3

 最奥の塀の前で足を止め、ぐるりと見渡す。腕に圧力はなくなったが、そのまま蓮はじっと待った。


「魔法少年って、呪文とかないわけ?」

「……ある、よく分からないやつとか」

「例えば?」


 松川が息を整え、コンパクトを取り出す。彼の風貌には似つかない、手のひらで収まる桃色の少女趣味の塊。


「クォサウ・レイグダイヴ・ディ」


 光が松川をまとい始めた。

 舌に尽くすならば、火属性であり、外連味のある、蓮には理解しがたい物だった。

 蓮は過去誤って魔法少女アニメ番組と出くわした思い出を回想して、照らし合わせる。火属性として赤よりに温暖色に染められた色艶、露出度の高いコスチューム。ただ女児向けに作られた愛らしさや愛嬌の要素よりも、クールやスタイリッシュを追求している。


――サブカルチャー趣味か


 実用的かどうかよりも、拘泥の極致。松川に不審げに見られぬよう、再度舐め回す。

 へそと腰のラインを顕にする為か大胆にカットされたシャツと一体する赤のジャケット。マントの存在なのか素材は柔らかく、折り曲がる襟は派手に広く下地は白い。

 腰回りのヴェールも赤に統一されているが、黒のブーツにより足のラインを際立たせている。下半身はパンツルックよりもタイツをバッサリカットした――ゆとりのあるストッキングだろうか。


 総じて、青少年の肉体と愛で好くことを丸出した変態的な何かが伝わった。

 魔法少年の属性として火を演出しているのは納得するが、更に苛烈に出張させられた肢体。松川の顔を窺うが、涼し気な顔をしていた。


――マジかよ


 何故か今回の相手は、そういった小道具に関してはヤケに手を抜かないらしい。虚偽の塊とは言え、本来の目的と衣装との関係はあるのかと勘繰りたい。


 ディティールの凝りが色彩から形状まで、製作者の熱意か糸が息吹として届いている。ファナティック執念よりも、術式が何とやらのの伏線か何かと疑ってしまった。


 結界の空気を煽る。初夏の生ぬるい風と湿り気が適当に不快感を保っている。神秘的な内装とはいえ、完全には隔絶されてない。身に覚えのある、毎度浴びてきた毒瘴とよく似た。


 気になって松川に向かい、目を手で覆い軽く目を擦った。よろけた足取りで松山の腕を掴めば引き剥がされかけるが、目に砂が入ったと言えば緩んだ。

 感触は普通の、学生ブラザーに変わりはない。見た物そのままにタイツのような密着感は少なく、少し握れば空洞を確認できる。


 肘から上までなぞり上げる。性感帯程はいかないが、静脈の位置としたら、触れて感じない訳ではないらしい。素肌だと尚更だが、松川には拒否反応を起こす様子はない。手には布の感触が残っていた。


――幻覚か


 肉眼が幻覚に惑わされてしまったが、今のところ幻覚は触覚に及ばないところか。かと言ってそれを口出すほど無粋でもなく、静かに松川から離れた。


「あれだ」


 ぽつり松川が呟いたのを合図に、地鳴る。

 遠方の足音に応じる独歩は、既に張りぼてと化した商店をなぎ倒しにかかった。溶けたソーダアイスと彷彿される崩落と溶解が始まった。


 魔法少女の創作として言うならば、人間の深層心理空間の繁栄、もう一つの世界か。素寒貧の悲嘆と娼婦のおもねり、暴漢の喧騒のカオスを渦巻かせるこの地にするのは相応しい。

 蓮や松川を対象にした高校生は、幼少の莫大な夢から抜け出しても、再度それを求める傾向にある。非日常、アンダーグラウンドへの渇望。そして現代社会に飽和した毎日のための、生死の肉薄が彼らを誘う。


 倒れた残骸から、巨体が姿を現す。目算4m、幅2.5m、人体をある程度模倣して異様に胴を太くした木造。頭頂部らしき部品には目の機能か中央に黒い点のみある。口、鼻とされる器官は見当たらない。


「クォサウ・リレイ……ガイセン」


 凱旋、瀬谷から聞いた魔法の原理としてーと言っても、座学十年のプライドか、素人の蓮に察せられるのは本人には気分の良いものでもないらしいがー、間違っていない。

 ある程度、魔法少年の魔法は異世界に則っているらしい。松川の周囲に巻き付く炎が巨人を取り囲む。一気に燃焼する様子はないが、それでも多少の部品は焼け落ちて動きは鈍い。


「セタ・エ・ジン」


 恐らくは、尖端と鋭刃。松川が手をかざし、巨人に向けて一閃の手刀、木偶の胴に焦げ付いた亀裂を走らせた。


――すごい


 幼稚な感情が、色を付いて蘇生される。呑気な心情でいる場合ではない理性の裏で、鮮明に蓮の鼓動をいぶす。熱風が眼球を乾かす前に、シナプスが新鮮な赤と脈動を欲していた。

