【Y/Bluebird Story】1

 大男の失態をヨウは構いなく、裏口へと奥に遣った視線で合図を送られる。正門とは脇道にそれた端、芝が茫洋と生い茂った裏背戸から邸宅の中に入った。

 地格の低そうなこの立地では、九桁程度の資産があれば手易く購入出来る内装と広大さ。現代的建築、かつて豪奢な装飾で熾烈散らせた過去の様式とは離れた、白い壁に囲まれた外観。その外に反して、中は濃密に人の個としての魂を宿らせる。内部は渡り廊下の窓から見てすぐ、最奥の間を見つけられるほどに全体的に窓張りされている。尋常じゃない、境界なんて最早ないほどの透明感がこの居邸だ。

 導かれた先のリビングは、日光を満遍なく差し込められる天窓が設けられていた。採光用だが、それだけじゃない。そう言わんばかりに洒落気ある大小まちまちの天窓から青空、引き違い戸から緑葉を一望出来る。顔を上げれば、ついぞ至近で見た無数に咲く可憐が、成熟した舞子への変貌が見て取れた。四季の表情を見れる為だけにつくられたと言っても過言ではない、家と言う個性。リビングそのものにも観葉植物が幾つか置いてあるが、プラスアルファよりはそれしかない。

 ローテーブルの下に何故か置かれたペット用のドーム型ベッドを除き、そこら中に鎮座されていた。仙人掌、サボテン、棘はないが多分丸いからサボテン……娯楽そのものが植物と示す。佐藤の苦労が思いやられる。


「僕はヨウ・イルディアド、家のこと知っていると思うけれど訳あってヒラ、本社からここに飛ばされてちょっとした仕事でここに住んでる。通勤には時間がかかるけど、おすすめのアルバムを一周しながら花畑を眺められるから飽きない」


 なるほど、と今までの不明瞭な動悸に意味が象られてゆく。我ながら可愛らしくて咽返る甘さをヨウに抱いている。そうでなければ今の簡易な紹介に、もっと声をと無性に欲しがる理由がつかなくなる。

 ヨウはローテーブルに近寄り、置かれていたティーセットから茶を入れる。淡い黄金色がティーカップの白磁に映える。ポーリッシュポタリー、外側にデザインされた群青のポップな花の可愛さとよく合う。

 嗅覚は鋭く、部長から上役の相手には瀬谷になるなと仕込まれた。だから癖のある香りが受け入れやすい。彼が入れた茶はローズマリー。学名では海のしずくとも意味を成されるそれは、生命の如き開花を魂に染み渡らせる。力が抜けるハーブとしての当たり前よりも、それより上品に紐解かれる、どうぶつとしての弛緩だ。少しだけ、顔が見れそうと視線を動かす。緑色の瞳、淡い薄桃の熟れない唇――いいや、ほぐれるにはまだ溺れやすい。


『アルバム?』


 そう、まだ本題には映らず、移り気らしい彼に乗じた。隣にいると気が触れてしまうので、彼の向こうのソファに座った。


「いちばん上の兄さんが音楽好きでね、胎教と似た形で、植物に歌とか聞かせているんだ」

『仲が良いんですね』

「ううん、お節介さん」


 突然テーブル下、暗がりだったドームベッド動き出して、そして葉の囀りを発しながら這い出る。体長は猫ほどはあるか40センチほど、全体は葉と小振りの白花に覆われて皮膚は見えない。視覚はあるのか、それはヨウを通り過ぎてソファに、そしてジャンプして深々とのめり込む。翻った拍子に足のようなものは見えたが、それでも中は見えなかった。

 

「タクモク、どこにでも生息する二足歩行の多年草、空洞には求愛行動の囀りをより深く美しく響かせるから鳥達が好んで入るし、タクモクもまたそこからつられてくる鳥から受粉を伝搬させる」


