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 安価なイタリアンレストランで会計を済ませ店を出た後、駅と低いビル群とは逆方向に松川が先導した。広い背中に、太陽は直射させて、うっすら見える小麦の肌ごと、ワイシャツを輝かせる。

 平等に、差して輝かせる。この暑さで、汗腺が体液を分泌するのだろうか。そもそも彼は汗を出すような、そういった種族なのだろうか。


 飲食店から歩いて数十分。駅の外れで公道とモノレールの高架のみが掛けられ、そしてそこに佇む廃ビルに到着した。階層は目視四階と見るが、入り口からはコンクリートの階段はなく瓦礫として崩れ落ちている。松川はその前に進み、一歩手前に立ち止まった。


――アネ加速ディ――――デファイ


 旋律一句、謳って、旋風を作る。

 眼前の塵芥は器用に左右に分けられ、そして或いは山に塞がれた穴へと下へと潜り込んだ。一通りどこかの台風が止めば、松川の前には穴がそこで待ち構えていた。最長幅2m程にして奥行きも同じ程、ごっそりとくり抜かれた穴からは床が見える。


「ここの地下室、今の瓦礫で階段作ったから気を付けて」


 紳士的な所作で手を伸ばすが、素手の指が異常として長く伸びて腕を絡め取られる。五本指全て、ワイシャツごと腕を食い込ませて松川は歩を進む。転倒しやすい形状にあるか、ゆったりとしているが、掴むそれは決して緩めずひたすらに固い。

 黙って慎重に降りることに従うと松川は気をよくしたか、次に液紐を空いた片腕で両とも縛り、口数を増やす。だがそれは高校生としての友好ではなく、異形としての余裕と気概のみだった。


「君のグループは調べたが――上司が特に気になった」


 ならく、瀬谷と本体の一部として対面した際、一般人として大きな怪我を負わせたが、部長により回復した。その上で部長は、瀬谷と同等か、もしくはそれ以上かの力を持っているのであれば避けたいとも。


「俺は君の部長からの教育を、継承だと仮定する」


 才能、歳関係のない天才的手腕ではないと迂遠にそう言った。彼が部長を見て疑問に思ったのが、異世界侵入者から見て素人同然の自分が部長の直属の部下に当たること。瀬谷の成熟した専門とそれより経歴が勝るであろう部長を部下上司としたら、この関係は何かと疑問を投げた。


「君の上司は上に大きな制限をかけられている」


 不十分な教育を看過する環境、人材不足、それでも部長が直接行動が少ない点から、松川はそう結論した。

 その推測は、大方合っている。

 事実部長は松山とやらの班の最高責任がいるが、それだけでも動かせないと過去に言っていた。簡単に、自分でも分かるような理由とすれば「彼もまた強力すぎるが故」だろう。幾つかの許可を降りなければ、行動が合法だと許されることはない。


 その状況下は自国と酷似していたからか、制約の高さに胸を撫で下ろしたとも続けて呟いた。


「……そう言えば、怠惰国がどうなっているか知っているか?」


 そう言えば、よりも、それよりもと言いたげな抑制。

 つまりは、立場はこちらが上であると言いたいらしい。見渡して、何もない風景を眺める。打ちっぱなしの向き出した空間、そして松川の真後ろ、壁に寄りかかっている白骨。傍に色褪せた赤褐色の布切れから、元の松川の残骸と見える。一つの楽しみと言えば、松川の手前に見える、先程崩した瓦礫の山から地上の光を探すのみだった。


「怠惰国君主があまりの強靭さにより国際法が作られた、ぐらい」


 そうそうと、応える松川の声は弾む。隠すことを止めていた。ポルルンという殻の中で満たされた透明なゲル状も液体も、暗にそれだと指し示している。


 怠惰国、魔法専門の瀬谷はあの国の君主の特異性から、自分と調査を切り離すことを念頭に置いていただろう。自分は部長からの指導により、魔法すら唱えられない現状にあるが、如何に驚異的かは教え込まれている。怠惰国の君主、不定形、能力としては物質の吸収、魔力の塊ゆえの高い魔法処理能力を有しているらしい。


 魔法処理能力、こんな界隈におかれてとんと検討は付かないが、瀬谷曰く、魔法使いが「数学を数学で考える人間」なら、不定形は「国数英理社全てを数学的に表して、時間さえあれば自分だけの学問を樹立させる余裕すらある」らしい。よくはわからないが、そういった比喩が彼の脳内で罷り通ってる。

 だがこれは不定形の可能性の物としてのみで、本来は知能は低く鉛筆すらも持てない種族であること。だが瀬谷の比喩に一番近い存在が突然変異した個体であり、元首として君臨している。


「まあでも、怠惰国って大層な名前付けられるとはな」


 少しの水音と、低くも上機嫌な笑い声。松川の素顔の音だった。

 

