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 今回の状況は奇跡に違い偶然の重なりだった。

 一つは及川と今日接触していたこと、もう一つは及川が機転が良い割には阿呆な人間である点だった。


 及川薫、東洋の烏の濡羽色をした長い髪、南欧から遥々来た曾祖母譲りの青い目。サントリーニのとろけかわいた太陽の下の深い海底と自惚れ謳う。それと平均よりもタッパが高く、だが声は気安く高い、調子者だった。

 つんとした声が波長からして性格の波長が合わない人種。「期末テストで一点差で負けた」という運命のようなどうでもいい奇跡と、あっちに無駄な行動力がなければ合うことはない人物。

 そうして一方的に突っかかり、時に自分が持つ陰気な性を嘲笑う矮小たる性悪。だが何故かよく話しかけては側に寄り、自分が他人と話すだけで焼餅やきもきする、よく分からない男だった。


 その一般人の及川から自然と付き纏われて、そうして松川を自分が見ていただけで浮気だと言い――あの状況が作り出された。


――何と言うか


 再度入った店の冷房に浸りながら、早足に及川達の元へ向かう。及川と接点を持ったのはそういった、珍妙な機会だったが、「友人」という点では数少ない日常だった。

 今も、自分から関わろうとしない学校生活を送っている。自分と同じく試験上位成績者常連の及川こそ、数値的に警戒するべきだろうが、どうしてか彼しかいない。


 ふと、爪を見る。何故か、いいや、自分の脆さを覆い隠す刺激臭付きのトップコートは、今や剥がれ落ちていた。松川に食って掛かる際の直後に、また奴は僕色にしておきなよと捨て台詞をほざいていた。全く、ろくでもなくて、阿呆でどうしようもない。

 だが一般人の介入により、導入はスムーズに行ったと思われる。元より、笠井蓮と松川太陽の関係は現実世界から見て同じ高校の同級生、それ以上に逸することがない。魔法少年とそれを調べる人間の立場など、まだ現実世界に起こり得ないものとされている。

 多少の長話はあれど、本来性質似た者同士が事故を起こすと、現実世界からみて違和感が起こり得ないからだ。


 後は、と、わざと歩を緩めて思考する。性質がどっこいどっこいということならば、こちらのタイムロスを考慮しなければならない。それも、現実世界の異変の遠因であると及川が気付かれない内に。

 現実、修羅場だの天地開闢だのビックバンだの喚いた人間が、話が合っただけで決闘を忘れている。

 二人共々背は高い、すこし歩いて近づくだけでも頭がすぐに見える。一人は変わりない、浅黒い肌と短めの黒髪の松川、もう一人は後頭部から長めの一つ結びと分かる、及川だ。多少及川は前のめりになっているが、怒張の予感はない。むしろ彼の持つ外向気質故だろう。


――今の俺は


 まだ普通の人間として会話を続けるべきだろうか。話の噛み合わない、陰鬱な被害者と装って相槌を打つのが妥当だろう。


「――実は色々あって、こいつと……正義の味方としてな」

「すごいすごい!」


 そして、迅速に離す、それが至当だ。

 つい跫音あしおとが険しいものになってやいないか周囲を見回すが、誰一人として怪訝な目線を送らない。皆目の前のイタリアンか、健全な親友か親類との会話を楽しんでいる。


 ほっとして及川の隣に再度座るが、彼の目線は松川の鞄の中――の、空洞の中で、もぞもぞ動く、動物のような非日常に注いでいた。

 側に置いてある及川のグラスを確認する、コーラが容量七分。基本的に多弁の彼は、話に集中して飲食のスピードは緩慢にある。となると、瀬谷の会話の最中からこの話をしていた、ということになる。

 定めし、あの物体が、魔法少年組織で言う処のマネージャー妖怪のポルルンなら、大きく矛盾してしまう。調査段階、もとい警戒対象のシナリオとしては、ポルルンは行方不明として扱われている。


