7

 製造の領域になるとそこそこの技能を要する。ではこれは魔法少年らのお遊びだろうか。


 靴は人数分カウンター下に置かれている。丸椅子には変わらず彼らの服が整頓されている。人が情事に至ることを目的とした上で服をどうするかなど知ったことではないが――


――襲われたなら冷静に脱げない


 慣れたとしても一度や二度は強引さに戸惑う。インサートに触れる直前は、恥じらいと慎みで隠匿されるべきものだ。彼ら以外に知り得ない秘事を、誰かに見せるための清廉さを出す必要はない。

 カウンター下に置かれたバッグを一つ引き出し、中身を開ければ新品のタオルが詰まっている。

 汚染の単語を今一度思い出し、瀬谷は咀嚼して嚥下する。


「長期間、同一のそれに襲われたか」

「アレやないかな、同人誌ってやつ」

「……正しくは、魔法男娼か」


 サブカルチャーには疎いが、柘榴の言わんとしたことは理解した。初めからそうなることを理解しているならば、何を事前にするべきかは自ずと理解できる。

 やはり人間には触手は敵か。触手の異世界的名称、不定形人外が多く生息している国は異世界にある。原種の性質から、繊維質に対する溶解成分は含まれていることから


――いや、まだ早い


 この場での独り呑み込みは危うい。不定形人外は水か液体ともつかない塊は、無作為に周囲の魔力を食いつぶすことで変容する。

 単純な構造だが、それ故に厳選された環境の中で取り込まれ――最悪知性の獲得で君主制の頂点に立つ。その例がいるとなると、最悪それが直接関与している。慎重に見定める他ない。


――苗床か


 不定形人外自体は卵生でも胎生でもないが、人間の状態から状況としては考えうる。研究者の仕業を考慮すれば、さしずめ異世界由来の魔力と人間との汚染反応研究が妥当か。

 逃げた者にしては大胆だと感嘆した。


――大胆すぎる


 ここまで人間に直接関与しているとなると、逃げるより死ぬほうが早い。せいぜい切り捨てられる子分か雇われに頼み、遠くで珈琲を啜ってれば、安定して成果を取れる。

 当事者への警告と小人への欺きは整っている。コーラと瀬谷が呟けば、柘榴が頬にコーラを当てる。まだ水滴が滴り落ちて冷え切っていた。


「言語重ねするべき?」

「念のため、知能が分かってない」

「iceしか分からん……」


 渋々言いながらコーラを振り、ドアと付近のカウンター目掛けて投げつける。

 鈍い音と同時に奥の扉が開き、いやらしく甲高い声とともにゲルが這い出た。

 目先のみだと水晶体に近しい透明色、露骨な凹凸は象らず、触手は丸っこくふわふわと動く。近くコーラを探り当てれば、そっと撫ぜて巻き付いた。


皮膚組織接続xuě shàng、爆破及び飛散 jiā shuāng


 昨今の魔法と若年のきらめいた作品には、漢字とルビが違う技名や表現が散見される。それの転用で口述でも、暗号化できやしないかと行き着いた先だ。それまでの理論はさておき、部長からも門外に出すなと身内だけの秘密にしている。

 瞬時に中身が凍結、プラスチック容器は対応しきれず爆破する。だが暴発に触手は掴んで離さず、孔を探し当てそのまま押し当てた。

 赤褐色の氷砂糖が中に入り込み、飲み干された。虹色めく可視光線を放つ本体は透き通ったままだが、コーラは微炭酸を含ませた個体として漂う。


 音もない抽出、滔々たる機械的所作だ。多少音に関しては反応はするが、投げた方向については思考を持たない。

 もしくは思考回路のない知能の低いものと推測出来る。

 穴については反射的に突っ込んだとしたら、今の少年に対する仕打ちも納得した。

 用済みとなった空の容器を触手は投げつけ、また元の部屋へと戻る。器用に扉を閉めてはまた彼らとの密室にした。名残は、粘液とみぞれに濡れた空のペットボトルのみ。そっと近づき、襲撃されないと確認した。