 巨人の傷は次第に火焔に沿って広がり、真っ二つに焼け落ちる。熱風が砂塵と共に蓮にかかるが、初夏の不快指数を焼き焦がす痛快となる。

 炎を背後に松川は振り向いて笑いかける。逆光と肌色が表情を見づらくしているが、最高のセールスだと思わず拍手しかかり、その手を押さえた。


 その背後に、二体目が突如として現れた。

 図体は先程と同じく、質量も馬力も同じと見える。松川と蓮が叫ぶ前に敵の豪腕が飛びかかり、後ろから頭部を握り締め、松川の口角を歪ませた。


――何が起こった


 目の前で死が赤とペールオレンジで再生されたとだけ、理解はできた。頭皮も生きていれど、物として破壊できるらしい。無機質なビニールマスク風味に裂けられた松川は項垂れた。


「――あァ」


 すっかり下がった口から、吐息混じりに呟かれる。松川の呻きと分かったが、彼の意志か何かの反射かは、腹部から急に湧き出た不定形が謎にする。

 宙ぶらりんになった松川を海老反らせ、触手らしい化物が這い出る。形状は透明か、食い破られているのに対して口が見当たらなかった。幻覚魔法で作られた衣装には、不自然に破損を見せることはない。ただただ内容物が湧き出ては路上に撒き散らす。

 ゴーレムが器用に太い指で軽く頭蓋を摩れば、小気味良い音を立てて破片が飛び散る。ずぶ、と水音を立てられたが、それは下腹部の透明な蛆か頭の太い蛆かも分からない。

 触手は足の方にまで伸ばし、片足を揉みしだいた。骨でも抜かれたか、足のような部品が歪み破裂する。血が触手の中に入り薄紅色に変化すれば、サイズの合わない靴は情けない音を立てて地に落ちた。


 松川と識別できない肉人形が蓮の前でぶら下がる。巨人のもたもたした動きが小さな手足まで響く。胃からは液を吐き出したがサワーのミックスか、多いが薄い臭気を放って水溜まりをつくった。


 おもむろにだらりした腕を爪立て引き留めようとするが、木造が引き剥がす。ただただ肉を包んだ肌色の膜に爪痕を残すだけ、肉風船だったとのみ脳裏に刻み込まれた。

 頭上にて、暴力的な摩耗と命の咀嚼が行われていた。

 残滓が、残骸が何もかも降り落ちる。眼球の落ちる音は瑞々しく、歯が落ちる音は意外に小気味よいと知った 


 異世界滞在中の食人鬼が言うには、人間の脳みそは塩辛に見えるらしい。自分ら一家でしか感知できない嗅覚と本能をもって、やっと美味に感じると言っていた。


――待ってくれ


 異文化を否定する理不尽さを生むほど、理解が追いつかないでいた。さっきまで横に歩いた人間がまるで死んでいるではないか。目を離すことが出来ないでいた。足が動かないのではなく、足を動かす気も、逸らす気が肉体にはないと察した。


 一際大きな血溜まりが蓮に飛び跳ねる。その後は情報量の過多でどうにも状況の追いついていない。ただぐちゃぐちゃにされていると認識できていた。


 その生暖かさが彼の生きた証か死んだ証拠かどうか、それすらも理解が出来ないと、感じた。




 蓮が我に返っていた時には、既に事が終息しかかっていた。

 叩き起こされず、怒鳴り交じりの声で瀬谷に叱咤され、覚醒する。現場には蓮と瀬谷の二人のみ、松川はスクールバッグごと消えていた。

 俯いたままの視界には、一切の血溜まりは残されていない。建物を崩した名残の礫らも然り、ただ蓮は路地裏の狭い奥で座り込んでいた。

 爪の間の些細な圧迫から手を見つめる。赤黒い何かが詰まっていた。


「今日はもう帰れ、俺が報告する」


 何故来たのか、何故ここが分かったのかを問おうとするが、口が上手く動かない。唯一冷静に動きそうな手でスマートフォンを使うと、画面が瀬谷への通話画面で止まっていた。

 時間差で漸く把握した。なにはともあれ自分のみが生還して、錯乱した状態で瀬谷に連絡を入れていらしい。

 自らに口腔を舌で舐める。粘膜ごと乾燥しきっていた。我を忘れても職業病が過ぎる。


「……仕事は、終わらせますんで、大丈夫です」

「俺が全部やったことにする、黙って横取りされてろ」


 ため息をつかれ、淡々と大人らしく返す。嫌味にしか聞こえない言葉だが、瀬谷は無理して悪ぶった言い方をするきらいがある。


「何も悪くない、ただの事故だ」


 瀬谷の優しさが、蓮の何かを否定しようとしたことは明らかだった。



 気がついたら登校していた。午前8時15分、朝読書と称した無駄だがルールにはある謎の慣習に間に合い、体質で眠気はない。


――違う


 明らかにそれだけじゃない。おかしくなったと、頭を押さえた。あの後は覚えている。瀬谷に最寄りの駅まで見送られ、自宅についたら――その辺りで、意識は途切れていた。


 部長の姿は昨日から見ていない。あの件なら間違いなく口出し、化物の癖に朝食に拘る。だがペットもとい淫魔の被害者曰く、仕事から帰ってきていないと聞き、二人で簡素な食事を済ませた。


