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【???/チョウの標本】1



 魔力感知不全、という体質がある。

 対象は異世界と現実世界に存在する生き物。発症率は全体の3%、計算では30人に1人が罹る遺伝子欠陥とされている。

 現実世界と魔法、厳密には異世界から侵入した魔力がウイルスとなって人間も無意識に環境に対応。異世界のように魔法を日常的には使わないが、この世界全域の人間は魔法を使う素質を有してしまった――というのが、異世界の実存を知る機関と協会が一致している見解だった。同時にそれを感じられない者は、あの業界の中では「不全者」として倦厭されているのだという。

 異世界をお伽噺と夢見る一般人がそうなら、一生機関と協会に深く関わらなければ良い。だがこちらの半端な知識を得た、魔法使いとやらの家の出となると悲惨になる。大気中の粒子と混ざりあった魔力を脳が認識出来ない。魔力を用いた読心に影響されることがないという利点を除いて、一切の魔法を使うことが出来ない。だが可及的に治療法を探すよりも先に、人為的な不全化が進んでいる。

 彼らは未だに魔法を神秘のものとして扱うが故に、理解ある組織内での内部抗争は熾烈を極める。火を目にした原始人よりも煩雑に粗暴に、自らの家督がの為に振るわれる。それ故の仇敵の末裔への処刑、その為の隷属化を目的に研究が勧められているのが現状か。ある意味ではこの世界らしい。内紛に勝手に割り込み、様々な問題を織り込ませた上で仲直りしようと宣う機関もまた、人間らしい。

 それは一介の屠殺場から一国に築き挙げた王、怠惰国君主の側近には、想定の範囲内の結果ではあった。

 彼を除いて、側近は人の業を飽きたと言わんばかりに眺めていた。



『狼藉を働いた彼については個体別活動を全て観測した。対象人数は中高生男子五人、主格と思われる人物……僕の複製体だ、彼はそれまで数ヶ月前までは潜伏していたが活性化。今日に渡って魔法少年とかいう大層ユニークなマッチポンプを開催。

 今のようなおかしな現状が起こっているけれど、目的としては僕に向けた転覆、種としての誇示だろう。対象者は精神を汚染されて、日常生活からも機関が観測される可能性が高い。だがこうも調査活動として静まっていると、共謀の線がある。その件にはどう思うかな?』


――俺が、一般人として調査すると直ぐに足がついちまう。魔法少年、だったか? そちらが送ったえぐいデザインと一致する。魔力含有量で明らかにおかしい奴がいたから、そいつも調べたがすぐ足がついた。この時点で雑な設定をしたからには、短期間を狙いとしたものだと考える。


『考えるじゃん……その話からすると自信はあるね、機関として、というより首都としては問題は浮き上がっても楽に処理したいわけだ。

 となると主格は短期間のお手軽ごっこを作って、機関がそれを調べる。末端もそれを調べるスキにさっさと退散させて、何だったんでしょうねってしらばっくれる感じだと思うよ』


――だとすると、目的は?機関にはそれが何のメリットがある?


『俺に言わせるの好きだねえ、俺の声そんなに好き? それとも僕のこと好きなの? 困るなあ敬ってくれるだけで良いんだけど』


――やっぱ民やめたいわ


『……まあ、一見ないに等しいね。主格側で行ったら安全な土地で自分の力を蓄えられるわけだ』


――中高生って言ったよな?


『うん?』


――確かに中高生に絞るのは創作物への没入。それに伴う陶酔として適した年齢だ。利用するに値はするが、機関にある程度守られている以上はもう少し派手にやっても構わないんじゃないか? お前の力を受け継ぐものなら、幾らだって分散できる。何故市内に留めた?


『僕は強すぎるからああいうのは真似出来ないだけ……けれど、の力だしね、俺の力があるんだったら、もう少しやって欲しいところだった、それで?』


――市内に留めたのは、その小規模で行うことによって誰かに注意を向けるためのものだったら?