――だが


 仮に、松川は死亡により前日の記憶を全て失ったと言う「設定」だろうが、この行動は考えられなかった。何故なら彼が死ぬその日の前、初めて調査として接点と持ったあの日に、彼は行方不明だと明言をした。

 その上で、彼は自分の目の前で、一般人に向けて情報を開示しようとしている。


 バッグの中で、ポルルンはもぞもぞと動く。まるで動物のように、哺乳類の如く四肢を使い、ふさふさとした毛を見せつける。小さめの顔に嵌められた、不格好に大きく無機質な赤い瞳もどきの器官。僅かな喉奥の呻吟が、さらに作り物を加速して、目がレストランの照明に照らされる。

 目は鈍い光となって、反射する。上滑りのハイライトに、きいと奴は鳴く。

 だが口腔の歯だけは、生々しく白かった。


「……実は笠井にも、話は通したんだ」


 事実だが、あるはずがなかったことを聞かされる。それを遮らず、押し黙ってストローをくちづけた。


「それが昨日のデート?」

「それよりも、スカウトってやつ」


 及川は自分を差し置いて、松川の話に耳を傾けている。自分の動じが、普段はいやに敏いはずの彼に悟られなかったのは幸いだ。だがこの状況を察しないのは不幸だ。


「魔法少年と契約する時、何でも一つだけ願いを叶えられる」


――コイツ


 それは聞いたことがない誘い文句だった。

 スカウトについて、彼らが言い渡されたことはただ一つ「正義への奉仕活動」によるものだ。その情報だけは、自分の聴取にバグといった過失がなければ起こり得ない。

 ストローの端を噛んでしまったが、それでも貫通しない、無味のプラスチックが憎たらしい。ぐわんと殴りにかかる目眩から、くちに運び出される甘味で飲み込ませる。動揺してはならない、まだ動けと、案じて、舌先の炭酸のいたみに頼って、そうして、落ち着かせた。


 流石に及川が異変に気付いたか、こちらの方に目線を動かす。だが、外の暑さにやられたと考えているだろう、そのまま声変える素振りもなく、興味は然程ないところか。


「……及川」


 だったら、と、整然とした回路でストローを離す。

 普段飲み慣れないぴりぴりとした炭酸を、口の中の肉に染み込ませる。甘い、どろっと爽やかとした味がいやに気味が悪いが、停滞するよりはマシだった。

 視線と合わせて、そのまま首を動かす及川のワイシャツを掴み、体重を後ろに追いやり唇を合わせた。勢いをついて壁に手をつけかけるが、及川の体幹か、そのまま倒れずに松川の前に見せつけられた。

 おかしいと、自覚はしている。目を瞑りながらだが、唇から伝う些細な震えが、及川の波紋を比喩する。きっと目は見開いていて、綺麗な海か、空か、そう例えるにも勿体ないとうめいな色だろう。だがそれを貪る暇はない。

 だが嫌悪で突き放すかと思えば、及川はまだ引き離そうとしない。驚愕、ふわふわとした衝撃で、まだ身に戻っていないのもあるだろう。ならばと、深く押し当てて手を胸板まで近づけた。同じ、あの灼熱の地にいたにも関わらず、皮膚からぐらついた熱が漂わない。張り付いた汗も、化学繊維越しから伝わる肌のキメも、指のはらで分かるが、不快じゃない。


――これは


 この現況において、行き場のない激が治まっていた。それは彼が動よりも静の態を取った上での、自分の慰みか、少し試し気に及川の唇をなめる。ふるりと、彼の半身が震えていたが、自分を追い払わない。むしろ不自然なほどに爽快な彼の香料とが、自分を迎合している。そう自惚れてしまう。

 それ以上のことは何も求めていない。故に十分見せたと悟ってから及川から身を離した。口の中に、炭酸水の味が残る、が、それをどうするかは及川とするべきではない。


「……薫に願いとか、もうないんじゃないか?」


 友人を失おうが、何かが成立しようかは構いやしない。そんな日常が壊れても、自分がするのは、何一つ変わっていないのだから。

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