3
短気に追いついた理性が、嗅覚の代わりに別の識別機能を備えていたら、そして襲われたら?と問う。識別機能、瞬間的に自分のほうへ狙いを定めていたら
――対標的への抑留的措置としての結界構築、有。対人にある程度の偽装を可能とする外殻変異、有。標的対象のパーソナリティーの一致、不明。本体現出の際任意の邪偽、不明だが可能性は低い。知能指数、ある程度あるとは伺えるが、隠れ蓑を童子とするほどに限界があるとの当事者の判断の可能性大。
これだけ見ても多少犠牲はいるが、頭の足らない化物として変わりない特性だ。結果的に
――次に対人としての目的だけど
ぶちぶちぶちぶちと、煩い。噛み熟した音が鼓膜を叩いて、舌打ちをする前に運悪く何かが顔に飛び散った。ほんの少しだけだが、ぬるい死の気配。既に視覚から映る赤だけで十分だと、指で拭うことはなかった。
かれこれ五秒、青年は一切の悲鳴を発さずに落とす手足をゴム鞠だと言わんばかりに擦過する。ユメは、人を食べる時はまるで獣のように四つん這いらしい。少し曲がった情けない背骨が、捲れ上がったシャツから薄く浮き出る。そこから先は首、脊髄から映えるは眼球、脳、はらわた、嬉しそうな歓声を上げていた。どこからともなく出してきた牙を青年に覆い被させて吹き出させる。馬乗りになったユメの横から青年の白い手が一つ、幼女の揺さぶりにつられて震える。何も、蜘蛛の糸のか細い物も掴めやしない手は血の獄の水たまりに沈んでいく。べったり、水気のない泥濘んだ生が塗りたくられる。それは零の白から染まる牡丹、見る目を愉しませる。それに悲劇の声はかからない、青年は何も言葉を発さずに、手足という残りカスが視界にチラつかせた。
――僕が襲われる寸前は動揺したか
あの冷静さは、生に対して儚んだ従者あるまじき他人の生すら無頓着だろうか。いや単純に、否ここは明快に、死ぬことすらも遠い能力者としての愚鈍の現れか。どちらでも、どちらでもどうでも良い、どうせ死に疎い人間はヒトを成さない。今生きようがいつか何処かで使い捨てる。五秒すれ違った餓死気味の捨て犬に自分の血を飲ます気まぐれさで、早く、身勝手に。
ただ今目の前に発揮されても、傍迷惑な問題点だった。カウンターの内部にあった引き戸を開け、出刃包丁を一つ取り出す。齧り付いて夢中になった生気の色を汚しながら、被す化物の前を進む。それは気付かない、機械的な食事、大口あけて、足音はばくばく呑まれて気付きやしない。
やがて数歩半歩先、子供なら拓いた六感で気付くだろう数メートル。刃は擲ち白へと刺突する。体液は吹き出ない、個体は異変に止まる。小物の飛沫は続いて、生の終わりの散り際を伝う。個体の不意の思考の停止を握り潰さんと、駆ける。繋がった足は駆ける、床まで滴った血の沼を滑り、凝り固まった淀んだ鬼へ。かけて一つの片腕が逢瀬と言わんばかりに柄を捕えて、下へと引きずり裂いた。
咆哮、いや、笑声、可愛らしくもない砕いたビー玉の亀裂音。相反して仰け反る背に両足を締め付ける。暴れる胴の下に、青年のなかみがちらりと。剥がれて散った肉、幸運にも再生されたか規則正しい奇麗な――ポンプとパイプ。詰まらず見飽きて、目を逸した。
女児を裂く、咲いて、開く内部へ。背骨の幻影はまたたく間に消えた、香辛料よりもけばけばしい粘膜の領域ヘ。自称内臓と水気に蠢くガラクタの中、胃型の熊のぬいぐるみ、十二指腸のモノマネをする三輪車。その中央、聖域の真ん中に蹲っていた石が一つ。鉱物とも硝子とも見えない、色を跳ね除けて鮮烈に光る緑色。もう一つの生、世界の逆転の女王が巨大な血管たちの編みの中で眠る。
光り輝いたそれ。
勘で、刃を銜える。鉄か錆の味、そのリアルを掻い潜り、手や指を使い邪魔者を割いて、奪い取った。
◆
――これが心臓部か
その後は呆気ない。あの小石もどきがエネルギーか、化物はそのまま力なく倒れた。石は化物の中に嵌められていた輝きが衰えることなく、淡く美しい。なるほど、彼女が緑を狙うのも無理はない。彼女なりの、肉食の最大の賛辞と言うわけか。
化物が失って倒れているその先、青年の体は殻をようやく修復させていた。想像通り、彼は常軌を逸した再生能力があるらしいが、それは
やがて表皮を真皮の薄気味悪さを重ねる。うっそりしたあの肌色が蘇って、臍から上が呼吸でかすかに動いた。シャツは流石に再生できないが、あらわになった平均的脆弱な上、牡丹の刺青から花びらがスラックスへ落ちる。刺青そのものは、見た目に似合わず広範囲で彫られているが、貴重なカウントダウンを消費させてしまった。大きめの牡丹の数から、あと3回程か。
「でもそういう洒落っ気良いね瀬谷君好きそう」
「瀬谷……!?」
あの表情に似た顔、驚愕を現出させる。それにどこか、いや単純な八つ当たりによって気に障った。
「確かに協会でも機関でもその名を知らぬ者はいないドイカれ集団破壊とは運命共存体の瀬谷家の瀬谷君だけど、僕が言う瀬谷君は三度の命よりも魔法が好きなおしゃべり眼鏡置き場の人格破綻常識スクラッパー被害総額は考えても無駄な男の瀬谷鶴亀の方だよ、知ってる?」
「……結局総額いくらなんだ」
「知らないけど、君の想像の10倍だと思うし賭けてもいいよ」