『誰かって? それで機関が得をするのは? 協会とでも?』


――魔法少年のコンセプトからして子供、そして短期間で首都が葬り去っても、それに強く出れない立場の人間。


『足りないね、想像としては詰まらない』


――ああ足りない、だから予測する。この案件は必ず少年が調査する。こんな世界に足を突っ込もうとする子供、その仕事をさせようとする、自称中立派の機関からしたら嫌ってほどに目立つ奴らが出てくる。そしてそれは、機関がバラそうにもバラせない、鬱陶しい何かによって守られている。

 機関の狙いは、少年を一人拉致させていい感じに団体をバラバラにする。


『……いい感じって君さあ、折角良いところまで来たじゃん。白けるんだけど』


――じゃあ、法律とかそんな感じの


『もういいよいいよ……まあでも、そんなことで苦労する奴が私に勝てるわけがないだろうし、いずれ潰れる。

 良いだろう、君のお伽噺に乗ってあげる。俺は暇だし……もしも本当だったらそいつらも堪ったもんじゃないだろうし』


――使者として俺はいつでも、どうやって脅す?


『脅すにしても君にそんなに取り憑けないでしょ?僕がここに行くはまだ早い……ああでも、君ってやっぱ良いね、大好き』


――きもい


『ひどい……ならさっさとお困りのボスにアポ取っといて、この怠惰が手を貸してやるってさ』


『狼藉者の始末に手を貸してやれ』


 その勅命を受けて、都心に足を運んだ。東京の空気、青空はかつて王の色だと奴は好んでいたが、湿ったるくて好きではない。聳える高層ビルの根、下部の翳りがその地らしい色を漂わせている。近未来化が偉く進んでいるが、やけに人間臭い都市だった。

 自分を従わせる我が王は生きた伝説、静寂しじまの養豚場を栄えある新興国として切り開いた磊落。だがえらく慎重な人柄でもあった。異様な急進ぶりから他国に手枷足枷を嵌められているのが現状だが、それを打開する政を執らない。今はまだ我が代は国としての総体を固める治世なりと、表面上はそういった意識らしい。

 それは妥当な案だと感じた。同時に彼は協力関係に「機関」の首都ではなくTを選ぶことも、大胆だが悪くはない。率直に彼らは、あの幹部達は頭がおかしい。契約に怠惰の血を飲ませて協力関係を結ぶ。そうしてしまえば、ただ一人の機関の幹部として不全者の松山にも王による確実な死は及ぶ。それを賛成するのは、もはや異常な余裕とも感じさせるが、王はそれを承諾された。

 松山映士はその身ゆえか、一身で登り詰めるには不能な魔法を代替に果てしない労力を詰んだ。それ故か、この契約を持ちかけた時に即座に性行為の方を提案された。

 その後は簡単かつ無味だ。王からの命令で姿を少し変えた身体で松山とその従者の前に姿を現す。そうして儀式は始まった。断片を垂らした酒を一杯交わし、一旦体内で一層濃いものに発酵した後に松山の口へ移す。アルコールは理性を腐乱し、立ち込める熱は下部を重くもたげ煽った。臭気の一歩手前に満ちた欲、それに不要かと松山の従者は静かに部屋を立ち去る。そこから戸が閉められたら最後、何処かで張っていた糸が切られた。

 落ちていく。

 王に従うのみを携えた、人間らしい冥い獣欲に落ちる。

 自由が却って不安な口元、強張った口元は、知ってか知らずか彼が柔らかく解す。同じ形で、かつてそれで流暢な我が母国語グァル・タールを紡いだそれに啄まれる。そして生温い肉厚の舌、小兎の肉を抉るに適したそれは弄ばれることを受け入れた。身体が、肢体が松山の方へと覆い被さってソファにふたつと沈む。細っこい足が彼の大腿に触れた。硬質だが、ねっとりと肉を感じさせる質感。鍛えた身体にしては雌っぽい、吸い込み足りないと言わんばかりの白磁は触れると冷たい。

