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 危うい、匂う香りがほんの少しまだ寄りかかっていたいだのと余暇を許してしまっていた。今近くにいるのは食肉を拷問器具とする海千山千の血も涙もない上司だ。そう、ここからが仕事、仕事の部下として油断を見せてはならなかった。


「イルディアド家とその三男のヨウの魔法の相違点……今は口頭でしか説明できませんが」

「汎用性のみで構わない」


 フローリング木目の一直線上、その先のリビングに柘榴はにこやかな顔を他所に向けて鍋を持っている。その姿を見送り、真横の一室に向かった。

 洋室六畳間、無機質な天井付き照明が床に散らばる実験一式を照らす。犇めいた本棚と散乱する古本の山。中央には部長の頼まれたもの一纏めに用意していた。早朝、部長からの電話の最中に運良くベランダの手摺に停まった烏。それと柘榴の花壇から拝借した横文字なんとやらの赤い花。青いビニールシートの上に乗せられたそれらは、手折られた足を無邪気に動かして床を這いずる。少々無理して動いたせいか、生け捕った時よりも付着した血は多く臭いが濃い。だがまだ興奮している以上は、問題ないだろう。


――汎用性、のみね


 汎用性、つまりは概要についてはスキップして欲しいとの要求だ。部長は先立って、ビニールシートの上でわだかまる烏を素手で撫で付ける。赤黒い、濁った体液が部長の白いはだえに付くが、顔に嫌気はない。続いて烏の眼孔、眼球の代わりに青々と生えた植物を指で撫でて、先端に咲いた花の花粉を付ける。続いて鼻先を少し近付けていたから、生花と確認出来たらしい。


 瀬谷が烏に施為をしたものは、ヨウ・イルディアドの術を模倣したものに過ぎない。対象者は、松山と共にヨウと会食した際に隣にいた佐藤という青年。門外不出の輩の一人であり、更に輪を掛けて一匹狼の変態魔法使いの手によるものだからマニュアルはない。だから彼に出会ったその一回限りの考察と施術にて、再現をしている。


――ヨウ・イルディアド


 前提では、彼は植物を愛してやまないジャンキーだ。それは、植物を用いた魔法を特徴とするイルディアド家の出身であろうが、その範疇を超える。彼の伝説、反目行為として捉えかねない技術開発を本家に譲渡したことで事なきを得た話は有名だ。本家の筋を辿るだけでは彼の演算装置に辿り着くことは出来ない。だが、彼が新たな物の為に得た知見や知識、この場合植物学諸々を自分が会得しても同地に終着しえない。

 出来ていたら、彼が鬼才たる故に唯我独に立つことはないのだ。凡人の自分には、まず彼を真似するのではなくて、その被験者から学ぶ。言わば逆算をする必要がある。

 佐藤から得た発見は「人間と植物との共存」、「人間と植物の意思の両立」、これらが併存している。


――彼がその技術を受け渡すかはさておき、イルディアド家は手法から動物の調教による順応、ヨウのものは改造に近い印象です。


 口を少し開けて、部長に向けて言ったふりをする。

 煩わしいものだが、一から言おうとすると部長はやれお喋りな口だので塞ぎにかかる。あの戒めは今思い返せば寒気がする。


――ヨウの場合は特異な嗜好から生体移植のサンプルが極端に少ないです。今回は佐藤のみとした考察ですが、コストと倫理性を除けばかなり強いかと。


 コストらしい点は、植物が持つ生理的欲求を人間に植え付けて、欲求を強くさせることだろう。植物に自我が備わっているかの哲学を置いて、言わば彼は後天的なシャム双生児を成功させている。目から生えた花は日光により葉緑素を強くさせ、人間は何かしらの栄養素たぶん炭水化物を何かしら摂取して生きる。だが植物の場合、彼が陽のあたる場所に動かなければ死はある程度確定するので、その点衝動が増強はされる。

 だが、佐藤を見る限りではかなり都合の良い処までに留めていた。抑制剤のような外部の介助を必要とせず、植物を無視した人間のような動作を長時間行っていても異常がない。集中力はやや散漫としているが若年として許容範囲内か。植物が飢えているからと言って第三欲求の暴発は見られない、あえて言うならばドジを踏む程度だ。


――植物の本能は生殖、言い換えれば花の交配ですね。彼が頼っているものは、植物から注がれる魔力による延命措置です


 佐藤に植え付けられた植物は、佐藤本人曰く異世界にしか咲かない花、ヨウが用意した物だと伝えられた。自分は元は協会の出であり、命を救ってくれた恩で働いていると彼は見ず知らずの自分にそう言った。この口の軽さだと、佐藤とあの植物についての機密度は低いと考えやすい。


――気になる点は


 自分は、あの植物には見覚えがある。異世界に生息している物として、異世界に住む人間が薬品として愛用された物。古来までの物ではあるが、異世界の民俗学と地理を知る上で重要なアイテムだと調査員として知っている。植物から注がれる魔力、本来ならば現地人は魔力を詰まった果実を摘み取り、水で希釈させてから糧としていた。そのまま食べると薬ではなく毒になるからだ。

 佐藤には花が咲いていた。そして彼が言うには数ヶ月前からヨウに仕えていることから、周期の早いあの植物とは芽の頃から共にいる。花弁も毒を含む、ならばその免疫力は佐藤には既に付いている可能性は高い。言い換えれば、佐藤はあの植物からの魔力を、廃人にならずに直に補給できる。メリットといえばその程度だろうか。


