3

 あの後の及川の表情は、実に滑稽だった。

 あれほどべらぼうに自分に付き纏ったその癖、塞がれた口を開けば馬鹿だの自惚れだの雑言しか吐きやしない。頬の赤みを打ち消そうと、冷えたコーラを一気に飲みして、中の氷をもがりがり砕いて嚥下する。そうして、どじを踏んで暴飲故の頭痛で頭を押さえた。

 そこで自分が、いかに奇妙頂礼キレテツイカレ現象に巻き込まれているか理解したらしい。

 やっと平時利口な頭を持って、お前らはおかしいとまとめて罵り千円札一枚テーブルに叩き付けて退散した。その半ば、追い掛けて来やしないかと赤染めの耳朶から顔をこちらに見せたが、無視をした。


 及川は事事しい態度しか取れない人種か、物音で客の一人か二人かはこちらを伺う。だがすぐにまた視線を私生活に戻した。松川の鞄の中さえ見なければ、ただの痴話喧嘩か学生のささやかな揉め合いとしか見ないだろう。


 松川はあれ以降何も話さず、若者ばりにスマートフォンへ目線を落とす。スクールバッグはチャックを閉められて、中のいきものが動く気配はない。

 あの中に、猫のような、犬のような、四足歩行のような動物がいた。それが小気味悪い鳴き声を立てていても、側にいるはずの店員も客に誰一人として気付かない。

 自分以外かまたそれと類似しか環境下の人間にしか、未知なる生物を確認できない。学生が善の立場に回る勧善懲悪物にも、そういった傾向は見られる。笠井にも話を通したと、そう言いふらしたのも口実付けなのだろう。


 だがと、一般人の、学生としての会話を切り出そうとした直後に店員からピザ一枚が運ばれ遮られた。松川が顔を上げないとなると、及川が勝手に頼んでしまった物らしい。


――あの野郎


 ただピザ一枚で、日常に戻された。備え付けのピザカッターで勝手に四等分に分け、手前のピースを持ち上げてる。固く焼き上げた端をつまむと残った小麦が指にさらさらと付くが、生地に乗るチーズは重い。乳白色につやめき立つチーズが、焦げを乗せて生地の上でたれようとトマトベースのソースと交じる。それを落とすまいと口に入れた。

 あつい、オーブンで焼かれた熱がチーズの中で飛び出して舌を刺すが、トマトの甘味がよく残っている。続いて酸味、ほんの少し噛むと生地の風味が熱さと共に溢れた。これも甘い、生地の弾力、涼やかな風土とはち切れんばかりの麦と想像してしまいそうなやわらかさ。モッツァレラチーズのこってりした舌触りが食欲を進ませ、加えて鼻にトマトの風味が通った。

 じっくり味わって、飲み込んだ後、熱の痛みがやっと不快に変わる。急いでストローを無視して、グラスの底に溜まった氷を掻き出した。少しの炭酸が舌に触れるだけでもびりびりと痛い。だが冷ましてから食すと旨味は格段に減ってしまうのだろう。


「お前って、案外怒るんだ」


 雑念。

 氷を一つ一つ噛み砕きながら、思考を元に戻す。店内は普通と日常に変わり、かつて好奇を示した客はもうそれも消えている。

 がりがり、がりがりと、音を立てて沈み込ませる。携帯に目を奪われる男子高校生は、今や自分の方を見ている。その目、こちらを見ている眼の光は、黒の瞳孔に、深いモスグリーンの色を注す。そして引き攣ってもいない自然な笑み。