「……集めてくる、その間ドアのあれ直して」

「元通りにさせっか?」

「出来れば両方、無理な時は無理だが不安要素は潰せ」

「りょーかい」


 最低限の介入はした。国内屈指の魔法使い「瀬谷鶴亀」の魔力を相手はどう見るかはこれからの動向で分かるだろう。


「いやー天才サマは痺れますわあ」


 と、思われる、白々しいおべっ怪物がいなければ、気分よく、相応に。

 丁度部屋には、対象者の物が下着も込みで積み重なっている。柘榴が頷いて部屋を出るなり、収集を開始した。とにかく個人的に情報が欲しい、と、土御門の物らしい鞄を開ける。ペットボトルの口をティッシュで拭き、食品用保存袋にしまった。

 触手に襲われた痕跡がないかぐるり見渡す。ドアに水分を含みきったシャツが挟まっていた。同情しつつ、粘液は採取しつくした。


 ここまで直に触れた物だと後の特定もしやすくなる。今日中に部長に渡せば、多少の進展も望める。


――だが


 未だ奥にくぐもって咽ぶ少年らの声が気にかかる。いい気分はしないが、ここから逃げなければならなかった。

 単純に、機関は現実世界の人間の救済を目的としていない。あくまでも第三者として情報収集に徹して、救済については過程の上の必要所作でしかない。現実世界と異世界の味方よりも、それらからつまみ出されたならず者らしい考えだ。浸かれど憑かれずな瀬谷鶴亀は異端だが、瀬谷家がならず者である限りは機関に居続ける。


 しかし、と、作業を止めひとまず考えた。

 松川を除いた密会とはいえ、何故密室での密会を選んだのかは鮮明ではない。確かに笠井の言う通り、松川の空回りで他が何か結託していた、というのは納得は行く。


――だがいつの話だ


 あの年頃の少年らならば、迷わず現代的かつ手っ取り早い通信機器のやり取りを選ぶ。だがそれが出来なかった、彼らの証言が口述のみであった。それは瀬谷の協力者が得意とする、通信機器の情報掠奪が不十分だったと言える。

 彼らが機関を知っていた、その説は瀬谷が否定したい。なら彼らはどう見くびろうが、笠井との接触だけは避けたはずだった。


――もしもだ


 魔法少年側の考えとして、悪に捕まり、巣におびき寄せられるならまだしもだ。倫理観と死生観とで揉め合うことはないが、失踪するにしては一般人に肩入れしすぎている。


 問題のチームよりも異世界か現実世界の犯罪者斡旋が妥当か。そうなると凶悪犯罪の危険から、報告した後日、瀬谷に制圧か器物破損許可が出てくる。

 腐ってもいずれかの世界の一員である彼らは、物理や金銭で最低限の犠牲に留めるが常識だった。


――アイツは


 笠井を思い出した。瀬谷よりも筋力が細く、小柄でたどたどしい。素質は部長が手綱を握る限りはあるにしてもと、そっと制服に目配せする。彼らと同じく、そして瀬谷ほど脆弱な個体であるに変わりはない。

 少年らが巻き込まれている事態に、笠井に巻き込ませるか、瀬谷はそれを気に掛けていた。


 一員として甘い顔は出来ないが、17歳の若さは瀬谷を思い留まらせる。調査員としては、部長が指令を下さない限りは深く踏み込まない。実際、無関係にある位置にいる松川を調査した上で、何もなかったと結論付いたら、彼の仕事は終わる。


――俺が正直に報告したら


 気分は悪くはなるが、瀬谷は目の前の暴行に関しては、松山に従い無視することは出来る。急に殴れ蹴れだの言われたら、一撃で仕留める経験と手練手管を備えた。その同等の覚悟を笠井は持っているのか、それは大きな疑問だった。


 つと、瀬谷のスマートフォンにバイブレーションがなる。通話画面に切り替わり、名には「笠井」と記載されていた。タイミングが悪すぎる。苦い顔をして瀬谷は受け取った。

 通話を押したはずが、過度なブレスのみが発せられる。想像していた幼い声はない、するべき動作と行うべき鎮静とが噛み合っていなかった。


「笠井か?」


 咄嗟にノイズが止まり、彼は大丈夫ですとだけ答えた。しばし沈黙しては、薄い息を吐く。ふざけているのかと茶化すことが出来ない。


「松川が……死にました……」


 笠井にも、冷静さを欠いたら人間らしい行動を取るらしい。

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