 高揚。力を緩めた手を押しやって、不意にくちをはなして喉元に食らいつく。僅かな汗、殊勝と形容する麝香が鼻先かすめると人間としての彩りをます。


――シュウ


 脳内から自分とは異なる声が伝う。

 この声は、王の、仮の声か。少女のような、娼婦のような、益荒男のような、あらゆるひとの個性を孕んだ、掴みどころのない声。だがそれは時にして我が身を掴むこともないと、事も無げに首筋を甘く咬んだ。


――君と彼は恋人じゃあるまい、僕は馬鹿な君が好きであって単純な君は嫌いだ


 主君の諌めより先に、松山からこえを零す。あァ――と、鬱蒼とした低さに熱を迫り上がらせる。その声に気を取られたか分からない。だが、ほんの一瞬だけ、主人からの貴重な提言を煩わしいとさえ感じてしまった。しかしわずか、這い回ろうとした舌が不気味に止まる。どうやら怒っているらしい。抑揚のない、音もない字列をなぞるテレパスだが、そこには憤懣を滾らせている。そんなことすら気付かぬ内に迸ってしまった。


――アンタも嫌でしょ? 好きでもない男を抱くのは


 脳内から溜め息が聞こえた。王の癖だ、人間の体を知り尽くした今の彼は決まって、人間らしいことをする。緩くなりがちだった舌が身軽に解かれる。


『後で少し貸して、それまで出し惜しみするんじゃないよ』


 それを最後に、王は連絡を絶った。王の機構上、自分は毎晩あの断片を摂取しているから、どこ行っても切り離されることはない。彼は、彼女は、アレを体内に駆け巡らせて潜ませている。やけに大人しい男の芯を捉えて数秒、体内の血の巡りは良好に進む。良好に、興奮している。寛大な王様に拾ってもらったと、余りある理性に感謝した。

 それから男を組み敷くのは簡単だった。いいや、男からそもそも持ちかけてきたのだから抵抗する意味はあるまい。だからこれは、自分が能動的に動いてしまったらしい。平常は笑みこそ張り付いて、緩やかな喜楽を浮かばせるがそれだけの男。抱いた者の哀愁を知る素振りを見せつけない、怜悧の肌をまとって常人を口でねぶる。だが自分が彼を抱く側になればどうなるだろう、埋め込まれるにく、肢体が我が物と錯誤する。まだ脱がされていないスラックスの上から、少し立ち上げた腿に手を這わせる。ウェットな肌が布越しに吸い付き離れない。

 嗚呼違う、これは間違えている。これは愛撫をしようとしている。これは王の命令を逸脱している。これは仕事の範疇を越えている。その割行った思惟も妨げられる。首に遣られて恋しいと、彼の手が後頭部を掴んで口に運ぶ。アルコールの熱が余分だと、あふれきったそれを溢す前に自分で飲み込んだ。後頭部にかけた手は、人殺しによく似合う骨張った雄。


「ずるい人ですね」


 再度口を離して、だが満たされた初夏の夜の中で呟く。数分前と変わらない、冴えた氷刃しらはの囁きが頚椎を痺れる。


「……別れが惜しくなるじゃないですか」


 掠れ吐いて、後ろ手が下部の覆いを脱がしにかかる。それを止める間もなく、自分は冷えた肌に寄りかかっていた。軈て体温を上がって、緩慢に意識が泥濘する。その微睡みに脳が、手が聡さを紐解かれた。

 ほんの瞬きに彼の目を眇める。深い常闇の眼睛、その奥は何も見えない。自分の虹彩をうっすら反映させただけで何も。

 生気のない、情欲すら遠ざけるひとみ。それに瞠目する余裕なく、這わせた手に爪を立てた。

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