 痩せ型のペットに合わせて、簡単なトーストに決めたことは覚えている。ただオーブンにぶち込んでしまっかか、不均一な焦げを作り不満な出来になったことも覚えている。バターよりもいちごジャムが随分溜まっていたことを覚えている。それを塗ったことを覚えている。それを口にして案外いい音のしなかったことを覚えている。ペットが少し多めにジャムを上乗せして、練乳を乗せていたことも覚えている。アイツがいなかったらやりたかったんだと、彼が笑っていたのも覚えている。それに自分が便乗したことも覚えている。甘かったことも覚えている。


――しっかりしろ


 ただ、それ以前に何があったかは朧気だった。魔法には記憶を消す魔法があると聞くが、死に様の記憶から瀬谷が消したとは考えにくい。

 ならば、と静かに下腹部に手を当てたが疼きは起こらず、手首に縄型の痣はない。体調に異常な開放感もないなら、何もされていなかった、だろうか。


――いや


 昨日の手がかりは指先にあった。女学生ふうな遊びは施されてはいないが、爪は艶めいて朝日を反射させる。仄かにシンナーと似た香りが鼻について、指の腹で爪に触れた。爪の中には肉のようなゴミはない。

 想像していた以上に、曖昧で矛盾した人間になってしまったらしい。


「マニキュア、ってそういう趣味あったっけ」


 神出鬼没にも等しく、クラスメイトの及川が話しかけてきた。元々人付き合いが良いのか、常に誰かと談笑しているところをよく見かける。


「……若気の至りってやつ」

「あっそう、ってか今日鬱っぽくない?死ぬの?」


――ああ、知ってるか? 俺は目の前で死人を見てしまったんだ


 不意に喉奥から出た邪、それを柔く食み言葉になる前に千切る。彼には何も関係がない、自分の日常の話だ。

 けらけら笑って日だまりを誘う及川に追いつこうと、適した言葉を考える。これは、雑談だ。何を言ってもどうせ三歩すれば忘れてしまう、話すだけを必要とした作業。いや、行動か学生の性分にしなくてはならない。


「別に、寝不足で隈出来てるとか」


 なあ及川、俺はお前が思うほど普通じゃないかもしれない。俺には一度足りとも睡眠が幸せだったと思ったことがない。良い夢は見られたかと、流れる言葉の毒を、押し込む。

 それは空気の味がした。清々しくもない、数年にも及んだ苛烈の苦味だった。


「いやいつものかんわいい顔だけど、僕君の引きずった第二次性徴の面影がすっごく愛おしいっていうか……恋の病で不眠? えっそういうの?」

「気持ち悪い」

「ねえどいつ!?僕か!?いいぞ!」

「……だから無理」


 及川、義父に抱かれていること知っているか? 抱かれたらどうやって情けない声を出して、殺してやりたいって子供らしくない考えを帯びて、挙句それしか温かさが分からない子供が分かるか? 単なる肉と皮の擦れ合いだって、気付いた時の死にたさを知っているか? それを通り過ぎて、どうでも良いとすら思ってしまうのも。

 瘴気、押さえる。喉が妬けるような騒ぎを振り払うように。唇は、いつもみたいにかさついていた。乾燥したくちびるは、今は嫌なことを思い出すから嫌いだった。


「気持ち悪いっていうなよお、愛って言葉は変に似てんじゃん?」

「ミミズとナマコくらいに違うんじゃねえか」


 口が、閉じない。

 もしも、及川の心が嫌悪に埋め尽くして、眉をひそめるまで話したらどうだろう。

 愛はよく分からないが、変わったことはされる。息の出来ないような義父からの口付けが、愛に溢れていると幻眩するほど良いのは知っていると。ついでに死体を見てしまった、何も出来なかった自分が何も求められず放って置かれていたらしい。それはとても寂しかったと、馬鹿にもわかるように、ゆっくりと語ってしまおうか。


「レンレン?」


 もしも、自分があんな化物に襲われて、部長義父はただ見ていたら。その目は目の前のお前より――それ以上はやめた。及川からは途方もない、掴もうにも掴まえようのない、中天の深い青空の瞳だと漸く気付いた。その目が無邪気に、自分を見ていた。


「……お前変だよ」

「いやいやいやそこが良いんじゃない、そんでもって愛に変われば」

「ねえよ」


 及川は食いついて、中々剥がれない。それもそうか、何もない日常を選んだら答えは変わらないに決まっている。それだけで、何故か心が馬鹿みたいに軽くなった。

 及川の軽口が、日常を指し示う。状況は晴れていないが、非日常から日常へと脳を変えるのに快活な口振りがスイッチとして果たした。じわり、強い日差しが中央の席にかかり、皮膚を暖かくさせる。


 穏やかな日常だと蓮に教えるように、友人を引き連れた松川が教室に参上した。

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