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 瀬谷は魔力から思念を取り出すことはある程度任意に出来るようだが、自分はその逆だ。

 蓮には的確かつオブラートに表現をした。ともかく人間から向けられた情欲も性欲も、否応なく脳裡に叩き込まれる。他人が自分を一目見て生唾呑んだその刹那、組み敷いて肉を刳り蹂躙する幻見せつけるなど少なくない。幼少期からその眼光の的にされていたものだから、人には嫌でも敏くさせられ外を歩けやしなかった。

 現実世界の認識下で義肢を装着して外出するも然り、視線から放たれる下世話なエーテルが骨髄まで。矢となり剣となり、人間を骸に屍に、鑑賞物へとたらしめる。悲喜こもごも、自分は一身に受ける使命を背負わされている。


――わかるけどさ


 魔法少年、全貌は思い上がりの血迷いの愚行だが、その一つの偽造工作に蓮の心は悼めつけられていた。蓮が詐謀略を診る者として、松川を最初からシロだと断定したとは到底思えないが、あの虚弱振りは異様だ。

 それに関連するはたった一人の身内の死。

 笠井蓮は、部長と会うまでは母子家庭で暮らし、唯一の肉親である母は親類と絶縁されている。家庭環境が乏しかった自分には実感は沸かないが、その衝撃は人間としても堪えるだろう。


 出口へと向かう。どこもかしこも、鮮明に静けさを宿らせた暗やみを飾っている。時計の秒針の音が、いやに大きく耳に届いた。この小さい空間や、蓮が母子家庭であること、そしてあの日とこの臭いであるなら、間取りは1か2DKだ。ならば構造上、出入り口の引き戸を開いた先には、彼らがいる可能性は高い。

 ゆっくりと引き戸を引く。眼前もまた和室にして、おおよそ六畳間の部屋。白い布団にて安置される物とその横に、いた。それなりに背の高い黒髪の男性が、癖っ毛の少年を後ろから抱き閉めてせぐくまり、枕元で座らせている。丁度、自分の真前に彼らがいた。


――趣味が悪い


 肌が粟立ち、悪寒が泥濘る。化物にそういったことを求めることすら無粋だろうが、人として欠けている。どだい、ここは蓮の記憶であり自分はそれを無断で観る客に過ぎない。この後ろから抱きしめる長身もまた、映画の登場人物程度だ。物音を立てようが、彼らが気付くことはないが、それさえも躊躇する。だが自分自身がこの映画を見ないことも出来ない、不可思議な余熱ほとぼりが、職業病が釘付けにされた。


『同居の話ですが、迷って、います』

『どうして?』


 低い声で、彼だと確定した。辿々しい幼年の声色に、重くて湿った質感を押し付ける大人が囁く。それは清聴する意はあれど、白い手がにくと心臓を捕えて離さない。この無音に、自分の欺瞞で満たして狂わせて開からせる傲り。それも宵は傅いて誰も正しはしない。


『……忘れたくなくて』


 震えながら答える喉も、言い分ももっともだろう。文脈から、この場所でこの体勢で同居の切り出したと思われる。人外かどうかを識っているかはさておき、社会の法で守られるべきの人間に行うべき処置ではない。

 自分はそっと、傍に置かれていた遺体を布団から手を滑らせて表面、胸乳辺りを撫でる。硬い、現実ここまで抱きながら寝るとは考えにくいが、そこまでの再現ならば、当時の想いは重い。例え虚妄でも忘れたくない、彼の憐惜が今まで残っている。


『……そう』


 それらの惜別に感傷しない返事が、ゆらり聞こえる。その質をもった指が蓮の胸から顎、左の頬へと近付き、目尻へと移った。


 途端、刺突する。

 指の関節を動かして、長い爪をそのまま眼窩に突き入れた。嫌な音が、鼓膜を撫でていく。彼の長い指が、少年の目を貫いて、とろり、血をこぼした。まっさらな布団をけがして、指がぐるりと目の穴の中でおどって、刳り貫く作業をやめない。

 痛みに、少年は腕の中で暴れるが、大きな叫びが発することはない。ただ小さく虫の息で、まだ生きた涙腺を使い血と混ざる。夜渡る鮮烈な赤が、男の手の甲に線として落ちる。足らないと言わんばかりに一層深く、指を入れた。


『なら、私の物になるといい』


 物、オブジェクトだと、彼は意味している。

 確実にそう言っている。仕事の口振りに似ている。彼は優しい口調で、絶対に忘れてはならないと年端の行かない子供に命じていた。


『平和を惜しむんだ、彼女に別れを告げてくれ』


 ぬるりと、穴から血で塗りたくった指を戻しながら、眼球を摘出する。小さな身体の中から、小さな線がぶちぶち切れる、その音を、こちらにも聞かせているように大きく――


『……君も、これで満足かな?』


 はっきりと自分に目を向けた男が、青い目をにぶく光らせてそう言った。

 紫の瞳孔をした、綺麗な眼球を摘みながら、そう言った。



【作者より】

学業の都合により、今年の更新はこれで終了と致します。また来年お付き合いくだされば幸いです!

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