6

 ある魔術師は、魔力は雪の結晶のようだと言った。


 あるいは煙雲流路、例えられるそれらは美感を刺激する唯一無二の芸術を瞬きに造りは散る。

 詩的かつ迂遠な比喩を好む彼からしたら、センスに尽きた言葉なのだろう。


 確かに、誰かに使われる魔力は持ち主によって形状や色彩をも反映される。漁師の男と関係を持つ魔術師の魔力、小魚の群が彼女を取り巻いたことを瀬谷はよく覚えていた。


――痛い


 今しがた、文字通りアイスクリーム頭痛からの強襲。アイスは腹の中へと詰め込んだせいか、受け売りのカカオの焙煎とやらはぼやけている。味覚はチョコとのみ記憶していないが、この頭痛は調査の後遺症ではない点では救いか。酷い時は嘔吐を繰り返してまともに飲み食い出来る状態じゃない。

 瀬谷からしてみれば、魔力が美しいのは錯乱と相違なかった。幾度百度、同業者が言葉の花や露として力を愛でようが、狂者以外の何者でもない。


──大体


 その思考が、どう生きたらそう備わるのか分からない。魔法は神妙そのものであって、人間のエゴだの快楽で使われるものではない。人間の為に魔法はあるのではない。むしろ魔法がある為に、その命を捧げるのが何故分からないか。

 分からず、ただそれよりも明確なアイスの後味を吟味する。乳臭い香りばかりが鼻腔を広がった。


 再び、柵から見下ろした。魔力調査で歪められた道路は元に戻り、タクシーの四輪を使い走行する。その当たり前で良いだろうに、同業者はなぜこうも羨ましがるのか理解が出来ない。


――アレは


 高架のエスカレーターを降りてすぐ隣に構える電化量販店、そこに笠井がいた。

 癖のある黒髪の痩身矮躯にして紫の瞳。人外の血を持つものらしく肉体には成長遅滞がかかり、学ラン越しから手折れそうな華奢さが伺える。それに高校生は深刻な意味を見出していないか、可愛らしく子柄をコンプレックスにする。

 だが精神を言談する目つきは、少年らしく大きめの瞳に反して鋭い。相変わらず、上司好みの、からかいたくなる容貌をしている。


 隣にいる男子学生……は、すぐに松川だと察した。写真通り、笠井よりも標準体型かつ健康的な印象を与えられる。


 そういえば、と、また軽く眼球を押す。笠井が部長と暮らしていることは知っている。三輪という戸籍があるにせよ、部長は正真正銘の化物にして記号上「淫魔」だ。

 部長が天賦の才を惜しげなく発揮しているとしたら、彼が所有する魔力は同居人の笠井にも付着する。

 または――想像はしたくないが、部長の種族と性癖上――含有されている場合も否めない。

 松川少年は素性的にはある程度の付着は致し方ないが、彼は気になる。

 聞いた限りの期間だと最初の接触は8年前、本格的に入り込んだのは去年。瀬谷の経験上では汚染するには充分だった。


――指定、笠井蓮、内在型探査


 また眼球に負荷を掛けるが、既に見える状態とピンポイントな視認目的には多少の目眩で事足りた。柘榴がアイスで目を離しているスキによろけた足を支え、捕捉を続ける。


 笠井の周囲のみ、多少地は歪んだが本人は奇形には変化しない。

 足元から黒いモヤが笠井を取り囲み、足首を掴みかかる手へと変幻する。その数五本、指の骨格は均一ではなく、四本指の手も彼を掴んでいた。

 笠井のように、部長が異常に気に掛けているに松山がいた。

 彼を視た際も同じ減少を起こし、あの殺風景な部屋の壁はカビ色の魔力がこびり付いていた。これだから汚いから好きになれないと鳥肌を立てた。


――深層心理反映ってとこか、部長束縛気質だしな


 その手らは笠井の全身を覆った。

 笠井自身の歪曲や奇形は未だ見られないが、黒い魔力だけは周りを生動する。

 空漠たる膜のはずが、瀬谷の目には笠井の姿が黒く塗り潰れていた。あの目立つ紫の瞳がチラチラと見えては、黒が有耶無耶にする。

 這う虫、鎧と言うよりもラバースーツが形容出来るだろうか。

 それらが密着しては笠井の一つ一つの挙動に対応する。笠井は何も知らず、腕を伸ばし袖から肌を晒せば、魔力が入り込み、白い肌をひた隠しにする。


 思わず瀬谷は周囲を見回したが、初期の異常な空間は消え失せている。

 無機質なビルディングと無常の蒼穹一点のみが囲う。つまりは、アレが笠井の状態だ。


 気持ち悪いが悔いる他ない。彼を取り巻く瘴気はえげつなく、不快感をもたらす。

 このレベルの汚染なら瀬谷の色素まで変えられてしまう。それでもあの人間らしいプロポーションを維持するのは、彼らの化物たる所以か。


――やめよう


 ここが引き際だと目を離した。過保護なら可愛いが、一線を超えた人間と同様の濃度を纏わせるなら、そう称することはできまい。


「……時間ない、行こう」

「コーラあるで」

「どうも」


 非があるのは勝手に見たこちら側ではある。それ以上の接触はなしに、瑠璃色の痕跡を追った。


 予想通り、未だ解体する目処の立っていないビルから問題の魔力が浮遊していた。

 T駅からおよそ1K程、洗練されたモール街を抜け出した、モノレール高架下にそれは寂れ建つ。立ち入り禁止の看板は立ててはあるが、それは赤く錆びつき頼りない。

 正面階段奥は黒に塗りつぶされているが、壁には落書きが入り乱れ冷静さが入ることを躊躇う。

 スマートフォンから添付された資料を覗く。ビルが廃墟になったのは都市開発の停滞期後と一致している。全四階、当時飲食店らが構えていたが、時代を鑑みるに経営不順が原因と見た。