 静かに、机の裏で電話を操作して適する相手に通話ボタンを押した。


「一般人は調査に邪魔なだけ」

「そーゆー殺伐なセカイカンだったか?……いや、俺死んじゃったけどさ」


――なるほど


 察した通り、今の及川に対する持ち掛けは、自分が無知故によりも挑発的なものだった。そして彼は覚えていると、今ここで明言した。


「……お前の証言は最初から酷く主観的だった。裏を返せば、全貌を知った上で狼狽している役を演じるとしたら、偽装だとしたら最適だろうなって思ってた」

「まるで最初から知ってた、みたいな発言だな」

「まず全てが不透明だ、どこで機関を知って末端に接触したか、分かってくれと言わんばかりに」


 それすらも不明だったが、機構上、下請けに依頼が来るのなら親である『首都』が連絡の行く仕組みになる。この点に置いて例外は殆どない。

 しかし魔法少年が存続できたのは、「神秘的ないしは極秘事項を集団で守る」ことによる団結からなるもの。その行動において外部の機関が繋がりを持つことは非常に困難かつ、矛盾していた。

 当初の証言から松川は疎外者かその裏があるかの二択の場合が仮定される。言い換えれば何も知らない松川と何か結託しているその他、または知っている松川とその他の隊員に分かれる。

 だが瀬谷は阻害されている松川を除いた、他の隊員をターゲットに絞った。瀬谷が握ったの詳細は掴めないが、彼が魔法に対して執着している。ならば彼は人よりも可視化された人外に集中している、故に彼らが異形と露骨に接触している可能性が高い。


「構図として、何も分からない一人のお前とその他大勢、そして自分は視覚的にみられる汚染を極力なくし、他人の付着量を多くした」


 事前の調査の結果、不自然なほどに松川と他の隊員の数値は低かった。それを大したこともないものと処理をすれば、松川には異常がない、その他が異常となる。


「……だがお前は俺の前で死んだ、そして答えを残した」


 しかし、当時は現実的にありえるとしたらその逆の「松川が無関係であった」のみだ。

 部長と対面した際に確かにその推測を立てているであれ、信憑性として10%も満たない。番狂わせの想定としていた。

 だが現実は反してそうだった、それと同時に彼が答えを死という形を見せる、信憑性の低い説は立証された。


 そうして次に湧き上がるは、松川は大勢を引き離してまで自分に接触を続けていたことだ。確かに、自分が操れる立場にあるなら、魔法使いである瀬谷の矛先を逸らそうと他人を利用する。最悪それで操る個体すべてが彼が撃滅したとしても、自分は逃げられる。

 問題は自分にその仕組みを、片鱗でも意図的に見せたことだ。その情報だけでも、腹の中に押さえ込んだ計画は瓦解する。

 何故、と言いかけるが、指に付着した粉が気を紛らわす。それ以上の追求を出してしまうと、今度こそ、現実に帰れなくなってしまいそうだからだ。


 意思を脳に留めて、欲望にならない内に、停めて。しかし松川は否定の言葉もなく、自分の言葉に耳を傾け、言われのないことをと嫌悪の意を顔に示さない。

 まるで、分かっていた、その言葉を待っていた。


――違う


 それ以上の、勝機をふんだんに。聞き分けが良いと満ち足りた、あるはずのない充足の笑みだった。


「今はそれに答えられない……だが端的に言おうか、首都とは話をつけた、俺の成果と引き換えに、君の異世界送致を黙認すると」


 如実に、松川は適当な答えしか言わない。

 徐ろにカバンの中から、ポルルンらしい小動物を掴み上げる。物扱いとした、乱雑な手使いにポルルンは反応もせず、四足はだらんと下に垂らす。

 松川はカトラリーケースからナイフを手に取り、ポルルンを仰向けにして下顎から下部まで引き裂く。血はない、音もない、刃のないナイフからの一線で、動物は解体されたが、あるべき肉の色も無かった。


 空洞、黒く塗りつぶした体内の中で、二つ折りにした紙切れを取り出して、そうして机に広げる。それは写真か、テラテラとした液体を弾いて、自分に枠内の惨状を見せつける。青年が、黒髪らしい男が、血溜まりの中で顎を失い、どうやって割いたかも知れない断裂が半身を分かつ。顔は一応目と鼻は残されていたが、その下の断裂、小腸とが剥き出されて背丈を曖昧にする。肩幅、よく焼けた肌の色から体格は良い、力のある男のみが写真に映されていた。


「だからその携帯は無駄、詳しい話は別でしよう」


 そして写真の男とよく似た男が、一体、自分に向けて囁いた。

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