 タクモク、聞き慣れない言葉だが意思を持って動き回る多年草は現実世界にはない。となると異世界から採取して飼育されたものだろうか。


『利害の一致より、偶然ですね』

「綺麗な言葉だとコミュニケーションだね、僕この子に携帯取られちゃったけど」


 一編、タクモクの内部から洋楽が流れる。表情は未だ判然としないが、タクモクはそのままソファから離れずにごろごろする。ふと、葉と葉の間にわずかながらも猫の耳のようなものを見つけた。黒い内毛、猫っぽいよりは、猫そのものゆえだろうか。

 ヨウの言葉通りに、体内から流れる音楽は葉を通してか響きを深く、それでいて染みやすい。名も知らない、粗っぽいが理知の弾き方からしてフリージャズだろうか。重層な緑葉が触れ合って、鍵盤の微細な震えを鳴らし、重奏へと変幻させる。自由気ままにタクモクがそのまま寝付くようにして、奏者同士の指先も捕え所を知らない。それでいて美音はメロディとして一体化するせつなさを生む。寝付くタクモクをヨウが撫でると、晴れの穏やかさを知った。

 いちばん上の兄、それは情報としては一時は彼の立場を追いやった張本人だ。だがそうして記載された資料よりも、実家とは嫌煙の仲ではないらしい。過去の渦中にいた本人は、彼の性格をお節介焼きと軽口を叩く関係。それも本来は敬遠するはずの兄からも連絡が取れて、継続しているということか。兄弟というのは、どこでも嫌でも繋がるという良い例だ。

 猫っぽさを見せるタクモクから、ヨウの独断の権化の一つにも思える。変態と付き合った功だが、つまりは恐らくはヨウの趣味の現れもこのタクモクだ。自由意志のある植物の創造は、イルディアド家は黙らないかもしれない。


――それ故の独立かな


 ヨウがただのヒラではないことは、よく分かっている。彼は松山と同じように、特異から手を出させない者。だが家との繋がりが強い。そこからまた諍いになる懸念はあるが、実家もヨウのこの穏やかさも知っているだろう。自分が肉体派のせいか、波紋が揺らいで外部から利用される家でないとも暖気に考えた。ゆるい、ゆるすぎて、こちらの指名を忘れてしまいそうだった。


「……毎日楽しいけど、悩みがあるとしたら、イェネーファ郷土酒を飲む相手が僕一人になってね、イブ君は付き合ってくれないから、どうもつまみも進まない」

『17歳なんですが……』

「知ってる、エイジから聞いたけどそれだけしか僕は知らない。お酒は枯れた花に色を付けるようなものだし……しかしY、君? 本当に君はそのイニシャル?」

『そう、イニシャル』

「じゃヒヨ君にしよう、ヒヨ君はまだ若いからまだ枯れてすらいない、だから……吐き出す?」

『会話をする?』

「そうそうありがとう、君のこと沢山知りたいね」


 秘密を貫く家のヒト、そして秘密を創り出す者は軽い、恐ろしいほどに軽やかな人間を見てきた。その軽やかさは生命の価値と反比例させることが決まっているが、嫌な気にならない。アルコール、アルコールとよく似ている。歯触りの良い口調と、声だ。それは自然を体現させている。少女の描く理想の花畑色の雰囲気、女性が彩る安らぐテラリウムの声音。息吹吸い込んだ萌黄色の長い髪が、それらを兼ね揃えていた。

 一口、淹れ立てたハーブティーを口にして、甘露で癒やす。視界が、ぎりぎりのところで鮮やかに見えた。緑色の長髪に緑色の瞳、それだけの言葉で情報が片付くならあまりにも無情と気付かせられる。

 美貌という言葉は硬い、美人は陳腐で、ただうつくしいとだけ、その単純な言葉しか許されない。


「それで、ヒヨ君と仲良く出来たらいいなって思った」


 届かない人、主人の中の主人だと、本能で感じていた。彼と自分は違いすぎている、そう諦めてやっと、彼の姿をまともに見れたのだ。

 だとしたらその類義語は、穢らわしくも恋だ。

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