 廃ビルの入り口を見れば、魔力は手すりと足元の二点を中心に蛍光色に発光する。仕方なく、柘榴を後ろに進んだ。

 暗い、寂しげなむき出しのガス管を見つめながら昇る。二階三階は非行少年少女らのゴミが占領し、すえた甘ったるい異臭を放つ。自らのノリの老いを感じた。

 痕跡に変化が起こったのは四階、ドアノブに例の色が満遍なく塗りたくられていた。

 瀬谷が白手袋を嵌めては鍵を確認する。扉は施錠されていないが、ドアノブを捻っても開かない。耳を澄ますが、何も聞こえない。

 五感に関しては柘榴はより過敏に反応するが、何も口出して来なかった。


――ここか


 スマートフォンからメモ帳を起動する。事前に資料から読み取っていた「巣」の単語を、複数の言語に翻訳しては羅列していた。ドアを起点として空間を断ち切っているとしたら、ここから解読した方が早い。

 関係が深いとされている強欲国、候補として技術が進んでる暴食国の公用語は自らの発声に頼る。S語、L語、F語、R語等の言語を用いた魔法で定番なものは、素直に翻訳音声に任せた。

 nidus、巣、nestと唱えている瀬谷の横で柘榴が溜息をついた。


「魔女っ子が夢壊さんといて」

「夢を与えた覚えはない」


 アプリはないわあと続けざまに文句を垂らした。互い様だと、無視して解錠作業を続ける。いけずうと甘ったるく零し、瀬谷の横でみっともない姿を晒す。アジアの怪異にして酒に弱い化物が何をほざくだろうか。


――おかしいな


 結構話したが、内部からの変化はない。異世界人かコンパクトのような物がなければ起動しない仕組みにある。飲食店だったことを鑑みて、仮に彼らが到着していたとしたら奥のキッチンフロアか。

 柘榴が目の前の羽虫を追っている頃に、ドアは瀬谷の魔力に馴染んでいた。ドアノブが大人しく瀬谷の腕力に従う。国絡みといえ、鍵については小道具に記された単一な単語なだけあって平易だ。

 その分、開けたすぐ先に問題はあると、直ぐに開けようとせず止まり、柘榴に判断を仰ぐ。


「自己修復働いてないで、網も薄い」

「解けるか?」


 おうと静かにいらえ、柘榴の指が扉を這わす。


「そのまんま回してな」


 薄い埃が指の腹を掬えば、取っ手の重みは一段と軽い。

 乾いた音を立てて撫で上げる。瀬谷の手袋についたもの皆、周囲に撒かれた鱗粉は宙へと淡く消えた。


 今や軽くなった鎖を除けて中を覗く。かつて客席を配備した空間は、コンクリートとパイプが荒々しく剥き出されていた。一歩踏み出せば舞い上がる塵が、つま先から鳴る粉硝子が寂寥を呼ぶ。

 カウンター前の古ぼけた丸椅子には畳まれた制服が置かれていた。その数四人分。そこのみ妙に真新しく、衣替えしたてのYシャツの光沢は白い。ブレザーから見るに、土御門、水木、黒見、光円寺のものと合致した。


 薄汚れた配管と礫にまみれたがらんどうは、いやに風通しが良い。だがそれよりも奥に通ずるドアは締め切られていた。

 近寄り、開けようとするも僅かな水音で止まる。水道はとっくのとうになかったはずだ。

 瀬谷のみがゆっくりと歩み、ドアへとそばだてる。新鮮な、だが粘着性のある水音、その動きに呼応するように複数人の少年の声がもれる。


――そうか


 その手に股がいきり立ちはしないが、嬌声だと察した。静かに離れ、首を横に振って柘榴に進行不可を示す。

 詳しいプレイは想像付かないが、呻きと好き者の高音が耳朶にかかる。快楽よりも苦痛の入り混じった、相手側の体調を考慮しない機械的な動作と窺える。だが死んじゃうともっとが言語として辛うじて重奏に響く。


「……生殖活動の真っ只」

「ああ、なるなる」


 柘榴も、皆まで言うなと言いたげだった。

 魔力を悪用して媚薬に転用できるとは聞いたことはある。質は千差万別にして事毎度毎に異なるが、彼らが自力で開発するとは考えがたい。薬物中毒者は周りにいたが、彼は優良な名家の仲での劣悪とした家庭環境が問題にあった。

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