 そもそも「大罪国」というものは異世界には存在しない。異世界に置ける七つの大国を、機関が現実世界に七つの大罪だと当てはめたに過ぎなかった。

 そのラベルの土台となるは画家、ヒエロニムス・ボスの絵画に倣う。当該の絵画に書かれた大罪の位置が、異世界の七大国の代名詞とされる。

『憤怒国』は異世界の正式名称はメーアトリスティリ

『色欲国』、スィレングンジャ

『怠惰国』、ンイブロージャ

『強欲国』、イェルハトピルズカイ

『嫉妬国』、プトゥルールテッラ

『暴食国』、ルクェプトゥー

『傲慢国』、メトリエッタ。

 現実世界の発音に慣れず、まず会話に支障が生じる問題から機関は名前を代替している。故に怠惰国と差されていれど、異世界では怠惰、という訳ではない。


 松川の言った通り、怠惰国は挙げられるはずの無かった国もとい、属州の扱いとして差し支えがなかった。

 概括的に、粗々しく一言で纏めると、怠惰国の地域は隣国の暴食国が魔法の開拓に指定した土地。元は国と言うよりは周囲の色欲国、暴食国その他の国から逃れた民の集合地でもあった。

 その多くは人間そのものの力しか持たない、人外が統べる大国とは適応出来ない弱者だ。纏めていても太刀打ち出来ない圧倒的力量差が種族の時点で決定的である。そうして大国政府も逃げた人間をまた、蟻が住処を変えたと見る人間の如く、意に介することはなかった。


 だが彼らは新たな地で原生の不定形を利用したことにより、状況が変わった。

 言語を使わず、意志伝達を可能にする魔力の質。元来人間には踏み込めない有毒な鉱山からの鉱石発掘、相互の意志から耕境の拡大すらも可能にした。

 そうしてそれは大国に新たな魔法の展開の可能性として――長い月日が流れ――多くの犠牲によって――そうして成立した地があの国だ。結果として利用され続けた不定形が、大国君主と肩を並べる脅威を備えたことにより、長い戦火はさえた。


 だがその次に、周囲の国家は警戒した。

 淘汰に近い使役を行った背景と、素養として能力が高すぎることに由来する。レジィ・ンイブロ、正確にはンイブロ地方の不定形が保有する人格個体は、それ程の危険を孕んでいた。


「……仮に、及川があの方だとしたら、あんな下らない諍いすら起こらなかった」


 松川の躯をこともなげに見つめながら、だが奥底から妙な情がゆらりと芳している。

 尊敬よりももっと粘っこい、恋慕よりも濃厚な、崇拝と言うには綺麗すぎたうわ言だった。松川のふわついた、幻の王、虚像を指でなぞる薄気味悪さと、個体としてのデジャヴな情報が耳に入らない。


 曰く、もしも及川がレジィであるのなら、まず口に付けたストローからレジィの一個体として分散する。

 そしてそのまま、松川と自分が何を話しているかを五感で感じ取り情報を本体へ伝搬させられる。排泄行為も食事行為も、何がさて体液さえ付着してしまえば、それだけで可動領域を拡張せしめる。

 また自分が及川に口付けたことで、体内の血液を馴染ませて血液硬化も容易い。そこで再三、あの偉器才穎がただの魔法使いの人体に同化されるとは有り得ないとまで強調した。大方、瀬谷に何か同じことをされてしまったのだろう。


「だから――」


 だから、と、松川の口から、調子よく語られた言葉が停止した。さっきまでこぼれていた笑みが、降下して、本体の無表情へと化する。

 次に言おうとした言葉と、縛られながら思案する。その先は、化物ですらない自分でも想像が出来る。


「利用されるンイブロが嫌だっただろう?」


 だから、不遜に煽る。

 彼はその言動を咎めようとはしなかったが、薄っすらと目を補足して睨めつけた。背後から這い寄る蠢動が、よりいっそう騒がしく、廃墟の壁で警鐘を鳴らした。

 彼の目玉の奥に、化物がいる。瞳孔の薄い膜が波打ち、ぐるりと紋様を変えたが、怯みにはならない。


「それまで低知能だった不定形は、ンイブロが頂点になった境に急成長した……それまで性能の良い道具だった、隷属への反発意思はあるだろう。

だが現実は、周囲の多勢にアレはえらく腰が低い。

行動原理としてはそうおかしくない、革命家と謳っているくせに頭を下げてりゃ気に食わねえだろ」


 ぐわんと、頬から細い物が叩かれて、そのまま床へと突き飛ばされる。頬からは熱、そして、誤って噛んだ内壁の肉から、血が滴る。

 代名詞の呼び方が、えらく気に食わなかったらしい。


「だからお前は魔法少年という……まあ何かしらの実験で首都と協力を得ようとした、新たな主人ではなく対等な取引相手として」


 それでも四肢はあると、足を使い、よろけながら立つ。

 分析として、今のトップであるンイブロの存在は神格化されているが、現状の扱いに満足していないのだろう。

 神格化、そう、不定形から見ればンイブロの存在は奇跡であり神の所業であろう。だがそれを現実では神ではない、他種族という俗物との人間関係を否応でも築くことを必要とする。苛烈な圧政、跋扈とは行かない、過激な神の天罰よりも泥臭い道をンイブロは選択した。時にそれは「かつて他種族に酷く扱われていた」という過去の背景を、認めることになる。


 嫌な予感が、別方向に頭を過る。どういった行動で自分が追い詰められているのではなく、どこまでが救いようがなかったのかだ。知能あるものは、大きな過ちと失態を二度踏まぬように努める学習能力がある。それをどこに適用したか、それが問題だった。

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