【ワン/Centipede】1

――本当に胡散臭い


 閉店と偽ったはずの店内は白々しくジャズを垂れ流して、わずかな珈琲の残り香が平穏と宣う。あの曲、古ぼけたジュークボックスから流れるデクスター・ゴートン。サックスのメロディは百合の開花に似ていた。


 カップの中にあるココアを吟味しながら、改めて庭三姉妹をそれぞれ一瞥する。目の前に座る庭三都夜子、耳まで切り上げた黒いボブカット、奇怪さを示さんばかりの烏有色の濁った瞳。鏡に反射して映す要素だけが、彼女に生きている証拠を持たせている。座高からして仲介屋も自分を超え、足も見下ろせばテーブル下からよく見える。身長は高い、190はあるかないか。声色は低さを滲ませていて胸部の膨らみがなければ、性別雌雄つけ難い。だが桜色の着物を萌木に結ぶ半幅帯は麻生地、それなりに竈が賑わう生活なのだろう。

 庭三家長女と紹介された庭三桜子は側ではなく、真隣に彼女らしい姿が確認できる。本国の名前とアンバランスな白人そのままの見た目と、協会本来の薄暗さを見せず笑みを絶やさない。おおよそ似せる気も寄せる気もなく、ただ見ているだけで都夜子と同じ血を通わせていないことは明白だ。

 蜂蜜色、檸檬色、月色の、殆どの人が愛好して称えそうな金の髪に、青の目。原色にも近い色だが下品の一歩手前まで留まって刺々しさがない、硝子の音のいろをする。彼女は連れらしい子供に忙しいのか、こちら男二人を都夜子に回して児童一人に手を焼いていた。中途、連れの子供が桜子の目を指差し、ありがとうと彼女は笑んだ。どこを見ても、姉妹かは疑わしい。一人は子供っぽく無邪気な姉。もう一人は大人びた、それに対応しかねた姿、丁度松山のような妹。


――もう一人は


 喫茶店の出入り口に立っている青年一人。黒髪と黒目の本国の平均身長よりも、すこしはある男がひとり。この喫茶店は庭三及び協会の管轄内だろうから、自分ら以外の人間はドア前で閉店だと締め出している。彼も関係者かつ、そこで数十分微動だにしないのなら見張り役だろう。


――アイツは、返答なしか


 喉奥の甘ったるさが長く感じる。聞いただけでは胡散としか言いようがない、変わらずの空っぽの信頼とうろんな能書き。隣に居並ぶ仲介屋に通すのも後込んでしまうが、それもなしにココアを啜る道理もない。仕方なく、聞いたことを正確に訳し通する。仲介屋は耳を傾けて二三度頷くと、聞き返すことも疑問も投げはしなかった。

 仲介屋の商売相手は主に欧州、マフィアとの繋がりが強いだけのみだと、以前彼は自負をした。協会、特にこの国は神仏への分散的思考の傾向が強くそれ故の小規模団体の閉鎖は免れない。そういった国との人間の協力を仰ぐにも、言葉を覚えるだけのメリットは得難い。無論それ以外の海外団体が中立派・ビジネスライクに寛容とは限らないが、この国はその中で一際だ。


――この家だけか


 仲介屋は一人で質問をすることはしなかったが、余計な一言を言うならば庭三家は適切かは疑問だった。

 協会、彼女達の概ね言う通り、突如として現れた異世界への敵対意識を抱く現実世界の者ども。それについては真だが、名目は偽に寄る。「異世界に対抗できる現実世界の者」が即ち「異世界魔法と近い能力を使う者」、異能と言える。


――普通に考えて分かるだろう


 彼がそれを理解しているかはさておきだ。

 普通に考えて、超常と見なされたものが異世界では解明できる全くの魔法手品とそう易く認めるだろうか。神通力と、神童とも神託とも讃えられた妙技がカラクリとして、その背景にある犠牲人身御供や生贄を帳消しには出来ない。神が人に成り果てた瞬間、残虐は反転する。だから普通に考えて、祀る神をただの生物か否かと精査し、それを生業とする神経は逸していた。生物学者がクリスチャンでもそれはそれという話ではない、その限度を遥かに超えている。彼女の行動が少しでも狂えば、数百年続く風俗への愚弄となる。庭三のどちらも、それを扱うには若すぎる。

