ってさ、僕達の情報は道具になるよ』
手を止めて、顔ごと佐藤の方へ向ける。その目に対して、自分だけの作業は不誠実だ。
『自分のことは自分が一番分かってる。自分が体を持っているって抱えて、それでずっと考えて死にたいって意思を持ち続ける人はいる。でも機関では人の死さえも、何でも、物になっちゃうのも知ってる』
そこは、普通は生きたいという意思を持つべきなのだろう。だが目的を手放さない以外の自分は、疲弊してもう骨すらも砕け散りかけている。死人が、何度もある意味で死んでしまった死に損ないが、死人にまた語りかけている。佐藤もまた、組織からはみ出てしまった死を経験している。そして彼は佐藤イブとして、前の自分を哲学として記憶するのだろう、彼には全て響くことはない。
それがどうしてか、佐藤の開きかけた瞼が氷を溶かすように穏やかに見える。それに自然と、口があたかも生きたように開けてしまう。
『それでも、そんな所に働いてる僕でさえも、君は彼らのことを伝えようとした、君は優しい。
だから僕はそれをどうにか、僕として道具にはしたくない……それと、僕の話を忘れてほしくない、そんなわがままだ』
そうして喉から泥濘んだ鉄が流れて、生者を終える。咳き込むが、どうやら少し亀裂が出来たらしい。自己回復出来る範囲だが確認がてら吐き出したさで咽るが、引っかかって気持ち悪い。
そしてじんわり、熱が痛みとして成長を迎える。それの方がより、皮肉にも生きていた。
「今の話、機密ですよね」
『うん』
「機関を好きでいないのは確かですが、機関みたいにならないとまでは……」
『いいよ、構わない、忘れてほしくないだけだから』
そう、ほんの少し呟いただけでも
『あっねえ、指切りげんまんとかやったことないんだ』
そして自分は17歳で死んでしまった。
それ故に未だ幼い、子供らしいことをしてこなかった、大人になりかけの幼体だ。佐藤は何を馬鹿なことをと、向いてくれた顔をまたそっぽ向く態度は年相応だった。
『おねがい』
室内の湿気にやられた、その素振りで何気なく腕を捲くる仕草を見せる。
白い腕、130Kとしての色素には不釣り合いな隆々とした肉、それを刻む傷と打ち込まれた痣。白い腕、というのは僅かな面積の中で最も人間的な色だった。それ以外は赤黒く腫れ上がり、おもちゃみたいにポップな縫い痕さえある。接合したばかりの骨も、未だに軋んで甲高く罅割れそうなその音がどこか恥ずかしい。その創痍の中で生きているのか、創痍があるから生かされているのかも分からなくなっていた。
この傷を見せてしまったら、佐藤は嫌でも頷いてしまう。それくらい、彼は優しい人間だと長口上の中ではっきりとわかっていたことだった。
狡い人間になってしまったと、死者として笑んだ。
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