 考え終え、薄く開いた口を閉じて固く結ぶ。いつからその所作を見ていたか、横目で見ていた部長が烏から顔を上げて、こちらを覗き込んだ。


「鶴?」

「概略は言い終えた、みたいな形です」

「成長したな」


 そう、形のいい口を少し上げて笑んだ。部屋に入るまでそこまで時間は経っていないのだが、随分と端折ってしまっら上での導入だ。

 それで良いのかと別の意味で噤んだままになってしまったが、彼の顔が早く聞きたいと言わんばかりに見ていた。少し高い位置にある目を細める。いやな、目に優しくない完璧な青だが、奥底にある瞳孔は童心らしくまるみを帯びていた。


「……汎用性ですが、高いと思いますよ。佐藤の場合は植物の生命力を使った王道ですが、人間の意志が残る点では他の領域、捕食本能に対して人間を使用したことによる用途の拡大は有り得ます。

 俺が考えるなら、食虫植物を人の顎下や手中に移植して恒常的な劇薬の製作等が可能です。人間の理性が残るので、理知的な戦略を実行することは可能です」

「植物の一部を移植すると変わらないな、彼にしか出来ないことは?」


 部長の言う通りではあると、少し考え込む。


「……ベクター感染ですかね。例えば、危険地帯で人間は近寄れない場所で育った植物は猛毒になり得ます。その植物を寄生者が虫を誘き寄せて、周囲に感染させるでしょうか」

「歯切れが悪いな」

「総合的に見ても、実用するには高い能力を要する割には見合っていない技術です。研究というよりも道楽にあると思いますよ」



 また烏を一瞥して数秒ほど考え込むと、不満もなく質疑もないまま、部長は部屋から出て行った。これからの仕事はヨウの研究ではなく、バレーナの尋問でじっくり数日かけて構わないとのこと。どうせ数日Tは別件で機能出来ないからと、さも他人のような顔でそう言って立ち去った。

 残された部屋の中で一人、ぽつねんと残された烏を見ながら考えていく。部長の好む通り汎用性のみ説明したが、全体の9割を省略したせいか説明不足が否めない。部長の技術の高さは自分が知っている、数回触れただけでヨウの全貌は分かったかもしれない。


――もしくは


 お決まりの、下っ端の事実確認で終えてしまったということか。今回は異世界諸国が絡む訳でもないから無理もない。恐らくはYがそこで見張りをするらしいという、ついでによる調査。そしてヨウ自身、調べるには手応えのない趣味だけで生きている趣味のための人間である。だがそれ以上の、なんだか黒々とした不安感がある。意外と自分はお節介なのだろうか。

 とは言え、終わってしまった。部長が踵を返した時点で自分もこの生ゴミも無用だ。


――今日はハズレか


 外れだがそれは――ヨウの考える使用途が極端に少ないという考察結果のみである。

 好事家の考えることだ、植物との共存の為の実現だろう。その為だけの迂遠なプロセスがあの魔法だが、ヨウという天才のもたらした奇跡ではある。まだ佐藤やあの魔法自体には使い道がある、それに価値がないとは誰が言えようか。

 ほんの少し、烏の聞き苦しい命乞いに意欲は削がれ逡巡したが、やる意味はある。このまま、ヨウの魔法の再現だなんてじれったいことはせずに、その先を発展させる意義はあるのだ。


 烏に手を伸ばすが、眼球を失った彼は無様に蠢き続ける。その上に、魔法使いとしての限界を解除した奇跡によって、彼は伝説として生まれ変わる。失敗しようがせいぜい、それに対応する部長からの折檻は肉骨粉ほどか。どうせ生きてかえるなら生易しいと、烏の首根を捕まえる。ぎゃあぎゃあ喚きたてるそれは、汚らしい羽色と反して透明な涎を手中にまき散らした。


「あ」


 つと、後方から袖を引っ張られて振り向く。直ぐそばに十七寸ばかりかの柘榴が背中から抱きついていた。

 分身の、生きていないくせして尾っぽからの分裂か芯からの熱がある。小さいから子供という単純な構成で創られた彼らは、そのままらしい大きな瞳で見上げた。身につけている漢服の旗袍チイバオは幻惑の一つとして抱きつかれていても、厚みを感じない。だが、我が身に擦り付いた頬はぽってり張り付いて、土筆ばりのしっかりした指が離れなかった。


もう少し調べたいからSee Line Ag……」


 いやいやと一体の柘榴が駄々をこねる。生命はあるはずがないが、いや、本人の気質の依存か幼いそれが粘っていた。無視をしようと前を向こうとすると、見た目とは似合わない力で尻餅を付かせる。その隙に前方に、先回りした残りの柘榴が烏を奪い取った。

 罵声を浴びようとするが遅い。強く手の中に捕まえた烏の頚椎を握でへし折り、目の前で本体ごと丸呑みした。少年の、児童の姿とは考えつかない大口を開けて、そうして歯もなく飲み干す。乞うことすらほおった烏型の肉は跡形もなく胃の釜底へ、部屋にはか細い羽根のみを残した。照明に照らされると、少しだけ縁に群青の露を浮かばせる。これが烏の濡羽が美たる所以か。

 口にした方の柘榴は、口端から烏の淡黄色の跗蹠ふせきあしゆびごと吐き出す。そして、嚥下の凹凸を鮮明に描いた後、幼児体型から伸張を始め青年へと変わる。いつもと同じような、人を食いたがりの毒虫のひとみと、烏をまぶした髪色。旗袍の柄も代わり、稚人ちびとお揃いだった烈火の紅を止め、群青に浮かぶ金糸の蝶と成り代わった。


「行きましょカ、ご主人」


 喉奥で羽撃き烏啼を交えた、小生意気で更に耳障りな声。有無を言わさず育った偽柘榴から担がれ、そのまま実験室から退場させられた。腕の力が強い、俵抱きにされた身体ではビクともしない。あの小さい方もまた、青年の偽柘榴に近寄ってついていく。

 カレーの香りが、近づいた。

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