 それは数少ない交渉相手である仲介屋に大きな誤解を招き、強いては生命の危険にまで及ぶ。仲介屋の次の言葉に耳を傾けるが、助言を発するかも待ち構えていた。


「――美人さんだねえ、お前さん」


 にも関わらず、流暢な、これはシチリアの風をも似た爽やかな口調。そして人差し指が眉間に。

 指紋を失った滑らかな指先で撫でられる。妙に、不自然に段差をつくっていたらしい。不意の異国に気を取られたが、シワを強引に直される度に、脳内での翻案が形成される。彼はそこまで不満そうでもなく、いつも通りテレビ電話越しの軽やかさ、そして美人だと褒めた。


「うるさい、言いたいことはないの?」

「ないよ、あと俺イケるわ」

 

 そう、この国の言葉の正確なアクセントで紡がれ、側に置いていた帽子を被らされる。すぐに被らされた帽子を剥ぐが、ほんの少し嗅いだことがない香水が鼻を掠めた。地中海の静けさと熱を感じる刺激。部長は滅多につかない種類のせいか、そのオードトワレはまだ離れない。そうこうしている内に仲介屋は都夜子に話しかけ、とんとん拍子にビジネスに話題を変えていた。声と表情だけなら、仲介屋は普通の見た目をしている。ブロンドよりは薄暗い茶めいた髪と、薄く整えた髭、対応も往々にして軟派なのだが。


――何なんだ


 この依頼は仲介屋の指名、しかも部長が普通は外に出られない自分への数少ない許可が降りたものだ。それを有効活用しないのは如何かと、だが口を挟まず傾聴した。


――さて


 ワンとして、機関の隠された一員として、辺りを見渡した。仲介屋と都夜子の言葉の往復は極めて直接的だ。仲介屋は、彼女が行い解体された神秘、即ち異世界人の譲渡の交渉のために来日した。今回の依頼は機関のものではなく、知り合いである自分に向かっての、元は通訳としての依頼。そして何故か部長はそれを承諾した。


――それがここだ


 都内、一日に交う人々は数万人のそこそこ多い交通量と、程よくアミューズメントに騒がしい区内。その細道の裏手にある軽食店での接待を指定された。そして自分をここまで搬送したのは部長ではなく、仲介屋本人。不思議な程に機関の介入が極端に少ない。


――そもそも僕がここにいる


 その違和感は常に隣り合わせにあった。紆余曲折あったが、インキュバスのペットという身分でないと生かされない状況下にある。この身体は、誰からの庇護を必要とするこの鬱陶しい身体は、少しの自由も許されないはずだ。生きてはならない人物は自分だと、克明に理解している。


――慣れてしまったのかな


 頭部から外された付け耳と頸部の首輪がなくなり、どこか物寂しさはある。だが、いや、と首を横に振って我に返る。それもこれも部長が諧謔する何とやらだろうか。それに踊らされるのは、またお遊びにも付き合えないが、人権を捨てた以上耐えよう。


「――きれい」


 突然の別の方からの声に気付く。そこに目を向くが、黒い頭だけ見えて焦点がズレる、やや下に下ろしてその小さなあるじとの目線を合わせた。


「お兄ちゃん、目がきれい」

「そう? ありがとう」


 千回ほど、あの広くて小さい檻の中で何度も囁かれてうんざりしている長所だ。だがどうしてか、長らく休もうが職業病の再来か、驚くほどに世辞の微笑みが自然に出来た。少女は自分の目をじっと見つめたまま、屈んだり左右に行ったり来たりと瞳の煌めきを見る。大きくファンシーなピンクの兎のプリントTシャツをくしゃくしゃにしながら、大きい目を瞬せた。

