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『結構人懐っこいね』

「そうです?」

『僕身長あるから、怖がられるかなって』

「兄がいたんで懐かしいって感じですね、あと赤い目って滅多にいないんで嬉しいです。Yさんって兄弟います?」


 いる、双子の弟がいるのだが、語るべきものではない。今の穏やかな陽だまりよりも、堆い腐葉土や目の前の子狸が鳥の死骸を貪ると似た話だ。佐藤は子狸に向かって、轢かれるぞ腹下すぞと何だの会話を近寄って追っ払おうとしている。


『双子の弟、でも今は離れて暮らしてる、毎日連絡は取ってるけど』


 何を都合の良い法螺をとすぐに自嘲したが、佐藤はそうですかとのみ返した。目の前の子狸に夢中らしく、獣は諌めの人語を理解出来ないまま留まる。小さな咀嚼音から見てみれば烏、骨すら見える赤黒い肉を狸の牙が捕えて離さない。

 佐藤にとっては会話とは白南風しらはえと似た、清々しく気紛れなものらしい。血腥いものが苦手か引き気味に狸を見ていたが、別れを告げるや否や話題が交際の話に変わる。赤い目、異質を持ってしまった身としては、種族違えど似たような人に会えて嬉しいと再度語った。道路脇に成熟した木苺が実っている。あれぐらい、赤色は綺麗だと佐藤に伝えたが、アララギと言われたと彼は切なそうに答えた。それが、協会から見た佐藤イブらしい。


 数十分後、樹木のトンネルを抜けて空の見晴らしが良くなる。ここでまた広い国道に繋がり、山道や都心部に繋がるらしい。中途の坂道でほんの少し息切れした佐藤は、ここだと直ぐに見える一見の邸宅を指差した。写真で伺った通り、瀟洒な作りが一端の社会人にはそぐわない構えだが口を噤んだ。


「初めて来た時、好きな花は何って聞かれてたんですよ」

『花?』

「その為の庭でもあるんで……絶対聞かれるだろうから決めた方がいいです」


 眼前に見えるそれらを見渡す。中央には当該の建物が見えるが、それから周囲は端から溢れるほどに広い。


『……もしかして』

「俺が手入れしてます、マジです」


 彼の顔の疲れを察してしまった。ボスは忙しいだろうからそれまで、自分には少し用事があると佐藤は邸宅に向かい消えていった。そこは普通佐藤と随伴して邸宅に赴くべきなのだろう。だが彼の言う通り、植物を愛する者として踏み入る者も言葉を交わす前に草木を愛でよということか。


――ヨウ、イルディアド


 名前は覚えている。褒美でくれた飴玉を、双子二人で舌で転した頃を思い出してしまうくらい、歯触りの良い名前。その後は、と、今まで伏せていた資料に目を遣る。イルディアドの欄をまだまともに見てはいないが、流石にどうかともう一度見返した。写真は、もうとっくのとうに覚えてしまったから、顔を隠しながら黙読した。


 ヨウ・イルディアド、年齢は30半ばの東欧出身の男性。学歴就業は水準とは、少し上の道を進んだ以外は平凡、この歳になると婚姻の話が浮かぶのが悩みだ。だが実家は機関や協会に密接に関わるイルディアド家の三男。百年前に曽祖父が異世界人外を匿い、恩赦に技術を伝導されたことから始まったと言われている。

 芳香につられて、舗装された小道を歩く。大きな体躯からは似合わない小気味よい足音は、春の残り香を放っていた。西洋風東屋ガゼボや噴水の目立ったオブジェの代わりに、広大な面積を用いた圃場を展開する。高低差の激しい土地柄故に、生垣を作り上から見下ろすことを前提とした蘭式庭園とも異なる。平坦な地に少区画の花壇を、見る物の目線に合わせて目に直接彩りを与える。


 イルディアド家は人外から伝導された業、主に異世界搬入の技術を大きく発展させた。その御家物の一つに植物と虫を使用した運搬術が挙げられ、彼らによる異種交配を成功させる。新たな情報収集と研究として、一族共々機関から勧誘を受けるが皆これを固く拒否。今日に至るまで、その術を一子相伝の下の継承のみしか許されていなかった。ヨウはその本家の者だが、分散による悪用を恐れた家督の長男の方針で家伝されなかった。


――はずだった


 ヨウ・イルディアドは曽祖父が建設した植物園の影響か、植物愛好家ジャンキーと成り果てた。

 周囲の反対を押し切り、独自で擒縦術きんしょうじゅつを編纂した原因から長男と不仲。勘定寸前の仲となった為、中等部入学したてで植物学を学び異例の速さで博士号を会得。それにより長男の有する能力の強化に貢献したことで本家分家を黙らせた――という、気太い自伝を持ち合わせている。


 とは言え、彼が愛で好くものに美的感覚が備わっているらしい。邸宅脇、裏へと続く道に設けられた藤棚パーゴラ、吊り下げられた華美に足がふらついてしまう。近付くと強く蜜の香りが垂れる、ハニーブロンドの甘さを孕む、清純だが色気のある雌蕊。嗅覚の鋭い鬼の鼻孔には痺れさせていた。

 日陰棚を潜り、小さな花の都に酔う。そのすぐ下、花壇に植えられた細やかな白い花に目を凝らした。屈んで、視点を低くして再度見つめる。

 マーガレットの凛とした佇まいよりも、ひっそりとしていて大人しい。小振りで可愛らしく、控えめな純白のフリルが生娘として着飾る。


『きれい』


 そう、唐突に溢れてしまった。任意で出す発声器官にも関わらず、自然と。その衝動は危うく、その花を攫ってしまいそうになっていた。

 近くから足音が聞こえるが、佐藤だろうか。毎日手入れをしている彼ならこの花も勿論分かるか、期待げに彼のいる方へ顔を向けた。


「……イベリスだね、うん可愛い、君みたい」


――彼、ヨウ・イルディアドがそこに立っていた。それが彼のファーストコンタクトにも関わらず、自分は動転して後方に転げてしまった。

 だが心臓が停まりそうなこの瞬間に、その無様な数秒後の未来を知る由などなかったのだ。


 

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