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 笑みを浮かべて、一方的に通話は切られる。30秒ほど連絡が途絶えると今度は情報屋とのチャットからの通知が送られた。


『23回、蓮君はマニキュアを繰り返した。手を集中的に行われる過度な洗浄行為、対してその他の箇所、全身への洗浄に目を向けない。

 手に何かあったかな、他に目立った特徴といったら洗顔時間は通常よりも4倍の300秒、洗顔量は二日分の消化、手洗いに関しては石鹸よりも食器用洗剤を使用している。石鹸と合成洗剤とでは成分は大きく異なる。わざわざダメージの大きい合成洗剤、それも合成界面活性剤の使用を推定30回、空になった詰め替え用も見つけてる。

 端的に蓮君はハーフだから修復能力は高い。朝になれば指の損傷はなかったけれど、一時的に生じるであろう傷から推測するに、意図的な自傷行為と自浄欲求、それもかなり衝動的だった点から、精神的ショックが強い。潔癖症とは違う汚染強迫からの行動だと推測するよ。

 以上が蓮君が家に帰ってきてから登校するまでの約12時間の出方』

『いや、ちょっと付け加えたいな、肌への損傷が激しい合成洗剤を選択した、これは、罪悪感による自傷行為だと思うよ。

 こういった出来事は覚悟していたけど、蓮君部長について強い精神ストレスはないんだ、むしろ諦観、負担を受ける前に心が沈み込んでいる。だから部長が今までしちゃった仕打ちには多少の傷はないと思った。この状況は初めてだ、蓮君が松川の死に動揺しているとは聞いている』


 積乱雲に重なり畳み掛ける独白、テレビ通話から用意をしていたらしい。


『アフターケアを怠って、君は蓮君を突き放したってことでいいかな?』


 あの中くらいの声で再現される、暴力的な類推。

 忌まわしく元気に飛び出していたメッセージはここで途切れた。が、彼が言いたいだけ言って逃げたとは言い難い。今は自分の言動の出方を見ている。実際、通話とチャットとの感覚は一分もない。

 超絶技巧のタイピングがあろうがあの量の文面と内容を打ち込むとしたら、事前に用意していたことになる。


 事前に、そう、自分が依頼した、機械に疎い魔法使いでもこなせそうなつまらない調べ物の時間。今や画面の向こうの亜麻色の鷲が、兎の臓腑をどこから掻っ捌こうか心待ちにしている。


『部長から言われたか?余計なことしそうだからって』


 だがそこまでの推理だとしたら、情報屋の結論もまた「笠井蓮を調査に関わるべきではない」となる。ここは教育ではなく仕事の現場として生きている以上は、笠井という若輩者は邪魔なのは変わらない。


『いいや、個人的な忠告。僕はアレは嫌いだけど自分にとって正しいことをする、僕を生かすのも君をおとなしくさせるのも奴にとって正しいから』


 通話がないことを幸いに、おもいきり舌打ちをした。抽象的かつまやかす婉曲を答えさせたい訳ではない。答える気にすらなれないから遊んでやる、これが奴と付き合い続けた数年から参照して適するものだろう。

 突き放したは、露悪的表現でしかない。情報屋が短時間で推測したのは、賞賛されるだけの鋭利な理性のみで第三者としての分析ではない。肉眼で観測してもいない人間が物を言うにも限度はある。情報屋の想定する自分の行動がどんなに暴力的であれ、実際の心境としては憤怒よりも憐憫に近い。自分はその感情を覚えていた。


――だが


 あの分析が全て実話だとしたら、蓮はまだ引きずっていたということになる。

 返信を途切れさせてしまったか、情報屋が引き続き発信する。変わらず、不遜かつ、傲慢な切り口にて。


『今どんな言い訳打とうとした?

 魔法使いで天才なら分かりにくいだろうけど、頭の良さで理解してくれよ。強欲国は魔法の最先端だっけ?けどここは研究所じゃなくて、ただの企業だ


 ノエルエティも言ったじゃないか、自分を見失うなって』


 胃酸が、流転する。

 今この人物は、この人間はどの口を以てその人物の名を振動させて音声として成立させたか。

 ノエルエティ、現実世界のダーティーに生きる情報屋には無縁の人物の名前だ。商才に秀で魔法は二流と揶揄されていたマーティン家の長男。その出に反して、魔法学における生体学体系の基盤を大きく覆した革命児にして、介入認知学という新たな概念を検出した天才。今生きていれば43歳、わずか20いくばくの若さで亡くなったが、界隈で知らない者はいない。本来ならば、こんな話に出すことさえ、あんな人間もどきの口から出すことさえ憚られるべき人物だ。

 情報屋にはそれは知っているのだろうか。いや、知ろうが知らまいが、それすらも玩具にするのだろう。


――いい加減、慣れてしまうべきか。


『肝に銘じておく』


 そうして精一杯、力の限りを尽くして当たり障りない、大人らしい文面を書くことに成功した。


 情報屋と通信が途切れた後、烈火色の臓腑が落ち着いている。煮えたぎった苛立ちは治まり、次のプロセスへの思考回路も磨かれる。


――今回は慎重にやるつもりだ


 情報屋の性格があれであれ、直情的かつ察しられやすい人間であることは自覚をしている。


――あの言い方は


 まるで自分が、魔法のために蓮を退けた、とでも言いたげな言動だった。

 情報屋は自分の身元を嫌でも知っている。瀬谷家の奇跡、魔法使い界隈の風雲児、言語代替魔術構築の研究、逸脱した好奇心、探求心、狂気、きょうき、くるったこころ。言われもない他人の罵りから情報を吸収させている。

 ノートパソコンの電源を落として、机に広げていたメモ書きをもう一度読み返す。そうして、机に置かれていた先日の採取物質を鞄にしまった。不意に、ドアの方からノック音がする。別室の役員を長い間待たせてしまっていたから仕方がない。


――お前のそれは杞憂だ


 自分は情報屋が思っているほど、常識離れした思考を持ち合わせていない。でなければ狂った者同士部長と気が合って破綻してしまうからだ。

 おうと応えると、ドアが開いて少女が一人顔を覗かせる。柘榴の代わりとなった役員、顔色から健康的なのがよく分かる。


「藤、俺の推測と結果だと、今回の任務は死亡率は跳ね上がる」


 企業の会社員として、善良たる市民としてここにいる。笠井の意思を曲げないように、優秀な魔法使いの能力を持ってここにいる。


「だから作戦を変える。お前だけでも生き残ってほしい、結界の外にいろ」


 まだ屈していない。

 何故なら客観的に見たら、自分の行動はまだ独善的にはならない言動だからだ。


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