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 彼が言うには、他人を覚える順番は名前と顔、そして足音らしい。


 足の筋肉を使わないものは乱雑に軽く聞こえ、海軍兵は均整のとれる傾向にあるという。特定できる神業には至らないにせよ、日頃何気ない動作で相手の人となりは分かるらしい。

 何にせよ、特徴を逆手に取って相手を欺く相手を除けば、多少の物音は人間を表しやすい。


――だから


 毎日顔を合わせる人間に対しては、嫌というほどにはよく覚えてしまう。

 瀬谷が彼のドアを軽く通れば、解錠音が勝手に鳴った。速度と反応として恐らく玄関前にずっといた、か、寝ていたらしい。寝台で寝ないとは聞いたが、人間らしく謙遜する前に、日常人間臭くいる癖はつけて欲しかった。


 静かにドアが開けば松山が顔を覗かせる。常時軽く後ろに撫でつけた前髪が垂れ下がり、両サイドにひっつけば年相応に戻っていた。

 黒いシャツが襟元を濡らせば、洗髪剤らしきハーブの香りが漂う。また、不精な生活を送っていたらしい。

 瀬谷の姿を目にすると、ああと声を零した。実年齢にしては重く低く、デキャンタを口付けて飲み干すような不遜さを醸す。


「おはようございます」

「……早朝失礼します」


 瀬谷が手にしていた書類を一瞥すると、招くようにドアを開いた。

 立ち話程度に済ませようと玄関まで入ったが、玄関先に靴は置かれていない。向こう側に人気がいないとなれば、部長は早々に立ち去ったと安堵した。


 笠井の書類と瀬谷の依頼を渡したのは部長本人であるが、どれも松山のサインが記されていた。

 松山が来訪に気に留めなかったのは、ある程度の上司同士の意思疎通は交わされていたらしい。


 朝起きてすぐ二種類の書類を部長は室内に届けては、それらを束ねて瀬谷の顔を叩いていた。

 笠井の資料については深夜済ませた物と聞いたが、調べ次第、松山に報告して欲しいとも伝えられた。これらの物が繋がっている、とは明確には言及していなかったが、そう考えさせるのも狙いだったのだろう。

 相変わらず、人を試すようなことばかり部下に押し付けては楽しんでいる。


――にしてもだ


 瀬谷の部屋と平米はさほど変わりないが、必要最低限の物しか置かれず異様に広く感じられた。

 無味乾燥とした、個性のない、個性を嫌った殺風景。部長が置いたインテリアが瀬谷には浮いて見えた。成功に関しては効率高く振る舞う反面、何一つの関係ない物には無関心を露わにしている。


 性格が似ているとは言い難いが、話が早いのは好ましい。

 勤務前ではあるが双方眠たげな様子もなく、松山は書類に目配せしている。こちらの話を聞きたいと、静かに伺っていた。


「……そちらと部長の方を確認しました、対象者との一時的な接触の許可をお願いします。当該の団体は一般人と深い関係に至っていると推測します、これ以上の調査は私的空間の侵入が必要かと」

一時的空間確保結界か、空間保有装置ミニスケープ、どちらですか?」

「それなら……」


 あの程度の構造と規模であるなら、数人がかりだとしても静的シークエンスは脅威的な物を成さない。使用者の情報から空間保有装置ことフラウドイル式展開亜空間擬似観測を用いることも怪しい。故に――と説明しかけたが、留めた。また相手見ずのおしゃべりのガリ勉だのと揶揄される。


「それなら?」

「……簡単で手短に作れる結界です、外部から口出されるような物はないかと」

「分かりやすくて良いですね」

「なるべく分かりやすくしました、なるべく」

「……侵入については許可します。ですが攻撃、読心等も用いた過干渉は遠慮下さい」


 妥当な判断だと瀬谷は頷いた。過度な行動を謹まれるのは歯痒いものの、許可さえあれば魔術師として行動できる。部長も松山共々、それぞれ見下される態度は好かないが、理解力の高さは信頼に置けた。


 松山は瀬谷の一つ年下と聞いているが、似つかわしくない外見であった。

 成人男性と平均の背丈をした瀬谷には、目の前に首元しか見えない。およそ190弱、威圧的に声が上から降るのは自覚しているか、膝を屈んで目線を合わせた。


 オールバックにして一点の乱れもないスーツを着こなせば、一切の隙は見せない。それに反して、勤務から切り離された彼は単なる青年ではあるが、生まれつき恵まれた骨格は変わらず深い。

 黒い髪であるが色素が薄い灰かぶり色の瞳孔、白い強い輪郭から外国の血を彷彿とさせた。過度に見た目に気を払わないシャツから胸板が張り付き、精悍さを隠さない。



 仕事では付き合いやすいが、私生活には関わりたくない人間だった。怜悧な判断を色恋にまで及ばせる。男色の気がないのが瀬谷には幸いだったが、付き合いやすい分操られている錯覚すらある。

……もっとも、成就と目的から逸れれば、至って理詰めした人間には他ならないが。


「……ただし、破壊対象が自己再生能力の高い人工物ならば多少の防衛は許可します」


――それ言う必要あるか?


 瀬谷が予想する限りは、外部や異世界人からの襲来は大いに有り得る。名目上軽い調査としてなら、この先ある程度は言い訳できる範囲での破壊は暗黙知だった。

 この職種に八年近く居続けた瀬谷に、わざわざ言うものでもない。


 一瞬、それまで無表情を貫いていた顔が、どこか瀬谷を睥睨するように変わる。お前は何を言っているんだと言いたげな顔だ。


「まあアレに寄越してくだされば」

「器物破損の前提で話してます?」

「万が一あったら、ですが」

「大丈夫ですから」

「……僭越ですが火種のような物は」

「ああ分かりましたよ!」


 おもむろに懐からライターを取り出して松山に投げつける。やけになって力んでしまったが、そのまま松山は受け取りどうもとだけ言ってしまいこんだ。

 帰ろうとする瀬谷を視線で見送ろうとするが、松山は壁に背中を預けたままであった。出会った数年前よりは軽口は叩けるまでには成長はしたが、警戒しいな癖が抜けていない。


 常に警戒態勢に入るのは重役らしく喜ばしいが、と、瀬谷は目の前にあるうなじを見つめた。やはり異国風に白い肌、その上にうっすらと鬱血痕が張り付いていた。


 彼の動脈、鎖骨にかけて計三箇所。部長の長所であり短所を思い出してしまった。良くも悪くも、相手に印象づけさせる行動には殊更気を抜かない。見せる相手が瀬谷であってもだ。


「……何ですか?」

「タートルネックとか似合うと思いますよ」


 瀬谷の嫌味にあァと、感嘆とも付かない息を漏らした。理知に冴えた言動とはかけ離れた、わずかながら珍しく言い惑う声だ。

 過去倒錯しきった世界にいた住人らしく、問いを持て余す。さりとて部下の皮肉に困る様子はない。それよりかは皮肉で返すか口説くかを選ぶ、習慣づいたリップサービスだった。


「同じこと言いますね、アレと」


 愛想の良い微笑みだけがこぼれた。それ以上、瀬谷は何も聞かなかった。


 扉を締めたら松山の香りが残っていた。この数時間後タイムカード刻みに職場に向かわなければならないし、着こなした奴らと対面する。

 最小限の労力でひとまず区切りはついたが、これが途方もない徒労になる予兆とも瀬谷は思えた。

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