 子供は、無邪気だから苦手だ。だけど難しくはないと少女が先程飲んでいた物を思い返した。


「僕は、緑ならクリームソーダとか好きだな」

「ユメね、それも好きだけどね、お兄ちゃんの色も好き! キラキラしててすごく好き!」


 ああユメ、この少女の名前はユメだったとふと思い出す。ありがとうとまたそれとなく返すが、ユメの眼は爛々として止まない。彼女が揺れる度、短く切り揃えたショートカットの黒髪が揺れる。小動物、人間を産んだこともないような年端もいかない人間は、子供をそう形容する。まさしくそれだろうか、昔飼っていた好奇心旺盛なスフィンクスも可愛らしい態度を取っていた。


「私お兄ちゃんの色、好き!」


 だが――子供のままならだ。ユメもそうだがここを取り巻く環境は奇妙でならない。ユメのテーブルに置かれた飲みかけのクリームソーダ、刺されたストローが縁をなぞって持たれる、それだけが普通の異変だ。相手が誰であろうと惑わされてはならない。


――人がいない


 ここには店員はおろか、男二人と女二人ほどとあと一人しかいないのだ。昼間の都内にこの状況は考えられない。


「私お兄ちゃんの色、好き!」


 ただそれでも、彼女の中の思考回路の名称は日常か一般生活か何からしい。

 爆裂音、突風はなく、視覚的暴力。その弾みに後ろにいた仲介屋を突き飛ばした。


「私お兄ちゃんの色、好き!」


 ちゃちな言動は変わらず、頭頂から腹部へと一線を裂けて、人を止めた顔で覗き混んでいた。おおよそ人体の骨格を無視した伽藍堂で真っ黒な体内に、不気味なほど取ってつけたような不相応の臓物。そこらかしこに腸代わりに縺れ込む黒髪の群はてらてらしながら蠕動と蠢動繰り返す。反復して、うねり、髪の中からくまのぬいぐるみが出て来る。

 ぼとり、外へと落とした。


 二秒、今しその容貌を見渡して二秒だが、依然として自分の脈拍が安定している。記憶にはないが、喉から大量に息を吐いて揺らしたが少々ひりつく。無意識にも、同行者に逃げろと言ってしまっただろうか。だが後ろから遠ざかる足音もない。呆れて、けれど安息した。

 もう一度彼女の姿を見渡す。多少人外さはあるが、いつもと比べたら許容範囲内か。もしくは大量の血はむしろ恐怖を誘わない、過ぎた造り物が不快のみのグロテスクに帰結させていた。

 人間の皮膚を紙みたく突き破って、構造を無視した数体分の臓物を見せつける。生きていることの出張に動静脈は拍打つ。絡む髪にはあるはずのない無機物のおもちゃ達、絡まれ続ける人形の首も橙のナップザックに刺繍された魚の目は死んでいる。死んでいる、子供っぽさを振りまく前にしんでいる。嗅覚、不気味なほどにまだ軽食店のジャンクさ。マーガリンの油っぽさが、嫌悪と違和を綯いだ。


「お兄ちゃんの色、好き!」「好き!」「好き!色!」「お兄ちゃん!」


 日常は気にせず騙りかける。

 喉奥に内蔵された捨てられた唇達がげらげらと笑っている。髪と臓器が生きて動く。そのたんびに奥から三角定規だの可愛いハンカチだの絵本の切れ端が湧いて出る。絵本の兎は、見事な位置で破られて彼女に首を撥ねられた。


 胸元でぎょろつく無数の目玉。それは自分を捉える。東部アジアにはよく見られる、至って平凡な栗色の十の瞳が、自らの翠へと重ねて。一つは細め、もう二つ、その後は見開きひん剥く。


「お兄ちゃん!」


 そして、わらった。

 笑いながら、まだ綺麗な可愛い腕をこちらへ伸ばした。

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