2

 動脈と肉の部分が完全に癒着しているらしく、深く溜息をついた。この状態からすると、動脈を無理やり延長して肉の中に食い込ませただけではない。一旦切断して、肉の内部で作成した擬似的な血管と結合している可能性が高い。今すぐにでも血管や皮膚の再生は施せるが、あの生肉を使ってだと悪化するのは目に見えている。バレーナの衰弱具合から、人外の血を多少持つ場合を考慮しても人間寄りだろう。人間の体は脆い、自分は人間だからなおさら知っている。このまま放置すれば壊疽だの壊死だの、とにかくまずい何かになるらしい。


「麻酔っぽいやつくれ、ハファリンとか」

「自分雑すぎひん?」


 万年ずぼら妖狐の言動に顰む。そもそも自分達は腕を何千ともがれようが異世界に精肉として出荷されようが、この世界では一般人だ。一般人は麻酔薬を持てるはずがない。気休めにも飲めやしないだろうかと、一押しでアイコンタクトを取るが、柘榴は黙って首を横に振る。

 しかし体勢が気になるのか、ひり出した九尾の内一尾引き千切ってバレーナの枕元に寝かした。雑なのはどちらだろうか。そう口出そうとしたが、すぐに八尾から九尾に生え変わったので黙ってやった。

 時刻、時刻は午前10時程だ。生臭いと嘆息した。柘榴にある程度の道具を持っていくよう指示した後、その間にバレーナの紐靴を手にかける。紐靴から紐二本を取り出し、患部に近い前腕に両方ずつ固く縛る。柘榴から持ち寄られた手拭いをバレーナの口元に括り付けて轡に、劇薬の肉を桶に入った水で洗い流した。


黄色い何かアレアクリノール液薬どうしたよ」

「ドバドバかけるやろ」


 続けて、黄色い何かアレと言うような奴さんに渡そう思いませんわと躱す。その目は確か同じ黄色だったが、エタノールに鋭い。自分が腰を上げて取りに行こうとするが、柘榴が尻尾と共に道を塞いだ。仕様もなく持ち場へと戻って手首を眇める。どちらも両手首の損傷と血管の縫合。唐揚げ肉そのものは表面が生だが、皮膚すらも融合して、肉との境が付かなくなっている。

 今や唐揚げ肉はバレーナの表皮を剥がした真皮か。試しに食塩を肉に捩じ込むと、それまで横たわっていた彼の身体が震える。犯罪者にあるまじき、痛みに素直な反応だった。そこで数回頬を叩くが、こちらの方へと焦点を合わせず、痛みをくぐもった声で発散していた。体温はうっすらと冷えているが額には脂汗、次いで瞳の青は瑠璃から深海の誰もいない深みへとぼかす。この目には見覚えがある、命を産み落とすか、吐き出すためのえずきだ。

 同情を持って、肉をそのまま一直線上に切る。アンダーグラウンド人間としての矜持か、激痛を表に出さず、だが瞳は見開いて本来持つ青い瞳を見せつける。奥から、仄暗い赤みを帯びて、瞋恚の色彩にも見えるが致し方ない。関節圧迫を施し、橈骨動脈の太さは3mほどしかないが、失血は自らの手も汚す。柘榴から手渡されたガーゼを患部に押しやってきつく縛れば主要箇所の手当を終えた。


 それは反対側の手首にも同じ処置を施した。幸い、バレーナはそこから慣れとしての非情さが出てきたか、二度目は顔に出ることはなかった。肉を使用した拘束具とあって、木製枷と似たそれは周りにへばり付いて離さない。これもまた、バレーナの動じなさを確かめて切除した。



 その後、今度は人体に影響がなく確実に身動きが取れないように手足をガムテープで縛り付ける。柘榴がそれをやってくれている合間に、スマートフォンで再度検索をする。今度は尋問としての手法だ、部長よりは倫理と人徳はある方で行きたいが、何分その為の知識はなかった。


――ウォーターボーディング


 幸い、今やシンギュラリティだの危険が蔓延るまでには、コンピューターが浸透している。手軽に外傷もなく苦痛のみを与えられる方法を見つけた。しかし気乗りはしない、今は朝だ。丁度朝餉に食べた昨日の残り物のカレーが糖分に変わって陽気を促す、平穏な朝だった。

 柘榴は二三バレーナに質問をして、それから縛り付けた身体を持ち上げてリビングに二人向かった。あの様子はまだ残っていたカレーを食べさせるつもりなのだろう。正直、カレーの真価は明日の三日目で問われるのだから、無暗に減らすことはやめてほしかった。やんがて、キッチンから換気扇を付ける音、残された柘榴の尾から50センチほどの幼体が三体ほど成り代わる。狐の耳と黒髪、蝮草の果実の虹彩をした、小さい柘榴。単なる分身なのだから喋りもしない機械的な物だが、本人らしく頬笑んで治療の残骸を洗面所へ運んだ。既に消えかかる、油っぽい生命の臭いだけが玄関と自分に残されている。


――俺は


 部長から自宅待機されたのは、唐突な依頼によるものだった。魔法調査マギントを担当とする、これは正規の依頼でバレーナという侵入者をどうこうするのは緊急の話だ。

 部長を待とうとドアに寄っかかるが、運悪くそこで通話を終えたらしい。身体を緩ませたその時、部長がドアを引いて体勢を大きく崩した。


「……申し訳ございません」

「悪くない」


 忌避の臭いを纏う男に、どこが悪くないと言うのだろうか。よく受け止めた部長の片腕からすぐに離れて、何事もない顔をして部屋に招き入れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る