「馬鹿馬鹿しい」
「君が当たったら君の言うこと何でも聞いてあげる、けど負けたら瀬谷君に教えちゃうよ」
「だからしない」
青年はふざけた話は嫌いらしい、そっぽを向いて話を中断させた。ムカッ腹は少し収まったものの、やはりあの馬鹿に突き出してしまおうか。内心の代わりにつまんないのと本心ひとつを零して、手にした石を眇めた。自然、葉緑体の塊という小難しい思考も、何カラットのエメラルドと欲を持たない純真。青年が吐き出した死骸の紅を閉じ込めても、中の小さな気泡がいつか消えてくれると宥められる。かつてムーブメントを巻き起こしたファンタジー漫画、錬金術の兄弟の冒険活劇を思い出した。それに似た核となる石は反転して赤、あれも人間の命を吸い込ませて完成させた代物だった。一体何体使ってこの石を作成したか、そもそもこの石は何なのか定かではないが、第二の生命が煌めく。ただそれはよく分かっていた。すべすべした石を青年にかざし、だがすぐに飽きて掌にしまった。
「本当はどういう要件で?」
背ける青年は答えない。唇は微動だにしないことから、ある程度はこの場では言わない約束だろう。
「何故ユメちゃんが化物か、庭三は何をしたか、色々あるだろうし、まどろっこしいのが多いならこれだけでも良いよ、エグチはこのことを知っていたか?」
「裏口に車がある、詳しくはそこで」
聞きたいのはそれではないと、どうしてか薄ら笑みを浮かべた。どうしてか、歳を取ってしまうと怒るよりも先に笑ってしまう。何故だろうか、どうしても繰り返してしまうことに呆れているのだろう。初対面のはずのこの男に対しても、見限れるほどに。
「僕に言ってもいいよね? 数少ない関係者なんだけど」
「ヒラサカ、ユウだったか?」
「比良坂……僕が何をしたって?」
「……それや諸々、あの人が知っている。俺が話すよりも聞いたほうがいい」
ああ分かっていない、何も分かっていないと、優しい顔つきが一段と笑みを深くした。この子は慣れていない、人間の気配に慣れていない、死んでやっと殺戮だと気付くような足の遅い素人だ。現にこうやって目を合わせない、化物の前ではあんなにみっともなく拓いた腹を見せようとしない。
――比良坂、比良坂悠、有効な名前だ、だが
たかだか死人の本当を一つ二つ知ったところでどうにもならない。そしてそれを利用としようとするなら、死人だって怒りを持っていいだろう。あからさま過ぎる警戒、遅すぎる警戒、そして青さが抵抗する。やっと表情筋が開放されたが、それでもなお吊り上げる。この人間には死んでも、自らを明かすことはない。
「そういえば君の名前は?」
「コガネ」
そう、コガネ君。可愛い名前だと褒めそやし一歩近寄る。足元にすぐ、まだ機能停止した臓物が横たわる。
「コガネ君さ、僕久しぶりに外出て、下着とかズボンとても久しぶりに履かせてくれたんだよ」
コガネはこちらを見ようとしないが、瞼の端が妙に動く。特定の要素には鈍いが、感情の機微は死んでいないらしい。話を聞く聴力と読解力、シナプスが正常作動していることに安堵した。
横倒れた化物、盛れて綺麗に見える頸動脈から、指先で背中の亀裂に指を沈める。コガネの目はわずかにそちらを向いた。だがまだ疑心ですらない、ただの不審を見る目つき。
「それでさあ、取引相手が訳の分かんない奴で?僕の依頼人もあんなので?でも久しぶりだから張り切っていたんだけどさ」
もう遅い。
指を使って、血管の網の中へまた嵌め込んだ。怪物は一つの血管として大きく波打ち、小さな髪と手足がざわめく。インストールの濤声、次第にそれは可愛らしい物へ、無邪気に暴れまわって蘇ろうとする。
「まあ化物には言ってないよ、化物には何言っても分かんないだろうし」
化物が知能を再獲得する前に蹴り上げ、コガネの方へ押しやる。何か呟いているみたいだが、彼はきっと未だに理解が遅れている。今は聞かなくていい、踏みつける足の力に魔力を込めて、不相応な馬力を持って押し付けるだけ。
「話しの続きね、一体君達は何をしていたの?」
化物の上に乗った化物を踏む。下でまた何か破裂する音が聞こえたが、化物のものだろう。
◆
その後、生還した人間のコガネこと
ユメはいわゆる三輪型に所属する者達が作成した神様だった物たちらしい。だが時代の潮流から経済的に凋落の一途を辿り、一般社会への帰化を目的とした三輪への離脱を臨んだ。それに伴って人外の増強に向けて個人で譲渡目的の作成された背景があった。その際に使用された童幼は十人、対象年齢は若くて3、老いて7つの純潔さからによる糧を目的とした。緊急事態の招集故に欠いてしまい、何名かは必須条件とされた純潔を欠いたまま誘われた。そうして合成して出来た怪物の抑制として、ある薬が精製されたとも聞いた。
その主成分は明らかにされていないが、今や植物収集家として名高いイルディアド家ぐらいしかないであろう希少。その辺は依頼とは関係がなかったので聞き飛ばしてはいたが、薬投与をする神様とは、この世界らしい現実だった。
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